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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
三章 少女、魔族の将軍会議に出る
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06.アリス/バルドル

 聞き覚えのある声。でもそれは怖い声だった。


「フレイヤじゃないか。相変わらず美人だね。一晩どう?」


 エトヴァスと似た、それなのにあまりに軽い調子の声に、鳥肌が立つのがわかった。

 フレイヤにマントのフードを被せられ、そのまま抱きしめられているので、何も見えない。だが自分でも体が震える。前に城にアリスをさらいに来た男の声だ。


『どうせ彼女はどこでも、誰かの食糧だろう?僕の方が優しくしてあげられると思うけどなぁ』


 そう言って、アリスを攫いに来た人。

 エトヴァスは彼を自分の弟だと言っていた。彼が来てからエトヴァスは急に情報収集に出かけたり、アリスに熱心に魔力制御や魔術を教えるようになった。エトヴァスは無駄なことはしないからいずれも彼を警戒してのことだ。

 実際には見えないので声だけしかわからないが、明らかにフレイヤよりも魔力が大きい相手だ。それにフレイヤをなんとも思っていないようだった。

 アリスはそっとマントの下にある自分の杖となる宝石を握りしめる。 

 

「ふざけたこと言わないでちょうだい、ロキ。私はそういうタイプじゃないの」


 はねつける様な言い方で、いつもは少し高めのフレイヤの声が低い。怒っているとわかる。エトヴァスも彼が来たときはとても怒っていた。

 ふっと沈黙が落ちる。アリスはマントを被せられ、見えないので何もわからない。だが、誰かが自分を検分している気がした。そしてそれは正解だった。


「それ、ビューレイストのじゃないの?」

「そうよ。でも、私が今預かっているの」


 フレイヤははっきりと認める。

 緊張からか、彼女の体にも力が入っていて、抱きしめられているアリスが痛いと感じるほどだった。だが、それほど警戒しなければならない相手だということだろう。

 

「ちょっとかしてよ」


 軽い調子だった。本でも貸してというような、軽い調子。

 だが相手は人を食べる魔族だ。アリスなど簡単に食べられてしまうだろう。アリスはびくりと肩をふるわせる。するとフレイヤが宥めるように背中を撫でてくれた。


「やぁよ」


 低く、フレイヤが唸るように答えた。すると先ほどと同じ軽い調子で、彼は「えー」と声を上げる。


「減るわけじゃあるまい」

「減ったら困るわ」


 フレイヤは真剣だったが、相手は遊んでいるようにすら聞こえる。ただフレイヤに抱きしめられているので、フレイヤの緊張は嫌でも伝わった。

 アリスには何故かわからないが、動いてはならない気がした。そしてそれは多分、正しいのだろう。

 フレイヤは恐らく、アリスを連れて立ち上がることが出来ない。そうすれば相手の魔術や何かに引っかかる可能性があるのだろう。彼女には安全にアリスを心から立ち去らせる手段がないのだ。

 まだ相手のことなどさほどわからないアリスですら、フレイヤとこのロキというエトヴァスの弟には、力の差があると感じていた。フードを被され、暗いからこそ研ぎ澄まされた感覚が、魔力の大小をアリスに明確に告げる。下手をすればフレイヤまで殺されてしまうかも知れない。

 不安が心を支配していく。手が勝手に震える。だが、アリスは必死でエトヴァスの言葉を思い出した。


『落ち着け』


 エトヴァスが魔術をアリスに教えるようになってから、時々彼はアリスと模擬戦をするようになった。とはいえ、恐らく彼にとっては児戯のようなものだ。攻撃が入ったことも、まともな戦闘と言える状況なったことはない。

 当初アリスは攻撃されただけで怖くなり、足が震えて動かなくなった。アリスにはいつもエトヴァスがかけた強力な防御結界があるので、傷ひとつつかない。それでも攻撃されれば怖くてたまらず、身を小さくすることしかできなくなった。


