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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
四章 少女、領地を視察する
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01.アリス


「これは、鹿」

「正解」

「やぎ」

「正解」

「・・・ぶた?」

「猪」


 アリスが言うと、エトヴァスが最後の一つだけを訂正した。

 少し前に動物園に行き、動物について勉強した成果は上々のようだ。アリスはあらためて柵の中にいる動物を見て、不思議に思う。アリスの魔力探知で、彼らはそれなりの魔力を持っているように感ぜられる。魔力をもつ生きもの、つまり魔物である。


「鹿をエイクスュルニル、山羊をヘイズルーン、猪をセーフリームニルという。いずれも魔力を持つ、魔族向けの家畜だ」


 エトヴァスが説明してくれる。

 この柵の中で飼われているのはいずれも魔族向けの家畜らしい。魔族は魔力を持つ生きものを襲う。魔族が人間を襲うのは、人間が個体としては弱く、それにもかかわらずかなりの魔力を有する生きものだからだ。

 しかし千年前に大魔術師ルシウスにより要塞都市に対魔族結界が張られてから、魔族は人間を捕らえることは難しくなった。とくに低級、中級の魔族は飢えにさらされることとなり、こうして魔力のある生きものを家畜にすることで、生活するようになった。

 今では魔力が大きく、莫大な魔力のある生きものを捕食せねば自分の魔力を維持していけないような将軍職にある上位の魔族以外、あまり人間を食さないのが一般的だという。


「冬になれば弱っているこうした動物は寒くて自然に死んでしまう。だから先に殺して肉にし、保存食にする」

「保存食?」

「ソーセージや燻製、塩漬けだ。たまに出てくるだろう?」


 確かに、アリスたちの食卓にも出てくる。アリスはソーセージなどがどうやってできるかなど考えたこともなかったので、目の前の動物たちと食べたご飯を思い浮かべる。だがつながるところがまるでない。


「・・・もしかして、ソーセージにするのって、とても大変?」


 アリスが尋ねると、近くにいた魔族の老人が無表情ながら口を開いた。


「手順まで、見て行かれますかいね?」

「結構だ。次がある」


 エトヴァスが答えて、アリスの背中を押す。


「あまり時間はかけていられない。十分ほど歩くぞ」


 エトヴァスは近くにある領地管理人の魔族の館が目的地だと言っていた。歩きながらアリスは周囲の景色に目を向ける。

 将軍職にある魔族にはそれぞれ支配地域があり、そこは魔王でも手を出すことができない。見渡す限りの緑の牧草地帯と点在する家畜用の柵、その奥には赤いや黄色に色づいた森が広がっている。そして山々。見渡す限りのこれがすべてエトヴァスの領地だという。

 ここはいつも住んでいる城から竜で1時間ほどの場所だが、視察のために北と南にある領地管理人の屋敷に行き、今年の取れ高や冬の準備などを確認するのが、秋の恒例だとエトヴァスは話していた。だいたい家令のヴィントと手分けし、今年はヴィントは北の領地管理人を、エトヴァスが南の領地管理人を訪う予定らしい。

 だから今、エトヴァスが家畜の説明をしてくれたのは視察のついでだろう。もしかするとアリスに説明するため魔族の館から少し遠くに竜を下ろしてくれたのかもしれない。


「行くぞ」

「うん」


 手を差し伸べられ、その手に自分のそれを重ねる。今日はお互いに手袋をしているせいか、あまり体温は感じなかったが、それでもやはり手をつなげば安心できた。

 秋も終わりに近づき、毎日寒くなってきている。

 そのためエトヴァスも今日はいつもの白いシャツと黒いズボン、ベストの上から、ベージュの薄手のコートを着ていた。彼は身長が高く体格も良いので、コートはとてもよく似合うし、コートの色が薄いので風に揺れる明るい金色の髪と金色の光彩の入った翡翠の瞳や彫りの深い顔立ちがとてもはえる。

