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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
十六章 少女、千年を遡る(後編)
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08.ラウフェイ


「ビューレイスト、アリスはどうだ」


 息子の部屋を訪れたラウフェイは、静かに尋ねた。暗い部屋のなかで、寝台の上で少女を抱える息子の明るい金髪が闇に映えていた。


「怯えていたため寝付きが悪かったが、一時間ほど前に寝た」


 淡々とした落ち着いた声音だが、その翡翠の眼差しは腕の中で眠る少女に向けられている。

 ラウフェイやビューレイストと城に戻ってから、アリスはヨルズを袋だたきにする魔族の光景があまりに恐ろしかったせいか、随分と沈んでいて言葉もないようだった。人間は魔族より感情豊かな生きものだ。あの場にアリスが必要だったとはいえ、精神的な負荷は大きかっただろう。

 そしてそれは、恐らくオーディンの妃であるフリカも同じだ。


「そうか」


 ラウフェイは廊下から部屋へと入り、椅子に腰をかける。

 アリスは身動き一つせず、ビューレイストの腕の中で眠っている。だが目元は真っ赤だ。人間は魔族と異なり、魔力があっても傷は再生しない。一定期間のこり続ける。そこから細菌が入り、死ぬこともある。

 脆弱な肉体と、脆弱な精神しかもたない人間。頑強な肉体とあまりに感情の鈍い精神しか持ち得ない魔族がそれを守るには、相手を観察することによって自分に感じないことまで理解する、些末なことまで気づく細やかさと頭脳が必要だ。

 それがなければ、どうせろくなことにはならない。


「ビューレイスト、もしおまえがオーディンなら今回の件をどう処理する?」

「今の俺にはなんの力もない」

「おまえがオーディンの立場と力を備えていたとして、だ」


 今のビューレイストは確かに何の力もない子供だ。しかしながら、千年後の未来では違うだろう。自らの「妃」であるアリスを自らの力で守るはずだ。オーディンと同じように。だが、その力をふるうのも、ふるい方を考えるのも、ビューレイストだ。

 そして、それが千年後を決める。


「俺ならアリスの恐怖を考慮して、なにがなんでもヨルズとは会わせんな。こうして随分と尾を引く」


 ビューレイストは腕のなかにいる少女に視線を落とす。些細なことで飛び起きたり泣いたりするアリスの弱さが、人間の習性故なのか、アリス固有のものなのかはラウフェイにもわからない。それでもビューレイストは、アリスという存在を冷静に見据え、対応する。

 ヨルズのつるし上げとアリスのお披露目の両方を広間で、部下の立ち会いの下で一緒に行ったのは、アリスがオーディンの娘であり、手を出せばヨルズのようになるとより強く印象づけるためだろう。その意図もまた、ビューレイストは正しく理解している。

 だが、それでもビューレイストはアリスの恐怖を考慮し、それをしないという。


「もちろんオーディンと結論は変わらん。ヨルズの一族は皆殺しにする。アリスとはよく話し合い、ヨルズの一族の皆殺しが牽制として必要だとも説く。自分の部下たちにも、お披露目はするだろうな」


 ビューレイストも人間の妃と子供を害した別の将軍とその一族を牽制のために皆殺しにするという結論はオーディンと変わらない。アリスを部下たちにお披露目する場所が必要だというのも、オーディンの判断と同様だ。

 それを説得するとビューレイストは言うが、簡単ではないだろう。


「一族ごと皆殺しにするという意見にアリスが反対すると、思わんのか」

「思う。だが、アリスは恐らく俺が必要だと強硬に主張すれば、よほどのことでなければ納得する。とくに今回はトールがいるしな。逆に楽な話だ」


 ラウフェイが息子に問うと、彼はあっさりと言った。

 温厚な人間のアリスは、牽制としてヨルズの一族を皆殺しにすることに難色を示すだろう。しかしアリスはトールに慕わしさがあるようだ。ヨルズの一族とはいえ、ヨルズの息子であるトールを見逃すことを望む。

 逆にビューレイストはそれを利用し、トールを見逃す代わりに、その他は諦めろとアリスを説得するつもりなのだ。

 ビューレイストはトールへの慕わしさ故に、アリスがそれに同意するだろうと考えている。


「おまえは賢しいな」


 ビューレイストは頭が良い。

 感情を自分のものとして理解出来なくとも感情的なアリスを利用し、感情的にアリスを納得させ、残酷なこともアリスにとって受け入れやすくする。むしろトールをひとり見逃すだけで、アリスはビューレイストに感謝するだろう。積み上がった屍など、忘れたかのように。

