04.アリス
アリスはじっと目の前にいる巨大な鳥を見る。
見た目はアリスが動物園で見た、鷲に似ている。羽は大きく茶色と白の斑模様で、くちばしだけが黄色い。ただそのくちばしだけでも、140センチ足らずのアリスの二倍は余裕であるだろう。全長は首が痛くなるほど見上げねばならない。
みたところ、羽を畳んでも体高10メートル。見た目は鳥だ。
ただエトヴァスは、鳥類で一番大きい鳥はダチョウだと言っていなかっただろうか。アリスは首を傾げる。すると鳥の方も首を傾げた。
「なんか大きな鳥さんだね」
「魔物だからな。人間も魔族も、肉ならなんでも食べるぞ」
「え?」
アリスはエトヴァスの言葉に首を傾げる。だがその瞬間に、鳥の方がアリスに食いついた。恐らく鳥が首を傾げたのは、獲物のアリスが動かなかったからだろう。
白銀の杖を握りしめ、前方に展開した防御魔術で、大きなくちばしを受け止める。
アリスは無事だが、かなりの勢いがあったのか、地面にたくさん積もっている雪が吹き飛んだ。それを見てアリスはぞっとするが、それだけではない。
「・・・え?」
くちばしが開いた。そのなかにある高密度の魔力の塊に、アリスは背筋に冷たいものが走る。
「っ!」
なんとか、とっさに防御魔術の硬度を上げる。杖を持つ手が震えたけれど、ぎゅっと握りしめることで震えを抑えた。
「よく気づいたな」
後ろを振り向けば、エトヴァスがいつもと変わらぬ無表情でアリスを見ていた。ただ彼も武器を持っている。
彼の髪と同じ明るい金色一色の、剣だ。刀身はちょうど彼の身長の二倍ほどあり、独特の波のような形をしている。それを軽々片手で扱うのだから、魔族の筋力というのはアリスたち人間とは異なるのだろう。
「さぁ、どうするんだ」
エトヴァスに問われ、アリスは魔物に今一度目を向ける。
相手はアリスの防御魔術を破ることも出来ず、魔力切れのようだ。あまり動物を殺すのは気が引けるが、躊躇ってもいられないことはもうわかっている。攻撃の魔術を防御の魔術の横に作りだし、相手に打ち込む。
幸いアリスのそれは至近距離で、鳥の頭に穴を開けた。大きな鳥の体が雪の上に崩れ落ちる。
「上出来だ」
エトヴァスが短くアリスを褒めた。
バルドルからの訓練で、ひとつの魔術を安定させ、切り替えることは出来るようになっていた。あとはどこまでそれを同時に複数出来るかどうかだ。
アリスは以前、エトヴァスが別の場所にいる七人もの魔族をその場に呼び出すために、複数の魔術を使ったのを見たことがあった。恐らく別の場所にいた魔族それぞれを補足し、空間を越えてマーキングし、転移させていた。それを七つだ。
これがいかに高度な技術なのか、アリスは自分でやってみてわかった。アリスは恐らく転移の魔術をひとつしかまともに維持することが出来ないだろう。
基礎的な攻守の魔術ですら、これほど複数同時に使うのは難しいのだ。
「・・まだまだいるよ?」
褒められても、見上げればそこには先ほどの巨大な鳥が何十羽も飛んでいる。
上空二,三百メートルといったところか。アリスの魔力砲ならどうにか出来る高度だが、エトヴァスにそれは切り札として他人に見せないようにと禁じられている。
だから今教わっている基礎的な魔術でどうにかせねばならない。
ただ基本的に攻撃魔術は上に向けて打つと重力で威力が落ちる。エトヴァスみたいに転移の魔術が使えれば、きっとあそこの近くに転移できるだろうが、アリスにはまだ無理だ。
飛行の魔術も難しく、アリスにはまだまだ使えない。
でもあの口から出てきた攻撃を上からされればアリスにとっては防戦一方になる。アリスの攻撃はとどかないのに重力は下に落ちるものを助けるから、魔物からの攻撃の威力は大きくなるだろう。
今のアリスの防御魔術の硬度では、重力で自然に強化されたあの攻撃をまともに受けるのは危険だ。
「おまえに落とすのはまだ無理だな」
エトヴァスが言って、前にいるバルドルを見るように促す。
バルドルが金色の杖を持って、攻撃魔術で次々と落としていく。彼の魔術の構造式はいつも見えないのでどのような魔術であそこまで届かせているかはわからない。
