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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
一章 少女、食糧にされる
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02.エトヴァス

 朝6時に起きる。とはいえ起きるというのかはわからない。魔族に決まった時間に寝たり起きたりする習慣はない。そもそもあまり眠ることを必要としない。それが魔族だ。だからこれから行うことは、いずれもエトヴァスが百年前に人間と過ごした頃に学んだ営みだ。


 寝巻きから普通の服に着替える。

 質の良いシャツに黒のズボン。時期によってはベストを着る。今は初夏なので、着るかどうかはまちまちだ。同じようなものを複数持っている。好みはない。そもそも人間とは異なり、魔族にはたいした色彩感覚も寒暖の差を感じる神経もないので、本当になんでも良い。

 厳密に言うと魔族は服を着る必要も恥じらいの概念もあまりないが、人間風の服を着る。

 千年程前からこれが魔族の間でも普通になった。千年前は自分のような人型の魔族は全体の半分くらいだったが、人間が増えてきた頃に人間に似た見た目をした魔族が増えた。人間に擬態した魔族の方が食糧を得られる率が高かったからだろう。

 魔族は魔力を持つ生きものの血肉を食うことで、生きる。人間を含む魔力を持つ生きものは、エルフでもなんでも捕食する。魔族が人間をよく襲うのは魔力が大きい割に脆弱だからだ。魔力が大きければ大きいほど美味しく感じるので、種族も性別もなんでもいい。時には魔族同士共食いもする。

 だからベッドの上ですやすや眠っている莫大な魔力をもつ生きものを食べてしまいたいと思うのは、魔族であるエトヴァスには仕方がない衝動だ。

 先ほどまでエトヴァスが横たわって本を読んでいたベッドで丸くなっているのは、十歳くらいの長い亜麻色の髪の少女だ。

ここに来た半年前はガリガリで、話すことも歩くことも満足にできないほど栄養状態が悪かった。しかし最近はよく食べているせいか頬もふっくらした。眠っているのでいつもは白い頬が熱を持ち、血色の良いピンク色になっているのでますます美味しそうに見える。

 しかも彼女が有する魔力は莫大で、少量口にするだけでエトヴァスのすべてを最高レベルで維持してくれる貴重な存在だ。

 ふにっと美味しそうな頬をつついてみる。だが身じろぎひとつしない。この少女は当初からぐっすり爆睡型で、捕食者の前でこれだけ眠れるのだからたいそう図太い神経をしていると思う。

 それなりに丁重に扱っている自覚はあったが、人間と魔族は何もかもが違う。長期的に飼うなど可能だろうかと自分でも疑問に思っていたが、幼いせいか、性格なのか、半年の間にここでの生活にあっさりと順応したようだ。

 毎日怖がられ逃げられれば労力がいるので、こちらとしても有り難いが。


「コーヒーをお持ちしました。」


 十六,七歳の黒髪の少女がコーヒーカップを持って現れる。

 彼女には金色の目が三つあり、人間とはかなり異なった容姿をしているが、魔族ではない。東の鬼という種族で獰猛で有名だ。ただ人間を好んで食べることはなく、人間との通婚も多いので人間に対する造詣が深いと聞いた。

 エトヴァスがベッドで眠る少女を飼うにあたり、魔力にものを言わせて魔術で強制的な主従契約を結んだ鬼で、メノウという。強制的な主従契約は避けたかったし、幼いアリスにつけるなら出産経験がある女性が良かったが、少なくとも魔族の誰かを彼女につけるよりは百倍ましだった。

 魔族であればどれほどエトヴァスが恐ろしかろうと、この莫大な魔力を持つ少女を食べてみたいという衝動を抑えきれないだろう。それほど魔族にとって莫大な魔力を持つ生きものは、美味しそうなのだ。


「起きろ、」


 七時になれば、揺すって起こす。

 この少女は寝付きはいいが、寝起きが悪い。もう一度揺さぶればゆっくりと起き上がるが、いまいち意識は覚醒していない。大きな紫色の瞳は日頃の半分くらいしか開いておらず、それをごしごし赤くなるほどこする。

