01.アリス
「わっ、」
アリスは自分には不釣り合いなほど長い白銀の杖を振る。先端についた菱形の大きな緑色の石が光って、それと同時に外縁が丸形の魔術の構造式が淡い光とともに浮かんだ。
今、防御魔術が一瞬でも遅れていれば、攻撃にあたっていた。
だがそんな安堵を浮かべる暇もなく、次の攻撃が来る。こちらも攻撃魔術で相手を攻撃せねば、次々に打ち込まれてくる。それをどの割合で展開するのか。
それを一瞬で考えねばならない。
「攻守の切り替えが遅い」
「こんなの全然考える隙ないよ!?」
エトヴァスの平坦な声音ながらも容赦のない指摘が後ろから響いて、アリスは目の前に集中しながらも、叫び声を上げてしまった。
魔術をエトヴァスに習い始めて数ヶ月、アリスはやっと攻撃、防御など基礎的な魔術を覚え、それを組み立ててなんとか戦うということができるようになった。
ちなみにアリスお得意の魔力を圧縮して一方方向に解放する魔力砲は、どんな結界も防御も打ち破る。急速魔力の高圧縮はアリスお得意の魔力制御のたまものだったが、これはエトヴァスによって使用禁止の命令が出た。
アリスにとっては何の技術もいらない魔力砲は、現在の魔術や武器による防壁、結界をすべて打ち破る。そのためあくまで裏技として隠しておけといわれた。
アリスはエトヴァスに言われるまま堅実に魔術の基礎をおさめ今に至るのだが、ある程度出来るようになったここからが難しい。
「後ろがあいてるよ」
「っ!!」
男性にしては少し高い声が響き、声とともに背中に攻撃が飛んでくる。
攻撃は自由自在で、どこにでも曲がる。そのためきちんと魔力探知を全開にしておかねば、視界の狭いアリスでは追えなくなる。攻撃は自分の体に届く前に防御魔術で止めねばならない。そして相手に攻撃魔術を打ち込んでおかねば、相手の攻撃魔術がどんどん打たれて防戦一方になる。
単純だが、判断も魔術の使用も、展開も、なにもかもに速度がいる。迷えばその分だけ遅くなるので、どうするのか決めるのはほぼ一瞬だ。それで正しい判断をせねばならない。
しかも相手は十二人の将軍のひとりでもあるバルドルだ。
肩までに切りそろえられた銀色の髪に、美しい琥珀色の瞳。顔立ちは非常に繊細で人形のように整っており、170センチ半ばと身長は高くないが細身で、手足が長い。「美しい男性」という評価が似合う魔族だ。
彼は金色の杖を軽く握り、漆黒のコートを冬の強い風にひらひらさせながら悠然と立つ。涼しいその表情は淡い笑みのせいか柔らかで、アリスとの模擬戦を恐らく子供の遊びに付き合っているくらいにしか思っていないだろう。
そもそもバルドルに相手をしてもらっているのは、人間と魔族の魔術体系の相違からだった。
人間は外縁が円、魔族は三角というのが、魔術の構造式の基本だ。
両者の魔術は体系が異なり、アリスに魔術を教えている魔族のエトヴァスは、高度な人間の魔術は使えない。だがバルドルは母親が人間で混血であるため、人間の魔術もある程度使えるらしいかった。
だから人間のアリスの相手をしてくれるわけだが、千歳を超える熟達した魔族である彼にとって、10歳のアリスとの模擬戦など児戯のようなものだ。彼は三角と球体のついた金色の杖を持ち、それを振ることもなくアリスの攻撃を防いでいる。
もちろん仮に彼の攻撃がアリスに当たったとしても、エトヴァスがかけた強固な防御魔術があるので、実際にはそれが攻撃を霧散させる。だが攻撃をされれば恐怖を覚えるのは本当だし、当たらないとわかっていても攻撃は怖いので当たりたくない。
そして当然だが、どれほど防御と攻撃を繰り返してもまったく手応えのないまま防戦一方で、1時間もたつ頃にはアリスはへとへとになっていた。
「全然だめだった・・・」