だが、攻撃魔術を複数の魔術で強化し、重力で威力を落とすことなく上向きに魔術を放って鳥を撃ち落としている。
「下りてこい!」
トールはというと、黒光りする巨大な金槌を振り回している。
「・・・あれって、なに?」
「ミョルニルという、柄が伸びて、巨大化する・・・まぁ金槌なんだが、さすがに二百メートルは伸びないんだな。奴は地べたを這いつくばる以外、脳がなさそうだ」
エトヴァスはそう言って、消える。
上空を見上げると、彼の姿があった。どうやら転移の魔術で上から落とした方が早いと考えたのだろう。こちらも魔術の構造式はまったく見えなかった。
恐らく構造式が見えるときは、わざと見えるようにしているのだろう。
構造式を見ればある程度どんな効果のある魔術なのか、わかってしまう。だから構造式を隠す魔術も教えてもらったが、そんなものを複数使えるくらいなら、もっと魔術がうまくなっていると思う。
ただバルドル、エトヴァスが構造式を隠していることを考えれば、上位の魔族はそれが普通なのだ。
「それにしてもエトヴァスって、絶対トールさんのこと好きじゃなさそう」
言葉の端々に険がある。表情が変わらないのでわかりにくいが、避けている節もあった。
「・・・なぁ、落とせる方法見つかった?」
トールがアリスに近づいてきて、尋ねてくる。少し、どきりとしてしまうのは、彼が魔族だからと言うよりも大きいからだ。
トールは百九十センチを超えるエトヴァスよりもまだ身長が大きく、かなり筋肉質な体格をしているとラフな薄手の長袖シャツからでもよくわかる。この雪のなかそんな長袖シャツ一枚で寒くないのだろうかと思うが、魔族のなかでも彼は異常なのだろう。
実際魔族のエトヴァスも薄いながらベージュのコートを着ているし、バルドルも白銀の髪とコントラストの美しい漆黒のコートを着ている。アリスにいたっては毛皮のコート、帽子で足下のブーツも毛皮なので、動きにくいくらいもこもこだ。
「あれ、落とせねぇの?」
「え、トールさん、魔術は?」
「俺、そういうの苦手なんだよ」
トールの魔力はエトヴァスほどでなくとも莫大だ。しかし将軍であってもそういう魔族もいるのだとアリスは少し驚く。
人間でも魔力はあるが魔術がうまくならず、あらかじめ決まった魔術攻撃ができるようにした武器を持って戦う「騎士」がいると聞いたこともあるので、トールはそういう人なのだろう。
「わたしも無理だけど・・・」
アリスはじっと上を見上げる。
通常の攻撃魔術では鳥の魔物がいる二百メートル上空まで威力が拡散し、ちっとも届かない。
アリスは自分の白銀の杖を軽く振って、攻撃魔術の構造式を確認する。大きな構造式にすれば威力も大きくなるが、上空に届く前に重力などで拡散してしまう。
アリスは魔力探知を使いながら目を凝らす。
バルドルを見れば、彼は人間と魔族の魔術の両方が使えるので、複数の三角や丸の複雑な構造式を繋げているのがうっすらと見えた。
ただアリスにはそんな芸当は出来ない。
「あ、」
アリスは自分の魔力砲の原理を思い出す。
構造式は魔力を流す道だ。構造式が大きければ、かける魔力は大きくなるし、威力も大きくなる。ただ密度を上げるにはどうすれば良いのだろう。
アリスは魔力を通した状態の、魔術の効果をもつ前の構造式を急速に圧縮して、小さくする。
バルドルの打ち出している攻撃より、範囲はものすごく小さい。バルドルが長弓レベルなら、アリスの攻撃は所詮針レベルだろう。
よほどうまく鳥の頭か何かにあてなければ、致命傷になりはしない。だが、打ち落とせれば良い。針のように細い光が一直線に鳥へと向かう。そして羽を打ち抜いた。
「あたった!!」
アリスは思わず杖を持った手を振り上げる。
「すっげぇ!!よくやった!!」
そう言ってトールは、落ちていった鳥の方へと走っていく。墜落で死ぬかも知れないが、死ななければとどめを刺してやらねば可哀想だろう。
「おっしゃ!次、下に落とせるか!?」
トールが楽しそうに金槌を振り回している。
