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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
十六章 少女、千年を遡る(後編)
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01.ビューレイスト

エトヴァス=ビューレイストです


 うっすらと潤んだ紫色の瞳が、その細い指先が、懸命にビューレイストを探す。熱に浮かされても、僅かでも意識を取り戻せば、一番にビューレイストを探す。


「アリス、水は?」


 尋ねれば、アリスが僅かに頷く。だが、身を起こすことはできないだろう。


「ふっ、ん」


 ビューレイストは水を口に含んで唇を重ね、アリスがむせたりしないように時間をかけて少しずつ流し込む。こくんっとゆっくりとだが喉が鳴り、細い体に水が吸い込まれていく。驚くほど長い時間重ねた唇は離れたときにはアリスの熱が移り酷く熱を帯びていた。

 ビューレイストはアリスの額においた手巾が熱くなっているのに気づき、それを冷たい水で洗い、かえる。すると心地よさそうにアリスが目を細めた。


「・・・ここ、は?」

「ラウフェイの城だ。おまえは丸一日眠っていて、熱がある」

「っ、からだ、いっ、たい・・・」

「眠っているときも少し動かすだけで酷く痛がっていた」

「・・・おぼえ、て、」


 覚えてない、とアリスは掠れた声で答える。だが、意識ははっきりしているようだ。


「お、おかあさま、おにいさまは?あ、・・・おとうさまも、」


 アリスは一番に自分の状況よりも他人の心配をする。

 

「フリカは腕を失ったが、バルドルは魔力で再生できる程度の怪我、命に別状はないそうだ。オーディンももう帰還した」


 ビューレイストはため息をついて、あの夜の顛末を思い出す。

 魔族の将軍ヨルズは、オーディンが不在の時を狙って彼の人間の妃フリカとその息子バルドルを襲った。もともとオーディンの唯一の妃だったヨルズは、オーディンの寵愛を受けるフリカと息子のバルドルが疎ましかったのだろう。

 だからオーディンが南に行き、不在の時を狙って襲った。

 あまりに突然の襲撃だったため、フリカは魔族の入れない白銀の檻に逃げ損ね、手傷を負った。バルドルも母親を庇ってその場から動けなかったようだ。当たり前だろう。ひとりならともかく、魔族の将軍相手に誰かを庇って逃げおおせるなど本来不可能だ。それでも母親を見捨てられなかったのは混血児らしい情だろう。

 手がなかったところに駆けつけたのが、アリスだった。

 アリスは恐らく未来で、ヨルズがフリカを襲う一件を詳細にではないが聞いたことがあったのだろう。オーディンの不在と最近ヨルズに会ったことを聞いて、すぐにオーディンの宮殿に向かった。ビューレイストやラウフェイになにも言わずにだ。

 ただアリスの行動は、焦っていた割に極めて冷静だった。

 オーディンの宮殿に着くと、まずアリスは中途半端に破られていた宮殿の結界を完全に破壊した。結界が完全に破壊されればオーディンが家族の異変に気づき、帰還すると考えたからだ。

 そしてフリカの部屋の壁一面にできる限り宮殿の外へと続く転移の魔術を敷き詰めてから、ヨルズに相対した。恐らく、アリスは未来で何らかの情報を得ており、一度しか会ったことのない魔族のなかで身体的に頑強であるヨルズの性質をある程度理解していた。

 アリスの魔力砲はヨルズの防御魔術を貫き彼女の急所を打ち抜いたが、肉体的に頑強な彼女にとってさして問題にならなかった。

 むしろ魔力砲を使う瞬間にアリスは相手に探知される。しかも部屋のなかなので、アリスは得意な長距離戦に持ち込めず、魔力探知外から攻撃することもできない。キュゲスの指輪でアリスの姿が見えないとはいえだいたいの場所さえわかってしまえば、ヨルズは素手の衝撃波でそのあたりを一掃すれば、アリスを排除できる。

 ある意味でヨルズはアリスにとって最悪に相性の悪い相手だった。だが、アリスとて将軍に勝とうなどとは思っていない。

 アリスはヨルズの隙を作り、まずフリカを白銀の檻の中に、バルドルを外に転移させた。

 フリカを白銀の檻にとどめたのは、もちろん外にいる魔族に怪我をしたフリカを襲わせないようにという配慮もあっただろうが、同時にアリス自身がオーディンがフリカを外に出さないための結界を張っており、転移の術を阻害すると知っていたからだ。