 これが恐らく感情豊かな人間の恐ろしいところだ。無意識に、そして感情的に片側を見ないようにできる。


「アリスはそもそも未来の俺の面影に縋り、今の実力も何もない俺がいないと寝食もまともにできないような精神的に弱い女だ。戦略上問題のないことなら、その情に配慮して多少妥協してやればいい」


 仮にアリスの命に関わることなら、ビューレイストは妥協しない。だが、トールは母親のヨルズに加担したわけではない。こちらを襲わない、守るという行動契約をさせて放逐すれば、それで事足りる。それひとつでアリスの心が軽くなるのなら、その程度の妥協はビューレイストにとってなんてことはない。

 だが、恐らくオーディンにとっては違う。


「おまえ、オーディンはどうすると思う?」

 

 ラウフェイが尋ねれば、ビューレイストは目を瞬く。興味がないから、特段考えたことがなかったのだろう。


「・・・どうだろうな。オーディンの妃のフリカは、よくトールと食事をともにしているらしいから、トールを見逃せと言いそうな気がする。ただ、オーディンは自分の都合を優先し、トールも含め、皆殺しにするだろう」

「だろうな」


 ラウフェイもビューレイストとほぼ同じ見解だ。

 フリカは性格からして恐らく継子であるトールを庇う。オーディンはヨルズの一族を殺すという観点から自分の息子であってもヨルズの息子のトールを殺すだろう。

 

「もちろんフリカは魔術師としてアリスほどの腕前はない。オーディンの言いなりだとは思うが、」


 ビューレイストはフリカとオーディンの実力差、能力差も考慮している。

 アリスは莫大な魔力を持ち、将軍でも有数のラウフェイの防御魔術を問答無用で破壊するような力も持っている。ラウフェイはもちろんビューレイストであっても、とっさにアリスを阻むことは困難だろう。アリスもそれがわかっているから大胆な行動に出る。

 それに比べ、フリカは腕の良い魔術師ではあるが、決定的な力を持たない。所詮はオーディンに宮殿に閉じ込められる、鳥籠の鳥だ。

 鳥籠の鳥の言うことなど、オーディンはまともに取り合わない。


「・・・フリカはアリスよりも自由がない。はたして精神的に耐えられるのか」


 ビューレイストはそっとアリスの髪に自分の指を絡める。

 フリカはなんの自由も与えられていない。気を紛らわせるもののない鳥籠に閉じ込められ、アリスとは異なり外に出るという自由すらも与えられない小鳥だ。その心を踏みにじり続ければ、感情的な小鳥はどうなるのだろうか。

 もちろんビューレイストにフリカに対する同情や哀れみはない。単に合理的にアリスの感情と比較し、疑問に思っているだけだ。


 ラウフェイもそうだ。フリカに対して情があるわけではない。

 だが、自分の血脈を受け継ぐために、アリスの感情を考慮する。優秀な器であるアリスが自分の息子であるビューレイストとやっていけるのかどうかだけを考える。もしやっていけないのなら、ラウフェイには他にも息子がふたりいる。その他にあてがっても良いからだ。

 ただやはり、ラウフェイの目に狂いはない。ビューレイストは頭が良い。そしてアリス以外の物事に対してなんのこだわりもないからこそ、アリスの感情に配慮し、あっさりと妥協できる。


「もうひとつ。ビューレイスト、おまえはバルドルを許容できるか」


 ラウフェイは静かに目を伏せ、最後の確認をする。

 アリスはどう見てもバルドルに情がある。バルドルも同様だ。将来的にも間違いなく両者はなんらかの情を共有するだろう。純血の魔族が一生かかっても理解できない情だ。それが一線を踏み越えないような情なのか、ラウフェイは知らないし興味もない。それはビューレイストも同じだろう。

 ただそれを許容できるかどうかが重要だ。

 感情の起伏に乏しく、食欲と性欲に固執し、利益を重んじる純血の魔族であるビューレイストにとって、「信じる」という神経は存在しない。不愉快だと思えば、いや、思う前に不愉快を一瞬でも感じ、相手に勝てる、排除可能だと思えば襲う。それが、純血の魔族だ。

