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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
五章 少女、寒桜を見る
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16.エトヴァス

「そうじゃないと、なんだ?」


 エトヴァスは静かに長い亜麻色の髪の少女に尋ねる。

 お化けを見るような顔でもするかと思ったが、アリスは眉間に皺こそ寄せたが、予想していたのか驚いた顔一つしなかった。それがまたエトヴァスのかんに障る。

 エトヴァスはあらためて部屋のなかにいる面々を確認する。

 壊れた檻の中には、もはや金髪とは言えない白い髪をしたみすぼらしい男が膝をついて座り込んでいる。

これが、ヘルブリンディだろう。

エトヴァスが知っていた上背のある筋肉質の肉体はガリガリに痩せ、骨格こそがっしりして見えるが、見る影もない。

 三百年もなにも魔力のある動物を食べないとこうなるのだと、同じ上位の魔族同士少し考えるところがある。

 そしてもうひとり、かつてのヘルブリンディにそっくりの青年がいた。


「・・・そうか。息子か」


 エトヴァスは顎に手を当て、少し考える。


「人間の妃は妊娠中に殺されたと聞いていたが、あの男の勘違いだったんだな」


 あの男は人間の妃を殺したかっただけだろうから、女が子供を産んだのかどうかなど調べなかっただけだろう。息子は結界のなかで、ぬくぬく育ったのだ。


「だが俺には関係がない」


 エトヴァスはもともとアリスを狙っている魔族がふたりいるとわかっていたので、想定内だ。仮にそれが親子であったとしてもエトヴァスには関係ない。

 そしてエトヴァスはその左手に、身長の二倍はある金色の剣を出現させる。


「アリスに手を出した限りは死んでもらう」


 上位の魔族同士で、食糧への手出しは万死に値する。息子の方の顔色が変わり、ヘルブリンディが彼を守るように動いた。だが、そんなことエトヴァスにどんな関係があるだろうか。

 そう思ったが、アリスがエトヴァスの前に杖を持って立ちはだかる。


「早く、ケルンを転移させて!!」


 アリスがヘルブリンディに叫んだ。息子の方は酷く戸惑った様子だが、ヘルブリンディはエトヴァスの出現とその意図を既に察している。


「はやく!!」


 アリスは防御魔術を自分の前面に展開しながら、白銀の杖を振って叫ぶ。

 さすがに腐っても将軍職にあったヘルブリンディの転移の魔術は速い。息子の方の周囲に構造式がすぐに展開される。

 ただエトヴァスとて大人しく逃がす気はなかった。


「さすがにお痛が過ぎるぞ」


 アリスの後ろをとり、背中を軽く押す。

 彼女の魔力探知に引っかからないように彼女の後ろをとるのはそれほど難しくない。そもそも人間は肉体的に脆弱で、身体能力では魔族との間に大きな差がある。

魔族と近接戦闘など不可能なのだ。

 エトヴァスはヘルブリンディも息子も逃がす気はなかったが、ヘルブリンディはどう考えても飢えている。アリスを確保しながら、そしてアリスに見えないように隠しながら、ヘルブリンディの転移の魔術の構造式に干渉する。

 アリスは後ろからエトヴァスに押されただけでバランスを崩した。倒れるとはいえ前向きだから、運動能力に難があるアリスでも手をつくだろう。アリスには自分の後ろにいてもらわねば困る。

 だが、傾ぐ体を反転させ、エトヴァスに向きなおったアリスは倒れながらも視線だけは今まさに転移の魔術の構造式に干渉しようとしているエトヴァスの魔術に向いている。

エトヴァスの肩越しに見える、いや、エトヴァスの体で死角になっているはずのエトヴァスの魔術を、アリスが探知している。

 エトヴァスと向き合う形で倒れながらも、白銀の杖がふるわれる。

 エトヴァスは剣を持っていない、アリスを押した右手で杖を押さえようとした。だがアリスは右利きだ。剣を左に持っているエトヴァスは間に合わない。エトヴァスとヘルブリンディの間を、魔力砲が一線した。

