番外 ヴィント
家令のヴィント視点の話
魔族の将軍であり、ヴィントにとっては主人でもあるビューレイストの小さな妃は、魔力制御を覚え、魔術が使えるようになり、少しずつ自分に与えられた部屋から出てくるようになった。
「見たか?」
「あぁ、見たよ。なんかやっぱりちっせぇ子供だったな」
使用人たちが口々に噂をするのは、その妃のことだ。
この城には基本的に魔族しか住んでいない。混血や純血と多少の違いはあれど、魔族だけだ。現在では魔力のある生きものを家畜化し、安定供給するのに成功しているこの領地では、食糧として人間を食べたことのない世代が大半を占める。
しかしながら五百歳を超える家令のヴィントもふくめ、人間を食したことのある魔族も多い。そのためヴィントの主は妃を与えていた塔の一室から出すに当たり、200人ほどいた使用人全員に妃を見せ、アリスを襲わないという行動契約をさせた。
慎重な彼らしい判断だ。ただ、ヴィントも伝えたとおり、それは杞憂だ。
「やべぇ魔力だったよな」
「・・・将軍と変わんねぇじゃん。あんなの行動契約しなくても襲わねぇよ」
魔族は魔力が大きければ大きいほど、その生きものを美味しいと感じる。だからヴィントの主は自分と同じように妃の血肉を喰らおうとする他の魔族を警戒したのだろうが、多くの使用人たちは将軍並に莫大な魔力をもつ生きものを食糧とは認識できなかった。
あの子を美味しそうだと認識できるのは、彼が強いからだ。あんな化けもののような魔力を持つ生きもの、ヴィントですらも慣れるまでは同室にいるのも腰が引けた。
ただ、慣れればそうでもない。
「庭で散歩してたよ」
「あぁ、最近日課みてぇだな」
使用人たちの噂話を聞きながら、ヴィントは静かに庭に出る。
庭を探すと、自分の主であるビューレイストの明るい金色の頭が見えた。彼は身長が高いので、庭の生け垣のなかでもすぐ姿が探せる。ヴィントが邪魔するのも気が引けて眺めていると、彼の近くには亜麻色の長い髪の少女がいた。
十歳前後の小柄な少女は冬には寒々しい白く足下まであるシュミーズドレスにカーディガンを羽織り、小さな手を彼と重ね、一緒に歩いている。
城の庭はさほど広くはないがドワーフによって管理されており、季節の花が咲く。魔族は感情の起伏に乏しく共感性も低いし、混血でも情緒的な感性は乏しい。だからドワーフたちは淡々と誰も見向きもしない花を咲かせる。
それを愛でる魔族などいないのだが、その庭を最近ヴィントの主と妃のアリスは毎朝朝晩、話をしながらただ歩く。
「このお花は?」
まだ丸っこい子供らしいふっくらした手が、近くにあった何枚にも重なった桃色の花弁が美しい花を指で示す。
濃い緑の葉がたくさんついたそのさほど背の高くないその木には桃色の花が咲き始めたばかりで、つぼみがたくさんついている。冬を間近に控え、静まりかえった庭のなかではその花は存在感がある。
「山茶花だ」
純血の魔族で花を愛でる神経などないはずなのに、彼は当たり前のように答える。
「さざんか?」
「そうだ。こっちには赤や白いものも咲く」
ヴィントの主は極めて博識だ。
彼は時間があればなんであれひたすら本を読み続けるような男で、だからこそ役に立つことも立たないことも、ありとあらゆることを知っている。
ただ子供相手なのだから、そんな事実だけじゃなくてそれを題材とした物語や歌の一つでも歌ってやれと思うが、ヴィントの主は無表情のままだ。
「そうなの?綺麗だね」
それでも気にすることなく、アリスはぽやっと笑った。
