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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
一章 少女、食糧にされる
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06.アリス:エトヴァス

 アリスは、声は気のせいかと思った。ここに来て半年、廊下から誰かに声をかけられたことはなかったからだ。


「ここを開けてくれないか」


 廊下に面した立派な彫刻の入った木製の扉の方から、声がかけられている。男性の声にしては高いが、聞き慣れた声に似ているとアリスは思った。

 そう、エトヴァスだ。彼の声を僅かに高くすればこれくらいになるだろう。一瞬、口調も似ていたため、聞き間違いかと思った。だが、彼ならば自分で扉を開けて入ってくる。半年そうしてきたのだから、開けてなどと言うはずもない。

 アリスはソファーに座った状態のまま、廊下に面した扉を凝視し、次の言葉を待つ。

 

「あれ?いないのかな?」


 明らかにエトヴァスとは違う口調だった。


「・・・」


 とまどい故にメノウを振り返って彼女の名前を呼ぼうとしたアリスの口を、近くにやってきていたメノウが塞ぐ。みっつあるメノウの金色の瞳がアリスを見ている。それから静かに首を横に振った。声を出すなと言うことだ。

 アリスは音を出さないように慎重に、ゆっくりと頷く。するとメノウはゆっくりとアリスの口から手を離した。

 人がいれば廊下の扉の前には何かの気配がありそうなものなのだが、何も感ぜられない。だが、声は間違いなく聞こえた。そして廊下に何か違和感がある。気配はない。でも気配がないことによって何かが歪んでいるような、不気味な感覚だった。それを意識すれば、途端に怖くなる。

 気配はないのに、何か、いるのだ。

 今、エトヴァスはいない。来客ではないかとメノウは言っていたが、それなら廊下にいる男は、その来客なのだろうか。どうすべきかと一瞬思案したと同時に、部屋が大きく軋んだ。


「っ!」


 部屋の構造や駆体が軋んだのではない。結界だ。この部屋には結界が張られている。ぎぎぎと物理的ではない音を立てて、結界が軋む。無理な力が加えられているのだと、アリスでもわかった。

 怖い。手が小刻みに震え出す。でも何もできない。ここから逃げるわけにもいかない。窓はあるが、ここは城の高いところにある。バルコニーの下はアリスが上り下りできる高さではない。何より、窓は開けてはいけないと言われている。

 アリスにできることは何もない。

 そう思っていると、突然後ろから抱きしめられた。メノウだ。いつの間にかアリスの体はがたがたと震え、止まらなくなっていた。振り返れば彼女は震えていない。震えるアリスを宥め、おさえるように強く抱きしめてくれる。

 力強い金色の瞳が無言ながらアリスに落ち着くようにと告げる。

 怖い、怖いけれど、耐えるしかない。ぎゅっと目をつぶり、振り返ってメノウの体を抱き返す。その体は温かくて、力強く抱き返してくれた。


「うーん、開かないなぁ」


 間の抜けた明るい声が響く。その声はこの状況を楽しんでいるようにすら思えるほど軽やかだった。


「・・・ここにいると思うんだけどな、」


 どうやら相手は確実なことは何もわかっていないらしい。結界も軋んではいるが壊れてはいない。


『開けるなよ』


 エトヴァスはそう言っていた。

 少なくとも結界は彼が作ったもので、これほど軋めば作った本人にも異常が伝わるだろう。エトヴァスが部屋からでてさほど時間はたっていない。遠くには行っていないはずだ。軋んだとしても、まだまだ壊れるのには時間がかかると信じるしかない。


「ねー、開けてよー」


 どんどんと扉を叩く音が響くと同時に、結界が大きく軋む。結界は壊れていない。だが扉を叩く音が響くたびに怖くて、必死でメノウの体に縋り付く。


「ねぇねぇ、開けてよー、別に怖がらなくても良いんだ。」


 軽く、無邪気な声。そのたびにみしみしと音を立てる結界。それがひたすら繰り返される。


「助けてあげるよ?食べられるのは嫌だろ?僕なら君を助けてあげるよ?」


 軽い言葉は、きっと扉を開けさせるための嘘だろう。今、アリスを苛んでいるのは間違いなく廊下の男だ。

 メノウを見れば、アリスを抱きしめながら扉の方を睨み付けていた。アリスがここにいる限り、彼女が廊下に出て戦うことなどできない。彼女の方がもどかしいだろう。何故こんなに何もできないのかと奥歯を噛みしめた瞬間、突然、爆音が響き渡った。

 ものすごい爆発音とともに、木や石の破裂音が続く。部屋の中に変化はなかったが、それが不思議なほど大きな音が部屋を揺らしていた。


「・・・」


 アリスが顔を上げ、廊下に続く扉を見る。メノウも同じだった。


「何をしている」


 あまりに聞き慣れた声だ。頭で誰の声かを理解する前に、安堵のため息が出る。そう、平坦なエトヴァスの声だった。







「何をしている」


 エトヴァスは肩に己の二倍はある巨大な金色の剣を担ぎ上げ、問う。

 ロキは結界を破壊するのに夢中になっていたからよけ損なったのだろう。体は右手とともに胸元が大きくえぐれていた。だが魔族にとってそのくらいは致命傷ではない。魔族は主要な臓器の位置まで変えられる。魔力がなくなるまで、再生もできる。

