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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
五章 少女、寒桜を見る
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プロローグ エトヴァス


 繊細な彫刻の施された書き物机に向かっているのは、十歳くらいの亜麻色の長い髪の少女だ。

 慎重にペーパーナイフで今日届いたばかりの手紙の封を切るが、手つきが危なっかしい。紫色の瞳を瞬くこともせず真剣な表情でむきあっていたが、「あ」とそのふっくらした唇をぽかんと開いて、間抜けな声を上げた。


「どうした?」


 一応、声をかける。


「また便箋切っちゃった」


 予想どおりの答えだったので、エトヴァスは自分の持っている本に視線を戻した。一体この冬で何度目だろう。

 不器用、その一言に尽きる。


「半分に切れても、読めるだろう」


 いつもどおり淡々と言葉だけを返せば、アリスは落ち込んでいるのか細いため息を返してきたが、毎度のことだ。

 冬になれば自然とすることは減る。

 そのせいか、アリスは週に何度もバルドルやフレイヤといった知り合いの魔族の将軍から手紙が届くようになり、アリスもそれにせっせと返事を書いている。

 もともと読み書きの怪しいアリスなので、文通の機会が増え、やる気が出ることは良いことだ。人間は感情的な生きものなので、そうした気分はなおさら重要だろう。

 ただアリスは不器用なのか、長らく幽閉されていて手先の感覚を養う機会に恵まれなかったのか、便箋を揃えて折れないし、ペーパーナイフで封を切らせれば中の便箋を一緒に切ることがよくあった。

 本人は真剣にペーパーナイフを差し入れるのだが、真剣さに成果がまったくついてこない。だがそんなことは些末なことなので、放っている。


「あ、オーディンさんから、手紙きてる」


 二通目を裏返して宛名を確認したアリスがぽつりと言った。


「は?」


 文通をしているのは魔族の将軍でもあり、文通の約束をしていたバルドルとフレイヤだけだと聞いていたエトヴァスは、アリスに視線をやる。


「おまえ、オーディンと文通してるのか?」


 エトヴァスは千年以上生きているが、魔王のオーディンはおろかバルドルやフレイヤとも文通などしたことがないし、したいと思ったこともない。

 しかも魔王のオーディンが人間の少女と文通というのは、意外だ。

 人間の妃を持っていたのでアリスに悪い感情がないことは知っていたが、そんなまめなタイプだとは思わなかった。


「なんかバルドルさんが連絡先教えたみたい。見る?」

「いや、読み上げてみろ」

「え」


 エトヴァスが言うと、アリスはあからさまに狼狽えた表情になった。

 読み書きの危ういアリスは音読が苦手だ。読みのわからない単語も多く、文字を追っていると意味が頭に入ってこないらしい。ただ、今回はエトヴァスに読み上げるのだから、意味は入ってこなくてもいい。

 どの程度出来るようになったのか、習熟度の確認だ。


「早くしろ」


 顎でしゃくれって促せば、アリスは真剣な面持ちで手紙に向かった。

 アリスがエトヴァスのもとにきて、もうすぐ一年になる。そして要塞都市クイクルムと魔族との休戦協定の期日がもうすぐ来るはずだ。

 一年前、魔族で12人いる将軍のひとりであるエトヴァスこと天空(エーテル)のビューレイストは要塞都市クイクルムの対魔族結界を破った。この結界は千年前に大魔術師ルシウスによって張られてから、一度も破られたことがなかった。人間は焦り、結界の動力源で莫大な魔力をもつ人間をエトヴァスに差し出し、一年の休戦を願った。

 魔族にとって食糧の魔力の多寡は「味」であり、力だ。

 とくにエトヴァスは百年前に莫大な魔力を持つ人間を食べたきり、一度も魔力のある生物を口にしていなかったので、そろそろ食糧が必要だった。そのために、人間の住まう要塞都市クイクルムの結界を破ったのだ。