 そして、ヨルズが放つ衝撃波をまともに受けることになった。

 ただアリスには未来のビューレイストがかけた強固な防御魔術がある。魔力による衝撃波の大半をそれが防いだ。ただ、後ろに吹っ飛ばされ壁にぶつかる物理的な衝撃までは防御魔術は殺してくれない。その結果、アリスは全身に複数の骨折と衝撃による一部の内臓破裂を抱えることになった。

 だが、吹っ飛ばされた先にある転移の魔術はアリスが何もせずとも、ぶつかっただけでアリスの魔力に反応し、ほぼ自動でアリスを宮殿外にはじき出した。

 そこでアリスはアリスを追ってきたラウフェイ、ビューレイストと合流した。


「・・・ラウフェイお母様、強いんだね」


 アリスはぽつっと当たり前のことを口にする。

 憎いフリカを殺し損ねたヨルズは、その原因になったアリスに溢れんばかりの殺気を向け、アリスを引き渡せとラウフェイに迫った。上位の魔族にとって獲物の横取りは万死に値する。フリカとバルドルという獲物を助けたアリスに、ヨルズは怒りを向けた。

 ビューレイストですらも身をひきたくなるほどの殺気だった。だが、ラウフェイはまったくひるまなかった。


「当たり前だ。ラウフェイは穏健派で有数の将軍で、魔力量は将軍一、魔王のファールバウティですら気を遣う相手だ」


 ラウフェイは悠然とアリスは自分の嫁で、手を出してくるなと逆にヨルズに殺意を向けた。桁違いに莫大な魔力で相手を威圧し、退くように求めた。

 ヨルズは、退くしかなくなった。

 魔族は強さがすべてだ。強ければ何をしても許される。逆に言えば弱ければどんなことがあっても退かざるを得ない。ラウフェイは強い。だからどれほど不本意でも、ヨルズは逃げ帰るしかなかった。


「・・・良かった、ラウフェイお母様がきてくれて。わたし、お父様が来てくれるまでもてば良いかなって思って・・・でも全然、全然もたなかった」


 アリスはラウフェイが感情の起伏に乏しい純血の魔族であることを考慮し、ラウフェイがアリスを守るために追ってこない可能性も考えていたのだろう。だから、オーディンを呼ぶ策を取った。だが、ヨルズ相手では、十分ももたなかった。


「わたし、だ、駄目だった」


 アリスは大きな紫色の瞳に涙をためる。


「知ってたのに、ヨルズがフリカお母様を襲うって知ってたのに、なにもできなかった」


 ぽろぽろと目尻から滴がこぼれ落ちる。ビューレイストはそれを見下ろし、なんて気分が悪いのだろうと思った。

 未来から来たアリスは多分、こうなる未来を知っていた。

 フリカとバルドルがヨルズに襲われる未来を知っていて、でも日頃と変わりない日々だから大丈夫だと思っていた。そしてオーディンの不在を聞いたあの瞬間にはじめて、いつもと違うことに気づいた。

 だから慌ててオーディンの宮殿に行き、フリカたちを助けようとヨルズに相対した。

 結果的に、フリカとバルドルを逃がしてアリスは満身創痍になった。ふたりは助かったけれど、未来と同じようにふたりが傷ついたことをアリスは嘆いているのだろう。

 自分は無力だと嘆いている。でも、違う。本当は違うのだ。

 オーディンの妃フリカはノルンの泉という鏡の魔導具を使って、アリスを未来から呼び寄せた。運命を変えるために求めた結果が、アリスだった。

 ノルンの鏡は、運命を変える「希望の鏡」であると同時に、運命を受け入れる手助けをするだけの「絶望の鏡」だとされる。

 一見矛盾する解釈は、視点の違いが反映されている。

 アリスを呼び出したフリカにとって、あれは「希望の鏡」だ。実際にアリスはヨルズに襲われ死ぬはずだったフリカとバルドルを救った。

 だが、アリスにとってあれは「絶望の鏡」だ。運命の変更を含めて、未来は既に構築されている。アリスが知る未来は、運命を変えた「後」にある未来だ。アリスが未来を知っており、どれほど未来を変えたいと願っても、すべては予定調和の世界の中にある。

