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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
五章 少女、寒桜を見る
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08.トール②

 トールが息苦しさを感じている間に、ヘルブリンディはアリスがエトヴァスの腕のなかで目を覚ましたのを見て、興味を持ったようだった。


「あぁ、起きたんだな!」


 ヘルブリンディは嬉しそうに笑ってアリスを抱くエトヴァスの近くまで戻ってくる。

 アリスは近づいてくるヘルブリンディを警戒するようにエトヴァスの首に手を回したが、そんなアリスを気にすることもなくヘルブリンディはにこにこ笑ってアリスに近づいた。


「おまえがビューレイストの妃なんだな!俺はヘルブリンディだ!名前は?」

「・・・アリス」

「そっか、俺の妃も人間で、きっとおまえが来てくれれば喜んでくれるよ」


 だから是非来てくれ、とヘルブリンディはアリスにも言う。アリスは酷く動揺しており、すぐに恐怖の入り交じった紫色の瞳をエトヴァスに向けた。ただアリスはまだ子供だ。

 まだ眠たいのか目元をこすり、口を開く。


「・・・ねえ、寒桜はどうなったの?どこ?」

「・・・」


 アリスが強請るが、エトヴァスは先ほどから少しアリスの体が熱いことでアリスの体調を懸念して決めあぐねているようだ。バルドルの方へと意見を求めるように視線を向けた。


「・・・もう結界はないし完全に壊れているよね?張り直しもできない?」

「早々張りなおせるような結界なら、バルドル、おまえでも破れてるだろう」

「確認だよ。もう結界が張り直せないなら、僕と君のふたりならヘルブリンディが何をしてもアリスを君の領地に返せるし、アリスに寒桜を見せてあげてもいいんじゃないかな」


 バルドルはそう言うと、ヘルブリンディを見すえる。


「ヘルブリンディ。アリスが少し体調が良くなさそうなんだ。安全に寝かせる場所はあるのかい?僕の領地から雪のなかここまで来て疲れているようだから、さすがに休ませてあげたいんだ」

「もちろん!人間は弱いからな!」


 ヘルブリンディは当然と言わんばかりに明るく笑う。

 そして屋敷の方へと続く道を駆け上がっていった。いつもと同じ元気なヘルブリンディの様子に、トールはほっとする。だが、エトヴァスとバルドルの険しい表情は変わらない。

 

「ヘルブリンディを殺してしまえばこの霧も晴れるだろうが、下手をすればこの霧、転移の魔術を阻害するぞ」

「そうだね。ひとまず本体を早く見つけて殺してしまおう。アリスにはここまで来てもらったわけだからね。寒桜を見て、安全に帰って欲しい」


 バルドルはアリスの帽子を持ったまま、エトヴァスに抱かれたままヘルブリンディを見て凍り付いているアリスに「子供に無理をさせて、ごめんね」と言ってその亜麻色の頭を宥めるように撫でた。

 

「あの人、・・・」


 アリスはそれよりもヘルブリンディの様子が気になったのか、彼が消えた屋敷の方を見上げる。


「あぁ、実体じゃないよ。それに・・・」


 バルドルが言いよどむ。それをエトヴァスが引き継いだ。


「狂ってる」


 低い声のたった一言が響く。トールはそれに反論したくて、口を開いた。


「なんで、なんでだよ。あいつ笑ってたじゃん」


 ヘルブリンディは笑っていた。なのに、エトヴァスは、バルドルは、何故まるでヘルブリンディが狂人のように扱うのだろう。

 トールは納得できない。バルドルはトールを気の毒そうに見ていたが、エトヴァスは容赦などなかった。


「人間の妃は死んでる。三百年も人間が生きるわけがない。生きていると思っているなら、狂っているに決まっている」


 エトヴァスが冷たく事実だけを述べ、事実を受けいれられないヘルブリンディを狂っていると断言する。だがそれは、トールが好ましいと思っていたヘルブリンディを完全に失うことでもあった。


「わかんねぇじゃん!人間の妃は生きてたんだって!領民は皆殺しだったんだろ?!証言できないじゃん!」


 そもそも人間の妃が死んでいると証言する魔族はいなかったはずだ。トールは叫ぶ。そして、自分でも言っていることがおかしいことに気づいた。


「・・・あ、あれ?」


 ヘルブリンディの妃は殺された。そしてヘルブリンディはその咎を領民に押しつけ、領民を皆殺しにした。ヘルブリンディは悲しみのあまり、領地に閉じこもった。以降三百年、引きこもったままどこにも出てきたことがない。誰も話したことがない。

 将軍の領地は他の将軍や魔王でも干渉してはならないというのが、個人主義の魔族のルールだ。

 仮に本当にそうであれば誰が人間の妃が別の妃に殺されたと、領民を皆殺しにしたのがヘルブリンディだと吹聴したのだろう。


「トールさん」


 柔らかな高い声音が優しく、そして悲しげに響く。


「・・・トールさんは、わたしを襲おうと思う?」


 アリスが静かに、尋ねた。十歳とは思えない落ち着いた声音だった。


「そ、そんなの思わねぇよ。だって、おまえめっちゃ防御魔術かかってるだろうし、そんなそぶり見せたらぜってぇエトヴァスは俺を殺しに来る」


 トールは首を横に振った。

 魔族は食欲と性欲に忠実で、上位の魔族では互いの食糧に手を出すことは万死に値する。殺されても文句は言えない。アリスにはエトヴァスによる防御魔術がかかっているだろうし、トールがアリスに襲いかかれば、絶対にエトヴァスはトールを許さない。

