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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
三章 少女、魔族の将軍会議に出る
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14.バルドル


 バルドルは強い風になびく白銀の髪をおさえながら、空を見上げる。曇天の空を竜が上空を舞っている。見慣れた、魔族たちの集まりの際の光景だ。だいたい将軍会議に集まる魔族たちは竜でやってくる。魔族の支配領域ではありきたりな、交通手段だ。

 しかも将軍が使うのは大型の竜ばかりで、バルドルはそれが行き交う光景が幼い頃から好きだった。 幼い頃はこの光景を幼い頃は父に肩車をしてもらって見ていた。

 もう千年以上前の記憶だ。


「何色が貴方の竜なの?」


 子供らしい高い声が響く。後ろを振り向くと亜麻色の髪の少女が、同じように空を見上げながら歩み寄ってきていた。人間のアリスだ。


「見えるかな。あの黒色のやつだよ」

「貴方のおめめと同じ琥珀色の眼の竜?」

「そうだ」


 竜はかなり上空にいるので人間の視力で見えるだろうかと思ったが、アリスは意外なことにしっかりと見えているらしく、特徴を返してきた。


「卵から育てたんだ」


 バルドルが幼い頃、父親のオーディンからもらった卵から育てた個体だ。思い入れもあるし、大事にはしている。


「竜は何歳くらいなの?」

「そうだな、僕と同じ、千歳越えだね」

「じゃあエトヴァスも同じくらいだね」


 アリスが言うエトヴァスとは、ビューレイストのことだ。

 人間のなかで暮らしていた頃にエトヴァスと呼ばれており、アリスにそう呼ばせているらしい。アリスが言うとおり、バルドルとビューレイストの年齢はあまり変わらない。ロキもそうだが、同じく千年位前に生まれた。

 厳密に言うならビューレイストが一番先に生まれ、次がバルドル、ロキの順番だ。

 血筋的にバルドルとビューレイストは従兄弟同士に当たる。ビューレイストの父親である前の魔王は、バルドルの父親である現在の魔王オーディンの異母兄だからだ。

 実際のところ、魔族の将軍ののうち、半分は同一の血筋から出てきている。ビューレイスト、ロキ、今回も来ていないヘルブリンディは兄弟だ。そしてバルドル、トール、そして今回来ていないヘズも異母兄弟である。つまり、その高い能力は血筋が保証する部分も大きいのだ。

 また、どうしても同年代の強い魔族同士であるため、争うことも、顔を合わせることも多かった。


「エトヴァスも小さい頃があったの?」


 アリスはその感情豊かな紫色の瞳をくるくるさせて、不思議そうに尋ねてくる。それがおかしくて、バルドルは思わず笑ってしまった。


「僕ら魔族も子供時代はあるよ」

「エトヴァスはどんな子供だったの?」


 問われて、彼はどんな子供だっただろうかとバルドルは少し考える。

 もうかれこれ千年前のたった十数年間の話だ。バルドルは小さい頃、竜を連れて歩いていた。今では十メートルを超す竜だが、当時は肩に乗せられるほど小さかった。

 その頃、彼はどうしていただろうか。


「・・・今とあまりかわらなかったな。無表情でなにかをじっと見ているか、本ばかり読んでいたよ」


 幼い頃からあまりしゃべらない男だった。そして同時に、物事をじっとよく見ていた。たいして興味もないくせに、あの独特の金色の光彩を持つ翡翠の瞳で、ぼんやり目の前のことを映していた。あとは当時から本ばかり読んでいて、博識だった気がする。

 そう昔から、純血の魔族らしく彼は感情の起伏が乏しく、同時になにもかも知っていながら、なににも興味がなかった。

 それなのに今は、食糧とはいえこの小さな少女の長期飼育に関心があるようだ。


「・・・」


 バルドルがふとアリスの周囲を確認すれば、彼は少し向こうでフレイヤと何かを話している。バルドルは風に揺れる自分の髪をおさえながら、アリスを見下ろす。長い亜麻色の髪からのぞく紫色の瞳は、明るく活力に溢れている。