 こういう時にエトヴァスがいなくなると、すぐそのまま二度寝する。

 なので、きちんと起きているかを確認してからでないと、ベッドのそばを離れてはならない。二度手間になる。案の定、アリスはそのまま枕にまたよろよろとダイブした。


「だめだ」


 エトヴァスは自分の膝の上に抱き上げ、肩や背中を叩きながらアリスを起こす。するとだんだんアリスも目が冴えてくるのか、紫色の瞳のままふわっと笑った。


「エトヴァス、おはよう」


 ここまで来てやっと、起きたと言える。

 エトヴァスは答えない。人間は時間に合致した挨拶をする。しかし魔族は朝夕の区別を本質的にはしない。そもそもほとんど眠らないような生きもので、魔族には礼儀という概念もないので、エトヴァスは挨拶を返さない。

 ただし彼女は答えが返ってこなくても別段気を悪くすることもなく、毎日楽しそうに挨拶をしてくる。そういうものだとメノウに教えられたからだ。


「メノウもおはよう」

「アリスさま、おはようございます」


 鬼のメノウが笑ってアリスに挨拶をする。そしてアリスはメノウの手を借りながら、自分の身支度に取りかかる。

 アリスはまず血で汚れた寝間着を白いシュミーズドレスに着替える。最近は夏になったが、山の上にあるエトヴァスの城は朝晩は涼しくなる。ましてやここはエトヴァスの城の一番高い塔の上にあるので、風も通る。そのため風邪を引かれても困るので朝晩の涼しいときだけカーディガンを着せていた。

 夜にエトヴァスがアリスを齧ることはよくあるので、寝間着は汚れていることが多い。それはメノウが回収していく。

 だいたいエトヴァスは夜に彼女の血肉をもらうことが多い。ただ痛いだろうから、血肉をもらうときは魔術で痛みを麻痺させているし、彼女が朝起きるまでに傷はだいたい治している。

 だから朝に傷はない。服の汚れだけだ。

 アリスは服を着替えると顔を洗い、鏡の前で髪の毛を梳く。それらをメノウが手伝う。メノウがアリスの世話をするのはエトヴァスが魔力に物を言わせた契約で縛り付けているからだが、不思議なことに、メノウはアリスのことは嫌いではないらしい。自分の娘か妹であるかのように丁寧に扱う。

 朝にアリスの傷が治りきっていない時は、エトヴァスがメノウに睨まれることもあった。

 鬼は獰猛だが、情の深い生き物のようだ。アリスより少し年上の少女の見た目をしていても、メノウは間違いなく百歳を超している。だから自分より弱い生きものが良いように扱われているのは我慢ならないのかもしれない。

 この情の深さこそ、鬼が人間とかけ離れた姿をしているのに通婚が多い理由のひとつだろう。

 どちらにしても、エトヴァスにとってメノウがアリスに情を移してくれることは結構なことだ。魔族ではこうはいかない。


「今日のご飯はなに?」

「鹿肉のソテーです」

「とってもおいしそうだね」


 アリスはよく笑う。その珍しい紫色の瞳を細めて、嬉しそうに笑う。

 食事はだいたいメノウが作っている。彼女の方がエトヴァスより遙かに人間の食事に詳しいからだ。

 エトヴァスが作ってみたこともあるが、脂っこさ故かまだ食事をすることになれていなかったアリスには吐かれたことがあるので作らない。メノウに後から聞いてみると、どうやらエトヴァスが知っている人間の料理は大半が働き盛りの男性向けの油たっぷりの料理だったらしい。

 当時まだ胃が弱っていたアリスには、油物を食べられるほどの胃がまだなかったようだ。それから基本的にメノウに作らせるようにしている。

 たしかに百年前に人間のなかで暮らしていた頃、長生きする秘訣を聞いたとき、健康で文化的な生活を守る事が大事だと言われた。だからエトヴァスもアリスが少しでも長生きし、その血肉を少しでも長くむさぼれるように、アリスの体調や精神状態には極力気をつけることにしている。

 メノウがテーブルの上に食事を並べると、アリスはますます嬉しそうにその瞳を細めた。それを見ているとエトヴァスは不思議な気分になる。

食べはじめてからも、アリスは手がかかる。


「ほうれん草、食えよ」


 アリスは緑の野菜が嫌いなのか、すぐに残そうとする。それをエトヴァスはめざとく見つけ、注意する。食糧として長生きしてもらうためには、健康は重要だ。そして健康のために偏食は敵だと人間と暮らしていた頃に聞いたことがあった。