 それとほぼ同時に、ヘルブリンディの息子の姿が消える。


「っ」


 体勢を崩したアリスは立て直せない。そのまま後ろ向きに倒れるしかないだろう。

 床は木製だ。アリスは今更まずいという表情をしたが、衝撃に耐えるために眉間に皺が寄るほどきつく目をつぶる。ぶつけれるのは後頭部、下手すれば流血だ。

 エトヴァスの右手はヘルブリンディの息子を追う魔術を放つより、アリスの左腕を掴むことを優先した。


「おまえは、本当によく視えているな」


 どこまでも冷ややかな声が出た。アリスが一歩身を引こうとするが、エトヴァスが腕を掴んでいるので動けない。


「ただ甘すぎるな。俺を止めることを考えるなら、俺を打つべきだった」

「・・・そ、そんなこと、」


 掴んだ腕がびくりと震える。アリスは擦れた声で言って、首を横に振った。

 エトヴァスを阻もうとしたにもかかわらず、アリスが展開したのは防御魔術だけだ。エトヴァスを攻撃しようとすらしなかった。したくないのだ。

 甘いにもほどがある。エトヴァスはつかんでいた手を離した。


「俺は忠告したな。いらない同情はするな、仮にしても動くなと」


 そんな甘い考えで、覚悟で、アリスはエトヴァスの忠告を無視したのだ。同情はするなと言ったのに同情し、エトヴァスに逆らった。


「それでもやったんだから覚悟はできてるな」


 問うとアリスは目を伏せ、きゅっと唇を噛み、杖を握っていない方の手で自分のシュミーズドレスの裾をぎゅっと掴んだ。


「・・・はい」


 アリスは静かに頷いて、白銀の杖を握り直す。エトヴァスはそれを確認してから手を離した。そして、もはやぼろぼろの状態で膝をついている男を見下ろす。


「ヘルブリンディ」


 エトヴァスの声に、彼が顔を上げた。

 飢えと正気の入り交じる翡翠の瞳には、さきほど分身の中にあったような狂気の色はない。何らかの形でアリスはヘルブリンディに現実を認めさせ、正気に戻したのだろう。だが飢えは狂気だ。すぐにそれは入れかわる。


「・・・限界、だよね」


 アリスは迷いなく白銀の杖を、ヘルブリンディに向けた。

 魔族は心臓の位置を変えることが出来るし、魔力があれば再生できる。だがこの至近距離で魔力砲を増幅すれば、アリスもヘルブリンディを跡形もなく消し去ることが可能だろう。

 さすがに跡形もなく消せば、魔族であっても死ぬ。

 エトヴァスには攻撃魔術を使用することすら躊躇ったアリスは、震える手を隠すように細い白銀の杖を指が白くなるほど握りしめていた。

 ヘルブリンディは酷く柔らかにアリスに笑いかける。エトヴァスはそれをぼんやりと眺めた。


「キルシェの結界は、ケルンとこの結界のなかに入った俺を外には出してくれなかった」


 エトヴァスはそれでヘルブリンディが結界の外に出なかった理由を納得する。

 人間が自分を犠牲にして張る結界は、特殊な構造式が解除されることはない。恐らくヘルブリンディの人間の妃は構造式と言うよりは魔力と思念で、息子と夫を他の魔族から守れる結界を作り出したのだろう。

 ただ「出入り」を許可するような複雑な構造式が、魔術師ではない彼女には作れなかった。

 だからヘルブリンディは一度入ると結界から出られなくなり、結界内に巣くっていた魔物を喰って生きてきた。混血の息子はそれでも問題はなかっただろう。

 だが、純血の魔族であるヘルブリンディには、食糧として莫大な魔力を持つ生きものが必要だ。徐々に飢え、そして息子ですら手にかけたくなる自分を近く止められなくなっただろう。


「だから、良かった。ビューレイスト、おまえが来てくれて。俺は大事なものを、キルシェの欠片を、こんなところで殺さなくて済んだ」


 弟はエトヴァスに力なく笑う。そして彼は次にアリスに視線を向けた。


「すまない、本当にすまない・・・こんな役回りをさせて」


 ヘルブリンディの言葉に、アリスは泣くまいとするように唇を引き結ぶ。

 ヘルブリンディはアリスがエトヴァスの食糧であり、エトヴァスの意向に逆らってこの場所に来たことに気づいている。

 それが酷く苛立たしい。


「大丈夫、大丈夫だ。俺は馬鹿だった。だけどビューレイストは俺よりずっと賢い」


 エトヴァスは当たり前だともはや立ち上がる力もない弟を冷たく見下ろす。

 ヘルブリンディは無邪気に、魔族のやり方をそのままに、人間の妃に食欲や性欲といった欲望を向けた。

 そのなかに徐々に感情が交ざっていたことも気づかず、周囲がどんな眼でその人間の妃を見ていたかも知らず、ただ無邪気に手に入れた玩具をその食欲、性欲、すべての情をかけて鍾愛した。

 だから、失った。彼はその愚かしさをもう理解している。


「うん。ありがとう。だから、もう、いいよ」


アリスは悲しげに、そして柔らかに笑った。ヘルブリンディを殺すことを、覚悟をした顔だった。

 だが、それを見た途端、例えようのない不快感がエトヴァスの心を塞いだ。

 アリスのはじめて殺す相手はきっと、彼女の記憶に残るだろう。そして人間の妃に関わる悲しい思い出だからこそ、彼女を落ち込ませ、記憶に深く刻まれるに違いない。

 それは許せない。エトヴァスは気づけば自分の手でアリスの杖を掴んでいた。

 

