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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
四章 少女、領地を視察する
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18.ヴィント

「すいません。アリスさまはお勉強もありますし、出られないそうで」


 尋ねてきたオレルスを追い返す役目を担わされたのは、家令のヴィントだった。

 彼はもの言いたげだったが、本来領主管理人の息子ごときが領主とその妃に会えないのは本来であれば当たり前のことだ。だからすぐに引き下がっていった。

 アリスが怪我をし、オレルスが襲いかけたという話はヴィントも既に聞いている。きっとオレルスはそれについてアリスに直接謝りたかったのだろう。アリスの血肉は高濃度の魔力の集合体で、魔力の多寡を美味と考える魔族にとってはあまりに魅力的な食糧だ。危うく襲いかけても不思議ではない。


「・・・アリスさまに言わなくてもいいの?」


 応接間にソファーにふんぞり返り、外に出るために着替えているアリスを待っている自分の主に、ヴィントはため息交じりに尋ねた。アリスとオレルスが子供同士で仲良く遊んでいたことを知っているので、ヴィントは心が痛んだ。

 だが、どうでも良い些末なことだったのだろう。


「言う必要があるか?」


 いつもどおり平坦な低い声音で、興味もなさげな答えが返ってくる。

 知っている。彼は他人に興味など一ミリもない。だが、オレルスのことに関しては、ヴィントにアリスに言うなという指示をしてきた。そこには間違いなく何らかの感情が介在している。

 そのことに彼は気づいているのだろうか。


「でもこれはフェアではないのでは?」


 オレルスは領主を訪っているのではない。アリスに会いたいと願っている。それを彼が領主の権限で返してしまうのは、フェアではないのではないだろうか。

 だが当然彼は顔色ひとつ変えない。いつもどおりの無表情で口を開く。


「何がフェアなのか、理解に苦しむな。あれは俺の妃だ」


 彼は解さない。妃の処遇を決めるのは自分だと主張をする。

 確かに彼女は彼の妃だ。それはもう対外的にも領内でも公示してあり、彼には付属物である妃の行動を制限する権利がある。だが、当初アリスを妃にしたのはその方が領民や領地管理人のもとを視察に訪う際、アリスを丁重に扱ってもらえるから、対外的に有利だという点からだった。

 アリスはまだ十歳、実際に夜の相手をするはずもない。

 なのに、彼はアリスを完全に自分の妃として扱う気なのだ。いつもどおり何を言っても、彼の感情はまったく揺れない。自分の考えと決定だけをヴィントに伝えてくる。

 そして家令のヴィントは従うしかない。

 

「それにアリスも同意している」


 ヴィントが納得していないのを察したのだろう。彼は理由をひとつ付け足した。

 アリスは自分が怪我をし、オレルスが自分を襲いそうになったことで、遊びに行かず、彼のもとにいると決めた。魔族の危険性を理解し、納得したと、それがアリスの意志であるように、平気で言う。


「でも、彼女の怪我は魔術で貴方が・・・」


 だが実際にはアリスとオレルスの間の溝を作ったのは、この男だ。

 彼が遠隔操作し、魔術でアリスの手を切って怪我をさせた。それがオレルスの魔族としての食欲を揺さぶり、アリスを襲いかけた。アリスはそれを見て、危険性を理解した。

 アリスはその怪我が彼の差し金であることを、知らない。可哀想に自分が怪我をし、そのせいでオレルスに自分を襲わせるような事態となったことを、きっと後悔しているだろう。

 ヴィントはそう思っていたが、彼は当然のように口を開いて言った。


「アリスはそれも承知している」

「・・・え?」


 彼はソファーに肘をつき、この会話に興味がないかのようにアリスの着替えている部屋の方を眺めて待っている。


「アリスの魔力探知は精密だ。俺がやったと知っている」

「え、え?・・・なんでよ」

「納得したのさ」


 アリスは納得したと彼は繰り返す。だが、その納得は、いったい何への納得なのだろう。

 魔族と遊ぶことの危険性なのか、それとも、彼がオレルスを殺すなど、手を出す可能性があると思ったのか。どちらにしろアリスはオレルスから遠ざかり、目の前の男の傍にいるという決断をした。経緯はどうであれ、彼はそれで満足なのだ。