 むしろエトヴァスとしては外したと思ったくらいだ。

 

「えー、酷いよぉ。本気で殺す気だったじゃないか」


 軽口は相変わらず変わらない。ロキは笑っている。いつでも笑っている。


「当たり前だ」

 

 人の食糧に手を出すというのが、上位の魔族同士でどれほど危険なことなのか、ロキとて知っているはずだ。ましてやわざわざ飼って所有権を主張しているもので、死んだ人間の腕一本とかではない。食欲に忠実な上位の魔族間では、殺されても文句は言えない行為だ。


「だってこの機会を逃したら、どうせ会わせてくれないだろ?会うくらい良いじゃないか」

「おまえは争い事を誘発するのが趣味だからな」


 ロキのエトヴァスと同じ平坦な翡翠色の瞳が、ゆっくりと開いて硝子玉のようにエトヴァスを映す。

 どれほどその瞳が細められようが、アリスのようにそこに豊かな感情の色が浮かぶことなどあり得ない。魔族にそれほどたいそうな感情の起伏など存在しない。

 ただ食欲や性欲には異常なほど執着する。

 

「どうせそいつはどこでも、誰かの食糧だろう?僕の方が優しくしてあげられると思うけどな」

「だったとして、俺が食事を共有する言われはない」


 魔族は何かと強さで上下を決めたがる生きものだ。エトヴァスもロキも、それはよく知っている。だからこそ、容赦などしない。

 剣を軽く振るう。それだけで、ロキの周囲にあった結界が崩れ落ちる。ロキは笑いを消し、無表情になると、手元に出現させた柄の細く長い槍で扉と壁を切り裂いた。だが、扉と壁にはかすり傷ひとつつかない。逃げ場はない。


「っ、」

 

 ロキの顔色が変わり、ちらりと廊下を見回す。

 もともとエトヴァスは結界を壊すのも、張るのも得意だ。ましてやここの結界はアリスを守るためにあり、エトヴァスも細心の注意を払っている。今の魔族の中で、エトヴァスほど魔術に精通している魔族はいない。

 ただその強固な結界は、囮だ。


「性格悪い奴だな」

 

 吐き捨てるようにロキが言った。途端に彼の足下に魔術の三角形の構造式が広がる。

 廊下には魔族を捕らえる、遅滞性の魔術が大量に敷き詰められている。ロキは恐らくこの魔術を結界だと勘違いしたのだろう。エトヴァスもそう思わせていたから、仕方がない。

 エトヴァスは躊躇うこともなく剣を振り上げる。兄弟とはいえ憐憫はまるでない。面倒事がひとつ減る。

 轟音。砂埃とともに、廊下の床が抜けた。エトヴァスは魔術で飛べるので問題はないが、調子が良すぎてまずったなと思う。


「どちらが性格が悪いのか・・・、逃げられた」


 エトヴァスは剣を持ち上げ、自らの肩に置く。

 剣は恐らくロキが完全に死ぬ前に、先に廊下の捕獲のための魔術を崩壊させた。満身創痍だろうが、その僅かな時間でロキは逃げたようだ。エトヴァスは元々細かいことは得意な方だが、こんなにコンディションの良い状態で戦ったのは、何百年ぶりだろうか。

 アリスを丸々喰ったわけではないので、数日すれば衝動を感じるほど腹は減る。ただしアリスの血肉を少量毎晩貪っておけば、エトヴァスは常に最高の魔力で相手を迎え撃てる。ただこの状態が続くのならば、細かい力加減の調整が必要だ。

 後始末とやらなければならないことをいくつか考えてから、アリスの部屋へと続く扉へと目を向ける。恐らく声は聞こえていただろうし、結界が軋んだのは感じただろうから、怯えているだろう。アリスは幽閉されていたとはいえ、基本温室育ちで怖がりだ。

 

『どうせ彼女はどこでも、誰かの食糧だろう?』


 ロキの言葉を思い出す。

 それはそうだ。仮に彼女がエトヴァスの手を逃れても、魔族の誰かが彼女を手に入れるだろう。仮に対魔族の結界がある要塞都市に逃げ込んだとしても、人間は必ず彼女を利用する。彼女の安穏の地などない。ただそんなことはエトヴァスには関係がない。

 エトヴァスとて、アリスを喰らっていたい。だから彼女を手放さずにすむように最善を尽くし、気を配っているだけだ。


「美味しいからな」


 結局、そこに帰結する。美味しい。だから手放したくない。

 別にエトヴァスは自分が正しいと思ったことはない。彼女にとって自分の下にいるのが最善だと正当化する気もない。魔族はそれを必要としない。エトヴァスとて、ロキと、そして他の魔族と変わらない。食欲や性欲と言った人間からするとあり得ない願望に忠実なだけだ。

 だからそれを守るために、自分の好きなようにするだけだった。


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