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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
十六章 少女、千年を遡る(後編)
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07.オーディン


「本当におまえ、最近、どうしたんだよ」


 オーディンは毛皮に埋もれ、一糸まとわぬ姿で隣に寝そべる、まるで彫像のような美しい女を眺める。

 夜で灯りもないため部屋は真っ暗だ。それでも魔族は夜目が利くので、目の前の女がその表情どころか睫の一本一本まではっきりと見える。

 傷ひとつない白い艶やかな肌、豊満な胸元、子を産んでも変わらない細いくびれ、肉感的な太もも。すべてがつくりもののように絶妙なバランスを保つ。だが、指先まで美しいその肢体は片腕を失っていた。その欠落が、オーディンには腹立たしくてたまらなかった。


「美味しかった?」


 フリカがけだるげに身を起こして、指先でオーディンの唇をなぞる。それに軽く牙を立て、オーディンは笑った。


「・・・言わせんのか?」

「もちろん」


 フリカが濡れたふっくらとした桃色の唇で、扇情的に笑う。

 

「だって、食べたんでしょう?」


 将軍ヨルズに襲われ、落とされたフリカの腕を食べたのはオーディンではないかと詰問され、オーディンはため息をつく。


「仕方ねぇだろ。おまえの体は俺のものだ」


 オーディンは混血の魔族なので、食欲と性欲にたいする衝動は大きくはない。

 そのため常にフリカを食糧としているわけではないが、それでも腹が減ったときに喰らうことはあるし、フリカはもともと魔術師だっただけあり、かなりの魔力がある。魔力が大きい生きものを美味に感じる魔族の味覚では、フリカは美味しい食糧だった。

 

「そりゃ良かったわね。アリスは本当に賢い子供だわ。とれた腕まで転移させてくれるなんて」

「まったくだ。将軍相手に根性あるぜ」


 オーディンは寝台に転がったままフリカの長い亜麻色の髪を一房取る。

 細いくせに毛量があり、艶やかで長い亜麻色の髪、それは新しく娘にしたアリスと同じだ。フリカ曰く、アリスはフリカの従姪で、フリカの姉によく似ていたらしいから、髪質なども遺伝なのかも知れない。

 アリスはフリカとバルドルが将軍ヨルズに襲われたとき、助けに入った。もちろんまだ十歳そこそこの小娘であるアリスがどれほど魔術の腕に優れていたとしても、数千年を生きた将軍には勝てない。だからこそ、アリスは即座にフリカを魔族の入れない白銀の檻に転移させた。

 そのときにとれてしまったフリカの腕も白銀の檻に転移させていた。生憎ひっつかなかったが、ヨルズに腕を喰われることはなかった。同時にアリスはバルドルも宮殿の外に転移させている。

 将軍にすごまれても義理の母親と兄を助けるためにひるまない、気丈な娘だ。

 

「広間ではビューレイストにひっついてがたがた震えてたけどね」

「・・・そうだな」


 ヨルズと戦うとなったときは気丈だったはずのアリスはヨルズを捕らえ断罪するその場では、居並ぶ多くのオーディンの部下たちに、そしてヨルズからの憎悪の眼に怯え、自分の伴侶となるビューレイストに抱きついて顔すら上げられなかった。

 退出の際には膝が崩れ、ビューレイストに抱えられていたと思う。

 そのまま怯えきった様子でビューレイストの母親ラウフェイとともに帰って行ったから、大丈夫だっただろうかと心配になる。

 そして、オーディンは毛皮で体を隠し、目の前の女に視線を向けた。フリカは小窓から見える月を見上げている。その眼差しに涙はない。広間でも恐ろしさのあまり震えていたが、泣きはしなかった。アリスのように歩けなくなることもなかった。