 それをヴィントは強制だと思う。だが彼はアリスが本当に納得したと思っているのだろうか。

 それでいいのだろうか。


「エトヴァス!」


 着替えを終えたアリスが亜麻色の長い髪を揺らしながら戻ってくる。コートまでしっかり着込んで外に行く装いだ。


「焼き芋してくれるんでしょ?」

「あぁ。少し待っておけ」


 彼はソファーから腰を上げ、屋敷の使用人を呼び出すため廊下へ行く。アリスはというと子供らしく楽しそうに体を揺らしながら待っている。ヴィントがその姿を見ていると、振り向いたアリスの紫色の瞳とばっちり目が合った。


「あ。魔族の前で怪我したら逃げろって教えてくれてありがとう」

 

 ヴィントを見ると、彼女はいつもどおりおっとりと笑って礼を言う。

 ヴィントはアリスにもし魔族の前で怪我をしたら、脱兎のごとく逃げろと教えた。それが怪我をし、オレルスがアリスを襲いそうになったときに役に立ったのだろう。だが、襲われそうになったことがヴィントの主のせいだと思えば、何やら複雑な気分になる。


「・・・そんなことより、良いのぉ?」


 自分の主が使用人と話しているのを確認してから、ヴィントはアリスに問う。アリスはというと一瞬紫色の瞳を瞬いたが、察するところを理解したのだろう。「うん」と頷いた。


「わたし、オレルスと遊んで打ち身とかいっぱい作っちゃったんだエトヴァスは、わたしが怪我をするのは嫌なんだ。怪我をさせるような遊びをするオレルスは、そりゃ嫌だよ」

「・・・でも」


 そんな正当な理由がはたして原因なのだろうか。

 アリスは言いよどんだヴィントの表情からヴィントの懸念を察したのだろう。アリスの紫色の瞳が子供らしからぬ落ち着いた色を見せる。


「エトヴァスはもともと食糧を取られるのは嫌な人だよ」

「それは」


 ヴィントも知っている魔族の常識だ。

 上位の魔族なら自分の食糧を独占するため、他者に手出しをされるのを嫌う。そのため、上位の魔族同士では他者の食糧に手を出すのは万死に値し、殺されても文句は言えない行為だ。


「よくわかんないけど、エトヴァスはわたしがオレルスと遊ぶのが、嫌なんだって」


 アリスは苦笑して「おかしいよね」と笑う。

 アリスは食糧だ。血肉を食らえていれば、そのアリスが誰に心を傾けていようが、なにをしていようが自由のはずだ。そして彼自身もそう口にしていた。

 なにが、どこで変わったのか。ヴィントにもわからない。そしてアリスにもわからないのだろう。アリスの子供らしからぬ苦笑には、エトヴァスがアリスにもたらす庇護が「食糧」以上に切り替わったことを理解しながらも、エトヴァスの行動に対する戸惑いが如実に表れていた。


「わたしがエトヴァスは怒らないって読み違えたんだ。エトヴァスは、怖い人なのにね」


 アリスは肩をすくめて彼の危険性を失念していたと言う。

 彼は何よりも食糧であるアリスが傷つくことを嫌う。アリスを傷つけられる可能性が見えれば、絶対にそれを許可しない。なのに、アリスは調子に乗って遊びほうけ、彼の貴重な食糧である自分の体にたくさんの傷をつけて帰ってしまった。

 その原因となったオレルスを好ましく思うはずがない。

 仮にアリスがそれでもオレルスと遊びたいとごねれば、一体どうなっていたのか。彼は恐らく、容赦なくオレルスを殺したはずだ。

 アリスはきっとそう理由をつけ、納得したのだろう。それが理不尽でも、本当は違っても、エトヴァスに逆らうのは危険だと、判断したのだ。

 ヴィントは背中を寒気が走り抜けていくのを感じた。鳥肌が立つ。だが、アリスはもはやそれを理解し、同時に諦め、納得しているようだった。


『アリスには、教えて覚悟させ、納得させておかねばならない』


 シヴの言葉は、どこまでも正しい。


『あの子は、賢い子よ。身の程はよくわきまえている』


 アリスは幼い。まだ十歳の子供だ。

 しかし、自分が彼の傍でなければ生きていけないことをきちんとわかっている。だから現実を理解すれば、それが理不尽でも納得する。自分の気持ちを押し殺して、彼の意見を優先する。

