12.エトヴァス
「はあ?」
家令ヴィントはアリスを領地管理人の息子と外出させたというと、酷く驚いた顔をした。
「・・・え、領地管理人の息子ってオレルスよね?同年代の子と出かけること、許したのぉ?」
「あぁ、行きたいと言われた」
「危なくない?」
ヴィントも領地管理人が将軍であるシヴの愛人で、その息子のオレルスの母親がシヴであることは知っている。
魔族に親族関係への愛着は乏しいが、それでも血筋はある程度の能力は担保する。それは常識だ。
実際に魔王と将軍職にある十二人のうち、エトヴァス、ロキ、ヘブリンディは兄弟、バルドル、トール、ヘズは魔王オーディンの息子だ。もっと言えば前の魔王はエトヴァスたちの父親で、オーディンはその異母弟でもある。つまりエトヴァスたちとバルドルたちは従兄弟同士に当たる。
「確かにそうだ。だが子供だからな。俺の防御魔術は破れん」
とはいえ、エトヴァスはさほど心配していなかった。
アリスには将軍の攻撃でも数発なら防ぐほどの防衛魔術を張ってある。オレルスが襲おうとすればすぐにわかるし、あちらの方が大けがをするだろう。
「いいのぉ?仲良くなって」
「好きにすれば良い」
ヴィントはじとっとした視線を向けてくるが、エトヴァスには関係ない。
アリスが誰かと仲良くしていたとして、なんだというのだろう。人間の概念で言うならば子供が楽しく遊んでいるのは良いことだ。
それにどうせここにいたところでエトヴァスは書類の確認ばかりで、退屈させるはずだ。勉強をみてやることはできるが、あれはアリスにとって必要なだけだ。エトヴァスが忙しくなり仕事が多く、さみしがっている。ならば子供同士のほうが楽しいだろうし、さみしさも癒えるだろう。
実際にアリスはオレルスとどんぐりで馬を作った話を後からしていたし、はじめて外に出たいと言ってきた。とはいえあとで聞いてみると、どんぐりで馬を作ったと言ってもどんぐりに棒を刺したのはシヴの息子で、アリスは力がないので目と耳、模様を描いただけだったらしい。
それでも、エトヴァスに夜に話していたところを見れば、楽しいのだろう。エトヴァス以外と出かけたいと言い出したことも、大きな成果だ。アリスがエトヴァスから離れて何かがしたいと言ったことははじめてだ。
もちろんアリスはエトヴァスの食糧で、上位の魔族からは狙われる存在なので、気をつける必要はある。だが、こうして少しずつエトヴァスだけでなく外に目を向けていくのもエトヴァスも手が空くし、悪くはないだろう。
「・・・大丈夫かしら、怪我とかないかしら」
ヴィントは頬に手を当て、心配そうに窓の外を見る。
確かに怪我をすれば高濃度の魔力を持つ血肉が外に出るわけで、アリスの魔力制御も意味をなさず、喰いたいと思う魔族は多いだろう。だがここは田舎で、魔族はまばらにしか住んでいない。数人程度、しかも強い魔族などいないので、防御魔術でことたりる。
「アリスには何があっても傷ひとつつかん。防御魔術でどうとでもなる」
「あんたなんでそんなに冷たいのよ!もしもってあるかも知れないじゃない!」
「もしもなんてあるなら外に出していない。実際半年外に出さなかった」
エトヴァスはアリスを半年ほど外に出さなかった。城の一室から一切だ。アリスの魔力は莫大で、エトヴァスの防御魔術をなかから破壊する可能性があった。アリスの魔力制御が正確だと確信できるまで、エトヴァスはアリスを外には出さなかった。
もしもがあるなら、エトヴァスはアリスを今も外に出していない。
アリスはエトヴァスの大事な食糧だ。失うのはエトヴァスにとって死活問題で、そんな危ない橋は絶対に渡らない。
「でも、もし怪我をして、その、お友達に襲われそうになったら、アリスさまがショックでしょう?」
ヴィントは頬に手を当て、エトヴァスに言う。なにやら真剣な顔で懸念を口にされ、エトヴァスは内心首を傾げたくなった。
「防衛魔術はあるわけだ。さほど問題ではないだろう。毎日俺の食糧にされているんだからな」
エトヴァスは自分を神聖視したことはない。