アリスの知識はたかが知れている。だからあっさりと彼の言うことを疑いもせず受け入れ、それに魔族には多くの場合理解できない情緒的な感想を付け加える。ヴィントの主は純血の魔族で感情の起伏に乏しいため、「綺麗」など理解できないだろう。
それでもさして少女の感想を否定しない。そこだけは、ヴィントも主を褒めることができる。
「花は色によって花言葉も違う」
彼は咲き始めのぷちっとなんの躊躇いもなく桃色の花弁を手折り、アリスの手に与えた。
「桃色は永遠の愛」
「・・・えいえん?」
「ずっと長く続くと言うことだ」
「わたし100年もしないで死んじゃうから、わたしには永遠なんてないよ」
アリスはおっとりと言って、首を傾げる。
「魔族も千年を生きるが、それを言い出せば俺も愛なんてわからん」
「ふたりそろって、なにもないね」
「そうだな」
彼は無表情のまま頷いた。ただ彼はまた花に視線を移し、嬉しそうに笑うアリスを眺めている。花を受け取ったアリスは紫色の瞳を緩く細め、満面の笑みでそれを片手は彼の手につないだまま、それを片手に持っている。
「そんなに嬉しいなら、これもやる」
身長の低いアリスには見えていないが、ひあたりの良い上の方に、ひとつ赤い山茶花も咲いている。彼はそれをひょいっととって、アリスにまた与えた。
アリスが喜ぶから、与える。あまりに単純な主の行動に、ヴィントは心底あきれる。アリスは赤色の花を桃色の花と同じように片手に持つ。そしてそれを眺めた。
「これも、永遠の愛?」
「いや?赤色は“貴方がもっとも美しい”だ」
「うつくしい?」
アリスがおかしそうに笑う。それはきっと彼が「美しい」などと言う情緒的なことを理解できないと知っているからだろう。
「でもエトヴァスがくれるなら何でも嬉しいよ」
アリスは楽しそうに目を細める。
ヴィントから見れば自分の主は子供や女の喜ぶものなどまったく理解していない。一般的な見解にしたがうならば、本ばかり読む「つまらない男」だ。話しているのも単に自分が知っている知識なだけ。なのに、アリスは楽しそうに、嬉しそうに笑う。
アリスがまともな育ちをしていないことは、ヴィントも聞いている。
人間の要塞都市の対魔族結界の動力源として四歳で閉じ込められ、魔族の将軍であるビューレイストの食糧として今年の2月に捧げられてきた。そのとき彼は顔色の悪いぼろぼろでがりがりの小さな少女を持って帰ってきた。
『これを、飼ってみようと思う』
そう言って、一番城で高く、広い塔の一部を整備させ、そこで大半の時間を一緒に過ごすようになった。
彼は感情の起伏に乏しい、純血の魔族だ。人間と魔族はかなり生態が違うと聞くし、混血が増えた現在でもかつては食糧だった人間との混血は少ない。
そのためすぐに殺してしまうだろうとヴィントは思っていた。
だが半年ほどで垣間見るようになった少女はいつのまにかふっくらしていて、今はどこにでもいる魔族の子供とも遜色がない。むしろ珍しい紫色の瞳が大きくかわいらしいくらいだ。
そして千年以上妃も恋人も愛人もおらず、ひとり孤独に生きてきたヴィントの主の隣には、この小さな少女がいるのが当たり前になってしまった。
「でも、お花をこれ以上とったら可哀想だよ」
「ならまた見に来ればいい」
「うん。明日になったらまた咲いているかな」
毎朝毎晩、こうして散歩をしながら、ふたりでゆるい会話をしているのだろう。そしてきっとそれを楽しんでいるのは、ヴィントの主も同じだ。
「あ、ヴィントさん」
アリスがヴィントを見つけ、目を留める。
「お散歩なのぉ?」
「うん」
ヴィントが尋ねるとアリスはその手の小さな山茶花を振って、笑う。
「可愛いわねぇ」