 アリスがどれほど強くフリカを助けたいと願っても、アリスは過去を変えられない。だから、「絶望の鏡」なのだ。


「なにもできないのは、俺も同じだ」


 ビューレイストはぐっと拳を握りしめる。

 今まで淡々とすべきことをし、できないことは諦めて生きてきた。だが、この瞬間はじめて、真の無力感という言葉の意味がわかる。

 今のビューレイストは無力だ。

 単独でアリスを守ることはできない。だから母親であるラウフェイに頼るしかない。将軍相手ならば自分の身ひとつ守れないだろう。こうして泣くアリスに現状で可能な選択肢を提示してやることすらできない。

 ビューレイストがひとりでできる、可能な選択肢が何一つないのだ。

 はじめての無力感に打ちひしがれて拳を眺めていると、ふとアリスが涙のたまったまん丸の目でこちらを見ていることに気づいた。


「・・・なんだ」

「エトヴァスに、いや、ビューレイストに共感されたのって、はじめてかも」

「・・・共感?」

「だって、なにもできなかったって、同じ気持ちでしょう?」


 共感とは、相手の考えや感情を自分のその通りだと感じることだ。魔族は感情の起伏に乏しい。情緒的な感情が理解できない自己中心的な生きものだ。

 なのに、アリスは今、ビューレイストがアリスに共感しているという。


「・・・へんなの。未来のビューレイストにも共感なんてできないよ」


 涙をためたまま、でもアリスが嬉しそうに笑う。

 なんの問題も解決していない。ビューレイストはアリスが「エトヴァス」と呼ぶ未来のビューレイストのように、アリスを揺るぎなく守れるわけではない。それでもただ一度の共感を、アリスは宝物を見つけたように嬉しそうに笑う。

 その一言で、ビューレイストは自分がおかしいことに気づいた。何の保証もないその共感だけで、心が軽くなり、得体のしれない不快感が消えていく。 


「ねぇ、」


 一緒に寝よう、とアリスがビューレイストにねだってくる。だからそれに促されるままに体を動かすと痛がるアリスを気遣いながら、ビューレイストはアリスの隣に横たわり身を寄せる。するとアリスは酷く幸せそうに、目を細めた。


「ビューレイストにひっついていると、安心する。世界で一番安全な気がする」

「・・・間違いなく気のせいだ」


 未来のビューレイストならともかく、今のビューレイストの腕のなかが安全だというのは勘違いだ。ビューレイストは正論を返したが、アリスは首を横に振る。


「変わらないよ。ビューレイストでも、エトヴァスでも変わらない」

「・・・ならおまえは未来の俺だったとしても、俺を置いていくのか」


 アリスが顔を上げた。ビューレイストはアリスの紫色の瞳を静かに見下ろす。

 アリスはフリカとバルドルをひとりで助けに行った。そんなことを、未来のビューレイストの前でもしただろうか。

 

「・・・だ、だって、反対されると思ったし、危ないと思って」

「俺はおまえの身を危険にさらすことには常に反対だ。だが、あんなふうにひとりで行かれるのはもっと最悪だ」

「・・・でも、あのタイミングじゃないと」


 突拍子もないあのタイミングでなければ、アリスはラウフェイの目を盗んで出奔できなかっただろう。ラウフェイは強い将軍だ。そして頭もよく、慎重でもある。アリスを危険な戦場に行かせなかっただろう。


「それはわかっている。だが、俺が不愉快だったことは理解しろ」


 ビューレイストはそれも理解している。だからその点について強く責めようとは思わない。

 だが、アリスが転移で消えたとき、そしてオーディンの宮殿で倒れ伏すアリスを見つけたとき、ビューレイストがどれほど不愉快だったか、アリスは理解すべきだ。

 アリスはくしゃりと表情を歪めた。


「・・・でも、わたしのせいで、死んじゃうかもしれない。せっかく、ビューレイストは将軍にだってなれるのに」

「俺はそれでせっかくの食糧と妃を失うのか。あまり変わらないだろう。だからそんなことはどうでもいい」


 アリスはビューレイストを失うことを未来のために恐れるけれど、未来から来たアリスを失うことは、それとあまり変わらない。単にお互いがお互いを失うことを恐れているだけだ。

