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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
四章 少女、領地を視察する
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04.エトヴァス


「私に夜の相手をさせていただけませんか」

「結構だ」


 エトヴァスは答えながら、アリスがこの女にいらないことを言ったとすぐにわかった。

 将軍の「妃」などとたいそうな地位を与えたところで、十歳のアリスがエトヴァスの夜の相手をしているわけがない。正常ならそう考えるだろうが、エトヴァスは上位の魔族で、強さがすべての魔族のなかで比較的何をしても許される立場だ。

 さらにエトヴァスはほぼ性欲が皆無であることでも知られる。

 上位の魔族など妃がいなくとも恋人、愛人がいるのが普通で、エトヴァスの弟のロキなど、妃との間子供がひとり、ほかに4人いる。魔王のオーディンも今こそ妃がいないが、かつては妃がふたり、恋人や愛人など多数、子供として知られているのは三人だが、突然増えても驚きはしない。

 それにもかかわらず、エトヴァスは妃はおろか恋人も愛人もいなかった。

 そんなエトヴァスが幼い少女を妃にしたものだから、実は変な性癖を持っていてそれがロリコンだったと考えられても不思議ではない。ただエトヴァスはアリスが食糧としてではなく領主の「妃」という立場で領民に受けいれられれば良いので、自分の評価などどうでも良かった。

 だからこの勘違いを否定しなかったのだが、アリスが夜の生活がないことをばらしたのだろう。アリスは夜の生活が何か知らないから、ばらしたとすら気づいていないかもしれない。

 なんと注意すべきか。性欲について説明すべきか。

 もともと魔族は食欲と性欲に強い衝動を持つ。そのためだいたいオープンで享楽的だ。身体機能が整う十代前半になると、みなそれなりに経験を持ち、相手を複数持つ。だが、エトヴァスはあまり性欲のないタイプで、衝動的な欲望としてそれを感じたことがなかった。

 ただ、魔王であるオーディンが言っていたことをふと思い出す。


『おまえは他人と寝た食糧を喰う気になるのか』


 彼の質問によってエトヴァスはアリスに、食糧に対する必要性以上に強いこだわりがあると自覚した。

 魔族が魔力の多寡を味に還元している限り、アリスは美味しい。アリスは莫大な魔力を持っており、誰が彼女に触れたとしてもそれは何ら変わりない。

 人間のなかでは処女を失えば魔力を失うなどと言う迷信を宗教がとなえ、聖女たるものが崇められているが、魔力がそんなことで変わるわけではない。だから、アリスがほかの人間と寝れば喰う気がなくなるというエトヴァスの感覚は合理性故のものではない。感情的なものだ。

 とはいえ、アリスは常にエトヴァスといるわけで、エトヴァスのいないところで誰かと接触することはほぼない。ましてや享楽的な魔族とはいえ、上位の魔族の餌になっている人間に性欲を抱く事はできても、安易に手は出さないだろう。

 だから、アリスが他人と寝るなどと言うのは、非常に可能性の低い想定だ。ただ不可能ではない。

 エトヴァスは比較的ものごとに慎重な質だ。だからエトヴァスは早々にアリスを「妃」という立場で対外的に広めておくことにした。

 アリスはまだ幼い。本格的に性の対象になる前にはエトヴァスの領内でも、対外的にも「妃」として明確に知られるようになるだろうし、少なくともアリスが「妃」という立場を得た限り、性欲の対象として生半可な覚悟でアリスに手を出してくる魔族はいなくなるだろう。

 本当は魔族の性欲についてアリスは知っていた方が良いのかもしれない。だがどうせエトヴァスといる限り、一生知ることでもないし、知らなくて良いとも思う。

 今回は毎日一緒に眠っているとだけ言えと注意すれば良い。嘘ではない。


「あの、でも」

「結構だと言ったはずだ」


 まだ目の前の女は話している。それ以外の話もしていたのかも知れないが、あまり耳に入っていなかった。

 エトヴァスはアリスのもとに早く戻った方が良いと考え、ソファーから腰を上げる。

 そう言えば先ほどアリスは不安そうだった。だが疲れてもいるはずなので、テンションが下がれば眠っているかもしれない。可能性としては半半といったところだ。

 眠ってしまえば、また悪夢に魘されて起きるだろう。その時、エトヴァスがいなかったことはないが、いなければどうなるかなどわかったものではない。もともと莫大な魔力を持っているのだ。魔力制御が得意で安定しているとは言え、本当に窮地に陥ればその限りではないだろう。

 むしろこの場に同席させた方が良かっただろうか。前もひとりは嫌だと言っていた。だがどんな話をされるかはわかっていたし、まだ幼いアリスを性欲の話からは遠ざけておきたかったのだ。