アリスが落とした鳥はいつの間にか巨大化した金槌に頭を潰されていた。アリスはそれを見ないことにして、杖を構える。
単純な攻撃の魔術を圧縮するだけなので、さほど難しくない。
「なんだ。おまえ、落とせるのか?」
何羽か落としていると、エトヴァスがアリスのやっていることに気づいたのか、上空から戻ってきて尋ねる。
「落とせたよ」
アリスが魔術の構造式をいくつも広げていると、エトヴァスはアリスの魔術の構造式を確認し、すべてを理解したようだった。
「・・・あぁ、なるほどな。それなら俺が上からの攻撃から守るから、おまえが落とせ」
エトヴァスにも促されたので、アリスは攻撃魔術の構造式を十個ほど一度に扱い、狙う。慣れてくれば、同じ魔術を複数維持するのは、それほど難しくはない。
今ならエトヴァスがどうにかしてくれるので防御の魔術もいらないので、集中できる。
「よほどうまくあてないと致命傷にはならんが、まぁ確かに落ちれば良いな」
エトヴァスはすぐにアリスの攻撃魔術の欠点に気づいたらしい。
ただそれでも鳥は羽の繊細なバランスで空を飛んでおり、羽の片方に僅かでも針穴を開けられればバランスを崩して飛べなくなる。
あとは落ちるだけだ。
「バルドル!アリスが落とす!」
エトヴァスが珍しく声を張る。少し離れた場所にいたバルドルにも届いたらしく、彼は少し驚いた顔でアリスを見た。
「あれ?アリスが落とせるの?」
「致命傷にはならんが、針くらいでも羽に穴を開ければ落ちてくる」
「あ、なるほど。致命傷を狙う必要もないし、落ちた衝撃で死ぬのもいるのか。僕ら魔力を無駄遣いしたね」
「まったくだ」
エトヴァスが同意したのを見てから、バルドルはアリスの方へと近づいてきて、構造式を見て少し驚いた顔をした。
「・・・圧縮したのかい?」
「うん。構造式に魔力を通してから、圧縮するの」
「・・・それは、」
構造式に魔力を通せばすぐに魔術は効力を発揮するものだ。
その狭間に構造式をそこに通した魔力事圧縮することで、威力を維持したまま範囲だけを狭め、高圧縮して攻撃をかけることで、威力を針のように細い場所に集中させ、飛距離を伸ばす。
これは簡単な技術ではないが、アリスはそれがあまりわからなかった。
「これなら、いくつくらい攻撃魔術を維持できるか、ちょっと楽しい」
同じものならいくつ維持できるのか、アリスは少し楽しくて笑う。
「・・・」
バルドルはまだ驚いた顔をしていたが、エトヴァスの表情は相変わらずで淡々とアリスに指示する。
「どんどん落とせ。とどめはこっちが刺していく」
「はーい」
アリスは今自分が出来る範囲の数の攻撃魔法を作り、次々と打ち落としていく。
二十ほどの構造式を同時に展開して打ち出していたが、それでも少し移動しつつ一時間ほども打ち続けることとなってしまった。
「人間の間では、こういう野生の動物の肉をなんというんだったか」
エトヴァスは最後の一匹にとどめを刺し、小首を傾げた。
だが4歳から幽閉されていたアリスが人間の間でどう言うかなど知るはずもない。エトヴァスは珍しく思い出さないのか、少し考えている。
あたりは大量の鳥の死体の山で、白い雪も鮮血で斑に染まっている。
この時期なのでカラスくらいしか来ないだろうが、どうするのだろうとアリスが見ていると、エトヴァスが思いだしたのか、口を開いた。
「あぁ、ゲームミートかジビエだ。脂肪が少なくて美味しいとかそんな話だった気が」
「・・・これってもしかして食べるの?」
「魔力を持つ生きものに違いはないからな。領民たちの食事になる」
魔族は魔力のある生きものを食べることでその魔力を維持する。だからこうしてアリスたちが落としている大量の鳥も、臨時の食糧になるらしい。
「でも、それって良いね。だって最近ウィンナーとか、ハム多かったもん」
アリスは少し嬉しくなってしまった。
冬になれば家畜を潰すことは控えるようになるので、保存食や加工肉ばかりだ。新鮮な肉はきっと、領民にはとても嬉しいご飯になるだろう。
「あはは、喰いたい放題だな!」
トールは満面の笑みで仕留めたばかりの鳥を引きちぎって食べている。