 まだ、間に合う。


「アリス、君は覚えておいた方が良い」


 アリスが不思議そうに首を傾げた。

 まだ幼い彼女には、わからないだろう。だが今言っておかなければならない。今、言っておかなければ、手遅れになる。


「君は、おそろしいほど、膨大な魔力を持っているだろう」


 アリスが目を丸くした。

 アリスは魔力の出力を慎重に絞ってきているし、ビューレイストの魔術で目くらましもされている。だから上位の魔族でも、恐らくアリスの正確な魔力量ははかれないだろう。だがバルドルの魔力探知は、ビューレイスト以上だと自負している。

 アリスが持っている魔力の量は、恐らく今いる多くの魔族の将軍のそれを軽く凌駕している。それは生まれ持った才能で、同時にビューレイストが彼女を食糧とし、長期飼育をはじめた原因でもある。魔力の多寡は魔族にとって「味」そのものだからだ。

 そしてアリスはまだ思春期を迎えていない。これからも十八歳前後までその魔力は急速に増える。それ以降も死ぬまで緩やかに伸びるはずだ。そう、まだまだ伸びしろがある。


「君は多分、かなり魔力制御が上手だ。だから、すぐに強くなる。なれるよ」


 アリスは、要塞都市クイクルムで対魔族結界の動力源として閉じ込められていた頃、あまり良い扱いを受けていなかったようだ。

 そのため魔術を学び始めたのはおそらくビューレイストの元に来てからだろう。一年もたっていない。それにもかかわらず、アリスの魔力制御にはわずかな乱れもない。感情が高ぶっても魔力が揺れない。魘されているときですら、アリスの魔力は一定だった。

 アリスには莫大な魔力とともに緻密な魔力制御の才能がある。


「だからまず、君はビューレイストにわからない魔術や手段を持った方が良い」


 この助言は、ビューレイストからの自立を促すものだ。アリスが目を丸くしたのはわかったが、バルドルは続ける。


「たしかに、ビューレイストは何があっても君を捨てない」


 アリスは生きている限り彼の食糧だ。そしてビューレイストはアリスが自分の食糧である限り、人間や他の魔族からアリスを守るだろう。バルドルが見るに、アリスは食糧という立場に苦を感じていない。それならばお互いの関係は一見すると既に完成しているように見える。


「でも君はまだ子供だ」


 アリスはまだ十歳と幼い。だからわかっていない。

 普通の人間の十歳より比較的小柄で、体つきもまだ子供らしく丸い。手足も適度に肉がついていて、子供であるという印象をより強いものにしている。


「そしてたった数年で、君は大人になる」


 人間にとって数年は、“たった”ではないのかも知れない。が寿命の長いバルドルたち魔族にしてみれば、数年などあっという間だ。

 だたった数年でアリスの身長は数十センチのび、体つきも女性らしい凹凸がつくだろう。そうなったとき、魔族が抱くのは、もう一つの欲だ。

 魔族は食欲と性欲にこだわりをもつ。食欲のみにこだわり、性欲をほぼ持たない魔族も多いが、それは一時期の問題だ。そして食糧を他人に奪われず自分で独占できる上位の魔族ほど、食欲と性欲を混同する傾向にあった。


「だから近いうちに君は、すべてを捧げることになってしまう。・・・本当に、なにもかもだ」


 その血肉だけではない。体も、心もすべて求められることになるだろう。

 バルドルは目を閉じて、自分の母親を思い出す。魔術師だったバルドルの母は、父オーディンの食糧だった。彼女は最初から食糧として、そして性欲の対象として一生を過ごした。オーディンはその体を独占するとともに、彼女の心がほかの何かに向くのを嫌い、彼女を閉じ込めた。

 そして彼女は、前の魔王に襲われたとき、その檻のなかで自ら命を絶った。

 魔族と人間が生きていくというのは、決して簡単なものではないし、ハッピーエンドにはならない。バルドルの父と母が、想い合っていながらもすれ違い続けたように、例え思い合っていてもどうにもならないのだ。

 強いられただけのアリスに、ビューレイストの下での幸せな終わりなど、あるはずもない。


「抗いたいなら、君は強くならなければならない」


 アリスは十歳、性欲が向くまでたった数年だろう。魔族にとってたった数年だが、人間が変わるには十分な時間だ。幸運なことに、アリスには莫大な魔力がある。それを利用し、他者を味方につけたりすれば、アリスはビューレイストに勝てるかもしれない。

