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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
四章 少女、領地を視察する
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06.エトヴァス


 翌日に朝食を終えた後、エトヴァスとアリスはふたりで、散歩に出かけた。

 エトヴァスは夜の間に領地管理人からもらった書類に目を通し、会計上間違っていることや、何らかの手配が必要な事に関してはすぐに家令のヴィントに竜で連絡を送った。

 そもそも魔族はさほど固定の睡眠を欲さないし、数時間座ったまま眠る程度で普通に一日動ける。アリスが数時間おきに魘されて起きるのを宥めながら、領主としての仕事をこなすことはそれほど難しくはない。

 かつては退屈でたまらなかった空いた時間を、アリスが健やかで、精神的に安定した生活ができるように費やす。おかげでエトヴァスは昔ほど、自分の生に退屈を見いださなくなっていた。

 そういう点ではアリスは本当にありがたい存在だ。

 

「わっ」


 アリスが足をくじくのを見て、エトヴァスはつないでいた手をあげ、彼女が転ばないようにバランスを保つ。


「おまえ、疲れるとやはりよく足をくじくな」

「う、うん」


 転ぶまではいかないが、足首の関節が緩いのかなんなのか、アリスはよく足をくじく。

 ヴァラのところに行ったときは人間の街だったこともあり、アリスは人間への恐怖故にエトヴァスにずっと抱っこされていたし、魔王城にいった時はそもそもそれほど歩く必要がなかった。だから気づかなかったが、アリスは常人より体力も筋力もない。

 エトヴァスも百年ほど前に人間と暮らしたことはあるので、アリスが普通の子供よりも身体能力が劣ることはわかる。ただ何年も一室に歩けなくなるほど閉じ込められた子供にどんな運動能力的な弊害があるかなど想像もできない。

 地道な運動を繰り返すのが正解かはわからないが、どのみち筋力の強化は必要だろう。もちろん無理は禁物だ。


「疲れたら、戻るぞ」

「でも、楽しいよ。あの赤い丸いのは林檎かな」


 アリスはエトヴァスの手を引いて、木々の方へとゆっくり歩く。その様子はいつもどおりおっとりしており軽やかで、踊り出しそうなほど楽しげだ。

 幼い頃から狭い部屋に幽閉されていたアリスにとって、はじめて見る光景ばかりだからだろう。

 このあたりは見渡す限り木が沢山植えられており、赤い実をつけている。それほど大きな木ではない。高さはエトヴァスの二倍程度で、その赤い果実は手の届くところにある。リンゴという、珍しく魔力を有する果実だ。

 そしてこの地域はリンゴの産地のひとつだった。


「あぁ、ひとつふたつなら取っていっても良い」


 近くにいたこの木の持ち主の老齢と思しき魔族が、あっさりとした口調で言う。

 魔力と見た目である程度上位の魔族であるというのはわかっているのだろう。ましてや視察の通達は村々にもまわっているだろうから、見覚えのないエトヴァスたちが誰かくらい、予想がつくはずだ。


「ありがとう」


 アリスが嬉しそうに笑う。すると、その魔族は驚いた顔をした。


「そうか。通達はあったがあんたがお妃さんか」

「・・・あ、うん」

「わしゃ、千年以上前の戦争で、人間を相手にしたことがある」


 エトヴァスはその言葉に思わずアリスの表情をうかがう。だが身長が違いすぎて、隣に立つアリスの表情はおろか旋毛しか見えなかった。

 千年前、人間の要塞都市にはまだ大魔術師による対魔族結界は張られておらず、人間と魔族の戦争は頻繁にあり、魔族側に多くの犠牲が出ることもあった。魔族は感情の起伏に乏しく、同族にも冷淡だ。そのためアリスに激しい憎悪や嫌悪を示すことはないだろう。

 だがアリスはそれを聞いてどう思うだろうか。


「せんそう・・・って、けんかのことだよね?」

「そうだ」


 アリスは少し困ったようにエトヴァスを見上げ、首を傾げた。

 エトヴァスはアリスに歴史書をよく読み聞かせる。そのときに戦争を「喧嘩」だと説明したが、あまり喧嘩という単語自体が定着していないらしい。


「けんかって、怒ること?」

「・・・」


 よく考えてみれば、アリスは4歳から幽閉されており、両親すら朧気で、エトヴァスのところに来た頃は声帯が劣化して声が出ないほど人と話していなかった。そしてエトヴァスとアリスは喧嘩をしたことがない。だから「喧嘩」という言葉がなんとなく不穏なものだとはわかるがぴんと来ないのだろう。

 エトヴァスが説明の仕方を考えている間に、老人の方が先に口を開いた。


「人間は、手間がかかる。山羊のヘイズルーンの方が、魔力も高いしうまいもんだ」


 老人も老人で、一体何が言いたかったのだろうか。人間を食糧にするのは面倒だという話に、エトヴァスの方が首を傾げる。すると老人の後ろから魔族の青年がやってきた。


「あ、すいません、領主様。じいちゃん。ぼけちゃってて、」


 すんませんともう一度頭を下げて、青年は慌てた様子で老人を止めようとした。

 

