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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
三章 少女、魔族の将軍会議に出る
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08.アリス

 その男、ロキは、アリスが結界を破った竜の離発着用の砂場の近くに立っていた。

 自分を攫いに来たのは知っているが、見るのははじめてだ。

 エトヴァスの弟だと言うだけあって、彼は明るい金髪と翡翠の瞳や顔立ちはエトヴァスによく似ている。ただすべてが少しずつ違う。中途半端な長さのエトヴァスの金髪より、少し短い。身長がエトヴァスより少し低いし、エトヴァスとは異なり、彼はずっと体の線が細く、それがエトヴァスと同じように黒いマントを羽織ってもよくわかった。



「え、かわいいじゃないか」


 ロキは翡翠の瞳をわざとらしく丸くして、口を開く。

 彼もまた、アリスは黒いフードをすっぽりかぶってフレイヤに抱きしめられていたので、アリスの容姿を見るのははじめてだろう。

 だが褒められても嬉しくはない。何よりその言葉に本質がないことにぞっとした。フレイヤが向けてくれる「かわいい」とはまったく違う。


「アリス?」


 エトヴァスはこの違和感がわからないらしい。


「う、うぅん。帰ろう」


 エトヴァスに遅れないように彼の隣を歩く。

 するとエトヴァスは聞き手ではない右手で、アリスと手をつないでいる。後ろにはバルドルとフレイヤが続いて歩いている。ロキとすれ違う側にいるのはエトヴァスだ。逆に後ろのふたりでロキとすれ違うのはバルドルだった。

 アリスの感覚にすぎないが、恐らくバルドルはフレイヤより強いし、その強さはロキも警戒するほどなのだろう。

 エトヴァスはロキに声をかけることもなく、アリスと手を繋いだままロキの隣を素通りし、砂地の方へと下りた。それにバルドルとフレイヤも続く。


「え?無視?」


 ものすごく平坦で、エトヴァスによく似た声だった。アリスは振り返らなかったが、こんな平坦な声音を出しながらも、きっと彼の顔は笑っているのだろう。


「ねぇ、紹介してよ。彼女だって僕を紹介して欲しいかも知れないじゃないか」


 ロキの声にふと、エトヴァスが足を止めた。アリスも歩を止めて彼を見上げる。


「アリス、紹介してほしいか?」


 もしかするとエトヴァスは、先ほど魔王との話の時に同席するかを聞かず、アリスが置いていかないでほしかったと泣いたのを、重く受け止めているのかも知れない。だからちゃんと選択肢を提示してくれる。彼は自分の話をちゃんと聞いて、改善しようとしてくれている。

 それが嬉しくて、アリスは手をつないだままエトヴァスの腕に頬を寄せた。


「はやく帰りたい」


 彼とふたりで過ごす時間が、一番落ち着く。だから早く帰りたい。素直にそう言ったが、当然ロキは不満だったのだろう。


「え、なんで?僕、この子になんかしたっけ?」

「城に攫いに来たからじゃないか」


 ロキに対してエトヴァスは淡々と言いすてる。

 するとフレイヤとバルドルが顔色を変えてロキの方を振り返った。アリスもつられるように後ろを見る。ロキは相変わらず同じような顔で笑っていたが、アリスにはその目が笑っているようには見えなかった。


「うわぁ、最低」

「・・・ドン引きだ。よく死ななかったね」


 フレイヤとバルドルはそろって、ロキの行動にひいたような顔をしていた。

 上位の魔族の間で人の食事に手を出すというのは万死に値する。人の領地まで行って手を出したとすれば、それは殺されなかった方が幸運と言うべきだ。ましてや相手はエトヴァスで、彼は自分の敵だと思った場合、容赦などない。

 アリスもなんとなくそれは理解していたが、フレイヤとバルドルの引き具合はそれ以上だった。

 

「殺されかけたよ。エトヴァスがフルコンディションじゃなかったら、死んでた」


 ロキはケラケラと笑いながら答える。


「は?」


 フレイヤが理解できないとあからさまに表情を歪めた。アリスもよくわからず隣のエトヴァスを見上げる。表情はかわらなかったが、彼の眉が寄ったのが見えた。

 