 今日も格好良いなぁと思うのはきっとアリスのひいき目なのだろう。

今回は視察のため、アリスもなぜかヴィントと世話係のメノウに念入りにみづくろいさせられた。

 足下まである真っ白のシュミーズドレスにはレースがふんだんに使用されていて、裾がAラインになっていてふわふわする。上には二列に金色のボタンの並んだ臙脂のベルベットの長めのコートを着せられ、足下は白い靴下とブーツをはくことになった。

 頭には同じく臙脂色のもこもこの帽子を被せられた。これはチンチラという動物の毛皮を染めたものらしい。アリスはチンチラを知らないが、ヴィント曰くおおきな鼠に似た動物と言っていた。

 


「寒くはないか?」

「うん」


 頬を撫でる風は、とても冷たい。日々冷え込んできている気がする。だが装いのせいかさほど寒さは感じない。

 ただエトヴァスは秋が近づいてから、アリスが寒くないかをすぐに確認するようになった。

 人間は冬によく風邪を引くらしい。アリスがエトヴァスのもとにきてから風邪らしい風邪は、エトヴァスが思いっきり血肉を奪って貧血になった時にひいた一度きりだが、冬になると流行病というのがあって、寝込み、そのまま死ぬ人間も多いそうだ。

 そのためエトヴァスはアリスの体調に気を遣っている。

 アリスの血肉を毎日食べているエトヴァスにしてみれば、アリスが体調を崩してしまえばそういうことはできなくなるわけで、死活問題だろう。

 魔族は食欲と性欲にこだわると言うが、エトヴァスは性欲はあまりないと言っていた。アリスもそちらはよくわからないが、食欲には絶大な衝動と欲望があるので、食糧であるアリスが健康的で精神的にも安定した生活が送れるように心を砕いてくれている。

 そう考えると、柵の中の家畜とあまり変わらないのかも知れないが、それゆえにエトヴァスはアリスに誰よりも優しい。

 だから母親に人間の対魔族結界の動力源として要塞都市に捧げられ、挙げ句の果て生まれ持った魔力故に人間によって魔族のエトヴァスに差し出されるという裏切りにあったアリスとしては、食糧としてでも何でも、エトヴァスに満足だった。

 遠くでは、魔族が木を切り、それを小さくしている。かん、かんという音に視線をやると、エトヴァスが口を開いた。


「あれが薪割りだ。あの薪を冬のあいだ火にくべて、部屋を暖かくする」

「たくさん集めるんだね」

 

 彼らの近くには、薪が山のように積まれている。あれでも足りないのだろうか。


「あぁ。このあたりは雪が降るからな。雪のなかでは薪を探すのも難しくなる。一二月から三月までは雪のなかになるから、四ヶ月分。まだまだだろう」

「雪って、すごいんだね」


 アリスは要塞都市の窓すらない一室に幽閉されて育った。だから、外の世界にいたのは四歳くらいまでで、当然あまり覚えていない。

 エトヴァスのところに来たときは二月で、エトヴァスは雪が降っていたと言うが、恐怖のあまり俯いていたアリスは何も見ていなかった。そのあとも話せなかったり、歩けなかったりで、少しずつそういうことができるようになり、落ち着いて外を見られる頃には春になっていた。