 だが利益という利用価値が、利用価値を理解できる頭脳が、不愉快を押さえ込む。


「もちろんだ。あれは、アリスを繋ぎ止めるための首輪だ」


 ビューレイストは僅かに口角を上げた。


「奴は恐らく、アリスに情緒の持ち方や宥め方を教える」


 バルドルの情緒は、感情豊かな人間との混血故に極めて人間に似る。だが、魔族の社会で育った魔族であり、今は人間の情緒を抱えていても、人間の母を失い、千年後のアリスの時代に行き着くまでに魔族の価値観のなかで人間の情緒をどう宥めていくのか、理解していくはずだ。

 共感性の低い純血の魔族であるビューレイストには、アリスに情緒の持ち方や宥め方は絶対に教えられない。バルドルはアリスにそれらを教えると同時に、その内容は魔族と生きて行くに遜色ない、すでにバルドルが長い時間をかけて己で試した方法だろう。

 

「そして血と情で互いを縛る。家族の存在は、必ずアリスの首輪になる」


 人間は血筋に愛着を感じる。情を感じる。魔族の支配領域で異質とも言えるその情緒は、両者をかけがえのないものにするだろう。両者のつながりを強固にする。失えないものだと、かけがえのないものだと感じるはずだ。

 そしてそれがアリスへの首輪になる。いや、それを首輪にしなければならないのだ。

 アリスはビューレイストとはじめて出会い、血肉を奪われたとき、ビューレイストが未来の彼女の言う「エトヴァス」と別人だと考えていた。そして他者に喰われたのだとショックを受け、簡単に自分の命を絶とうとした。

 両親に捨てられ、人間に裏切られ、なにも持たないアリスは、命でもなんでも、簡単に捨てられる。自分一人の感情の持ち方でどうとでもできた。ビューレイストとの関係が悪化すれば状況を確認することもなく簡単に自分を切り捨てることができる。

 だが、バルドルが悲しむと思えば、わずかなりとも命を失うことを躊躇うはずだ。

 少しずつそうさせていかねばならない。


「だから俺はバルドルを許容できる」


 ビューレイストは心からバルドルの存在を歓迎している。

 アリスと近しいバルドルの存在を不愉快に思いながら、なにも持たないアリスがバルドルに情を持つことを望んでいる。それはバルドルを傷つけると脅せば、アリスが絶対的に言うことを聞く、ということでもあった。

 だから、ビューレイストはアリスがいる限り、バルドルを不愉快に思いながらも、彼が一線を越えない限り、アリスに対して極めて利用価値の高い存在として許容し続けるだろう。そしてバルドルも馬鹿ではない。彼は、絶対に一線を越えない。


「おまえがそこに想いをはせられるのならば、大丈夫そうだ」


 ラウフェイは息子をまっすぐ見据える。ビューレイストも顔を上げた。

 その明るい金色の髪も、翡翠の瞳も、ラウフェイにはまったく似ていない。ビューレイストは容姿も身体能力も、父親である魔王ファールバウティに似た。

 だが、その性格は周囲が言うとおり、間違いなくラウフェイによく似ている。

 ラウフェイは莫大な魔力を持って生まれてきた。幸い魔術の才能もあった。頭も良く、苦もなく若い内に将軍になった。魔王になるほどの野心はなかったが、この頭脳故に有数の将軍として適当に数千年を生きてきた。

 そんなラウフェイが魔王ファールバウティと子供をもうけたのは、ファールバウティに求められ、子供を作っても良いかと思った、それだけだ。

 ビューレイストはそうしてラウフェイが産んだ最初の息子であり、この息子の特別な魔力の形質がラウフェイに死をもたらす結果となった。

 魔力があれば肉体が再生するという魔族の形質と、息子の魔力に削られ続ける身体機能を比べ、再生速度のほうが僅かに遅いことに気づいた時、ラウフェイは正直、素直に焦った。自分の限られた未来に目を向けてはじめて、まずいと思った。

 ラウフェイはまず、再生魔術などの方法がないかを探った。ただそれがないことがわかったとき、今度無理をしてでも子孫を残したくなった。だがビューレイストの魔力に削られた身体機能で出産までこぎ着けられたのは、ビューレイストをのぞいて二回だけだった。ほとんどが流産するはめになった。

 それでもビューレイストがいなければ、自分に終わりが見えなければ、ラウフェイは淡々と日々を退屈だと思いながら生きていただろう。


 きっとビューレイストも同じだ。


 アリスが未来に帰り、アリスの記憶を失い、未来にアリスと出会うまで、ビューレイストも長い間、退屈な日々を過ごすのだろう。だが、ビューレイストには未来のアリスに会うまでにしなければならないことがある。

