チョコ味の思い出
「ただいま~。」
「おかえり。」
美咲くんと晶のうちに行っていた小夜香が帰ってきたと思うと、何やら大きな紙袋を抱えていた。
「何だそれ・・・。」
「バレンタイン用のお菓子、いっぱい作ったんだぁ。」
最近たまに仕事の事務作業を手伝ってくれるようになった娘に、日給で給料を手渡しするたび、次は何を作ろうか、と菓子作りにはまっている様子だ。
「菓子好きは母親似か・・・。」
「え?そうなの?」
リビングでコーヒー片手に苦笑いを返すと、小夜香は冷蔵庫にチョコをしまいながら尋ねた。
「ね、お父さん、今年は小百合さんからもバレンタインチョコもらえるね!デートするの?」
「・・・・・さぁ・・・・。特に予定を聞かれていたわけではないな。」
テーブルに頬杖を突き、スマホを眺めながら答えると、小夜香は不服そうに口をとがらせながら隣に座った。
「え~?小百合さんそういうのマメな気がするけどなぁ。もうバレンタイン明後日だよ?」
「・・・そういう小夜香は、誰か美咲くんと咲夜くん以外に渡す相手がいて、張り切ってるのか?」
小夜香は見つめ返してキョトンとした後、ふんと鼻を鳴らした。
「お父さんがそんな野暮な質問するとは思わなかった。誰が本命かなんてお父さんには関係ないでしょ?今は小百合さんとの予定の話をしてたのに、すり替えないで!」
そう言って小夜香は俺の後ろに立って、肩をもむと見せかけて力を入れてツボを押してきた。
「おい・・・痛い。仕方ないだろ、ない予定の話なんて出来ない。」
「じゃあお父さんは小百合さんからチョコ貰えなくても寂しくないの?娘からたった一つしかもらえなかったなぁ・・・って思いながら、一人で眠ることになってもいいの?」
「そ・・・ういう風に言われると・・・嫌な気もしてくるな。」
小夜香は母親そっくりな意地悪そうな笑みを浮かべて、また隣に腰かける。
「お父さん全然デートに誘ってる感じないけど、ちゃんとマメに連絡してるの?」
「ちゃんと毎日返信してるぞ。」
「・・・そういうことじゃないんだけど・・・。お父さんはさ、ふとした時に小百合さんに『今日会いたいから会えないか?』とか連絡しないの?恋しくならない?日下先生も言ってたでしょ?自分の素直な感情を相手に向ける練習しなきゃって。」
「恋しさ・・・ねぇ。」
仕事にかまけてばかりだと、同じ轍を踏むことになりかねないかもしれない。
まぁ・・・小夜香の母である小百合に、仕事が理由で嫌われたことはないが・・・
だが彼女が生前残していた俺に宛てた手紙に、早く会いたい、と切実な想いが綴られていた。
結婚してからも仕事で本家の事務所で寝泊まりすること多かったので、毎日一緒にいられたわけじゃなかった。
知らず知らずのうちに寂しい想いをさせて、それを我慢させていたのかもしれない。
そして自分自身も我慢することに慣れていたのかもしれない。
「ねぇお父さん、お父さんはさ、寂しいとか、愛してるとか、大好き、とかなかなか言えない人?」
「・・・まぁ・・・今となってはあんまり言えないのかもな。」
「言わなくても伝わってる、って思うのがきっと・・・一番心が離れる原因になるよ。」
小夜香にそうハッキリ言われて、さすがにグサっと刺さるものがあった。
「確かにそうかもな・・・。・・・小夜香、愛してるよ。」
そう言いながら頭を撫でてやると、娘は目を丸くして口を開けていた。
「私にじゃないよ・・・お父さん・・・。」
「なんでだ?子供に伝えるのはおかしいことじゃないだろ。」
「そうだけど!今そういう話してない!!」
小夜香に軽くはたかれながら、小百合が仕事を終える頃に電話をかけてみようと思った。
この年になって思うことだが、永遠に一緒にいられる関係とはどんなものだろう。
もし自分が死ぬまで添い遂げる誰かがいるなら、とても奇跡的な気がする。
庭に出てベンチに腰掛け、真っ赤に咲いたポインセチアを眺めた。
小夜香は成長していくと、まるで母親の生き写しのようによく似てきた。
容姿だけじゃなく、体型も背格好も、園芸や菓子作りの趣味まで。
「もうすぐ14年だ・・・。」
懐から煙草を取り出して、手を止めた。
昔ジッポを開ける音がすると、小百合は決まって俺の側へやってきた。
別の部屋の縁側でわざわざ吸おうとしているのに、喫煙を止めるために妊婦の時も側に寄ってきたので、俺は煙草を消さざるを得なかった。
そして甘えるように顔を寄せて、俺の頬に手を添えて言うんだ。
「口寂しいならチョコあげるわ。いらないなら・・・キスして、更夜。」
「・・・・はぁ・・・」
懐にまた煙草をしまった。
チョコの話をされて思い出してしまったな。
その時、ポケットに入れていたスマホが鳴った。
「もしもし。」
「あ、更夜さん、お疲れ様。今大丈夫?」
「ああ、おつかれ、今日は仕事終わるの早かったんだな。」
「うん、今日は朝からだったから。あの・・・明後日少しでいいんだけど、会えない?」
バレンタインデーの予定だろうか。
「休みか?」
「うん、予約して取り寄せたチョコを渡したくて・・・。もちろん渡すのは更夜さんにだけだよ?」
「ふ・・・そうか、ありがとう。休みなら別にいつのタイミングに来てくれてもいいよ。俺も最近丸一日休みな日はなかったから、一緒にいられるなら休日にするよ。」
ほとんど毎日在宅ワークなので、休むタイミングは自分で決めるものの、朝から晩まで仕事に手を付けない日はなかなかなかった。
