番外 バルドル
・エトヴァスさんは魔族の間ではビューレイストさんです
「え、通達が来た?」
「はい。見てないんですか?」
バルドルは言われ、自分より遙かに身長の低い、灰色のマントをかぶって目元には漆黒の眼帯をした少年を見下ろす。
見た目は十五,六歳と言ったところだが、年齢は千歳を超している。バルドルの異母弟であり、バルドルと同じく穏健派の将軍であるヘズだ。彼が仲の良い異母兄バルドルの所にやってくるのは珍しいことではないが、手には何故か受け取った通達を持っている。
同じ通達をヘズの近くにいたバルドルの部下も持っていた。そういえば面倒で、ここ数日通達を確認していなかった。
「誰から」
「・・・将軍ビューレイストからです」
部下が酷く困惑した顔でバルドルに言う。
「ビューレイスト?」
ビューレイストはバルドル、ヘズと同じく魔族に12人しかいない将軍のひとりで、しかも中道派の筆頭の男だ。穏健派の筆頭であるバルドル、過激派の筆頭であるロキと並んで将軍のなかでも魔王に近いと言われる強い魔族だ。
ただ魔族の将軍同士は魔王であっても不干渉が原則で、よほど親しくなければ同じ派閥に属していても問題が起こらねば連絡など取らない。
ビューレイストとバルドルは従兄弟同士ではあるが、魔族にとっては親族関係など他人と変わらない。個人的に親しいはずはなく、派閥も違うビューレイストからバルドルがお手紙をもらうことなど千年生きてきて一度もないし、さらに言うなれば見る限りこの書類は正式な通達、しかも公示だ。
他の将軍に公示を送るなど、せいぜい将軍が正式な婚姻、つまり伴侶を得たときくらいのものだろう。
「・・・え」
そこまで考え、バルドルは慌ててその紙切れを部下から受け取り、目を通す。そして驚愕した。
「・・・嘘だろ?」
思わず口から声が溢れる。まさにそれはビューレイストが妃をとったという公示だった。しかもその妃の名前はアリスだ。
知っている。バルドルも一度会ったことのある少女の名前だ。
『何色が貴方の竜なの?』
将軍会議にビューレイストに連れてこられていた、亜麻色の長い髪に、大きな紫色の瞳の人間の少女を思い出す。
驚くほど莫大な魔力を持った人間の少女。まだ体格すらも丸っこかった、人間の子供だ。
そう、子供だ。
「バルドル兄上、これ兄上が言っていた・・・アリスですよね?」
眼帯で目元が隠れていてもわかるほど、ヘズの表情は戸惑いに溢れていた。
魔族という生きものは食欲と性欲に大変忠実な生きものだ。そのため性欲に関して言えば性に奔放なことが多く、相手が複数いるのが普通だ。
将軍でもロキは妃と愛人がいるし、シヴとトールは結婚しているが、それぞれ愛人がいる。バルドル、ヘズ、トールはいずれも魔王オーディンの子供だが、全員母親が違う。こういうことは魔族の社会であれば往々にしてあることだ。
食欲と性欲という本能に根付いた衝動に忠実と言うことは、それだけ生殖本能が強いと言うことでもある。
当然のことながら、魔族の社会では通常婚姻する相手は生殖機能のしっかりした成人した生きもの、男性の場合は子供が産める年齢の女性が性欲の対象となるし、妃のように公示してパートナーであることを宣言するのだから、なおさら子供を作ることが前提だ。
前提、の、はずだ。
「うん。アリス・・・あのアリスじゃないよね、・・・いや、あのアリスだよね」
バルドルはすべてを否定したいがためにその可能性を口にしたが、望み薄だと思い直す。
公示でわかる妃の情報は名前だけだ。ただそもそも“アリス”という名前自体が魔族ではまったく聞かない異質な響きを持つ名前で、異種族、恐らく人間なのはすぐにわかる。
ただバルドルが知るアリスは、まだ幼い十歳前後の少女、子供だ。
「ビューレイストって性欲ないって公言していませんでした?」
ヘズが躊躇いがちに言うその噂は、バルドルも聞いたことがある。
ビューレイストは魔族には珍しく潔癖で、女性を近くに一切近づけない。百歳以前ならうっすら女ができた話もあったが、継続的に女性と関係した話はまったく聞かず、総じて女を好まない。千年以上生きてきて妃はおろか恋人も愛人もおらず、そもそも親しい魔族すら聞かない。
そして彼は誰かと関わるのが面倒なのか、本当なのか、性欲がないと公言していた。
「・・・ロリコンだったんですかね」
ヘズの示唆する可能性に、バルドルは正直気づきたくなかった。
長命である魔族も、子供時代は人間など短命の種族と変わらず20年ほどだ。仮に幼児趣味なら、魔族のなかで相手を見つけるのはそれなりに難しかっただろう。
「・・・わかんないね」
バルドルは正直、ビューレイストがわからない。
幼い頃は年齢が近く、しかも従兄弟同士だったのでともに狩りに行かされたこともある。ただ性格などまったく知らない。彼は常に優秀な魔術師であり、狩人ではあったが、ぼんやりとその辺りを眺めているか、本を読んでいるかの男で、バルドルは彼が寡黙で博識だと言うこと以外、何も知らない。