 アリスに出会うまでに、彼はアリスを守れるようにならねばならない。でなければ未来で、アリスを守ることなどできない。

 優秀な未来を遺すために、ラウフェイはビューレイストを、そして莫大な魔力を持ち、常に上位の魔族に狙われることになるアリスを守らねばならない。ビューレイストを、アリスを守れるほどの男に育てねばならない。


「ビューレイスト」

「なんだ」

「私の眼はおまえにやる。おまえが持って行け」


 ビューレイストの翡翠の瞳が大きく見ひらかれる。


「何故だ」

「近いうちに私は死ぬ。といっても魔族の常識範囲で近いうちだ」

「そうか。だがそれと眼となんの関係がある」


 ラウフェイが死ぬことには一ミリの興味もないらしい。どんなにアリスに情をかけられても所詮、感情の起伏に乏しい純血の魔族だけはあると内心で笑いながら、ラウフェイも別にビューレイストを可愛いなどとは思わない。

 そもそも可愛いとか愛情など理解できたことはない。その全ては合理的な判断からだ。


「私の子供のなかで、おまえが一番頭が良くて強い」


 もう次の子供は望めない。ならば三人いるどれに眼を託すか、それは三人の優秀さを総合的に判断して決めることになる。


「魔族とはいえ、生物など子孫が遺せてなんぼだ。その点、おまえとアリスの未来が、一番有望そうだからな」


 魔族でありながら、ラウフェイの命にはもう永遠がない。そう考えれば人間と同じで未来を残さねばならない。そう思えるようになった。


「俺は子供に興味はない」

「それでもあの小娘は間違いなく未来のおまえの妃だ。気が変わるときが来るんだろう。未来のおまえは子供も視野に入れているようだしな、」

「・・・」

「まぁ、子供の作り方も知らんようだから、まだまだだ」


 アリスは未来のビューレイストが子供を望んでいるということを口にしていた。ただ、アリスは子供の作り方などは教えられていないようだったから、それはまだまだ先の話だろう。

 ビューレイストは細い眉を寄せ、口をへの字にしている。不愉快そうな表情はアリスに手を出されている心地がするからだろうか。別に味見をしたわけでもないのに狭量な男だと思いながら、ラウフェイは笑う。


「莫大な魔力の娘だ。魔術も見たが、腕も良い。あれと未来を遺すなら、子供も優秀だろうさ」


 人間と魔族が混血した場合、肉体は魔族の形質を強く受け継ぎ、長い寿命を持って生まれてくる。そして魔力量や魔術の技術、魔力探知などは両親の合作であることが多い。

 例えばバルドルは長命の魔族の形質を強く受け継いでいるが、魔力量は父親の、魔術の技術は母親の、魔力探知は比較的母親の精密なそれを受け継いできている。ビューレイストとアリスの子供たちもそれに類する可能性が高い。


「だが、おまえには力がいる。この目があれば、今のおまえでも将軍相手でも逃げおおせるくらいはできるようになるはずだ」


 今のビューレイストには、ラウフェイの眼で補っても将軍たちと戦って勝利を収めるほどの力はない。だが、戦って勝つ必要はない。今のビューレイストに必要なのはアリスをつれてラウフェイのもとまで逃げおおせる力だ。

 この目があればいくらでも相手の隙を見つけ、それが可能となるだろう。自由に動ける余地は増える。


「それに、おまえは将来的にアリスを守るために、この目を持っていた方がいい」


 ラウフェイは千年後、生きていない。だが、千年後も多くの将軍たちは残り続けるだろう。エルフもそうだ。長命の魔族とエルフは、千年後も変わりなく生き続ける。


「この会話の記憶も、アリスが未来に戻れば失われる。だが、鏡の向こうの未来のおまえの記憶としては元に戻る」

「だろうな」


 ビューレイストはアリスを未来から呼び出したノルンの泉という魔導具の鏡の効果を既に正確に知っているらしい。魔術や魔力量、魔力探知なども優秀だと知っていたが、碑文や魔術書などを調べる能力の方も優秀らしい。


「だから、ふたつ、語っておいてやる」


 ラウフェイはふぅっとため息をついて、ビューレイストの腕の中で眠るアリスに視線を向ける。

 亜麻色の長い髪に紫色の大きな瞳、比較的同年代では小柄で、そのくせにどこかふっくらとした大人しそうな雰囲気の少女、それをラウフェイは以前見たことがあった。


「以前、魔王ファールバウティが執着した人間の女がいたと言っただろう」

「だから人間とエルフの村で殺しまわって探したんだろ」


 ビューレイストがまだラウフェイの傍にいた幼い頃、ラウフェイはビューレイストに、魔王のファールバウティはどうして人間やエルフの村を襲って回っているのかと聞かれたことがあった。そのときはラウフェイはファールバウティが人間の女にふられたからだと答えた。