 エトヴァスが部屋に戻るとアリスは枕を抱きしめ、ベッドの上に転がっていた。まだ起きているらしく、エトヴァスが部屋に入るところりと動く。ただやはり疲れていて眠たいのか、ぼんやりとしていた。


「服を着替えずにベッドに転がるな」


 昔、人間と暮らしている頃に思ったことだが、服を着替えずに布団に入る同居人がいると、外で持ち帰った砂などがベッドに入るので、面倒だった。もう百年ほど前のことだが、いまでも面倒だったことはしっかり覚えている。

 アリスは枕を持ったままもそっと起きて、身を起こした。


「・・・なんの、お話をしていたの?」


 いつもどおりのおっとりとした口調。だがその高い声はどこか不安げな響きを持っている気がした。ただまずエトヴァスの注意を無視するのはいただけない。


「まずベッドから下りろ」


 言うと、アリスは大人しくベッドから下りた。だがいつものようにエトヴァスに抱っこと手を伸ばしてくることなく不安げに枕を抱きしめたままで、エトヴァスはすっとアリスの手から枕を取り上げる。


「枕もベッドの一部だ」


 エトヴァスが枕をベッドの方へと放り投げると、枕はベッドの上でバウンドした。アリスはというと所在なさげに手を彷徨わせていたが、俯いてすぐにシュミーズドレスの裾を握りしめた。縋りつきたくても素直に甘えられないときや悩んだとき、アリスはだいたいそうする。

 エトヴァスはソファーに腰を下ろし、肘かけに肘を置いた。


「先に行かせたことを、怒っているのか?」

「・・・」

「言わなければわからんだろう」


 日頃ならすぐ縋り付いてくるのに、珍しい反応だった。恐怖のあまり激しく泣きじゃくっていて、言葉が出ないと言うことはある。だが今のアリスは所在なさげに俯いているだけで、泣いているふうはない。立ち尽くしていても仕方がないだろうと思うが、エトヴァスもこれ以上の言葉のかけ方がわからない。

 そして、アリスの先ほどの質問を思い出す。


『・・・なんの、お話をしていたの?』


 エトヴァスはない腹を探られるのが面倒で、説明するかと口を開いた。だが「着替える」とアリスはさっさと踵返してしまった。

 ベッドの影でごそごそ着替えているのを見ながら、エトヴァスは小さく息を吐く。

 恥じらいというのはあとづけらしく、エトヴァスのところに来た頃は歩けもせず、筋力も弱いアリスの着替えを手伝っていたのはエトヴァスだった。別に本人も気にした様子がなかった。だが鬼で女性のメノウを連れてきてアリスの世話をさせるようになってから、彼女は男の前で着替えてはならないと教え込んだ。

 ただその教育はあまり定着していないということが、エトヴァスがアリスを連れ回すようになってよくわかった。

 何故着替えのために隠れる場所が、そもそもベッドの陰なのだろう。浴室など完全に見られない場所はたくさんある。しかも今日は着てきた服が悪く、背中にいくつも紐がついていて、それで脱ぎ着をするもののようだ。そして紐が外れないらしい。随分ともたついていた。


「アリス」

「・・・自分でできる」


 見かねて名前を呼ぶと、か細い声がかえってくる。

 本人はそう言っているが、着替えが始まってから時間がたっている。それにもかかわらずぜんぜん着替えが進んでいる気配がない。ただ本人がそう主張するのだから放っておくべきだろう。だからエトヴァスも放って、シャワーを浴び着替えることにした。

 もう疲れているだろうし、アリスのシャワーは明日させれば良い。

 そう思ってシャワーを浴び、着替えて髪を乾かし、部屋に戻ってきてみれば、アリスはベッドの陰でまだごそごそしていた。

 エトヴァスは焦ることなく本を持ってベッドに腰を下ろしてから、アリスの方を見やる。眠たくなってきたのだろう。ワンピースを脱ぐこともなくうとうとしはじめていた。


「・・・アリス」


 呆れて名前を呼べば、すくっと背筋を伸ばす。だがほどなく目をこすり出した。今日は移動もしたので疲れているのだろう。外出するとアリスはいつもこんな感じで、すぐに眠たさを訴えるのが常なので、驚きはしない。


「どうするんだ」


 もう眠たくてさきほどの意地も残っていないだろう。そう思ったが、アリスははたっと思いだしたようにまたごそごそと脱ぎ始めた。どうやら紐をいくつか外してなんとか脱いだらしい。白い寝間着に着替えたアリスは、服を掛けるためにクローゼットにかけていった。