 エトヴァスがそうして手に入れたのが、10歳くらいの見た目の人間の少女アリスだった。

 もともとはすっきり食べてしまう予定だったが、魔族は感情の起伏が乏しいかわりに、食欲と性欲に固執する傾向にある。エトヴァスもその例に漏れず、アリスの魔力は数百年類を見ないほど莫大で、それ故その血肉があまりに美味しかった。

 できるだけ長くその血肉を貪っていたい。ただそれだけのためにエトヴァスはアリスを飼うことに決めた。

 とはいえ、簡単ではなかった。

 人間と魔族は習慣が違う。

 しかもアリスは4歳から対魔族結界の動力源として要塞都市の一室に幽閉されており、ほとんど人と話したことも、歩いたこともなかったため当初は、まともな声も出ず、がりがりで歩くことすら出来なかった。

 食糧であるアリスには、エトヴァスが少しでも長くアリスを喰い続けられるように、人間らしい健康で文化的な生活をしてもらわなければならない。

 エトヴァスは魔族だが、幸い百年ほど前に十年ほど人間のなかで暮らした経験があった。

 そのため気長に歩けない、話せないアリスのリハビリに付き合い、半年ほどかけて人並みの普通の生活ができるようにした。

 もうそろそろ一年たつ現在では十歳の少女らしい見た目になり、頬や腕も白くふっくらしていて血色も良く、見た目からも美味しそうになった。声も綺麗に出るようになり、歩くのに問題はなくなった。ただ学力はなかなか人間の十歳児にみあわない。

 そのため、エトヴァスが日々読み書きを教えてきたわけだが、その成果はいかほどのものだろうか。


「へ、ヘル、ブリンディの、領地を、整理したい」


 つまりながらだが、なんとか手紙をエトヴァスがわかる程度に読み上げていく。


「あぁ、ヘルブリンディのところな」


 エトヴァスはオーディンの書いてきた内容に覚えがあった。

 ヘルブリンディとは、エトヴァスの弟で、エトヴァスと同じく魔族に12人いる将軍のひとりだ。

 とはいえ食糧を取るときくらいしか領地外に出ないエトヴァスとは異なり、食欲と性欲に忠実で、過激派の典型のような男だった。領地からわざわざ人間の支配領域まで足を運び、魔力があれば人間でも他種族でも手当たり次第食い荒らす。

 魔族は食欲と性欲に固執する生きものと言われるから、その典型のような男と言えるだろう。

 ただ三百年ほど前に人間を妃にし、その妃が妊娠中に惨殺されてから、自分の領地の領民を皆殺しにしたと聞いている。それ以降、年に一度の将軍会議はおろか、百年前に魔王が殺されて魔王を選出する際にも姿を現さなかった。

 無人の領地で何をしているのか。エトヴァスは知らないし、興味がない。


「けっかい、が、破壊したい!」


 アリスは読み上げがうまくいくとやりきった感があるのか、語尾に力が入る。

 将軍の領地、とくに自分の屋敷や城の周りには必ず結界を張るのが常だ。恐らくヘルブリンディの城にも強固な結界が張られているだろう。

 結界を破るには二つ方法がある。

 エトヴァスが要塞都市クイクルムのように結界の構造式を間近で長い時間をかけて観察し、分析して解法を見つけるか、単純に力でぶち破るかだ。

 前者は非常に面倒で、出来る魔族は少ない。ただエトヴァスは魔術に関しては魔族内でも1,2を争うほど精通しており、そういった面倒くさい作業が極めて得意だった。

 後者は結界の強度にもよるが、まがいなりにも魔族の将軍ヘルブリンディの作り出した結界だ。問答無用で何でも破れるのは、アリスくらいだろう。

 

