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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
四章 少女、領地を視察する
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09.エトヴァス


 エトヴァスはベッドサイドの電気をつけることなく、アリスを抱いたまま座る。


「っ、ひっ、うぅ」


 少し覚醒し、正気には戻ったが、まだ余韻の残るアリスは小さな声を漏らし、エトヴァスにすがりついて泣いていた。

 アリスはあまり泣き叫んだりしない。声を殺すようにして静かに泣く。だからさほどエトヴァスも気にならない。もう正気に戻っていることもわかっているので、あとはこうしてエトヴァスに抱きついていれば、落ち着くと同時に眠るだろう。

 ただもう朝の4時を過ぎており月は出ておらず、秋とはいえ2、3時間もすれば日は昇る。

 横向きにエトヴァスの膝の上に座っているアリスの片方の頬はエトヴァスの胸に押しつけられていて、歪んでいる。まだ睫毛は涙で濡れていて、それが夜の闇のなかで淡い光を放っている。エトヴァスはそれを眺めながら、アリスにかけている毛布をアリスの肩まで上げた。

 アリスは、また捨てないでとか、置いていかないでといったうわごとを繰り返し、飛び起きた。今晩はこれで4度目だ。アリスを起こす七時までにあと一,二回は魘されて起きるだろうと予想する。今日も大体同じペースだろう。

 昨晩は5回で、アリスはだいたい10時間睡眠するため、大体2時間に一度は起きていることになる。

 秋の視察を目的にこの南の領地管理人の屋敷に来てから、アリスが魘されて起きるペースは城にいるときより速い。

 恐らくアリスにとって他者とふれあうというのはそれだけで精神的な負担をともなうのだろう。

 

「・・・えとう゛ぁ、す」

 

 少し落ち着いてきたのか、アリスがエトヴァスの名前を呼ぶ。そしてその涙に濡れた大きな紫色の瞳でエトヴァスを見上げてきた。

 何を求めているのかはわかっている。

 アリスは魘され、起きるとすぐにエトヴァスの食糧であることを望む。自分が食糧であるうちはエトヴァスに絶対に捨てられないと思っているからだ。

 アリスは要塞都市クイクルムの対魔族結界の動力源として、4歳のころ母親に動力源が過ごす狭い部屋において行かれた。そして対魔族結界が破られると用なしになり、魔族のエトヴァスに食糧として差し出された。エトヴァスがアリスの血肉があまりに美味で長期飼育を目指したから生き残っているが、人間に利用され、挙げ句の果てに捨てられたアリスの心の傷は大きい。

 だから必死でエトヴァスに必要とされる人間であろうとする。

 エトヴァスは何にも興味がない。アリスを生かしたのも、そばに置くのも、アリスが美味だからだ。だからアリスは不安になると一生懸命自分が食糧であることを望む。エトヴァスもアリスが自発的に血肉を差し出してくれるならそれに越したことはない。血肉を喰らった方が、自分の存在意義を再認識できるアリスもはやく落ち着く。

 だが、そんなことを一晩に何度も繰り返せばすぐに貧血で倒れる。


「エトヴァス」


 アリスが名前を呼んで、また強請る。


「だめだ」


 エトヴァスはすがりついてくるアリスに、静かにそう言った。

 まだ魘された恐怖の余韻が残っているのか、食糧でいたいらしい。だがエトヴァスはすでに寝る前にアリスの血肉を奪っている。人間の場合、毎日作られる血液は体重40kgでだいたい25ml程度といわれる。アリスはそれよりまだまだ小さいので、食らいすぎればすぐ貧血になるし、健康にも悪い。

 

「・・・」


 アリスは涙でいっぱいの瞳をそのままに、エトヴァスに抱きついてくる。小さな体を強く抱きしめ、また背中を叩く。お預けをくらっているのはエトヴァスの方なので、嘆くアリスをなにやら不思議な気分であやす。


「おまえは大事な俺の食糧だ」


 そう言って背中を叩くと、本当かうかがうように紫色の瞳をむけてくる。アリスの涙に濡れた頬を撫で、エトヴァスはアリスを見下ろす。恐怖や悲しみにゆらゆら揺れる紫色の瞳。それを眺める。

 アリスがどれほど望もうと、エトヴァスがどれほどそれを歓迎しようと、必要以上に傷つけてれば小さな体はすぐに衰弱する。この小さな体を少しでも長く貪るためには、この小さな体をまず肉体的に大事にしなければならない。

 そして大事にすべきは身体だけではない。同時に精神的にも慰撫しなければならないと、エトヴァスは理解していた。

 

「おまえの怖いものは、俺が何でも排除してやる」


 小さなアリスには、エトヴァスには理解できないが多くの「怖いもの」があるのだろう。それがアリスを閉じ込めた要塞都市だったとしても、魔族だったとしても、なにからでもエトヴァスはアリスを守る。

 

「だからおまえはなにも心配しなくて良い」


 そっと抱きしめた小さな頭に頬を寄せる。

 それがたとえ要塞都市という20万人もの人間を抱える場所だとしても、アリスのためなら滅ぼす。食欲に狂っていると言われようと、もともと食欲と性欲に固執するのが魔族だ。一向にそれでかまわない。

 抱きしめて背中を規則的にゆっくり叩いてやると、少しずつ落ち着いてくる。ただ眠るには足りないのか、今度はエトヴァスの胸でごそごそと体の角度を変え始めた。どうやら中途半端な時間帯に起きてしまったので、寝付けないらしい。