「魔力の調子が良すぎてな。力加減をミスって、そいつの肉体が完全に消滅する前に、捕獲していた魔術を先に粉砕した」

「・・・君らしくない珍しいミスだね」


 エトヴァスの言葉に、バルドルがその琥珀色の瞳を瞬いて言う。


「あぁ、次はない」


 エトヴァスはそう短く返し、促すようにアリスの手をひく。アリスも小さくうなずいて、空を見上げた。上空には数匹の竜が飛んでいる。そのひとつは赤くて、アリスたちが城から出るときも使った個体だった。竜が生み出す風に長い亜麻色の髪がなびく。

 無事に屋敷に帰れそうだとほっとしていると、その背中に声をかけられた。


「ねえ、おまえは血肉を奪われて生きること、嫌だと思わないの?」


 ロキが笑いながら言う。後ろにいる男を振り返れば、道化のように笑っていた。


「おまえはその杖のもとの持ち主みたいに、すぐに食い殺されるって思わない?」


 ロキは今度こそ笑いもせず淡々と言った。アリスが胸につけている、銀の絡んだ緑色の石のついているブローチは白銀の杖になる。それをどうやらロキは知っているようだ。


「その杖の元の持ち主を喰ったのは、そいつだよ」


 言われて、アリスは白銀の杖をもらったときのことを思い出す。

 そう言えば、エトヴァスはヴァラの屋敷でこの杖をぼんやりとながめていた。もしかすると自分が喰った相手を思い出していたのかも知れない。アリスはそれが理解できず、彼が見ていたその杖を、彼が見ているからという理由で選び出した。

 ヴァラがエトヴァスにわざわざその杖で良いのかどうかを確認したのは、恐らく彼が食った魔術師の杖だと知っていたからだろう。

 アリスは今更ながら納得する。


「そんな危険な奴じゃなくても、いくらでもおまえに良い生活を与える魔族はいるよ」


 ロキはビューレイストがアリスの杖の以前の持ち主を喰った、危険な男だと言う。そして他にも道があるかのように誘う。


「おまえの隣のその男は怖いだろう?裏切られたら、悲しいだろう?僕ならおまえのその気持ちを、とてもよくわかってあげられるよ?」


 ロキはまるで慈しみを知るかのような言葉を紡ぐ。

 アリスはロキの言葉を少し考え、自分の右手とつながるエトヴァスの左手をみやる。アリスよりずっと大きくて、少し体温の低い手。こうして手をつないでくれるから、アリスは何の不満もない。


「わたし、今のままで、いいよ」


 だからアリスは素直にその気持ちを口にした。だがそれはあまりに意外だったのだろう。ロキは一瞬きょとんとした顔をして、首を傾げる。

 


「え?・・・明日には喰われて死んでるかも知れないのに?」


 ロキはわざとらしく驚いてみせる。エトヴァスは魔族だ。いつ食べられてもおかしくない。だがアリスとて、食べられる可能性はわかっている。


「うん、でも・・・人間でも魔族でも、それは多分どこにいても一緒だし」


 アリスは、普通の生活をしたことがない。

 アリスは対魔族結界の動力源として閉じ込められ、誰ともふれ合うことなくずっと死んだように生きてきた。しかも人間に捨てられて魔族のエトヴァスに差し出された。だからどこにいても食い物にされるのは、わかっている。

 だがもうひとつ、アリスはわかっていることがある。


「それに・・・仮に良い生活を与えてくれる魔族って言うのがいたとしても、少なくとも、きっと貴方じゃないよ」

「なんでそう思うの?」


 さきほどまでエトヴァスと同じ翡翠の瞳には食欲以外の大した興味はなかった。なのに、はじめて興味深そうにロキがアリスのその眼差しを向け、尋ねてくる。


「貴方は嘘つきだから」


 アリスは静かに、そして確信を持って言う。

 それを聞いていたフレイヤとバルドルの方が驚いた顔をした。ロキはアリスのそのあまりの言い草にも怒ることなく逆に不思議そうに腕を組み、アリスを見返す。


「おまえは僕をなにも知らないだろう?」

「知らないけど、・・・貴方の目は、エトヴァスと同じなの」


 ロキの翡翠色の瞳は、エトヴァスにとてもよく似ている。平坦で、落ち着いていて、感情がよく見えない。何を見ていても大して興味のない目をしているのは、とてもよくわかる。

