11.オレルス
友だちができた。人間で、なんだかよくわからない奴だ。
ただ父はそれを歓迎してはいないらしい。
「まったくどうすればよいのか・・・」
夕食の席でオレルスの父親であるクレーレンはまだ頭を抱えていた。
「はぁ?オレルスってばあの妃と仲良くしてんの?」
年の離れた姉は、不快感にまみれた表情でそう言った。オレルスはげんなりした表情で姉と父を見る。
この場に母であるシヴはいないが、魔族で12人しかいない将軍の一人である彼女なら、オレルスの行動を「あ、そう」と言うだけだっただろう。危険などたいしてないのにこんなに人のやることに口を出してくるのは、彼らが混血の魔族で感情豊かだからだ。
「うん。明日アリスと一緒に林檎農家のじいさんとこに、人間について聞きに行く」
「マジ?あんた、あんな怖い領主がついてるチビの妃と一緒に行くっての?頭おかしいんじゃない?」
姉はナイフで切った肉をグサッとフォークで突きさす。
「姉ちゃんさ。自分が領主さまに手ひどく振られたからって、恥ずかしいぜ」
「うっさいわよ!」
オレルスが言うと、姉のクレールングはあからさまに肩をいきらせて怒ったが、姉が領主に直接アプローチし、挙げ句アリスにいらないことまで吹き込んで領主の逆鱗に触れたことはオレルスにもよくわかっていた。
領主ビューレイストは魔族に12人しかいない将軍のひとりで、この領地の領主だ。
姉はその妃にいらないことをしたのだから、本来あの場で殺されていてもおかしくない。この領地には「法律」という遵守されるべきルールがあるが、そこから領主は逸脱していると規定されている。要するに将軍は「妃」にいらないことを吹き込んだクレールングを殺しても良い立場なのだ。
見逃されたのは、どう見てもあのときアリスが庇ったからだった。なのに、姉はそんなことちっともわかっていないらしい。珍しいアリスの紫色の瞳を思い出し、オレルスはため息をつく。
「仕方ないんじゃね?どう考えたって姉ちゃんより素直で可愛いじゃん」
「黙りなさい!」
「あははは、」
オレルスは馬鹿な姉を笑った。
アリスはオレルスと同じ年頃の少女だ。
亜麻色の長い髪の小柄な少女で、その大きな紫色の瞳は珍しいが、それ以上になんら特筆すべきところはない。人間だから非力だとは言っていたが、彼女自身はあまり人間のことも魔族のことも知らないようだった。
オレルスは彼女より魔族のことを少しはよく知っているから偉ぶれるし、子供のオレルスもさほど会話のレベルは変わらないので、話すのは楽しい。なによりも同年代の子供ははじめてでオレルスは少し嬉しく思っていた。
アリスはどこか、良い匂いがする。肌白くて柔らかそうで、いつも美味しそうだ。何故かはよくわからない。だが、惹かれるものがある。だから、オレルスはアリスのことが結構好きだったし、一緒に遊びに行けるのは素直に嬉しかった。
「・・・良いか、くれぐれも粗相のないようにするんだぞ」
領地管理人をしている父親のクレーレンは、子供が心配でたまらないらしい。
アリスがオレルスと出かける許可を領主に取っている間も、今にも卒倒しそうな顔をしていた。いや、ずっとだ。多分父親は領主を恐れているのだと、昔からオレルスも理解していた。
「本当は出かけてなどほしくないんだ。アリスさまに何かあれば、おまえの首だけでは済むまい」
「そんなおおげさな」
「大げさではない!クレールングだって殺されかけたんだぞ!」
クレーレンはどんっとテーブルを叩く。だがオレルスは父親にそんなことをされても、ちっとも怖くなかった。
「でも殺されなかったじゃん」
オレルスは素知らぬ顔で口元をナプキンで拭い、足を組みなおす。
魔族は魔力でお互いの上下をはかる。オレルスは最近、父や姉の魔力が自分より圧倒的に下であることに気づいた。恐らく、オレルスが将軍であるシヴの息子だからだろう。母親の血だけでこれほど違うのだから不思議に思う。
どうせ父が自分に何も出来ないこともオレルスは知っていたし、だから偉そうに返す。
「それに出来もしないこと言うからだろ」
姉はもともと領主の妃になりたくて、領主の妃のアリスに敵意を向けたのだろう。領主は千年間妃はおろか恋人も愛人もいなかったと言うから、幼いとはいえアリスが大事なら敵意を向けるオレルスの姉を怒るのは当然だ。
「どっちみちアリスのことは領主さまだって良いって言ったじゃん」
いつも無表情な領主は、アリスにこう言った。
『あと一週間は書類の確認もある。おまえの好きにしろ』
大人たちが冬への支度で忙しいのはわかる。領主もそれは同じだ。そして妃とはいえ子供のアリスはそれを見ていても退屈だろう。ここにとどまる間なら、アリスが自由にしても良いというのが、領主の判断だ。
それにもかかわらず、何故父はそれほどオレルスを心配する。父は姉が領主に言い寄ったことについても、烈火のごとく怒っていた。
「領主さまに、関わるんじゃない」
父のクレーレンはいつも、オレルスと姉にそう言う。
領主は毎年この屋敷を訪れ、一週間ほど滞在し、冬の準備と今年の取れ高を確認して帰って行く。別に領主が自分たち声をかけることはないし、関心もなさそうだ。何かをされたこともない。淡々と仕事をこなして帰って行くだけだ。