 だが、将軍相手にすごまれ、どうして怯えずにいられたのだろうか。

 ほんの半年前なら魔族を見るだけで怖がっていたのに、夜の寝台の上では泣いてばかりいたのに、どうしてこんなに平静を保っているのだろうか。

 思い出せばオーディンはフリカに泣かれてばかりだった。


『やだっ』


 寝台の上で幼い泣き声を上げたあの日から、いや、もともとフリカは美しい女だった。

 顔立ちは大人びていて琥珀色の瞳が大きく、睫が驚くほど長く、作りものの人形のように美しかった。豊満な胸元と細い腰、比較的豊かな家の娘だったのか適度に肉がつき、そのプロポーションも絵に描いたようだった。

 だから、部下たちは美しい食糧を手に入れたと将軍であるオーディンに差し出してきて、珍しいことにオーディンも興が乗った。それはきっと、魔術師でそれなりの魔力がある、というのもあったが、数千年生きてきてこれほど美しい女を見たことがなかったからだろう。

 ただ、それは女ではなく、子供だった。


『やめてっ、化けものっ!!』


 フリカは澄んでいて声まで美しかった。だが、体に触れてもどう見ても慣れた女の声ではなく、内容は子供そのものだった。


『ちょっと待てよ・・・。おまえ、いくつ?』


 オーディンは寝台から慌てて身を起こし、尋ねた。


『じゅう・・・』

『十代!?はぁ?あいつらなんでそんなガキ連れてきてんだよ!』


 数千歳も生きてきたオーディンからすれば、十代などよちよち歩きの目も見えないひな鳥に等しい。そんな女を寝台に送ってきた部下たちにも殺意がわいたが、あとから仕方がないとも思った。

 魔族は食欲と性欲に忠実な生きものだ。ただだからこそ性的に成熟していない子供には見向きもしない。そう、フリカはあまりに豊満で、ふっくらした桃色の唇が魅力的で、二十代前半から二十代半ばの慣れた女にしか見えなかった。

 オーディンもこれほどの女だから行為にも慣れているだろうと思ったし、食糧である人間を喰わずに生かしてやっているのだから、大人しくすると思っていた。

 だが、どんなに体つきは女でも、中身はお子様だ。

 

『ふっ、にいさま、にぃさまぁ、ねえさまぁっ』


 ベッドの上で泣きじゃくり、子供が母を呼ぶように保護対象を求めて兄姉を呼ぶような女など、抱いても何も楽しくない。

 だが、だからといって魔族の巣窟である北の大地に送られてきた人間の少女を、南にある人間の支配領域においてくるには移動だけでもかなりの時間がかかる。

 頭で算段を弾いている間も、少女はぼろぼろと泣いた。


『・・・ふっ、ぅ、うぅ、にいさまっ、』

『な、泣くなよ、な?』


 食糧として捕らえられた人間が泣く姿は時々見たことがあった。だが混血でたいした食欲を持たないオーディンが人間を喰うことはさほど多くはなかったし、こんな間近で泣かれたことはなかった。結局、興ざめとかそういうレベルの話ではなく、オーディンは寝台の上で少女を慰めるしかなかった。

 それからも少女の居場所は常にオーディンの寝台の上だった。

 他の将軍との小競り合いは多いし、少女は当然だが捕食者である魔族に怯えていた。少なくともオーディンの寝所が結界もきちんと張られているし、一番安全な場所だ。だから少女を南の人間の支配領域に帰すまでは同衾するしかない。

 オーディンは仕方がなくその人間の少女と清い意味で寝所をともにするはめになった。

 あらためて一緒に過ごすと、フリカは本当にただのガキだった。

 少し怒鳴るとすぐに泣く。夜になると怖くて泣く。些細な魔物の雄叫びが聞こえれば泣く。人間は泣く生きものだと固定観念ができたほど、よく泣いた。

 最初は面倒くさくて眩暈がした。

 だが大方常に同じ部屋にいて、一緒の寝台を使っている。食事や服、トイレや水浴び、そうした魔族と人間の生態の相違は、オーディンとフリカに言葉を交わす機会を与えた。いつしか少しずつ、普通の会話ができるようになった。