「だから、結界を、や、や、破ってくれまいか」

「却下」


 オーディンはエトヴァスに助力を請えないことはわかっているので、どうやらアリスを体よく使う気らしい。

 エトヴァスがそれに即答すると、アリスは子供らしくむぅっと頬を膨らませた。


「まだ、終わってないよ」


 手紙の内容はそれだけではなかったらしい。


「それは悪かったな。続けろ」

「・・・へるぶりんでぃのところ、には、トールも行くが、バルドルもいくから、あんしんだ」


 魔王オーディンの書き方の微妙に引っかかる言い回しの理由はわかる。

 トールは四分の三が魔族の血というほぼ純血の魔族だ。

 当然食欲や性欲への衝動も強く、莫大な魔力を持つアリスを襲う可能性がある。それに対してバルドルは四分の一しか魔族の血が混ざっておらず、さらに母親が人間であるため人間のアリスを襲う可能性はほとんどない。

 だから「トールも行くが、バルドルも行くから、安心」なのだ。


「だが珍しい組み合わせだな」

「え?どうして?」


 アリスが手紙から顔を上げ、エトヴァスに尋ねてくる。


「バルドルとトールは仲が悪い。いや、・・・性格的に相性が悪い。バルドルが避けてて、トールもそんな感じだな」

「どうして?」

「どちらもオーディンの息子だが、そもそも母親も違うからな」

「え、兄弟なの?」

「あぁ、母親が違うがな」


 アリスはその特徴的な紫色の瞳をまん丸にしているが、気持ちはわかる。

 バルドルとトールは両方とも魔王オーディンの息子だ。アリスは二人とも将軍会議の時に見かけている。だがふたりは見た目も体格も性格もあらゆる点で似ていない。

 エトヴァスにも話題に上っているヘルブリンディとロキという弟がふたりいるが、どちらも明るい金髪に翡翠の瞳と体格以外の容姿は酷似している。声が似ていると言われたこともある。

 だがトールとバルドルは魔族としての能力が高い点以外、まったくと言って良いほど似ているところがなかった。

 そして両者はその背景もまったく異なっている。

 トールは魔王のオーディンと、ヨルズというかつては将軍職にもあった、純血の魔族の妃の息子だ。それに対してバルドルはオーディンが最も愛した人間の妃の息子だ。

 トールの母ヨルズはバルドルの母だった人間の妃を襲ったことでオーディンに殺され、一族は族滅された。ただ、もう千年も前の話で、両者の母親がすでに死んでいる今現在の最も根本的な相違はそこにない。


「まぁ、過去の因縁も壮大だが、それが原因と決めつけるのもおかしいか・・・」

「どういうこと?」

「バルドルは頭が良く、よくものを考えるタイプで、トールは頭空っぽだからな」

「性格があわないってこと?」

「性格というか、俺も、昔から弟でも馬鹿なヘルブリンディとは関わると面倒だから避けてきた。だから、馬鹿がどう考えるかは知らんが、馬鹿は避けた方が面倒ごとが少ない」


 エトヴァスも比較的自身が頭がいい方だと自負している。

 そして弟で過激派のヘルブリンディもトールと同じく昔から頭空っぽだった。そんな弟が嫌いとまでは言わない。そこまでの興味もない。ただエトヴァスは常々弟とは生き方があわないとは思っていた。

 少なくとも三百年前まで、弟は頻繁に魔力のある人間や他種族の村を襲って食欲を満たし、片手では足りない妃を持って性欲を満たし、まさに純血の魔族らしく生きていた。基本的に食糧を確保するとき以外領地の外に出ない、誰とも寄り添わない、性欲もないエトヴァスには今でも理解できない生き方だ。

 何度か一緒に町や村を襲いに行こうと誘われたが、それが面倒で避けていた。

 そもそも弟など言っても、魔族にとって家族関係ほどどうでも良いものもない。魔族の妊娠期間は二年。成長速度は人間と変わらないので、必ず年齢に二歳以上の差が開く。魔族は歩けてある程度の物事が理解できる五,六歳の頃には自分で食糧を狩りに行く。