当然、性的指向など知りようもない。そして、バルドルはアリスと頻繁に文通する仲であるため、なおさら想像したくない。
「仮に襲ってても、魔族の価値観では許されちゃうし・・・」
バルドルは思わずこめかみを押さえる。
魔族は肉体的に頑強で、同時に感情の起伏が乏しく、力がすべてという価値観が今でも魔族の社会で席巻している。魔族は強さがすべてで、大方もとの将軍を殺して将軍にのし上がるし、魔王は将軍のなかで一番強い魔族でしかない。当然魔族の社会では男女関係なく強さを尊ぶ傾向がある。
そのため男でも女でも強い相手の子供を産むことを是とする風潮があり、強い男や女にねじ伏せられるのは、魔族の社会で恥とは考えられない。アリスはまだあまりに幼いので眉をひそめられるだろうが、それでも相手は魔族の将軍のなかでも有数の力を持つビューレイストだ。
人間なのに妃になったことに嫉妬されることはあったとしても、ビューレイストが責められることはないだろう。
「アリスって年の割に大きい方なんですか?」
「いや、10歳らしい体格・・・百四十センチないと思う」
「・・・ビューレイストかなり身長高いですよね。大惨事ですね」
ヘズが口をへの字にし、哀れみともとれる表情で息を吐く。
社会的に許されると言っても、物理的な問題は超えられない。相手は十歳そこそこの百四十センチ以下の子供。ビューレイストは身長が百九十センチを超えている。身体的に大惨事になるだろう。
そもそも人間は脆弱で、素手で金属が折れ、魔力があれば手足が生えてくる魔族とはまったく違う。ふれ方を間違え、押さえつければそれだけで魔族は人間を殺しかねない。
「でもバルドル兄上、アリスと文通してるって言ってませんでした?」
「そうなんだけど、・・・別に昨日来た手紙も、たいしたこと書いてなかったけどなぁ」
バルドルはソファーに腰を落とし、通達の日付を確認する。通達はすでに一週間前の日付で出されている。ただアリスからの手紙は昨日来たばかりだ。バルドルはそのことに思い当たり、首を傾げてしまった。
アリスとバルドルは文通仲間で、かなりの頻度で文通をしている。まだ幼いせいか間違いは多いが、言いたいことはわかる。だいたい日々の生活などたいしたことは書いていないが、別に大きな生活の変化もなにもなさそうだった。
「・・・直近だと、ビューレイストの南の管理人の領地に一緒にお出かけするって喜んでたけど、」
アリスは今度、ビューレイストの秋の視察について行くと書いてきていた。別段悲壮感はなかった。
「頻度も変わりなくですか?」
「そうだねぇ。だいたい一週間に数回」
手紙ははじめて手紙を交わした九月から今までさしたる頻度の変化はない。もちろん当初に比べればアリスの誤字脱字が減り、書くのが楽になったのか枚数は増えたが、その程度の変化だ。
「じゃあ、妃って言うのは形だけってことですかね?」
確かにヘズの言うことは一理ある。
仮にビューレイストが本当に手を出していればアリスは寝込んでいるだろうし、さすがに一週間ほどは手紙が途切れるだろう。
「その可能性も高いけど、・・・でも魔族でそんなことある?」
バルドルはヘズの言うとおりだと思いたいとは思ったが、それは魔族の常識では考えられない。
魔族にとってパートナーなど性欲の対象だ。感情の起伏に乏しい魔族に、たいした情緒などありはしない。ましてや混血ならともかく、ビューレイストは純血の魔族だ。食欲と性欲以外にたいしたこだわりなどありはしない。
妃にしておいて手を出していないなど、あるだろうか。
「でもどちらだったとしても、アリスは妃なんて言われてもわかっていないだろうなぁ」
バルドルはアリスがあまりにものを知らないことを知っている。
とくにアリスはビューレイスト以外とほとんど話したことがないだろうし、そもそも幼い頃から幽閉されていたため、知識不足は否めない。下手をすれば「結婚」、「妃」の意味もたいしてわかっていないだろう。
だからこそバルドルに「妃」になったという話題を振ってこなかった可能性がある。
「一応、アリスには機嫌うかがいをして、不安そうならビューレイストに妃についてもう少し説明するように手紙を書いておくよ」
ビューレイストがアリスをどうするかについて介入することはできないが、少しの不安なら宥めてやることもできるし、それをビューレイストに伝えれば彼は彼なりにアリスに説明をするだろう。
バルドルはこの話題に結論をつけて、ふと首を傾げる。
「そういえば僕、ビューレイストに手紙書いたことないな」
同じ時期に生まれ、同じ時期に将軍になった。だがバルドルはビューレイストと連絡を取ったことがない。
「まぁ、いいか」
アリスにビューレイストに渡すように言えば、渡してくれるだろう。むしろアリスは「妃」にされたことを、どう考えているのだろうか。どの程度理解しているのだろうか。
そんなことを考えながら、バルドルは筆をとることにした。
・バルドルさんは結構エトヴァスさんのすることに戦慄している