 フリカはよく泣くが、よく笑う、明るい少女だった。

 美しいその顔でくしゃりと崩れるように笑うその笑みが、輝くようだった。口の悪いオーディンに釣られて憎まれ口をよく叩いた。その軽口が心地よかった。

 フリカは少しだけ、泣かなくなった。でも、それは少しの期間だけだったように思う。

 手放せなくなったのは、オーディンだった。人間の支配領域に近づくにつれ、オーディンはフリカを帰したくなくなった。

 気づいたら、もうだめだった。


『おまえを、俺の妃にする』


 部下たちの前に引きずり出し、そう宣言したとき、フリカは呆然とした面持ちをしていた。どうしてと泣きじゃくるフリカを寝台の上で大人にしたときもそうだった。信じられないようなものを見る目で、オーディンを呆然と見上げていた。

 その目尻にたまった涙を拭うことしか、できなかった。またフリカは泣く日々に戻った。

 フリカを妃にしてから、オーディンは定住先を自分の領地にあるフェンサリル宮殿に決め、その一室にフリカを閉じ込めるようになった。身を守るために魔族の入れない白銀の檻の魔導具を与え、銀の姿見を与え、ただその広いが狭い部屋にフリカを閉じ込めた。


『死にたくねぇなら、大人しくしてろ』


 びびりのフリカが死を恐れていることはもう知っていた。大人しくしていれば、穏やかに生かしてやる。そう言えば、フリカはオーディンを罵りながらも従った。人間の支配領域に戻れない、死にたくないフリカにとって、もはや選択肢はなかっただろう。

 それでも閨ごとは酷く嫌がったし、ことあるごとにオーディンを罵った。そしてオーディンもそれを受け入れた。

 莫大な魔力を持つ美味な血肉、美しい容姿と豊満な肢体。鳥籠の鳥は、オーディンの食欲も性欲も、すべてを満足させた。まさに誰もが認める美しい籠の鳥だった。

 鳥籠の中で、少女は大人になった。

 大人になるにつれ、フリカは美しく笑うようになった。以前のようにくしゃりと相好を崩すことはなくなった。

 子供を作ることを望んだのは、オーディンだった。

 フリカは拒んだ。それでもいつかいなくなるフリカを永遠の存在にしたかった。なのに、酷い難産で、後悔した。だからフリカが二人目の子供が欲しいと求めたとき、それを拒否した。

 思えばオーディンはフリカの願いを何も叶えたことがなかった。

 フリカはバルドルの傍ではいつも涙を見せず穏やかに微笑んでいたが、夜になるといつも泣いていた。そう、それは変わらなかった。オーディンが訪れても、訪れなくても、ずっと泣いていて、いつしか罵られることもなくなった。

 その美しい体を抱きしめながら涙を拭い、ただ朝を待つのがオーディンの日課だった。それなのに、今のフリカは泣かない。美しく微笑むだけだ。


「ねえ、トールだけは、見逃して」


 月に目を向けたままフリカは静かに、落ち着いた声で言った。


「お願いよ」

「・・・」


 オーディンはなだらかなフリカの肩を眺めながら、無言で返した。なんとなく、言ってくるのではないかと感じていた。

 トールはときどきフリカの部屋に出入りしていた。

 食糧をもらいに来ていただけのようだが、勝手に血の力を使って結界を破壊し、継母といえ年下のフリカに食糧をねだりに来るトールを、オーディンはいつも忌々しく思っていた。性格の明るいトールをフリカも好んでいることをよく知っていたからだ。

 そしてフリカがたまにトールに向ける、崩れるような笑顔が大嫌いだった。自分には泣き顔と、美しい笑みしか向けて来ないのに。


「貴方の息子でしょう?」

「それがどうした」


 フリカは答えないオーディンに追撃をかけてくる。だがそれがどうしたというのだろう。


「あのなぁ、魔族なんて食欲か性欲のことしか考えてねぇよ」


 魔族は感情の起伏に乏しく、食欲と性欲だけに固執する。それは一般論だ。それなのにフリカは振り向き、美しく笑う。


「それは極論よ」

「極論じゃねぇよ」


 今、食欲と性欲の対象となっている女が何を言っているのだろう。フリカのむき出しの肩に手を伸ばす。だがその手は払われた。胸元を覆っていた毛皮が重力に従いフリカの膝に落ちる。むき出しになった胸元をそのままに、フリカは微笑む。