 それをビューレイストはまだ覚えていたらしい。


「あぁ。アリスはあれと見目がそっくりだ」

「・・・見たことあるのか?」

「ある。亜麻色の髪に紫色の瞳の小娘だった。そしてそれはフリカの姉だった。私はほんのガキの頃のフリカも見たことがある」


 ラウフェイとフリカがそれなりに話すようになったのは、別に偶然ではない。ラウフェイは人の顔を一度見たら忘れない。ファールバウティの恋人の妹として、ちらりとだが見たことがあった。それだけだ。

 そしてだからこそラウフェイはアリスを見たとき、アリスをフリカの親族であることをまったく疑わなかった。むしろ従妹の娘があれほど容姿が似通っていることに、運命すら感じた。

 そう、すべてが必然だ。


「・・・バルドルが、ファールバウティに会ったと言っていた」


 ビューレイストは気づいたらしい。

 先日、オーディンが息子のバルドルとともに魔王ファールバウティに会いに行ったことは、バルドルから聞いた。バルドルは一度見たら忘れられないほど整った美貌を持っている。そしてそれはフリカ譲りだ。

 

「おまえは賢いな。今さら突然、ヨルズがオーディンの結界を破って、フリカとバルドルを襲えるわけがないだろう」


 ラウフェイは椅子の背もたれにもたれ、ごつごつした石造りの天井を眺める。

 フリカがオーディンの妃になったのは、もうかれこれ二十年近く前の話だ。ただオーディンはフリカをほとんど部下の前にも外にも出さなかったから、美貌で有名ではあったが、将軍のなかでも親しいラウフェイと、身体機能のエキスパートで出産に立ち会ったシヴ以外、誰も顔を知らなかっただろう。

 だから、魔王ファールバウティもまさか自分の異母弟であるオーディンの妃のフリカが、かつての自分の恋人の妹だと気づかなかった。

 だが、先日、オーディンはバルドルをファールバウティのもとに挨拶に連れて行った。フリカにそっくりのバルドルを見て、ファールバウティは気づいたはずだ。

 そもそもヨルズはオーディンの不在の日を狙い、結界を部分的に破って侵入した。ヨルズは魔術が得意ではなく、小細工のできない魔族だ。結界を部分的に破るなんてまねは本来できない。オーディンが部下たちを牽制しようとしているのは、内通者を疑っているからだ。

 だが、ラウフェイは違うと思う。


「ヨルズはフリカを殺し、辱めることに興味はあっても、喰うことにはなんの執着もなかっただろう。誰かに引き渡す約束をしていても、おかしくはない」

「人質ということか?」

「知らん。あの男がなにを考えているか、私は興味がない。」


 ラウフェイは魔王ファールバウティの妃だが、情があるわけではない。強い男の子供を産みたいラウフェイと、亜麻色の髪の女を忘れられなかったファールバウティの利害が一致しただけだ。

 だがファールバウティは何年たっても人間とエルフの村を襲って女を捜しているくらいだ。その面影を、関係者を見つけてしまえば、もう止まれないだろう。ヨルズが失敗した今、直接フリカに手を出してくる可能性が高い。ただ、ラウフェイはそんなことはどうでもいい。

 それはフリカの問題だ。


「もうひとつ、」


 ラウフェイは少し間を開け、口を開く。


「あれは、復讐者の子だ」


 言いながら、無邪気に笑うアリスを思い出す。

 無邪気で、無垢で、捕食者である魔族にですらも笑いかける、なんの偏見もない、まだ純粋な子供。その反面、あの莫大な魔力、危険な魔術の才能、世界でもほとんどいない紫色の瞳、エルフと人間という、人類の混血児。

 

「復讐と偶然や必然がつみ重なった末、おまえにたどり着いた。たどり着かせた、なんと言うべきなのだろうな」

「・・・人類の利害対立の結果ということか?」

「そうだ。人間が、というよりはエルフが魔族に使うはずだった子だ」


 偶然が重なった。それは必然でもある。偶然を装った必然の末に、アリスはビューレイストのもとにたどり着いた。たどり着かされた。

 