なのに、父のクレーレンはいつもこの調子で、領主と仕事以上に関わる機会を極力減らしたいようだった。
「でもさぁ、別に普通の魔族じゃん」
オレルスはフォークをくわえながら言った。
今まで領主は視察と言っても誰かと話すことなくあちこちをチェックするだけだったが、今回は朝晩にアリスと手をつないで散歩している姿が領民の間では有名になっている。
上位の魔族は莫大な魔力を有し、強い。強さがすべての魔族のなかでは例えようもなく恐ろしい存在だ。
とくに領主は純血の魔族でもあり、食欲と性欲に強いこだわりを持つ。そしてかわりに他の感情の起伏は乏しい。ある程度の冷淡さは理解の範疇だ。非難はされない。だが混血が増え、豊かな情緒を持つ魔族も増えたなか、領主にまったく親近感はなかった。
しかし二人が仲良く歩く姿は、純血の領主への混血の領民の親近感を大いに上げた。
とくにアリスは領民に声をかけられれば普通に話をするのだという。そして領主はそれを黙って眺めているが、彼女がわからないことが出たりして困るとすぐ助け船を出すらしい。こうした仲睦まじい様子は、領民に好感をもたらした。だから領民の間で噂になっている。
ただ、クレーレンにとってはそんなこと関係なかったのだろう。
「普通?普通なはずあるか」
クレーレンは息子の言葉を一蹴し、頭を抱える。
「おまえは知らんからそんなことが言えるんだ」
「なにがだよ」
「上位の魔族たちの愛着は異常だ。ましてやあの方の弟であるヘルブリンディ様は、人間の自分の妃を殺した魔族の領民を、ほぼ皆殺しにしている。上位の魔族は自分の固執する者を守るため、そういうことを平気でする」
ヘルブリンディの悲劇と言われる、幼いオレルスでも知っている惨劇だ。
将軍である領主の弟で、彼自身も将軍のひとりだったヘルブリンディが、人間の妃を娶った。その妃が妊娠中に惨殺された。何故殺されたのか、そうした疑問は何も明かされてはいない。だがひとつだけ間違いないのは、狂ったヘルブリンディが領民だった魔族を皆殺しにしたことだけだ。
魔族の将軍たちの領地は、すべての権限が領主である将軍にあり、基本的に魔王ですらよその将軍の領地に口出しできない。皆殺しの噂だけがまわり、それ以降、ヘルブリンディが表舞台に出てくることもなくなった。
「でもそれ、三百年も前の話だろ?」
「魔王であったオーディン様も将軍だった頃、人間の妃のために魔族の一族を族滅したことがある」
「バルドル様の母親の話だろ?でもそれってもう千年も前の話じゃん」
オレルスは父親の話にげんなりする。
クレーレンが言葉を重ねるが、幼いオレルスからしてみれば、父の言葉は大昔の話で、自分には関係ないことに思えた。自分の生まれる、遠い昔の話だ。それは姉のクレールングも同じなのか、黙ってこそいるが、恐怖に震えるクレーレンが理解できないようだった。
「領主さまはな、千年前から生きておられる。その常識をまだ持っている。私は同じく将軍であられるシヴさまが、それを笑って口にしたのを見たことがある」
父のクレーレンは、将軍である純血の魔族シヴの愛人だ。
オレルスはそのシヴの子供である。母はいつもこの屋敷にはおらず、そして息子のオレルスを鷹揚に抱きしめてはくれるが、冷淡な人でもあった。きっとオレルスが惨殺の件を尋ねれば、いつもどおり鷹揚な笑みとともに事実だけを教えてくれることだろう。
母はそういう性格の人、それだけだ。だがクレーレンはそう捉えていない。
「ビューレイストさまは、冷淡なお方だ。純血の魔族で、将軍という上位の魔族だ。食糧であり、人間であり、妃であるアリスさまへの執着は、こちらでは計り知れん」
上位の魔族の食糧へのこだわりは、常軌を逸しているとクレーレンは言う。
アリスは今こそ妃とされているが、もともと要塞都市の結界の動力源で、要塞都市側が休戦のために魔族である領主に差し出された、上質な「食糧」だ。それに万が一でも手を出すことがあれば、どんな目に遭うのか。
「彼らは恐ろしい存在だ。忘れてはならん」
領主は、確かに良い領主だ。干渉はしない、責任を果たすならそれ相応のものをクレーレンたち魔族に、淡々ともたらしてくれる。
だが、「食糧」に関しては、どうだかわかったものではない。それがクレーレンの見解なのだ。
「・・・でも、アリスには関係ねぇじゃん」
オレルスは父親を睨む。
『わ、わかんないよ、だ、だって、そうするって言われたから』
何故「妃」になったのかとオレルスが聞いた時、アリスはそう言って泣いていた。
妃になることは、アリスが決めたのではない。どれほど領主が恐ろしい存在であったとしても、アリスは小さなことで戸惑ってただ泣いてしまうような女の子だ。オレルスは領主を相手にしているのではない。アリスと遊びに行くのだ。
「そうだったとしても、あの子は領主さまの“妃”だ。そう言われる限り、我々が手をだしてはならん。関わらない方がいいんだ」
「でも、約束しちゃったし」
もう領主も納得済みだ。そうオレルスが言えば、父ははぁーっとあからさまなため息をついて見せた。
「本当に、本当に何もせんでくれ」
父親の言葉は、ちっともオレルスには届かなかった。