『落ち着け。冷静になれ。焦るな。恐怖を忘れろ。それはいずれも戦いのなかで無駄なものだ。その分だけ、おまえの判断は鈍くなり、狙いもはずれる』

『で、でも、』


 逆説を繰り返したが、それは言い訳でしかないとわかっていた。

 攻撃を受けるというのはとても怖い。大丈夫だとわかっていても怖い。その気持ちは本当だ。だが戦いの場では誰がそれを考慮してくれるだろうか。この瞬間出し切れた実力がすべてだ。


『良いか、僅かであっても戦場ではその差が命取りになる』


 忘れるなと、エトヴァスはいつも落ち着いた、その平坦な声音で言っていた。

 落ち着くこと、それが最初だ。きっとロキはそれでなくともアリスには勝てない相手だ。だからこそ、落ち着かねばならない。大声で泣き出してしまい恐怖を必死で押さえ、アリスは大きく息を吐き、体から力を抜く。そして自分の杖を小さくしたブローチを握りしめ、感覚を研ぎ澄ました。

 怖い、だがあとで泣けば良い。


「ロキ、この子に何かしたいなら、ビューレイストに直接聞いてちょうだい」


 フレイヤは改めて、エトヴァスの許可を求めるように告げる。だがエトヴァスは前も子のろきという男に、言っていた。


『俺は食事を共有する趣味も言われもない』


 絶対許可しないだろう。だからそれはロキも承知しているはずだ。承知しているからこそ、エトヴァスがいない今のチャンスを生かそうとしている。


「僕はおまえにお願いしてるんだよ?」


 あくまでフレイヤとロキの関係性の間ですることだと主張する。


「無理よ。私はこの子のおもりを彼から頼まれているのよ」

「少しぐらいいいじゃないか。ねぇ」


 軽い調子は変わっていない。だが、一歩ロキが近づいてくるのがわかった。ぐっとフレイヤがアリスを抱きしめる腕にも力がこもる。


「・・・この子は彼の食糧よ。クイクルムの戦利品だもの」

「でも喰わなかったわけじゃないか」

「あら、そんなことないって貴方もビューレイストに会ったらわかるわよ。それとも会えない理由でもあるのかしら」


 フレイヤは笑っているような声音だった。虚勢だろう。アリスにもそれはわかっていた。フレイヤももう限界だ。ロキは絶対にフレイヤを殺すことを躊躇ったりしない。

 ロキが近づいてくる足音が聞こえる。

 鼓動が高鳴り、体全体が心臓になったようだ。アリスはぎゅっとブローチを握りしめる。落ち着けと何度も頭のなかで繰り返す。エトヴァスから魔族との戦いに関して教えられたのは、魔術で距離を取ること、それから“あれ”を打ち込むことだ。

 出来るだろうかと疑う気持ちに蓋をする。だがそれよりも別の大きな魔力が近づいてきているのを感じて、アリスは僅かに顔を上げた。


「フレイヤ、」


 落ち着いた少し高めの声だったが、知らない男性の声だった。


「・・・ば、バルドル」


 フレイヤが呆けたように名前を呼ぶ。アリスを抱くフレイヤの力が途端に抜けた。その名は、アリスも聞いた名前だった。

 

『ビューレイストが連れてくるのか。絶対バルドルあたりだと思っていたんだけどな』


 魔王はアリスを見てそう言っていた。エトヴァスよりも、バルドルが人間のアリスを連れてくると思っていたと言ったのだ。人間を友達にしそうなタイプなのかも知れない。ただ味方なのか敵なのはわからず、アリスはブローチから手を離さなかった。


 バルドルと呼ばれたその大きな魔力が近づいてきて、フレイヤの傍までやってくる。フレイヤの体から力が抜け、かわりにそっとフレイヤとは違う大きな手がアリスの背中にそえられる。

 それが怖くてアリスは無意識にびくっと体を震わせた。

 