元来仕事人間な性が抜けない。
そのため、小百合と会える日があれば、その日は休日にすることが多かった。
正直イベント事を気にして過ごしていたことはないので、バレンタインデーは子供たちや若いカップルが楽しむものだと認識していた。
本家の中でもそういったイベントで贈答品を渡し合う習慣はなく、そもそも当主はプレゼントを受け取ってはならない決まりだった。
まぁ、そんな決まりを誰もが守っていたわけじゃないと思うが・・・。
そして当日になり、昼前に小百合はうちにやってきた。
「お互い忙しかったから久しぶりだね。ひと月くらい会ってなかったかな・・・。」
小百合はそう言いながら書斎に入り、以前貸したままだった本を鞄の中から取り出した。
「そうだな、正月明けに会った以来だったような・・・。」
受け取った本を確認して本棚を探しながら歩いた。
「・・・更夜さん、これどうぞ。」
小百合は俺の後を追って、今度は綺麗に包装された箱を手渡した。
「ありがとう。・・・小夜香以外からもらったのは初めてだ。」
俺が箱を眺めながら何気なく言うと、小百合はポカンとした表情を返した。
「え・・・学生の時に同級生からとか、奥様からは貰わなかったの?」
「・・・義務教育過程は本家で行っていたから学校には行ってなかった。大学は2年程行ってたが、海外だったからチョコをもらう文化がない。妻と本家で暮らしていた頃は、菓子が好きな人だったからしょっちゅうもらってはいたけど、バレンタインの習慣はなかったな。」
「そうなんだ・・・。」
「・・・ああ、でも・・・内科と小児科で病院勤めしていた頃は、看護師や患者から差し入れでもらっていたことはあったかもしれないな。たくさんあると食べきれないから、小夜香にあげていたけど。」
「そうだよね?更夜さんが貰わないなんてことないと思ったもん。」
小百合は疑問が解けたようにニッコリ笑った。
俺は手元の本を棚に戻し、もらった箱の包みを丁寧に開けた。
「けど・・・バレンタインのチョコを、恋人から貰うのは初めてだよ。」
「・・・そっか。」
箱を開けると、様々な形と色をしたチョコが整列していた。
「芸術品だな・・・。」
「ふふ、そうでしょ?有名なショコラティエさんが経営するお店が銀座にあってね?バレンタインの時期なんかは、予約を何か月も前から入れないと目当ても商品は買えないの。何年も前からお店のことは知ってて評判も聞いてたから、いいなぁと思ってたんだけど、自分のために買うにはちょっと贅沢だし、どちらかと言えばプレゼントとして渡したいなぁって思ってたから。」
小百合は好きな本を語る時と同じくらい嬉しそうに言った。
「そうなのか、わざわざありがとう。小百合は食べたことあるのか?」
「ううん、チョコはないかな。結構前に店長さんから差し入れで、そのお店のブッシュドノエルを従業員の皆でいただいたことあったの。それもすっごく芸術的なデザインで上品な味でね、美味しかったよ。」
「ほぉ・・・ショコラティエもパティシエも、料理人たちは芸術家なんだな・・・。」
一粒鮮やかな緑色のチョコをつまんで口に入れた。
香りが強いが味はしつこくなく、優しい甘みだ。
「それたぶんピスタチオ。」
「うん・・・ふまい(美味い)」
俺が食べていると、また小百合は嬉しそうに顔を綻ばせた。
いつものデスク横の窓際のラグに座って、彼女を手招きした。
改めてカラフルに並ぶチョコを眺めて、一つをつまんで隣に座った彼女の口の前に差し出した。
「えっ・・・いいよ?更夜さん全部食べて・・・。」
「いいから。ほら・・・」
小百合は戸惑いながら小さな口を開けて、パクリと頬張った。
「・・・ん~!美味しい。甘酸っぱいベリーが・・・」
もぐもぐと口を動かす姿が、何とも可愛らしかった。
少し恥ずかしそうに視線を逸らせて口元に手を当てるので、顔を寄せて小百合の手首をつかんだ。
ゴクンとチョコを飲み込む頬にキスを落として、親指でそっと唇に触れた。
「・・・味見させて。」
答えを待たずに深くキスすると、次に目を合わせた時には、小百合がベリー以上に赤く顔を染めていた。
「ふふ・・・そんな反応しなくてもいいだろ・・・。」
俺がくつくつ笑うと、顔を隠すためか小百合は俺に抱き着いた。
「更夜さんが!少女漫画に出てくるイケメンみたいなことするからでしょ!?」
「・・・少女漫画・・・。読んだことないからピンとこないな・・・。」
小百合はしばらく真っ赤な顔でよくわからないことを言いながら、可愛い言葉で俺を罵倒していた。
その後チョコを完食し、小百合を二階の自室に連れて行って、彼女も美味しくいただいた。
ベッドの上でシャツのボタンをとめていると、徐にスマホの着信音が鳴り響いた。
それは倉根からだった。
仕事上で何か行き違いが起こりトラブルになったので、出来れば先方に交渉に行ってほしいとのことだった。
「お仕事?」
裸のまま半身を起こして尋ねる小百合に、申し訳なくなって視線を外した。
「悪い・・・。一日いるつもりだったんだが・・・。後2時間くらいしかいられないな。」
彼女の長く伸びた髪を優しくなでて額にキスすると、小百合はいつものように可愛い笑みを浮かべた。
「気にしないで。お昼ごはんは一緒に食べれる?」
「ああ、何にしようか・・・。」
俺の中で、チョコの味で思い出す記憶が塗り替えられた。