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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
三章 少女、魔族の将軍会議に出る
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18.フレイヤ


「うそ、でしょ・・・」


 フレイヤは拘束されている魔術が解けると同時に、思わず呻いた。

 体中が痛いとはいえ、致命傷ではない。暴発した魔力で異空間を割られると同時に吹っ飛ばされただけだ。魔族であればそれほど大きな傷にはならない。だがフレイヤはのろのろだが立ち上がった。それよりも信じられない。


「私を、殺さないなんて・・・」


 目の前にいるビューレイストを見上げる。彼はもう興味もなさげに視線をそらし、小さな少女を抱き上げていた。

 彼は先ほどまで剣を構えていたのに、フレイヤを見逃すと言った。しかもこんなちっぽけな少女がフレイヤを庇ったがために、自分を見逃すと言ったのだ。

 上位の魔族にとって人の食糧に手を出すというのは、殺されても仕方ない行為だ。食欲と性欲は魔族にとって一番重要な欲望で、当然食べる気はなかったとしてもビューレイストの食糧であるアリスに手を出した時点で、フレイヤは彼に殺される覚悟をしていた。

 だが、ビューレイストはフレイヤを殺さないという。


「なんで、庇ったりすんのよ」


 フレイヤは紫色の瞳の少女を睨み付けた。ビューレイストの腕に抱かれた少女は、ただ曖昧に笑うだけだった。

 アリスの能力を恐れ、異空間に閉じ込めてアリスを殺そうとした。

 フレイヤの異空間は、フレイヤが魔力で作り出す魔術で、とくべつなものだ。アリスにかけられている防御魔法を、フレイヤは破ることは出来ない。かわりに外から彼ですらも破れない異空間にアリスを閉じ込めて異空間を縮小させ、そこに閉じ込めたままにすることでアリスを殺そうとした。フレイヤはアリスを殺そうとしたのだ。

 仮にそのすべてがビューレイストの手の中だったとしても、フレイヤがアリスを襲い、アリスがかろうじて自分の魔力の暴発で助かった。これはなんの疑いもない事実だ。


「ロキさんから庇ってくれたから、かな」


 アリスはおっとりと、甘いことを言った。


「それは、ロキに渡せば結局あいつの力を高める結果になるからよ」


 別に純粋にアリスに情があって彼女を庇ったわけではない。ただロキがアリスを喰ってこれ以上力をつけたら困ると思っただけだ。


「そうだけど、でも守ってくれたのは本当だから、わたしも一度だけは庇うよ」


 アリスはいつも通り紫色の瞳を細め、無邪気に笑って見せた。それから真剣な表情で、フレイヤをみすえる。


「ごめんね。わたしは、まだ魔術とか魔力制御とか習い始めたばかりで、フレイヤさんの考えはわからないの。魔族のためとかも、よくわかんない」


 アリスはまだ自分のもつ恐ろしい力の価値がわからないという。人間なのだから、魔族のためというのもぴんとこない。それはまさに彼女の本心だろう。

 そして「でも、」とアリスは続ける。


「でもわたしはまだ死にたくない」


 ずきっとフレイヤの心がナイフで刺されたように痛む。


「今が楽しいから」


 アリスが小首を傾げて笑う。


「人と話せて、・・・人じゃないけど、誰かとご飯を食べたり、宿題をしたり、本を読んでもらったり、勉強を教えてもらったりする時間がとても楽しいの」


 アリスがおっとりと並べるのは、あまりにたわいのないことばかりだった。フレイヤたちならささやかで、つまらなくて、簡単にかなえられるはずのものだと一笑に付してしまうようなもの。そんなちっぽけなものが大事なのだとアリスは笑う。


「随分と・・・小さな、楽しみだね」


 静かに聞いていたバルドルが苦笑を漏らす。そう、本当に些末で、小さな楽しみだ。

 フレイヤの胸が酷く痛むのは、それが彼女にとってどれほど長い道のりの末に手に入れたものかをしっているからだ。


「でも、それしか知らないの。だから、わたしはまだ死にたくない」


 それが彼女の結論だ。魔族や人間のことなどなにも口にしない。ただ、「今」しか見ていない、まさに子供の意見だ。しかし、これが彼女の本質であり、飾らない答えだろう。


「こんな男の隣でも?」


 フレイヤの口から言葉が溢れる。

 彼女を抱えるビューレイストは人食いの化け物だ。アリスを一生食いものにする。たしかに彼女の言う幸せで些細な日常をあたえてくれるのかもしれない。だがその代償に彼女の人生のなかの普通の幸せは、彼にすべて奪われるだろう。


「そんなことないよ。わたしにとっては一番だよ」


 アリスは首を横に振った。


「それにわたしのために一都市滅ぼしてくれるよ」

「・・・」


 違いない。

 アリスという食糧を守るために、ビューレイストはなんだってする。今もこうして、アリスの望みをきき、魔族の暗黙のルールを破ってフレイヤを見逃した。

 食欲は魔族の本能だ。食糧であるアリスを独占し、守りたいとするのも、純血の魔族らしい本能だ。だがそれが魔族としての彼の行動に待ったをかける。すくなくとも少しずつ行動規範に変化をもたらす。


「でも・・・よく考えたら、エトヴァスの方がずっと怖い人だよね?」


 アリスが首を傾げて、彼を見やる。


「当たり前だろ。おまえはあと100年で終わりだが、俺はまだまだあとが長い」


 アリスはまだ危険な可能性があるだけだ。

 その潜在的な能力で、魔族のなかで戦いを誘発する可能性があるだけ。だが、ビューレイストは既に実力も何もかも確立された魔族で、実際に要塞都市クイクルムの対魔族結界も破壊している。かつては魔王を倒した有名な魔術師も喰っているし、アリスもいつか喰われるだろう。