 なのに、彼はエトヴァスとまったく違う言葉を口にする。


「貴方に、わたしの気持ちはわからないよ。だって、貴方は怖いとも悲しいとも、思ったことがないでしょう?」

 

 ロキの翡翠の瞳が、まん丸に見ひらかれた。

 ロキはエトヴァスの弟であり、純血の魔族だ。魔族は概ね感情の起伏が乏しい。怖いや悲しいといった情緒的な感情を、エトヴァスが理解できるとは思えない。そして同じように、それを「わかる」というロキの言葉は嘘に決まっている。


「エトヴァスは嘘はつかない。わたしの気持ちを自分のものとしては理解しないけど、無視しないの」

 

 エトヴァスはこれからもきっと、アリスの気持ちを自分のものとしては理解しない。だが、無視もしない。今も怖い、悲しいと言えば、抱きしめてくれる。確かにそれは、アリスが父親がそうしてくれて嬉しかったと言ったからだ。ただ、アリスはそれでいいと思っている。


「今だって不安だから手をつないでくれる。きっとエトヴァスには不安って気持ちはわからないけど、私が望むからそうしてくれる。わかってくれなくても、それでいいの」


 彼にとって、多分手をつなぐことに意味なんてない。でもアリスが望むからそうしてくれる。そしてアリスは、それでいいのだ。

 ふっとロキの表情が消えた。さきほどまで笑っていたのに、平坦なものになる。アリスが彼と相対し始めてはじめて見るような表情だったが、それはバルドルとフレイヤも同じだったのか、彼らの方が驚いた顔をしていた。

 すべてが抜け落ちたような平坦さに、アリスはおもわず笑ってしまった。


「やっぱりそういう顔は、エトヴァスにとてもよく似てる」


 言えば、ロキの眉間に皺が寄った。兄に似ていると言われるのは、嫌らしい。アリスがふと隣のエトヴァスを見上げるが、こちらは平然としていた。

 竜がアリスたちの前まで下りてくる。


「帰るぞ」


 エトヴァスがアリスに声をかけてくる。アリスは迷いなくエトヴァスに手を伸ばした。

 かなり大きな竜だが、魔族は筋力も人間とは異なるので、アリスを抱えたまま軽く背中に上る。バルドルたちが乗るためか、別の竜も次々に下りてくる。その光景を見てから、アリスはもう一度ロキの方を振り返った。

 彼はじっとその平坦な翡翠の瞳でアリスを見ていた。


「・・・」


 知っている。あの平坦さの奥にある食欲への熱情。エトヴァスのなかにも見たことのある食欲の色だ。エトヴァスならば何も感じないそれに恐怖と嫌悪感を覚えるのは、自分が恐らくエトヴァスに好意を抱いているからだろう。

 ロキを見たのははじめてだが、おそらくエトヴァスとロキはとてもよく似ている。見た目も、エトヴァスの方が上背があるだけで、明るい金髪と翡翠の瞳は同じだ。ただそれだけでなく、言動が違うのに、根本的な何かが同じなのだ。それが兄弟というものなのかもしれない。

 眼下で小さくなっていく男を見ながら、アリスはエトヴァスに身を寄せる。


「なんだ」

「疲れたの。ふたりだとおちつく」


 他人と会うのは、とても疲れる。逆にエトヴァスとふたりでいるとアリスは落ち着く。


「はやく、お城に帰りたいな」


 あの城の一室で、ひたすらふたりで過ごす時間がアリスにとっては一番好きな時間だ。エトヴァスがどこにも出かけないならついていかなくても良いし、世界が何をしていたってどうでも良い。


「そうだな、帰ったらしばらくは二人ですごそう」

「本当?」

「あぁ、俺も面倒になってきた」


 エトヴァスの決定が嬉しくてアリスは彼に抱きつく。

 しばらくどこにも行かなくて良いと思えば、散々泣いたし怖い魔族たちの巣窟なのに、何やらあと一週間が乗り切れるような気がした。


エトヴァスさんとロキさん兄弟は、結構趣味嗜好がくりそつ

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