 そっとアリスの体を痛まないようにそっと自分の方へと引き寄せる。


「不確定なことを議論するより、ひとりでどこかにいくな」


 多分、どう転んでも、アリスの未来はある。ビューレイストの未来も失われない。アリスが未来の世界でビューレイストに会い、妃になるという運命は、なにをしても変わらない。間違いなく、ビューレイストは長い旅路の後に、アリスに会える。

 だがきっとそれまで、アリスのことは忘れてしまうだろう。

 ビューレイストは、ノルンの泉という魔導具のことを調べ、もうひとつ気づいてたてた仮説があった。

 ノルンの泉は運命を変える「希望の鏡」であると単独で、もしくは運命を受け入れるのを助ける「絶望の鏡」であると両方の意味合いを併記する魔術書や碑文はある。だが、「絶望の鏡」であるとだけ記す魔術書や碑文はない。

 それは恐らく過去の世界で「絶望の鏡」を味わった本人は未来の世界に戻り、周囲の人間はその記憶を失う。つまりアリスが未来の世界に帰ると同時に、絶望を味わった「アリス」の記憶は過去のビューレイストのなかから失われるからだ。

 そして未来を変える「希望の鏡」という言い伝えだけが過去の世界に残される。

 未来の世界に戻ったアリスと同時に、未来のビューレイストたちには恐らく過去にアリスと過ごした記憶が戻る。未来のビューレイストたちが受け入れがたい過去を振り返るときに、過去という運命を受け入れる手助けをする記憶として、ビューレイストたちに戻るのだ。

 だから、「希望の鏡」と「絶望の鏡」という表現は併記される。

 それでも、魔術は他者の「記憶」は奪えるが、感覚は奪うことはできない。覚えた味はたとえ記憶になかったとしても、深くビューレイストに根付くだろう。腕に抱くアリスの体温は、たとえ覚えがなくとも心地よいものだろう。

 少しでも早く、アリスから離れなくてはならない。

 この一件は魔族の将軍たちを揺さぶるだろうし、同時にビューレイストは、この一件の真の「黒幕」の存在をもう感じ取っていた。だから、アリスを早く未来に返さなければならない。そしてだからこそ、今だけでも、少しでも傍にいたい。


「傍にいろ」


 ビューレイストの思案などアリスは知らないだろう。小さく笑って頷く。


「うん。一緒にいる。どこでも、一緒」


 状況は良くない。ビューレイストもアリスも強くないし、これからどうなるのかもわからない。アリスを未来から呼び寄せたフリカは三ヶ月ほどでアリスは未来に帰れると言ったらしいが、まだ2ヶ月ほどある。なにが起こるかなどわからない。

 だがそれでもふたりでこうして寄り添っていることはできるだろう。

 ただ、自力で身を守れない限り、邪魔者は多い。


「アリスは起きたか?」


 石造りの入り口から、ひょこっと顔を出したのはビューレイストの母親のラウフェイだ。ビューレイストは仕方なく身を起こし、頷いた。

 温もりを覚えておくにも苦慮しそうだとため息が出た。





ビューレイストは既にある程度、ノルンの泉の答えを見つけています。

なので、アリスが恐らく死なないだろうなと言うことや、アリスが知る事象がどう転んでも事実として確定的であることももう想定しています。

賢いんでね。よくわかっていないのは、アリスばかりです。


アリスとラウフェイ

「お母様何色が好き?」

「別に色に好き嫌いもないだろう。むしろおまえは何色が好きなんだ?」

「え・・・?」

「?」

「金色とか好きだよ。ビューレイストの髪の色?」

「翡翠も好きか」

「うん。目の色だものね。とても綺麗」

「人間とは、そういう好きな色の決め方をするのか?」

「え?」


 後日、フリカがラウフェイに何色が好きか聞かれ、きっと白銀と緋色とか答える笑

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