 そんなことは馬鹿のトールでもわかっている。だが、アリスは何故こんな話を始めたのだろう。


「トールさんでもそう思うんだよね?じゃあ、誰が将軍であるヘルブリンディさんの人間の妃を殺したの?」


 アリスの質問に、トールは「あれ?」と声を上げた。

 ヘルブリンディは当時魔族の十二人しかいない将軍のひとりで、間違いなく魔族のなかで有数の魔族だ。

 当然人間の妃が魔族にとって餌になることも知っていただろう。そのため、魔族に警戒して防御魔術をかけていなかったとは思えない。その防御魔術も、彼の他の妃のような一般的な魔族に破れるような代物ではなかったはずだ。

 魔族は十二人しかいない将軍の名前くらいは皆知っている。そしてその妃に手出し出来ないことも、わかっている。

 だから他の妃が人間の妃を誰の手引きもなく殺せるはずがない。


「・・・わたしは、だれかまではわからないけど、」


 アリスはもともと残酷な答えを知っているようだった。

 当然だ。

 将軍職にあるような魔族の防御魔術を破れるのは、同格の上位の魔族だけだ。そしてその人物が、ヘルブリンディが自分の妃や領民を皆殺しにしたことを知っていて、魔族たちの間にことの顛末を噂にして流したに違いない。

 将軍か、魔王か。アリスは三百年前の将軍や魔王など、知らないだろう。

 だが少なくとも手引きをしたのがどういった立場の魔族なのか、推測は出来ていたのだ。


「・・・ちょ、ちょっと待てよ!なんで、なんでなんだよ!」


 心当たりがあった。知っている。手引きしたのは、トールも知るあの男だ。だが、トールはその心当たりにぞっとした。

 もしそうなら、あの男は息子の妃を殺したことになる。お腹にいる、孫とともに。

 

「なんで、」


 事実を受け入れきれず、混乱した頭で呆然と呟く。だがエトヴァスがトールに事実を突きつけたアリスの背中をいたわるように撫で、トールをその平坦な翡翠の瞳で見据えた。


「おまえらがふたりとも、十歳の子供が理解できるようなことも理解できない馬鹿だからだ」


 エトヴァスの翡翠の瞳はヘルブリンディと同じ色合いだが、見据えるものはヘルブリンディとは違う。ヘルブリンディとは異なるものを見て、備えている。

 そして、現実を痛いほど突きつける。


「もしあの男が殺されていなければ、俺はアリスを手に入れた時点でリスクを払ってもあの男を殺していた」

「な、なんで」

「おまえらは長く生きて、何を見てたんだ。俺にはわからん」


 エトヴァスは淡々と静かに、そしてはっきりと言い放った。トールが後ろにいる異母弟のバルドルも同じ意見なのか、腕を組んで眉を寄せ、あきれたようにトールを見ていた。

 心になにかがグサリと突き刺さる。

 トールはヘルブリンディが嬉しそうに笑っていたのを見ていた。ヘルブリンディにとって、あの人間の妃はすべての欲望を満たすものだった。

 トールはそれがとても弱い、弱いものであることも、知っていた。バルドルの人間の母親もそうだった。魔族のなかで人間はあまりに脆弱で、いつ踏みつけてもいい存在だ。

 人間の妃の防御魔術が破られた時、一緒について行ってやることも出来た。そうして失った彼と一緒に「あの男」と戦えば良かったのかも知れない。

 何も見ていなかった。ただ楽しいことだけやって、だから、全部全部見失った。

 ヘルブリンディが人間の妃を失ったように。トールが相棒だったヘルブリンディを失ったように。そして全部失ってから、気づいた。

 胸いっぱいに広がる痛みと空虚感はなんなのだろう。

 その感情に名前をつけるのは、感情の起伏に乏しい魔族ではなく、人間だ。


「さみしいね」


 現実を突きつけたエトヴァスとは対照的なほど優しい声だった。

 アリスがトールの頭に手を伸ばしてきて、その小さな手でそっと撫でてくる。トールはこみ上げてくる感情がさみしさだと教えられ、ぎゅうっと自分の胸の服を握りしめる。

 わからない。さみしいなど、トールは感じたことがなかった。

 ただ、隣にいた誰かがいなくなった空虚感がいつまでも埋められなかった。それがなんという感情なのか、今もトールはわからない。だが、認めるしかない。

 これが、さみしいという感情なのだ。


「わすれないでね」


 忘れてはいけないのは、この気持ちだろうか。

 それとも、最初にトールに「さみしい」という言葉を教えた父の人間の妃だったバルドルの母親のことか、はたまたヘルブリンディのことか。

 トールは賢くない。きっとこの気持ちのことなら、魔力のある生物を喰えば、食欲を満たせばきっと忘れてしまうだろう。

 でも、この気持ちが跡形もなくなって、覚えていられなくなっても、やらなければならないことは覚えていられる。


「あぁ、次は、全部なくさないようにする」


 やるべきことだけは、覚えていられるはずだ。全部がどの範囲かはわからない。曖昧な目標だが、同じ失敗は繰り返さない。なくしちゃいけない。わからなくても、大事にしないといけない。


「それって・・・まるで落とし物をしないと約束する子供みたいだね」


 バルドルは軽い声音でそう言って笑った。異母弟の笑みは、どこまでも彼の母親だったトールの父の人間の妃に似ている。


「そうだね。でも大事だよ」


 アリスが花がほころぶように笑って、トールの言葉を肯定する。その笑顔があまりにまぶしくて、トールもそれに笑って返した。

 トールはもうその重苦しい感情は忘れていた。





トールさんは馬鹿だけどバルドルさんと一緒でとても優しい人。馬鹿だけど。

最終的にこの物語の中でアリスにとってのキーパーソンになるのはトールさん。

エトヴァスさんのキーパーソンになるのはバルドルさん。


ちなみにオーディンさん一家はみんな路線は違うけど馬鹿みたいに真面目


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