 自分の力で立って、生きられる。アリスにはそれだけの魔力がある。


 アリスはバルドルの話を黙って聞いていた。そして静かにその珍しい紫色の瞳を伏せ、風になびく自分の亜麻色の髪をおさえる。


「・・・わたしはエトヴァスには勝てないよ。何千年重ねても、きっと勝てるようにならない」


 先ほどの子供らしい無邪気な笑みではない。諦めたような、淡い笑みだった。


「エトヴァスがそうさせないとか、わからない手段を持ってるとか、そういうのもひっくるめても、たぶん、勝てない、・・・勝てるようにならない」


 確信を持っているような話し方だった。

 バルドルはアリスの莫大な魔力を見て、ある程度戦えるようになると思った。だが、アリスは違うと首を振る。


「わたし、エトヴァスに魔力制御を教えてもらって、魔力探知が少しできるようになって、少しずつ、自分とエトヴァスがわかるの」


 それはアリスが今まで見ているエトヴァスの姿ではない。魔力探知で捉える、実力としてのビューレイストの能力だ。


「わたしにとって、多分エトヴァスはものすごく相性の悪い相手なんだと思う」


 アリスは困ったように苦笑していた。

 多くの場合、魔力の莫大な生きものは、魔力探知も精密であることが多い。アリスはその莫大な魔力とともに、優れた魔力探知を持ち、ビューレイストと自分を少しずつ捉えはじめている。

 そして徐々に正確に見える彼の底と自分の閾値を比較している。


「だから貴方の言うことの意味はよくわからないけど、覚悟だけはしておくよ」


 いつもの無邪気な笑顔はない。真剣な表情でアリスはそう言った。ずきっとバルドルの胸が痛む。

 アリスはきっと将来なにをされるか、なにが起こるかなどしらない。まったくわかっていない。それでも覚悟は既にしてしまっているのだ。何があっても魔族である彼と生きていくしかないと覚悟を決めている。


「アリス」


 フレイヤとの話が終わったのか、ビューレイストがアリスを呼ぶ。


「エトヴァス。もう帰るの?」

「もう少しだな」

「?」

 

 アリスは彼のわけがわからない言葉にも首を傾げながら、従う。文句ひとつ言わない。

 人間との混血であるバルドルから見れば、彼の言葉は端々で配慮が足りない。だがそれでもアリスはこの男と生きていくというのだろうか。その笑顔はいつまで続くのだろうか。続けられるのだろうか。

 バルドルにもそれはわからない。

 それでも、少しでも彼女に幸せな終わりがあってほしいと思う。人間だった母のように、魔族の父のように悲しい終わりであってはほしくないと、ただ願う。


「本当に仲良しよねぇ」


 フレイヤがやってきて、にこにこと笑う。一瞬それに違和感があったが、バルドルは空へと視線を向けた。


「僕らももうそろそろ帰らねばね」


 ぴいっと口笛を吹くと、途端に上空を旋回していた黒い竜が下りてくる。竜に全速力で飛んでもらえば、数時間後には自分の領地に到着するだろう。

 

「クイクルムの件はどうせだから、アリス、君が連絡をよこせ」

「え?・・・で、でも、わたし、あんまり書いたりするの、得意じゃないよ」


 アリスが紫色の瞳を何度も瞬いて狼狽え、情けない顔で主張してくる。だがバルドルはそれを笑ってしまった。


「どうせ暇つぶしだよ」


 バルドルたちには長い時間がある。だから解読に時間がかかっても、わからなくてもいい。内容がわからなければ、ビューレイストにもう一度問いただせば良いのだ。


「うふふふ、私もよ」


 フレイヤも負けじと言う。そういうふうに、見えた。

 ふわりとフレイヤがアリスを後ろから抱きしめる。ビューレイストとバルドルが振り返った。フレイヤの長い金色の髪とアリスの亜麻色の髪が揺れる。アリスの紫色の瞳が限界まで見開かれる。だがそれが黒に飲み込まれるのは、一瞬だった。


「ふ、」


 フレイヤとバルドルが叫ぼうとするが、もう遅い。ふたりの姿は跡形もなく消えていた。


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