「そう。だったとしても私の意見は変わらないわ」


 琥珀色の瞳は笑っていない。決然とした覚悟をそこに携えている。


「トールを見逃して頂戴」


 笑顔なのに、厳しい声音だった。オーディンはけだるい体を起こし、立て膝をしたままフリカに言い放った。


「ふざけんな」


 ヨルズはフリカを襲った女で、トールはその女とオーディンの子供だ。

 魔族は親族関係を重視しないが、仮に親族がオーディンとその家族にたてついた場合、親族ごと族滅されると見せつけておかねばならない。そのためにもオーディンはヨルズの一族はすべて殺し尽くすつもりだった。


「誰でも良いんでしょう?なら、トールを殺す必要はないはずだわ」


 オーディンを諭すように柔らかに笑って、でも厳しい声音でフリカはオーディンに訴える。

 殺すのは関連する理由があれば誰でもいい。逆に、トールでなくても良いのだ。だが、オーディンは不愉快だった。


「だが殺さない理由もない」

「あの子は貴方の息子でしょう?」

「だからなんだ。魔族になんの関係がある」


 魔族は母親でもたいして子育てをしない生きものだ。生きる程度のことしかせず、子供側も立ち上がれるようになれば年上の子供たちに交じって食糧を取る。十歳頃にはとうに自立するのが普通だ。

 父親は種をまくだけで、親子関係など何の価値もない。魔族はそもそも正式な結婚をすること自体が珍しいし、結婚したとしても通い婚が多い。妻側に夫側が通うことが多く、子供も妻側にいる。

 そのため父子関係などたいした意味をなさない。


「言っとくがな。バルドルを傍に置いているのは、ひとえにおまえだからだぞ」


 オーディンはがりがりと短い後頭部の自分の髪をかきながら息を吐く。だがそれを口にすると、フリカは酷く狼狽えた顔をした。


「・・・じゃあ、バルドルもいらないってこと?」

「んなわけあるかよ。だけどな。それは魔族のなかで当たり前じゃねぇ。将軍からしてみりゃ子殺しなんて、別にある話だ」


 オーディンがトールを殺すという行為は、別に魔族のなかではたいしたことのない行為だ。


「俺もトールも魔族だ」


 人間のフリカがどう考えようと、ここは魔族の社会で、フリカは人間なのだからたいしたことを知らない。できない。だから、大人しくしておけば良いのだ。

 オーディンはフリカの腕を掴み、腰を引き寄せる。フリカが表情を歪めた。


「痛むのか?」


 片腕をなくしてはいるが、傷は塞がったはずだ。それでも腰とはいえ引き寄せれば痛みがあるのだろうか。そう思って尋ねれば、フリカは首を横に振った。


「違う、違うわ。でも」

「もう黙れ、人間が魔族の事情に口出すんじゃねぇよ」


 月が転がる。いや、月が転がったのではない。

 

「おまえはまた、なにも知らずにただ泣いていれば良い」


 ただ自分の不運を嘆いていれば良いのだ。それをオーディンは慰めながら夜を越す。笑顔は、この体を好きにすると決めてから、とっっくの昔に諦めた。

 だから、ただフリカが泣く、そういう夜が戻ってこれば良い。

 それが二度と戻らないなど、オーディンは理解できなかった。今しか見ていないオーディンはフリカが意地を張っているだけだと思っていた。どうせこらえきれずに泣くに決まっているのだ。どうせ強がったところで、弱い女だ。長続きしない。そう思っていた。

 子供は少女に、少女は女に成長する。そして人間の成長が酷く早いことを、オーディンは理解していなかった。


・オーディンにとってフリカはいつまでも自分が踏みにじった純粋な少女で、愛しい相手。ただもうフリカ三十代。きちんと物事が考えられ、終わりすらも見据える時期。この時期の平均寿命なんて、四十とか五十とかなので。


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