アリスは除雪された茶色い地面の上に膝をつく。
「地べたに座るな。それにしても一時間で4発。完全に死亡だな」
ずっと見ていたエトヴァスが、淡々と評価を下す。
バルドルの攻撃魔術に当たった数だろう。ついでに地べたに座り込んだアリスに立つように促した。アリスは渋々立ち上がる。除雪されているとはいえ、地面は本当に冷たいし、汚れるのは事実だ。
冬の風が頬を撫でていく。アリスは亜麻色の髪を抑えながらため息をついた。
「攻撃が一辺倒だ。もう少し攻守を考えろ」
「考える余裕ないよ?」
一体この1時間の攻撃と防御の間にどんな思考の余地があったのだろうか。
魔力探知で攻撃が来たと思えばほぼ反射的に防御を、僅かでも考えられれば適当に攻撃をするといった状況だ。それだけで必死すぎて、まともに攻撃で相手を狙える余裕などありはしない。
「考えられなければ死ぬだけだ」
エトヴァスはいつもこんな感じだ。魔術に関しては自分が得意のせいか、容赦がない。
「魔族の死亡率は親元から離れる十歳前後から百歳までが一番高い」
「わたし人間だから絶対その間に死ぬよ」
人間は百年足らずしか生きないと聞いているので、何やら途方もない話をされている気がする。
そもそもエトヴァスは千歳を越しているのに対して、自分は十歳なのだから、それだけ違えば月とすっぽんどころの話ではない。ましてや魔術の勉強をはじめて数ヶ月、それなりに真面目にやってきたつもりだ。だからといって同じものを求められても困る。
だが、同時にアリスもわかっている。戦場では年齢など加味してくれない。それも道理だ。ただ千歳を超している彼との壁が厚すぎてつらい。
落ち込んでいると、バルドルは肩をすくめて苦笑し、口を開いた。
「ビューレイストの言葉は厳しいけど、上出来だよ。少なくとも攻守の交代は一時間の間でとてもスムーズになった」
ビューレイストとは、エトヴァスの魔族としての名前だ。
こういう細やかに人を慮れるところが、バルドルが人間との混血なのだと思わされるところだ。魔族はエトヴァスのように感情の起伏に乏しいのが普通だが、だからこそバルドルの心遣いというか、気遣いが本当に身に染みる。
ただ、心遣いが過ぎると思う。
「魔族の十歳なら、天才ってもてはやされてるよ」
「・・・うそばっかり」
そこまで褒めてもらっても、アリスは目を伏せて俯くしかない。
ただアリスはエトヴァスの評価が厳しすぎて、もはや優しいバルドルが気休めを言っているように聞こえて思わずため息が漏れる。
だがバルドルが再びアリスを慰める前に、突如として近くで見ていた他の魔族たちが声を張り上げた。
「そんなことありませんぞ!!」
一時間の間にギャラリーは三十人を超えているだろう。いずれもバルドルの城の使用人や警備などらしく、ぱちぱちと一斉に拍手を始めた。
「本当ですぞ。私らは一時間なんぞ無理ですぞ」
「根本的に魔力量が違いますからな。ただ人間は体力がないと聞くのに素晴らしい集中力でしたぞ」
皆に褒められ、アリスはどう反応して良いかわからず、戸惑う。それを見て、バルドルはアリスに笑いかけてきた。
「普通は魔族の大人でも、三十分すると集中力が途切れる。本当は子供だし、二十分にしようと思っていたんだ。でも君の集中力は途切れなかったし、肉体的にもあまり疲れていなさそうだから」
バルドルは一時間もぶっ続けで訓練に付き合ってくれたが、アリスの様子をつぶさに確認してくれていたようだ。
「たしかに。足は痛いけど・・・別に」
アリスも自分の体調を振り返る。
一時間も立っていたので足は痛い。だがさほど杖を振らずとも魔力を通すだけで魔術を使えるので、走り回ったわけではない。