「おまえは、どうする」


 アリスを得ることは、ビューレイストにとって利益が大きい。食糧として、そのほかでも、アリスは将来にわたってビューレイストの利益を支える。だが、デメリットも大きい。アリスが持つリスクはあまりに大きく、将来の二人に襲いかかるだろう。


「無理だ」


 逡巡もせず、ビューレイストはあまりに平坦に答えを出す。


「あれは、美味しすぎる。記憶を失っても、恐らく味覚は消えない。忘れるなど不可能だろう」


 ノルンの泉は、アリスが未来に帰還すれば、アリスに関するこの記憶をあらゆるものから奪うだろう。だが、頭のなかの記憶を奪うだけで、味覚などの感覚を奪うことはできない。ビューレイストは食糧を得るたびにどこかでアリスの味を探す。違うなと、千年間、思い続ける。

 そして千年後それを得たとき、次は絶対に手放せない。千年越しのその味を、記憶がなくとも、たとえようもないほど美味しく感じるはずだ。確かに、アリスに手を出すリスクは大きい。だが、ビューレイストは魔族だ。感情の起伏に乏しい魔族にとって、生存のための食欲と性欲という本能に対する欲求は、抑えられない。

 ラウフェイは静かに息子に視線を向ける。


「ビューレイスト、」


 ファールバウティによく似た容姿をした、でも自分によく似た性格の息子は、母親であるラウフェイに興味などない。だが、その翡翠の瞳をまっすぐラウフェイに向けてきている。


「私が数千年生きてきて得てきた魔術や記憶はアリスにやる」


 自分が得てきた魔術や記憶は、すべてアリスに引き渡す。アリスは数千年を生きた魔族に、魔術の熟達度が及ぶことはない。だが、長命の種族と、戦っていかねばならないことになる。そのときに、ラウフェイの数千年にも及ぶ知識の蓄積が、短命のアリスを補うはずだ。


「あれの精神世界の防壁は、私が構築してやる」


 アリスは、感情豊かな人間であるだけでなく、ビューレイストに依存しきった、安定的な精神性にはほど遠い存在だ。おそらく精神に作用する幻覚や魔術に極めて弱いだろう。純血の魔族は情緒に乏しいためそういった魔術に意味がないし、使用も少ないが、混血が増える将来、その対処も必要となる。だが、寿命が短く脆弱性が高いアリスに厳しい問題だ。

 それを、ラウフェイが補う。そしてそれがふたりの未来で生き残る確立を少しでもあげるだろう。


「あとはおまえ次第だ」


 百年しか生きない人間のアリスが得られるものは、どれほど努力しても極めて少ない。数千年を生きる魔族には及ばない。

 だからこそ、ビューレイストは覚悟しなければならない。


「腕のなかの女を奪われたくなければ強くなれ。それが魔族の鉄則だ」


 魔族は強さがすべてだ。

 もちろんビューレイストはアリスの感情に配慮し、大事にせねばならない。だがそれはあくまで個人間の問題であり、魔族の社会で生きていくこととは別問題だ。

 莫大な魔力を持つアリスを、そして子孫を守るために、強くあらなければならない。


「好きに生きることができるのは、強者の特権にすぎない」


 弱者は生きていくのにやっとで、なにもままならない。強くてはじめて、自由に生きる権利が得られる。

 ラウフェイはゆっくりと寝台に歩み寄り、寝台に座るビューレイストの頬をそっと撫で、翡翠の瞳をのぞき込み、笑う。それはまるで人間の母親が子供を愛おしむようですらある。だが、ラウフェイもビューレイストも純血の魔族だ。そんな感情ありはしない。

 だから、ラウフェイはただただ願う。


「私と、おまえの血筋に永遠の祝福を」


 ビューレイストの明るい金色の前髪を撫で、ラウフェイはその額に口づけた。親から子への、まさに一生で一度きりの行為だ。愛などそこにないのに、そうしてラウフェイは己の母親からこの金の虹彩の入った眼を受け継いだ。

 それを次代につないでいく。たったひとつの生きものの役目そのものだった。




ラウフェイは生物の意味は合理的に子を残すこと、より強い子孫を残すことだと思っているので、兄弟内で一番強いビューレイストに眼をのこします。

ビューレイストがロキとほぼ同等の能力にもかかわらず、圧倒的に見える原因のひとつですね。

ただ本来基礎能力のハイスペック的にはバルドル>ビューレイスト>ロキです。

単純実力的にはビューレイスト>バルドル>ロキです。


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