魔族は食欲と性欲に関して、抑えられない衝動を持つ。ただオレルスはあくまで混血の魔族で、アリスをほんのり美味しそうくらいには思っているだろうが、我を忘れるほどの衝動には至っていない。ただアリスの血には高濃度の魔力が宿っており、アリスが怪我をしたりして血が流れれば、その限りではない。
ただ防御魔術がある限り、襲われたとしてもアリスが喰われることはない。
それにもともとアリスにとって、魔族に喰われることは毎日のことだ。他人から肉を食まれ、血をすすられるのだ。誰に喰われても、嫌なのは同じだろう。毎日襲われているのだから、襲われそうになっても未遂な訳だ。単純に怖いとは思うだろうが、その怖さはエトヴァスと変わりないはずだ。
ましてやアリスはかなり正確な魔力探知を持ちつつある。オレルスの魔力はそこそこだが、あくまで「そこそこ」だ。上位の魔族と異なり防御魔術は破れないし、オレルスが魔術を使おうとするならアリスの方が早く気づく。自分でそれなりの対処ができるはずだ。
「いや、他人に襲われるのとは、そりゃ雲泥の差でしょ!」
「実際、喰われるわけでもなし、」
「でも、もう貴方に食べられても怖がらないんじゃないの?」
「それはそうだな」
確かに、最近アリスは余裕そうだ。
夜に血肉をもらうときも、よほど深く抉らない限りは痛みを訴えてくれることもない。そもそも魔術で痛みは緩和しているし、傷も治す。最近怖がることすらなくなり、喰われる直前まで話していて、終わるとまたその会話の続きをするときすらある。
もはやたいしたことだと思っていなさそうだ。むしろ魘されたりすると、自分から血肉を差し出してくるくらいだ。
「まぁ、あの調子で他人にまで血肉を分け与えられたら困るが」
「いや、そっちを心配するの?」
ヴィントは呆れたようにため息をつく。
ヴィントは恐らくアリスが友人に襲われたときの精神的な負担を思っているのだろう。エトヴァスは自分の食糧であるアリスが他人に喰われないかだけを心配しているので、まったく異なる論点だ。相容れるはずもない。
「アリス自身の心配を本気でするなら、俺もいない方が良いだろう」
エトヴァスは、ヴィントが酷くおかしなことを言っていると思っている。
そもそもアリスのことを考えるなら、血肉を奪っているエトヴァスもいなくなった方が良い。だが、実際エトヴァスがいなくなればアリスは間違いなく上位の魔族の食糧になるだろう。アリスを穏やかな箱庭で飼うのは、エトヴァスだけだ。
はたしてそれがどの程度満ち足りた箱庭かどうかは疑問だが、アリスは満足しているのだろう。
「仕事をするぞ」
声をかけるとヴィントも心得たもので、書類の束をエトヴァスに渡してくる。
「今年はここでとれる食肉があまり多くない」
「北はなかなかよ?それに北の港湾都市ティパサは、バルドル様の領地の都市アルデバランとの貿易で儲かってるから、税収は上場。その書類がこっち」
「ならそっちから回して、輸出は規制だな。関税をかけるか」
「来年度は春先に要塞都市クイクルムを攻略するのよね」
「あぁ、備蓄もいるからな。まぁ、それほど問題はないが」
エトヴァスの領地は南北にわけて統治されている。また南北で気候条件が異なり、足りないものは領内で補填していかなければならない。幸い土壌は豊かなので、回せばどうとでもなる。エトヴァスも産業構造がどこかに偏り、他の領地に依存しないように気をつけていた。
エトヴァスは静かにソファーに座り、ヴィントが持ってきた書類を確認する。その間に彼もエトヴァスが見ていた書類を確認し、気になる部分に付箋を貼っていく。
淡々とした退屈な時間だが、魔族であるため、集中力が切れることも、食事を決まった時間に必要とすることもない。アリスがいないので、食事やおやつの時間を気にすることもない。体調や彼女の動向を確認する必要もない。
淡々と時間が過ぎていく。窓の外ではさわさわと秋の乾いた木の葉が擦れ合う音がする。前は気にならなかったそれが、どこか不快に感じる。
ひたすら大量の書類を確認し、頭に入れる。それが終わる頃にはすで夕方になっていた。
「・・・」
最後の一枚を置いて、エトヴァスは窓の外を眺める。アリスがいない頃、エトヴァスはよくこうして外を眺めていた。外では木の葉が落ち、勝手に季節がまわる。
世界は動いているのに、自分は止まっている。