そもそもアリスは魔力制御や魔力探知が得意で、あまりそれを行うのに集中というほど注意を払う必要はない。魔力は手足を動かすのとそれほど変わりなく、すぐに、時には反射的に動くものだ。
「でも、・・・エトヴァスともそうだけど、バルドルさんとも、これっぽっちも勝てる気がしないんだもの・・・」
途方もない差だ。アリスはぎゅっと白銀の杖を握りしめる。
これはエトヴァスにも感じている差だが、アリスの魔力探知はバルドルには絶対に勝てないと言っている。恐らく魔力砲で不意打ちを狙っても、防がれないまでも勝利までいたらないだろう。
「僕は千歳を越えた魔族の将軍だ。さすがに十歳の君の攻撃に当たるのは恥ずかしいな」
バルドルは口元に手を当て優しげに笑い、アリスの頭を撫でる。その手はエトヴァスほど大きくなかったがアリスへのいたわりが込められていて、アリスは笑い返した。
「ありがとう」
「明日も出来そうかい?」
「うん。大丈夫だと思う」
今は朝の8時だ。今日はじめてこの訓練をしたが、別にそれほど疲れている感じはないし、明日同じことをしても問題はないだろう。
「じゃあ、また明日朝の七時で」
「ありがとうございました」
アリスが頭を下げると、バルドルはにっこり笑って軽く手を振って去って行った。
「本当に、バルドルさんって優しい人だね」
「優しい?よくわからんが人望はあるらしいな」
「じんぼうってなに?」
「人から離れがたいと思われている、ということだな」
エトヴァスは感情の起伏に乏しい純血の魔族で、情緒的な形容詞はほぼ理解できない。
「優しい」というのもあまりピンとこないらしいが、バルドルを人望があると評価しているようだった。事実、模擬戦を周りで見ていた魔族たちはバルドルと親しげに話しているものもいた。バルドルもまたそれが楽しそうで、わざわざ声をかけていく。
基本的に他人に興味のないエトヴァスとは対照的だ。
アリスはエトヴァスが使用人や領民と親しく話しているところを見たことがないし、必要性のみが彼の行動基準で、エトヴァスはアリス以外のものごとに興味すらない。
アリスは杖を魔術で消し、エトヴァスの腰に抱きつく。
「うん。でもわたしはやっぱりエトヴァスが好き」
「なんだそれは」
「だって、エトヴァスはわたしだけを見てくれるもの」
エトヴァスはよくわからないといった顔で首を傾げたが、アリスはそれでいいと思っている。
アリスはエトヴァスが好きだ。
例えそれが食糧としてだったとしても、エトヴァスはアリスだけを大事にしてくれるので、ものすごく心地が良い。万人に信頼される優しい人よりも、自分の信頼に応えてくれる、自分だけに優しい人の方がアリスとしては安心感がある。
「当たり前だろう。おまえは俺の妃だからな」
ひとりだけだと示される。それが嬉しい。嬉しくてたまらない。
ここはバルドルの城の鍛錬場で、他の魔族たちも魔術を練習している。だがアリスはそんなこと気にせず、エトヴァスに手を伸ばす。
「なんだ」
「だっこ」
ねだれば、エトヴァスは嫌な顔一つせず無表情のままアリスを抱き上げてくれる。アリスとしては自分を拒まない、自分だけを見てくれるエトヴァスがいい。
「でも、いつか魔術で少しくらいエトヴァスの役に立てると良いなぁ」
エトヴァスの肩に顎を乗せ、うとうとする。これだけ真面目に魔術の勉強し、訓練もしているのだ。将来にわたって彼の役に立って欲しいと思う。
「どうでもいい」
それなのにエトヴァスはそう言う。本当にどうでも良いのだろう。前に聞いた時も食糧という役割が重要で、アリスの魔術の腕は二の次だと言っていた。嬉しいような悲しいような。でも、自分ひとりが特別なのだから、やっぱり何を聞いても嬉しいのかも知れない。
アリスはなにもかも満たされた思いで目を閉じた。