「おいで、ビューレイストに会いに行こう」


 彼は事情をある程度把握しているのだろう。

 すぐに軽々抱き上げられる。その拍子に自分を抱き上げた相手が僅かにフードの中から垣間見えた。アリスを抱き上げたのは、恐ろしく美しい人だった。

 肩までの白銀の髪に琥珀色の瞳の、恐ろしく容姿の整った細身の男性だ。


「ごめんね。初対面で悪いけれど、少し我慢して欲しいな」


 抱き上げたアリスが恐怖に震えていることは承知しているのだろう。申し訳なさそうに彼は言って、アリスの背中をぽんぽんと優しく叩いてくれた。


「大丈夫、大丈夫よ」

 

 彼に続いてフレイヤがアリスを宥めるように何度も背中を撫でてくれる。確かに自分を抱き上げた男性がどんな人なのかもわからないし怖いが、ロキの方は自分を攫うと知っているのでもっと怖い。少なくともこの彼が来てから、ロキは僅かに遠ざかったようだった。


「バルドル、きてたんだね。元気だった?」


 ロキの軽い口調は変わっていないが、バルドルと呼ばれた男も答えない。


「あはははは、バルドルは無口だなぁ。良くないよ?」

「フレイヤ、魔王のところに行くよ。オーディンのところにビューレイストもいるんだろ」」


 彼はロキを黙殺する。そしてフレイヤに声をかけてから、アリスを抱えたまま歩き出した。少しずつロキから遠ざかる。それだけで気を失いそうなほどほっとする。

 体の力が抜けたのがわかったのだろう。自分を抱いてくれている男性が、また背中を撫でてくれた。








 安全なところまでやってきてからバルドルは少女を足下に下ろす。

 フレイヤが少女の黒いマントのフードをめくると、現れたのはどう見てもまだ十歳くらいの少女だった。

 亜麻色の長い髪の少女で、頬はふっくらしていて手足も柔らかそうだ。瞳の色は俯いているのでうかがえない。まだ子供らしい体つきで、どこか柔らかそうで白くて丸い。そういう衝動のないバルドルにもなにやら美味しそうに見える少女だった。

 ただ、その手で強く手元のブローチを強く握りしめている。魔術を使うため杖を縮小してあるのだろう。その手は小刻みに震えていた。


「ごめんね。こんなに震えて、怖い思いをさせて。私が迂闊だったわ」


 フレイヤが膝をつき、色をなくした頬を撫でる。


「ロキに注意しなかったビューレイストが悪い」


 バルドルはため息をついて自分の白銀の髪をかきあげた。

 こんな小さい人間の子供を連れて魔族の巣窟に登城するなど正気の沙汰ではない。そもそも魔族と人間はまったく違う生きものだ。ましてや要塞都市の動力源になるような莫大な魔力を持つ少女を、上位の、特に純血の魔族が欲しがらないはずがない。

 

「防御の魔術は入っているし、大丈夫なんだろうけれど・・・、でも怖かったわよね」


 フレイヤはまだかたい表情をしている少女の背中を何度も撫でる。バルドルが確認のために少女をその琥珀の瞳で映すと、確かにものすごい量の防御魔術がかかっていた。

 

「・・・」


 少女がどの程度魔術が使えるのかはわからないが、これはロキの本気が数発入ったとしても、なにもできないだろう。しかも攻撃を受けたと同時にビューレイストにもわかるようになっている。転移の魔術と思しきものも垣間見えるから、すぐにビューレイストが飛んでくるだろう。

 どの魔術も構造式が隠されているし、複雑すぎてはっきりしない。ただバルドルがわかるのは、これを見て襲おうと思うロキはやはり頭がおかしいと言うことだった。

 そして同時に、ビューレイストも人間という生きものを理解していない。

 