 エトヴァスはアリスの肩をそっと撫でる。アリスは暗いなかで、まだどこか不安そうにエトヴァスを見上げてきた。


「なんだ」

「・・・ごめんなさい。何度も起こして」


 アリスは毎晩何度もこうして魘されて起き、エトヴァスの手を煩わせていることが、申し訳ないらしい。暗いなかでもわかるほど、不安げな顔をしていて、エトヴァスはそれをぼんやり眺める。


「別にたいしたことじゃない」


 安心させるため白い頬を撫でてやる。手に伝わるのはエトヴァスより少し高い体温だ。柔らかくて美味しそうだとエトヴァスは考えるが、アリスの表情は沈んだままだ。まだ何か不安なのだろうか。


「・・・でも、わたしはエトヴァスに、迷惑をかけたくないよ」

「迷惑?」

「だって、エトヴァスはわたしになんでもしてくれる。わたしはなんにもできないのに・・・だから、そのどこか、行きたい人のところとか場所とかあったら行っても・・・」


 いいよとまで、言葉が続かなかった。アリスの紫色の瞳が潤む。

 魘されてそれにこうして付き合わせているのは申し訳ないから、行ってもいいと言わなければならない。でも自分以外のところに行ってほしくない。

 子供らしい些末な葛藤が、あからさまに透けて見える。


「そうしたければ、そうしている」


 エトヴァスはアリスの頬に慰めるように口づける。

 アリスとは違い、エトヴァスは自由だ。もし会いに行きたい魔族がいるのならば、アリスが止めても会いに行くだろう。それでも会いに行かないのは、エトヴァスのような純血の魔族にはもともとたいして思い入れのある友人などいないし、会いたい魔族がいないからだ。

 それにエトヴァスはアリスを気に入っている。

 エトヴァスが血肉を奪ってもうるさく泣きわめくことはない。小さい頃から幽閉されていて危機感が足りないせいか魔族のエトヴァスに恐怖を抱いて、ことさら恐れるようなそぶりもない。わからないことは教えてやらねばならないが、それは必要なことだ。

 もちろんエトヴァスにはそれが心躍るほど特別楽しいわけではない。しかしながらそんな自分を揺さぶるような感情、感情の起伏に乏しい純血の魔族のエトヴァスはそもそも味わったことがない。ただ少なくともアリスといるのは面倒ではないし、煩わしくもない。だから何の不満もない。


「むしろおまえがこうして俺と過ごすのが嫌になったか?ひとりになりたいか?」


 アリスは毎日大半の時間をエトヴァスと過ごす。

 エトヴァスがいないとさみしいと泣いたこともあるが、それはもう数ヶ月前のことで、人間は変わりやすいものだ。嫌になったのなら、いまはアリスも歩けるようになり、自分のことはある程度ひとりでできる。アリスの安全が保たれる範囲でひとりの時間を作ってやるのはやぶさかではない。

 そう思ったが、アリスはぶんぶんと首を横に振った。


「そんなことない。いつでも一緒にいたいよ。でもここに来てから少しさみしい」

「さみしいのか?」

「だってエトヴァスが領地管理人の人とお仕事のお話しているあいだ、ひとりぼっちだから」

「そうだな」


 将軍会議などの時は、エトヴァスはアリスを自分のそばに置いていた。他の将軍に襲われる可能性があるからだ。ただ自領にそんな強い魔族はいない。そのためエトヴァスは領地管理人と話している間、大人の話に退屈するであろうアリスを部屋に置いておくか、目の届くところでお茶をさせておくかのどちらかだった。

 領地管理人の娘と話させてもみたが、年頃の娘である彼女は領主の妃でありながら幼いアリスを暇つぶしの相手ではなく、牽制すべき敵とみた。結局あからさまな敵意はアリスの寂しさを紛らわせるどころか、不安にさせただけだった。

 だからといってエトヴァスのそばで同席させておいても良いだろうが、大人のわからない話は退屈だろう。

 別に遊びに行ってくれてもかまわない。

 エトヴァスがアリスにかけている防御魔術を破れるような魔族はこの周辺にはいないし、周辺に改めて大きな魔力を探知するような結界をかけてもいい。ただアリスはエトヴァスから離れてひとりで出かけるようなことは、絶対にしないだろう。

 領地管理人にはたしか、アリスと同年代の子供がいたはずだ。あちらと話をさせてみても良いのかも知れない。

 エトヴァスが考えていると、アリスがおずおずと口を開いた。


「エトヴァスは忙しいってわかってるよ。でも少しだけ、少しだけさみしいの」


 アリスは視察に来ている限り、エトヴァスが仕事をしているのは仕方がないことだと理解しているらしい。ただ、さみしい気持ちに変わりないと訴える。


「それは悪かったな」


 エトヴァスは素直に謝りながら、小さな体を揺らす。すると答えるようにアリスが強く抱きついてきた。


「でも、さみしいのはわたしのわがままだから、何かをしてほしいわけじゃないんだよ」


 わがままなんてそんな言葉、どこで覚えてきたのだろう。

 エトヴァスはアリスにわがままだと叱りつけたことなどない。いや、そもそもアリスに大した期待もないのだから、不満もない。当然怒りを覚えるようなことがあるはずもないのだ。


「たまにはわがままでも良いだろう」


 エトヴァスはそう言って、アリスの頬に口づけた。

 このときはまだ、そう思っていた。


エトヴァスさんは鈍感、アリスは繊細

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