「どけ」


 言えば、アリスが息をのんだのがわかった。


「俺は今、最高に気分が悪い」


 アリスはそう言っても、すぐには動かなかった。だが、どうせアリスがひき下がるしかない。この状況でエトヴァスが引き下がることは絶対にあり得ない。そしてアリスには戦ってまでエトヴァスを退かせる根性も覚悟もない。

 だからエトヴァスに言わず、こそこそとひとりでヘルブリンディに会いに行ったのだ。


「おまえは、そこでよく見ておけ」


 エトヴァスは杖を引き、アリスをなかば無理矢理うしろにさげる。そして自分の武器である金色の剣を振り上げた。


「本当に信じられんな。八つ当たりで気分が晴れるのか?」


  やる前からわかる。この不愉快さや不快感は、ヘルブリンディを殺しても消えない。

 ヘルブリンディは、人間の妃を殺され、領民を皆殺しにした。当時の魔王がどういう形で人間の妃の殺害に関わったのか、エトヴァスは知らない。領民も手引きしたのかも知れないが、全員ということはなかっただろう。

 それをヘルブリンディは皆殺しにした。恐らく八つ当たりだ。

 まだエトヴァスはヘルブリンディを殺したわけではない。だがどう考えても、エトヴァスが有するこの不愉快さは彼を手にかけても払拭されないだろう。やる前から予想できる。


「・・・あはは、なにをしても、気分は晴れん」


 ヘルブリンディは、かつてと同じ軽やかさで笑う。だが、エトヴァスともよく似た翡翠の瞳からは涙がこぼれ落ちた。

 エトヴァスは驚く。魔族が、ましてや感情の起伏に乏しいはずの純血の魔族が涙をこぼして泣く姿を、千年以上生きてきたエトヴァスですらも見たことがなかった。


「気分は晴れないんだよ、ビューレイスト」


 喪失と絶望、ヘルブリンディは涙とともに宙を仰ぐ。疲れ果てた、もうすべてに疲れ切り、すりきれた声だった。

 三百年間、彼は人間の妃の死を引きずり、息子と寄り添いながら、ただ時間をたどり続けた。その時間は息子と共に過ごす上では意味のあるものだったかもしれない。

 だが本能そのものである食欲ゆえに自分の息子に食らいつきたくなる衝動を必死でおさえ、喪失と絶望に揺れながら生きながらえることは、想像を絶する苦しみだったはずだ。エトヴァスには飢えた自分の食欲を抑えながら生きる姿は想像できない。

 最後に彼はアリスを振り返り、柔らかに笑う。泣きながら、笑う。


「きっと、大丈夫だ」


 安心させるような笑み。アリスはそれにこたえるように、悲しそうに笑って目を閉じる。

 それが終わりだった。


「思い通りになって、満足か?」


 エトヴァスはヘルブリンディに手を下したあと、アリスに尋ねた。

 寒桜も見た、人間の妃の息子を救った。ヘルブリンディが救えたかはわからないが、とどめを刺すことに躊躇っていたからエトヴァスがとどめを刺した。アリスは今回の件で自分の意志をすべてとおした。

 エトヴァスの意志を無視して。


「・・・うん」


 アリスはそう答えた。答えるしかなかっただろう。そうでなければエトヴァスの不愉快はすべて無意味になる。

 エトヴァスが剣を消し、アリスにその手を突き出す。するとアリスは意図を察し、白銀の杖をブローチに戻して大人しくそれを渡してきた。

 エトヴァスはアリスを睥睨する。アリスは静かに目を伏せ、俯く。その殊勝な態度が、また気に入らない。

 杖を渡してきたということは、逃げる気はないらしい。それならばどうして、こちらの意志に反するようなことをしたのだ。

 なんであっても、エトヴァスの不愉快な気持ちを償うことなどできない。できると思ってもらった方が不愉快だ。

 さぁ、どうすべきか。

 エトヴァスははじめて、この小さくて弱い人間の少女に、不愉快さをぶつけたくてたまらなくなっていた。


・エトヴァスさんにとってはじめての喧嘩の落とし所をどこにつけるのかが課題

・ヘルブリンディの奥さんは魔術師ではないので夫と息子を守るという感性だけで結界を張ってきているので、息子さんは出られないし、夫も一度入ると「守る」という観念から出られない

・そして「03.バルドル」で言っていたとおり、人間の比較的優秀な魔術師やエトヴァスさんが解除するか、アリスさんが魔力砲でぶち破るか以外に方法がないので、魔族社会ではほぼ解除方法なし


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