魔族の一生は長い。途方もなく退屈でやるべきことはあっという間に終わり、退屈な時間だけが広がる。色づく世界で自分だけがモノクロで、自分以外のものだけが時間を紡ぎ、動くような感覚を、エトヴァスはよく感じることがあった。
人間と違い、魔族はそれほど睡眠を必要としない。立ったまま三十分とか、その程度だ。そして食事も本来決まった時間に食べる風習がない。魔力のある生きものがとれたときにする。それ以外の時間、こうしてぼんやりと過ごす。
上位の魔族になればなるほど、何かでつまらない遊びを始めるか、何かを研究するか、ひとまず何かをしていないと、この退屈な時間がどんどん自分をむしばんでいく。だからきっと魔族は食欲と性欲という、自分たちに与えられた唯一絶対の衝動に固執するのだ。
だからといって、エトヴァスは必要性のないことをやる気にもなれない。死ぬほど退屈だ。退屈は人を殺せる。千年の間、もう餌をとるのをやめてしまおうかと何度も思った。
でも時期が来るとまた魔族の性で、魔力のある食糧を欲する。そうして生きながらえたとして、どこにも楽しい人生などありはしない。こうしてつまらないと思うことを繰り返すだけで、感情が沸き起こることもないのだ。
ぐるぐると考える。前はよく考えていた。最近は考えなかった気がする。それでふとアリスの存在が頭をよぎった。
「あぁ、」
エトヴァスははじめてあの紫色の瞳の少女が隣にないことに、空虚感を覚える。
いつもならきっとこうして書類が終わるとき、エトヴァスはアリスに目を向ける。ソファーで隣に座って本を見ていたり、エトヴァスの膝でまとわりついていることの多いアリスは、すぐに仕事が終わったのかと待っていたように、話しかけてくる。
別にエトヴァスはお世辞にも多弁ではない。だがアリスは多くのことをエトヴァスに尋ねてくる。
エトヴァスもそれを不快に思わない。知っていることは淡々と答える。そのときは知らないことでも、あらためて思考が途切れる暇な時間にそれについて考えたり、調べたりすることもあった。
だからエトヴァスはアリスが来てから孤独や退屈を考える必要がなくなった。
「この空虚感をさみしいというのかもしれんな」
「え?」
ヴィントはよく聞こえなかったのか、訝しげな顔で振り返る
エトヴァスはアリスに出かけても良いと思った。どうせ書類仕事を見ているなど退屈だろうし、好きにしたら良いと本気で思っていた。だがアリスが隣にいる方が、エトヴァスは心地が良い。退屈を思わなくて良い。
そしてアリスのことを考えていれば、鬱々とした気分が紛れる。
「そう言えば、服を新調させないといけない」
「アリスさまのぉ?」
「あぁ、春から身長が5cm伸びた。春の服がもう小さい。外出用もいる」
エトヴァスのところに来た頃より、アリスの身長は5cm伸びた。春はまだ歩けなかったので必要な服は寝間着ばかりだったが、来年には薄手の外出用の服も必要になる。どちらにしても多くを新調せねばならなくなるだろう。
「5cm、そんな伸びたかしら」
長命の種族も二十歳までは人間と似たような成長をする。だがもう千年近く前の話だ。ヴィントも自分の成長期など記憶にないだろう。エトヴァスももう昔すぎて、自分の身長がいつ伸びたのか、毎年どのくらい伸びたのかなど覚えていない。
「女の子って必要なものが多いって言うわよねぇ」
「そうか?」
「そうよぉ。もっとリボンとか、髪の毛かわいくしてあげるとか」
「・・・フレイヤも似たようなことを言っていたな」
エトヴァスにはかわいいなどという感性がそもそもない。だからわからないのだが、そういうものも年齢にそってヴィントや、アリスの世話をさせている鬼のメノウなどと相談して、買いそろえていくべきかも知れない。
冬はどうせあまり外出しないだろうが、温かくなれば考えてもいい。アリスがいればやらなければならないこと、考えるべきことは山積みだ。
「帰ったら聞いてみましょう?」
うふふふと不気味な笑いを浮かべながらヴィントが言う。それを窓に視線を向けながら、横目で見る。
もうそろそろ暗くなる。そういえば帰宅時間を指定しなかったなと、どうでも良いことを考えて、エトヴァスは近くにあった書類を片付けた。
少し気づいたエトヴァスさん