「・・・ぼけるってなに?」

「頭の働きがわるくなることだ」

「え・・・?」


 アリスは困ったように老人を見返す。だが老人は止める青年に視線を向けず、変わらずアリスを見ていた。


「だから、まぁ林檎を取っていきなされ」


 何が「だから」だったのか。老人は青年に促されるままに素直に去って行く。それを見送ってから、エトヴァスはとっても良いと言われたリンゴの木を見上げた。

 リンゴの木というのはさほど高くはない。しかも枝が下がるほど大きな赤い実がたくさんなっている。ただアリスの身長ではまったく届かないだろう。エトヴァスはアリスの体を肩に抱き上げる。そうすれば届く程度の木の高さだ。

 ただアリスはエトヴァスに支えられても、重心がうまくとれないのか手を伸ばしながらぐらぐらしている。


「とれそうか」

「・・・うーん」

「下にひっぱるんじゃない、林檎の下を上にして、上にむけてひっぱれ」


 アリスはバランスが悪いながらもなんとか林檎の一つに手をかけ、もぎとる。アリスの手のひらにはまったくおさまらないほど、大きな林檎だ。とれたことを確認し、エトヴァスはアリスをゆっくり地面に下ろした。


「すごいね。はじめてなっている木を見たし、とれたよ」


 林檎は城でも食べたことがあるだろうに、アリスは紫色の瞳をキラキラさせて嬉しそうに笑う。


「もうそろそろ戻るぞ」


 エトヴァスはそっとアリスの背中を叩き、促した。アリスは歩き出しても視線がリンゴで、足下を見ていない。こけても危ないから手をつなぐ。

 

「食べれるかな」

「屋敷に帰ったら果物ナイフくらいはあるだろう」

「でもメノウがいないね」


 城にいるときならば、食事の用意や果物の皮をむくのは、アリスの世話をしている鬼のメノウの仕事だ。今回はメノウを連れてきていない。ただ別に何ら問題はなかった。


「俺がむく」

「え、エトヴァスむけるの?」

「生活全般のことはなんでもできる」

 

 エトヴァスは100年前、人間の中で生活していたことがある。人間の暮らす普通の田舎の都市だった。

 当然誰かがなにかをしてくれることはないので、家事全般は同居していた魔術師の男にすべて教えられた。当初は魔族の身体能力は人間とは異なるので力加減をし損ない、調理道具などを破壊したこともある。

 ただエトヴァスは基本的に何をやらせても器用な方だ。

 数ヶ月たてば同居していたその男よりいずれの家事もうまくなり、一年たつ頃には人間の料理本をわたされ、魔族で味覚などさしてわからないのに料理ができるようになっていた。

 当然、リンゴをむくなど造作もない。

 

「すごいね」


 アリスは無邪気に笑った。

 手をつなぎ、さきほど来た道をゆっくりと戻っていく。その途中で、少年が歩いてくるのが見えた。黄金の髪に水色の瞳の彼は、エトヴァスとアリスを見ると頭を下げた。

 領地管理人の息子だという少年だ。正確な年齢はわからないがぱっと見の年齢はアリスと同年代だろう。


「林檎、とってきたのか?」


 すれ違うとき、ふと目にとまったのだろう。彼はアリスに尋ねた。


「う、うん。おじいさんがいいよって」

「あのじいさん、ちょっとぼけてただろ」

「・・・え?ど、どうだろう」


 アリスは老人がぼけていた確証が持てないのか、戸惑ったように返す。


「はっきり言っても良いんだぜ?」

「え、えっと、す、少し?」


 どうやらアリスは押しに弱いらしく、少年に言われると曖昧ながら少年にあった意見を返した。すると少年は嬉しそうに「だろー」と笑う。

 

「でもいいじいさんなんだ。なんでもくれるしさ。どんぐりとかくれるんだよ」

「どんぐり?」


 アリスは少年の話がわからないのか、首を傾げる。


「おまえ知らねぇの?どうせうちに滞在するんだろ?持ってってやるよ」


 笑って、少年は「またなー」とあっさり行ってしまった。


「・・・あれって、お屋敷の、」

「あぁ、息子だな」

「魔力の大きい子だね」

「そうだな」


 確か名前はオレルスと言っていたと思う。

 エトヴァスは本来領地管理人の息子にまったく興味がないが、彼の素性も名前も一応把握している。母親がエトヴァスと同じく魔族に12人いる将軍のひとりシヴだからだ。領地管理人自体が巨人と魔族の混血児で、母親が純血の魔族だから、四分の三は魔族の血が入っている。

 保有する魔力がそこそこ大きいのは、将軍の息子故だ。

 

「どんぐりってなんだろうね、楽しみだよ」


 アリスはにこにこと笑う。だが、エトヴァスはなにか引っかかるものを感じた。ただそれが何かを考える前に、アリスが林檎を大事そうに抱きなおす。


「それにしても、この林檎は、どんな味がするんだろうね」

「ただの林檎だがな」


 何の変哲もない林檎だ。きっと普通の味がするに違いない。だが自分で取ったという充実感から、アリスには美味しい気がするだろう。感情が豊かな人間のアリスにとってはそういうものなのだ。


「帰るぞ」


 手をさしのべると、アリスがその小さな手を重ねてくる。

 エトヴァスはまだ、自分に食糧以上にアリスを独占したいことに、自分がこうしてアリスと過ごす時間に愛着を持っていることに、気づいていなかった。



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