「アリス、大丈夫?」


 フレイヤが抱きしめたり、背中を撫でたりするが、少女は一向に動かない。顔色も真っ白のままで、うつむいている。怖くて声も出ないようだ。


「恐怖は、魔術で安全だからと拭えるものではないからね」


 ビューレイストは少女が安全なように魔術を施している。だが、自分が襲われ、喰われ、殺されるかも知れないという恐怖は、決して拭うことの出来るものではないだろう。純血の魔族で感情の起伏に乏しい彼はそれが理解できないのだ。

 バルドルはアリスの前に膝をつき、視線を合わせる。アリスは顔を上げなかったが、バルドルはぽんっとその亜麻色の頭に手を置いた。


「悪かったね」


 バルドルも少女の事情はある程度聞いている。

 要塞都市クイクルムの対魔族結界の動力源として、魔族のビューレイストに差し出された。今もその血肉を奪われ、飼い殺されている少女だ。その状況を鑑みれば、決して魔族を好ましいと思っていないだろうし、怖いと思っていることだろう。

 そしてまたロキのように自分を狙う、新たな相手が出てきたらもっと怖いに決まっている。いや、フレイヤやバルドルとて魔族だ。彼女にとって恐ろしい捕食者に変わりはない。


「・・・思っていたより随分と小さい子だな」

「まだ十歳ですって」

「十歳か・・・」


 結界の動力源の交代は、対魔族結界故に魔族にはわからない。だがこんなに小さな少女だとはバルドルも想像しなかった。


「はじめまして、バルドルだ」

「・・・アリス、です」


 か細い声だった。やはり顔は上がらない。手はまだ杖であるブローチを掴んだままだ。もう片方の手も、黒いマントの裾をきつく握りしめている。


「ロキはひとまず来ないよ」


 バルドルが言うと、少女はやっと安全だとわかったのか、ブローチから手を離した。ロキが来るかもしれないと、まだ怖がっていたのだろう。


「どうしたい?ビューレイストのところに行くか、ここにいるか」

 

 所詮、誰であっても彼女にとって自分を喰う捕食者だ。彼女に安心できる場所などないだろう。それでもバルドルは彼女に選択肢を提示した。

 アリスは顔を上げた。珍しい大きな紫色の瞳が現れる。


「・・・ここに、いる」


 紫水晶のように美しく、大きな瞳にはあっという間に涙がたまる。それがゆらゆら揺れている。


「・・・お話しているから、邪魔したらいけないって、」


 か細い声でそう呟くと、堰を切ったように涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。それを小さな手が拭う。その隙間をまた滴がこぼれ落ちる。それの繰り返しだ。しまいにはしゃくり上げて、本格的に泣き出してしまった。

 十歳くらいの少女なら、当然の反応だろう。


「怖かったのか。そうだね、」


 バルドルは頭を撫でてやるくらいしか出来ない。だが怖いと思うその気持ちを、受け止めてやることはできる。こぼれ落ちてくる涙を眺めながら、バルドルはぼんやりと自分の母親を思い出した。


『・・・怖い』

 

 人間だったバルドルの母親はよく泣いていた。

 魔族は泣かない。感情の起伏が激しくないから、そこまで感情が高ぶることがない。父は魔族と巨人の混血で、純血の魔族ほど感情の起伏に乏しいわけではないが、母の情緒を理解しようとはしなかった。

 母は自分を捕食する可能性のある魔族の間に残され、とても怖かったのだろう。結局、彼女は白銀の檻のなかで自ら命を絶ち、父に跡形なく喰われた。

 幼い頃、大丈夫だと強がる母にかける言葉はなかった。どんな言葉をかけるのが正解だったのか、今でもよくわからない。

 そして今もまた、バルドルには言葉がない。

 この少女はその一生を、純血の魔族に血肉を奪われるだけの生活で終えるだろう。それなのにバルドルにはかけてやる言葉がない。

 あの日と変わらず、バルドルはこの小さな人間の少女を前に、どんな言葉もでなかった。


バルドルさんは単純に優しい人

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