 そう、ヴィントの主の言うことは間違ってはいない。アリスは納得した。自分で彼を知り、納得したのだ。でもその納得は、諦めだ。


「貴方は、良いの?」


 ヴィントはアリスに問う。

 こんなことを聞いても、無意味だ。もしアリスが望んでも、彼女はもうオレルスと連絡を取ることも、遊ぶことも出来ないだろう。彼はきっとそれを許さない。だが、それで、本当に納得したのだろうか。そんな窮屈な生活を許容して生きることに、意味があるのだろうか。

 アリスは「良いの」と今度は子供らしく笑う。


「だってエトヴァスがどんぐりのお馬さん作ってくれるって」


 ヴィントは聞き間違いかと思った。

 いつも気難しい本ばかり読んでいる自分の主が、どんぐりの馬を作るなど信じられない。しかも体格の良い男だ。似合わない。ただアリスに言われれば拒まない気もした。彼がアリスに強請られ、拒否する姿もまた想像できない。


「・・・それ本当なの?」

「うん。わたしの遊びに付き合っても良いんだって。だから今日は焼き芋するの」


 アリスは嬉しそうに笑って、使用人との話を終え、戻ってきた男の方へと抱きつきに行く。

 焼き芋を作るためには、いったい何が必要なのだろうか。ヴィントもしたことがないから、よく知らない。ただそのあたりに落ち葉は大量にあるし、魔術で炎などいくらでも調節できる。必要なのは芋くらいな気もした。だから領主である彼に言われ、使用人は芋を取りに行ったのだろう。


 ヴィントは金色の瞳を瞬く。

 彼はソファーの背もたれに掛けていたコートを着出す。

 どうやら本当にふたりで焼き芋をするつもりらしい。きっとコートは煙に燻されて変な匂いがつくはずだ。それでも洗ってしまえば終わりだ。

 幼くものを知らないアリスの要望など、きっとどれもさほど難しいものではない。それをひとつひとつ、かなえてやる気なのだろう。

 きっと、自分の主はそうする。

 彼にはありあまる時間があり、急ぐ必要もない。アリスがオレルスとともに遊びに行くのは嫌がるかも知れないが、アリスのしたい遊びに付き合うのに苦はないのだ。

 それが焼き芋でも、どんぐりの馬を作ることであったとしても。


「わたし、焼き芋ってはじめてなの。どうやったら、上手に焼き芋が出来るのかな」


 アリスのテンションは高い。軽やかな声はいつも大人しいアリスしか知らないヴィントからするとおっとりとはしているが、珍しく弾んでいて興奮気味に聞こえた。


「ぐっしょり濡れた新聞で芋を包むとより上手くできる。あとは熱した小石に挟んで置くとかか」


 アリスの豊かな感情の起伏にまったく左右されない、低く平坦な声が返る。

 ヴィントたち魔族も芋を食べたことはあるが、魔族はさほど味にこだわらない。ましてや焼き芋ごときの美味しい作り方など、考えたこともないし見当もつかない。

 それなのに何故か人間のなかで暮らしたことのあるヴィントの主はやったことがあるのか、やけに詳しい。使用人たちが新聞を持ってくる。芋だけじゃないんだとヴィントがぼんやりと見ていると、主がふとヴィントの方を見た。


「おまえも手伝え」

「え、私もぉ?」


 ヴィントも、芋など新聞で包んだことはないし、焼き芋などしたことがない。だが、アリスがキラキラとした紫色の瞳で、こちらを見ている。その期待の眼差しに、拒否を返すことはなかなか難しい。

 なにものにも興味がなかった主が、拒否できないくらいだ。


「しかたないわねぇ」


 笑いながら、ヴィントも芋を手に取る。料理などどれくらいぶりだろうか。

 アリスは無邪気に笑う。それを見ながら、ヴィントも釣られて笑った。


エトヴァスさんは無意識の飴と鞭が上手

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