 エトヴァスは十歳前後には自立したので、一番下の弟など大して一緒に何かをした記憶もない。むしろ年齢の近い従弟だったバルドルとものをした記憶の方が多いくらいだ。

 当然自立以降、かかわることもなかった。

 ヘルブリンディがエトヴァスと同じ将軍になり、将軍会議で会ったときにあ、そんな弟もいたなと思った程度だ。


「ふぅん、このヘルブリンデがエトヴァスの弟なんだね・・・。でもわたし、ヘルブリンディの領地に行ってみたいな」


 アリスが別の手紙を持ったまま書き物机から立ち上がり、ソファーにいるエトヴァスのところまでやってくる。


「何故?」

「これ、ヘルブリンディのおうちの木なんだって」


 すごくない?とアリスがその珍しい紫色の瞳をキラキラさせながら、カードを持ってエトヴァスの隣に腰を下ろした。

 小さな手に握られているのは、レースのように綺麗な縁取りの入ったカードだ。そしてそこには雪の中で鮮やかな紅色の花をつける、木が描かれていた。


「寒桜だな」


 桜の中でかなり早く咲く種類で、普通の桜よりも濃い色の花がつく。とくにヘルブリンディの屋敷は寒桜で囲まれていることで有名だった。


「これ、ヘルブリンディの屋敷にいっぱい咲いてるって。シヴさんが」

「・・・おまえ、シヴとも文通してるのか」

「この間、エトヴァスの妃になったときに金平糖もらったでしょう?ヴィントに教えてもらいながらお礼のお手紙送ったの」


 少し前に、エトヴァスはアリスに「妃」の立場を与え、ほかの魔族の将軍たちにも領内に通達した。

 10歳のアリスを本当の意味で「妃」にしたわけではないが、いろいろなところに伴うのに、「食糧」では大切にされない。そのため「妃」としての立場を与えた。少なくとも領内において法的にはエトヴァスに次ぐ立場になるし、ほかの魔族も手を出しにくくなる。

 それにともない有力な上位の魔族たちからは、祝いの贈り物がおくられてきた。

 エトヴァスは勝手におくられた贈り物など、家令のヴィントがお礼状を書くし放っておけば良いと思っていたが、アリスは一度顔を合わせた相手にはきちんと手ずからお礼状を出したらしい。


「さくら?って見たことないの。こんなに綺麗なら見てみたいな」


 アリスが無邪気に笑う。


「・・・」


 アリスのおねだりは珍しい。ましてや行きたい場所など、今まで出てきたことがなかった。

 はっきり言って、結界の破壊はエトヴァスが行けば恐らく造作もない。ただ今は冬で、雪も深いし、竜でもそこそこ時間がかかる。アリスも連れて行くことになるなら、彼女の体力や体調のことを考え、宿泊先も確保しておきたいところだ。

 ヘルブリンディの領地の魔族は皆殺しにされていると聞くから、屋敷や城は機能していないだろう。

 彼の領地と接しているのはバルドルとトールの領地だ。

 バルドルも行くと言っている限り、彼がエトヴァスとアリスの宿泊を拒否することはないだろう。

 しかもバルドルは人間との混血児で、魔族と人間の魔術の両方を使う魔族のなかでは数少ない魔術師だ。そろそろ人間のアリスが教えを請うには良い相手かも知れない。今も魔術の訓練は厳しくさせているが、バルドルならばエトヴァスとは異なる視点の助言が出来るだろう。

 人間のアリスの出かけ先としては、この上なく良い場所といえる。


「仕方ないな」

「本当?!」


 アリスは喜びを体いっぱいで表現するように、エトヴァスに抱きついてくる。その小さな体を抱き上げながら、今回の件について頭で思案する。

 退屈を紛らわせるには上々な用事だった。


寒桜の「気まぐれ」「春が来る前に咲く」

「春」はきっとアリス


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