こちらは雪など比にならないくらい血まみれだ。
肉を食べたいと言っても、アリスは生で食べたいわけではない。アリスはトールの姿に全力で引くが、口に出さない。ただ同じ魔族とはいえ、エトヴァスもバルドルも同じように気分が悪かったらしい。両者ともにあからさまに不快そうに口を開く。
「こちらに血を飛ばすな、近づくな」
「トール、その格好で僕に近寄るのはやめてくれ」
エトヴァスとバルドルはあまり互いに仲よさそうではないが、意見が同じであることは多い。アリスは杖を魔術で消し、エトヴァスを見上げる。
「だっこして、足が疲れたの」
「まぁ、そうだろうな」
エトヴァスはすぐに自分の剣を消し、アリスを抱き上げてくれた。
雪のなか歩くというのは、それだけでかなり重労働だ。普通の道を歩くよりもずっと疲れる。鳥を撃ち落とすために一時間も止まっては歩くを繰り返していたので、アリスの足はパンパンだった。
だがエトヴァスやバルドル、トールは肉体的に疲れているふうはまったくない。
「食い終われば集めておいてくれよ。転送魔術で送る」
魔物をまとめ、転送魔術を使っていたバルドルが、トールを振り返って言った。
ただ彼は精神的に疲れているのか、ため息をつくと近くの山の方を見る。それにつられるようにアリスもそちらに視線を向けた。
その空間には何もない。だがそこには結界独特の揺らぎがあった。
結界自体はアリスの目にも見えるが、結界を構成している構造式はまったく見えない。アリスが魔力砲など力で破ることは出来るが、正当な分析で解除することは難しいだろう。
「バルドルさん・・・あれが、結界?」
「あぁ、そうだよ。あそこから魔物が出てきているんだ。巣があるんだろうね。でも、一度結界内から出ると決められた魔族しか戻れない。そういう形質の結界なんだろうね」
結果には様々な形質がある。
この結界は中からは出られるけれど、外から入ることは出来ない。魔物たちは巣に帰ることも出来ず、どこかで餌をとらねばならなくなる。
「僕やトールの領地では随分多くの魔族が襲撃を受けて亡くなっている」
「魔族はみんな魔術とか使えるんじゃないの?」
「たしかに人間より肉体的には強固だけど、特別魔術が使えたりするのは才能がいる。僕らみたいなのは少数だよ」
バルドルが柔らかに笑って教えてくれる。
「だからこそ領主でもある将軍は、領民を守らないといけない」
「・・・なるほど」
アリスは大きく頷いて、エトヴァスの肩に顎を乗せて、バルドルの話を少し考えながら、バルドルを観察する。
エトヴァスから効率的な領地運営の話は聞いていたが、領民を守らなければいけないという話は、聞いたことがない。彼にとって領民があまりに魔物に襲われれば魔物を倒しに出るだろうが、恐らく死者や影響は数値程度でしか考えないはずだ。
ただしバルドルは、人望があるとエトヴァスが言っていた。感情の起伏の乏しいエトヴァスですらそう思うのだから、それが今、求められているのだろう。
「アリス、顎で肩を抉るな」
「ごめんなさい」
アリスはエトヴァスの肩に今度は頬を置く。ふにっと歪んだ気がしたが、気にしない。すると今度はエトヴァスの後ろを歩いていたバルドルから笑われた。
「子供らしいね」
十歳のアリスは確かに子供だ。ただ、はじめて言われたが、あまり嬉しくない。それでもやはりエトヴァスの肩はコート越しでも心地が良くて、アリスは無意識に頬を擦り付けてしまった。
「・・・さむいから」
ごまかしのように口にする。寒いのは本当だったが、言い訳めいているのはアリスでもわかった。案の定、バルドルにはまた笑われてしまった。
「いいじゃないか。子供なんだから、甘えていても」
琥珀色の瞳が柔らかに細められている。バルドルがアリスに向ける視線は酷く柔らかくて、優しくて、アリスにはなんだかくすぐったくてたまらない。
ただずっと笑っているバルドルが不思議なのか、エトヴァスは訝しそうに振り返る。
「早く行くぞ」
もうそろそろ昼を過ぎるので、気温が下がり始めている。曇天がゆっくりと近づいていた。
バルドルさんにとってアリスは永遠の子供