 だが次は、クローゼットのハンガーが届かない。エトヴァスが気に入らないのかなんなのか、助けてもらいたくないのだろう。ただ、アリスはまだ子供だ。


「前途多難だな」


 エトヴァスはその姿を眺めて呟く。

 大人に助けてもらわずにすべてをこなすには、いろいろ足りないところだらけだ。これが現実なのだから、諦めれば良いのにと思うが、アリスは近くにあった椅子をずりずりと引っ張ってきた。どうやらそれの上に乗る気らしい。

 ただ半年前には歩けないほど筋力の弱り切っていたアリスだ。幼い頃から一室に幽閉されており、バランス感覚を培う機会などあろうはずもないので、既に椅子の上に乗ったときから見るからにバランスが悪かった。

 エトヴァスは仕方なくベッドから立ち上がる。

 案の定、アリスは椅子ごとバランスを崩した。椅子を持ち、アリスの体を支えて椅子の下へと下ろす。ついでにクローゼットのハンガーをとり、アリスのワンピースをそれに掛けた。それから椅子をもとあったテーブルの前へと戻す。

 アリスを見下ろすと着替えは終わっていたが、途方に暮れた顔をして立ち尽くしていた。でも眠たいらしく、目をこすっている。


「アリス」


 アリスの手を引き、エトヴァスはベッドに腰を下ろす。立っているアリスとは同じくらいの目線だ。向かい合えば、またアリスは俯いてしまう。


「理由を口にしろ。わからん」


 小さな手がきゅっと白い寝間着を握りしめている。何を考えているのか、エトヴァスには想像もつかない。長い亜麻色の睫毛が紫色の瞳の大半を覆っているように見える。だがいつまでも俯いて、黙っていても話にならない。

 頬に手をのばす。両側の頬に手をそえ、ふにっと親指で押すととても柔らかい。適度に肉がついているからだろう。そのまま無理矢理上を向かせると、アリスの亜麻色の眉がよった。

 のぞき込んだ大きな紫色の瞳は、エトヴァスのわからない不思議な感情の色に揺れていた。怒りでもない。悲しみともどこか違う。だが、不愉快なのかもしれない。近くで見てもそれくらいしか何を考えているのか、よくわからなかった。

 だがアリスも逃げられないと観念したのだろう。これ以上ないほど眉を寄せ、不安げに目をふせた。


「・・・エトヴァスは、あの人と一緒に寝るの?」

「は?」


 エトヴァスはアリスが言っていることがわからず、考える前に声が出た。


「だってあの女の人が、エトヴァスと寝たいって」

「はぁ・・・」

「エトヴァスがあの人と一緒に寝るなら、わたしは一緒に寝られないんでしょう?」

「なんで、俺があの女と一緒に寝なくちゃいけない」


 いつもどおりアリスはおっとり話すが、アリスの言っていることがエトヴァスには心底わからない。


「脈略がなくてわからん。何を言われたんだ」


 エトヴァスはアリスの頬を撫で、促す。

 アリスひとりの考えで、「あの人と寝るの?」などという発言が出てくるはずもない。だがアリスは口ごもる。そしてまたぎゅうっと自分の寝間着を握って、今度は紫色の瞳を潤ませた。

 よほど言いがたいことらしい。だから逆にすぐ思い当たった。


「俺がおまえを捨てるとでも言われたのか?」

 

 アリスがびくっと大きく肩をふるわせる。その拍子に紫色の瞳から涙が溢れた。


「ほかには?」


 アリスの口はわなわなと震えるだけでまともな声を発することすらできない。それほどショックだったと言うことだ。

 アリスは今まで母親にも、人間にも捨てられてきた。だから捨てられるという単語に非常に敏感で、魘されているときですらも、捨てないでと繰り返す。エトヴァスに捨てられることを、これ以上ないほど恐れている。

 相手も大して考えて口にした言葉ではないだろうが、アリスへの効果は絶大だ。

 もしかすると先ほど部屋にひとりで戻れと言ったとき、いやだと言いたかったのかも知れない。だが言葉が出てこなかったのだろう。僅かな違和感はあったのに確認せずあの女と話すことを選んだのは、エトヴァスのミスだ。


「記憶を見ても良いか?」


 エトヴァスは三角の魔術の構造式の浮かぶ手のひらをアリスに向ける。アリスが手を重ね、自分の渡したいとおもう記憶を浮かべれば、すぐに記憶はエトヴァスに渡る。

 じっとエトヴァスが紫色の瞳を見ていると、彼女は迷うことなく寝間着から手を離し、とろとろとエトヴァスの手に自分の手を重ねる。アリスにとって、その方が悲しい言葉をもう一度口に出すよりはずっと簡単だったのだろう。

 エトヴァスはアリスの小さな手を眺めながら、ゆっくりと伝わるアリスの記憶に意識を傾けた。



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