花をもらって喜ぶ小さな少女は、普通に可愛くて、頭を撫でたくなってしまう。それはヴィントが巨人との混血故に抱ける情なわけだが、そうして手を伸ばそうとすると、ぱっと手が払われた。
「触るな」
いつもどおり平坦な声音だ。別に感情がこもっていそうではない。だがはっきりと言われて、ヴィントは自分の主を見据える。
「可愛い子供の頭を撫でるなんて普通でしょう?」
「他人の子供だ」
「あんただって他人じゃない」
「これは俺の妃だ」
口出しする権利はあると淡々と返してくるが、ヴィントは眉を寄せる。
確かに、アリスは彼の妃だ。すでにあちこちに通達されている事実だ。ただ当初彼はアリスを外に出すには食糧という肩書きでは領民にも大切にされないだろうから妃の地位を与えると言っていた。便宜上の地位だったわけだ。
魔族は食欲と性欲に固執する。
彼は性欲こそないが、食欲はあり、とくに上位の魔族は食糧の横取りを非常に嫌悪する。そのためヴィントも魔族の将軍という最上級の魔族である彼が、アリスという食糧にこだわるのはわからないでもない。
ただ、これはもはや食欲故の行動ではないだろうとヴィントは思う。
「・・・」
アリスはヴィントと主のやりとりを不安そうに見ている。恐らくもう部屋に帰りたいのだろう。
ヴィントはアリスを見ていると、彼女はこうして魔族と話し、生きていくなどと言うことは考えていなかったのではないかと思う。恐らく彼女は驚くほど従順で、別に塔の一室で過ごすこと不満に思っていなかっただろう。
実際に彼はアリスを半年ほど塔の一室から出さなかったが、揉めた話はまったく聞かない。むしろ人間も魔族も怖がっているという話を聞いたほどだ。今もアリスは魔族のヴィントや使用人たちをこわごわ見ていることが多い。
彼はアリスに城のなかだけなら外に出ても良いと言ってあるようだが、アリスが部屋からひとりで出てくることがまったくないことにも、その精神性は如実に表れている。
多分アリスは、あの塔の一室で過ごすのが安全だとよくわかっているのだ。だからアリスをこうして連れ出しているのは彼だ。彼は魔族の、男の前にアリスを連れ回したい。
それなのに、彼はアリスを自分のものとして独占したいらしい。だから平気でアリスを自分の妃で、男を退ける当然の権利があると主張する。アリスに対する特別な地位を、男であるヴィントに誇示する。
「本当に自己中」
ヴィントは額を抑え、ため息をつく。
「魔族なんてそんなものだろう」
彼は平気な顔でさらりと言ってのける。
感情の起伏に乏しいのだから、当然共感性はほとんど持たない。自己中心的、それは魔族の評価だ。ただ純血の魔族である彼ほどヴィントは酷くない。
「大人のくせに、嫉妬なんて見苦しいのよ」
ヴィントは嘲る。だがヴィントの心持ちなどどうでもいい彼は、いつもどおりの無表情だ。
「嫉妬?わからんな」
言葉の意味を知っていても、自分のものとしては理解できないのだろう。
「いつかわかるわよ」
ヴィントはそう言って、彼の手に自分の手を重ね、不安そうにヴィントと彼のやりとりを見ているアリスの前に膝をつく。
不幸なのはアリスの方だろう。
「こういうね。わがままな大人のパートナーを持つなんて、可哀想ねぇ」
ヴィントが言うと、アリスはふるふると首を横に振った。
「そんなことないよ。とても楽しいの」
子供らしく、無邪気に笑う。ヴィントはため息をつきながら、願うことにした。
嫉妬もわからないような馬鹿な大人が、この小さな子供を傷つけないことを、そしてこの穏やかな日々が続くことをひたすら祈ることにした。
ヴィントさんは常に生温かい目でアリスとエトヴァスを見ている