 だから、初めての冬だ。皆が雪に備えているのを感じるが、その雪をアリスはまだ見たことがない。

 道を歩いて行くと、黄銅色の草の沢山はえた道に出た。両側が見渡す限り、その黄銅色が続いていてさわさわと音を立てていた。ただ、既に一部が刈り取られている。


「これは麦だな」

「むぎ?」

「パンになる」

「え?」


 この草がパンになるとはどういうことなのだろうか。アリスが首を傾げていると、エトヴァスが刈り取られたあとの穂を一本拾い上げた。

 それは粒がいっぱいついていて、それを親指ですりあわせると、少し茶色っぽい楕円のものが出てくる。


「これが種だ」

「たね?」

「これが植物がはえてくるもとになる。ただこれを乾燥させ、すりつぶすと小麦になる」

「こむぎ・・・?」

「パンのもとだ。作ってみないとわからんだろうな。どちらにしてももともとは人間の文化で、ここ百年ほどで急速に普及した」


 エトヴァスは説明に限界を感じたのか、あっさりとそういって説明を切り上げた。


「エトヴァスはパンを作ったことがあるの?」

「あぁ、人間のなかで暮らしてた頃にな」


 彼はよく、百年前に人間のなかで暮らしていた頃の話をする。彼の人間に対する知識は、ほとんどその頃の話だ。


「エトヴァスはどうして、人間のなかで暮らしていたの?」


 アリスは不思議に思って尋ねる。

 彼はいつでも長い寿命があって暇だ。でも合理的なことしかしない。物事にたいした興味も持たない彼なので理由もなく人間のなかで暮らそうとは思わなかっただろう。

 

「食糧のため」


 エトヴァスは臆面もなく口にした。

魔族は食欲と性欲に異常な執着を示す。だからアリスもそうだろうなと思ってはいたが、それが人間のなかで暮らすのにどうつながるのかがわからない。アリスが疑問に思っていることが伝わったのだろう。エトヴァスはアリスの手をひき、また歩き出してから口を開いた。

 頬を冷たい風が撫でていく。凍り付くほど冷たい風ではないが、それでも日々冷え込んできている。


「ある人間の男がな。俺に喰われても良いと言ったんだ」

「・・・う、うん」

「前に言っただろう?おまえと同じくらい、美味しかった男」


 エトヴァスは百年前、人間を喰ったと言っていた。莫大な魔力を持つ、人間だったと。それは魔術師で、エトヴァスの弟のロキが言うには、アリスが持つ杖の持ち主だったという。


「あいつがな、十年後に自分は死ぬ。だから十年人間の中で暮らしたら、死体になったあと喰っても良いと言ったんだ。あいつとは二年くらい暮らしたな。・・・魔王討伐とか言って、どこかに行ってしまったが」


 奇特な、話だった。


「なんだか、わからない話ね」


 相手は人間だ。そもそも彼はどうして十年後に自分は死ぬとわかっていたのだろう。病だろうか。死体なら喰われても良いと思ったのか。どれも、なにもわからない。

 そしてもう、百年以上前の話で、きっと死んだ彼以外理由は誰にもわからない。

 エトヴァスは別段その男がそうした理由について、「そうだな」とわからないと言うことについては同意しつつ、あまり興味がないようだった。


「魔術で行動契約まで付与してもらったんでな」


 ともに十年間を過ごす前に、魔術で契約を付与し、最初の条件を守るように行動契約をしていた。だから、十年人間のなかで暮らしたとエトヴァスは何でもないことのように言う。

 実際に百年前の彼以降、エトヴァスはアリスまで人間を食べていない。エトヴァスからしてみれば、十年人間のなかで暮らせば、百年の滋養を持つ血肉が手に入る。悪くない契約だっただろう。

 ただ、当の本人は何を考えていたのだろうか。


「今でもあの男に興味はないが、その時得た見識は、おまえに役立っている」


 エトヴァスはそう言って、アリスを見下ろす。

 アリスは十歳前後だが、幽閉されて育ったうえにエトヴァスに差し出されているため、人間の生活などほとんど知らない。逆に魔族のエトヴァスの方が人間とはどういうものなのかよく知っていて、アリスに教えている状態だ。

 そう考えると、百年前に喰われてしまった彼は、アリスを助けてくれているのかも知れない。


「城に戻ったら、パンを作ってみるか?」

「え、いいの?」

「冬は長くて暇だからな。外にも大して出かけられないし、竜の足も鈍る」


 エトヴァスが言ってくれるのが嬉しくて、アリスは笑う。

 自分は彼の食糧で、その彼と自分のご飯を作るというのは不思議な気分だったが、彼と何かをするのが嬉しくて、アリスは楽しみで仕方がなかった。



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