 実際に怖いのは間違いなく、ビューレイストの方だ。


「・・・私、小心者だわ」


 先ほどのビューレイストの言葉を、フレイヤは認めざるを得なかった。フレイヤはまさに小心者だ。

 純粋に怖かった。アリスの能力が。自分ではまったく太刀打ちできない得体の知れない能力が怖かったのだ。だが冷静に考えれば、アリスはまだ魔力制御や魔術を習い始めたばかりの子供で、彼がいる限りフレイヤが殺せる可能性は低い。

 不安に駆られ、色々理由付けをしてまで冷静さを欠いたのは、やはりあの能力にフレイヤ自身が恐怖したからだ。


「純血の魔族の方がよっぽど脅威よね」


 アリスよりやばい奴らなどいくらでもいる。

 多分アリスを殺そうと思えたのは、怖いながらもアリス自身が今なら殺せそうなほど弱い相手だったからだ。ビューレイストやロキのような純血の強い魔族なら、殺せるとは到底思わない。

 小心者で本当の驚異を見失っていたのは、フレイヤのほうだ。


「ごめんなさい。アリス」


 フレイヤはうつむき、心からの謝罪を口にする。相変わらずエトヴァスに抱かれたままのアリスは、へらっと笑った。


「うん。じゃあまたかわいいって言ってね」

「・・・なによそれ」


 あまりに予想外のことを言われ、フレイヤは虚を突かれる。すると、アリスは真面目な顔でフレイヤを見返した。


「エトヴァスはきっと頼んだら髪を三つ編みにはしてくれると思うの。でも心のこもったかわいいは絶対言ってくれないから」


 バルドルがこらえきれなくてふき出した。

 確かに、ビューレイストは器用そうだ。魔術であれほど器用なのだから、子供の髪の三つ編みぐらい出来るかも知れない。そしてアリスが「かわいい」と言ってほしいと言えば、思ってもいない「かわいい」を淡々と言ってくれるだろう。

 だがそれはアリスの望んでいるものではない。


「そりゃ魔族の男を選んじゃだめよ」


 感情の起伏の乏しい魔族の、しかもより酷い純血の魔族の男など、心を込めてそんな感情豊かなことなど言ってくれない。恐らく理解もできない。他人をかわいいなどと思ったこともないだろう。


「でもそれ以外がとてもいいから仕方がないの」


 アリスは嬉しそうにビューレイストの首に腕を回して笑っている。

 まるで自分で選んだような言い方だ。本当は違う。なんの選択肢も与えられなかった。母親から、人間から捨てられ、追い詰められ、たどり着いた先がたまたまビューレイストのもとだっただけだ。それでもアリスは満足げに笑って見せる。


「・・・そうね」


 それは血肉を喰らう、ばけものだ。アリスは親や人間から自分が得られなかったものを、ビューレイストのなかに求めている。だがそれは危険だ。獰猛な化けものにそれを求めている。きっとそれがどれほど歪で危険なことか、わかっていない。

 いや、わかってもアリスはここで生きるしかない。他を知らないから、それでいいと言うのだろう。


「アリス、わかってるな」


 ビューレイストがアリスに念を押す。その翡翠色の瞳でフレイヤを見ている。きっとフレイヤを疑っているのだろう。むしろ彼こそフレイヤをこの場で葬りたかったはずで、そのための準備をしていたに違いない。

 しかしアリスはフレイヤを庇い、彼はアリスのためにフレイヤを殺さないという決断をした。

 だからフレイヤも自分のなかにある恐怖に蓋をすることにした。アリスに対する懸念が消えたわけではない。ただ先ほどまでは命を懸けてその命を奪わなければならないと思っていたのに、今や緊急性がない気がするのだから不思議な心地だ。

 フレイヤはふらつきながら立ち上がる。魔族なら本来魔力があれば傷は再生するはずだ。だが、彼女の魔力にはなんらかの特別な形質があるらしい。それを知ってか知らずか、アリスは悲しげにフレイヤの治らない怪我を見た。


「ごめんね。怪我させて」

「謝られるようなことじゃないわ」

 

 フレイヤはアリスを殺す気だった。怪我ですましてもらえるだけ、上々なくらいだ。ただアリスは自分の魔力の暴発で怪我をさせたと思っているらしい。


「・・・フレイヤには、二度とこんなことはさせない」


 バルドルがビューレイストに向けて言う。

 フレイヤは穏健派の人間だ。中道派、それも魔族のなかでも一、二を争う実力を持つビューレイストを穏健派のバルドルは敵に回したくない。だからこそ、監視を買って出る。


「そうしてほしいものだな」


 ビューレイストはフレイヤから視線を外し、アリスを抱き直した。

 上空から緋色の竜が下りてくる。相当大きな竜で、ふたり乗るのも問題ないだろう。エトヴァスが飼っている、魔族たちがもつ竜のなかでも有数の大きさを誇る竜だ。


「お手紙、書いてね」


 アリスは無邪気にフレイヤに手を振っている。それを見ながらフレイヤは表情が歪むのをこらえた。エトヴァスとアリスが竜に乗るのを見送ってから、バルドルが呆れたように息を吐く。


「二度とするなよ。次は僕が君を殺すことになる」


 バルドルの言葉にフレイヤは俯く。

 アリスへの恐怖、ビューレイストに踊らされたこと、アリスの笑顔、すべてを思いだし、フレイヤは目をつぶって空を見上げた。曇天の空には竜達が行き交う。それが歪むのを、ぼんやりと見ていた。

 強くならなければならないと思った。


フレイヤさんはいつも全体的にちょっと考えが足りない

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