「え、うん。でもこの白いのおいしい」


 嬉しそうに食べる。ただ自分が食べているものの大半の名前を知らない。


「それはシュパーゲル、白アスパラガスだ」

「しゅぱーげるはおいしいね」


 アリスは紫色の瞳を瞬き、首を傾けて笑った。

 見た目は十歳程度だが、人間としての一般常識は幼い子供程度。出されたものは美味しければイノシシでもウサギでも、竜でも、なんでも食べる。本来人間は竜など食べないが、竜が出された時も「なんか固いね」で終わった。虫などを食べさせても、おそらく同じ反応だろう。

 食事のマナーは完全だとは言わないが、概ね問題はない。しかも比較的高位の人間のマナーを身に付けている。学力は文字がある程度は読めるが、ほぼ書けない。就学前といったところだ。

恐らく五歳前後まではまともな教育を受けていたのだろう。


 魔族は人間を喰う。共食いもする。人間は魔族を喰わない。共食いもしないと言われる。だが人間は多数のために、ひとりの人間を食いものにする。

 彼女は要塞都市クイクルムの対魔族結界の動力源だった。

 要塞都市クイクルムには千年前に張られた大魔術師ルシウスの対魔族結界があった。この結界は維持と修復のために莫大な魔力を必要とする。つまり動力源として魔力を有する人間が必要なのだ。アリスはその結界の動力源だった。

 アリスは魔術師ではない。だが魔力を供給する動力源で、要塞都市の一室に幽閉されていたらしい。教育水準から考えて幽閉されたのは5歳前後、今の見た目から推測するに五年ほど閉じ込められていたことになる。

 これほど莫大な魔力の持ち主であれば、対魔族結界を持つ要塞都市出身でなければとうに上位の魔族に見つかって食い殺されているし、要塞都市内で魔術教育を受けているはずだ。もとは要塞都市の貴族の娘で、両親が政争に負けたかなにかで、ていよく動力源にされたのだろう。

 しかしその結界をエトヴァスが破壊した時、彼女はいらない存在になった。

 人間は今まで結界の動力源に使ってきた莫大な魔力を持つアリスを、今度はあっさりと魔族の「食糧」として差し出した。アリスと引き換えに要塞都市クイクルムを一年間攻めないでくれと休戦を申し出たのだ。


 人間は魔族を人間を食らう恐ろしい生きものだというが、人間も十分恐ろしい生きものだとエトヴァスは思う。彼らは集団のために、ひとりの少女を犠牲にすることを厭わなかった。

 エトヴァスは休戦などどうでもよかったが、エトヴァスは単純に百年ぶりの食糧を探していた。莫大な魔力をもつ生きものである。結界の動力源の人間をはじめ、都市には必ず莫大な魔力を持つ人間がいるから、要塞都市の結界を破ったのだ。

 エトヴァスは目的通り莫大な魔力を持つ生きものを得てそれを喰らい、また百年引きこもるつもりだった。

 なのに、喰ってしまおうとこの少女の凍りついた硝子玉のような紫色の瞳を見て思いだした。


『人間となんて、生きるべきじゃない』


 百年前に最後に会った時、エルフの女はぼんやりと空を見上げそう言っていた。擦れたその声音は風に消えていった。


『生きるべきじゃなかったんだ』


 振り返り、自分に向けられたその紫色の瞳に憎悪がなかったのははじめてだった。

 いつも構えていた身の丈以上に大きな鎌もなく、小柄な体はいつも以上に小さく見えた。それでも相変わらず彼女の珍しい紫色の瞳は平坦で、静かで、なのに感情をほとんど解さないエトヴァスにも悲しげに見えた。

 彼女は長い寿命を持つエルフで、伴侶は短い寿命しか持たない人間だった。エトヴァスからしてみればそんなことははじめからわかっていただろうと思った。だから彼女が何を後悔していたのか、エトヴァスにはわからなかった。

 彼女の死んだ伴侶を喰ったのは、自分だった。十年後自分が死んだとき、その血肉をもらうというのがその男との約束だったからだ。一緒に暮らした、よく知った、そして莫大な魔力を持った男だった。

 あれから百年、一度も彼女を見ていない。

 まじまじと同じ紫色の瞳を見ると、硝子玉のようだった紫色の瞳にあっという間に水の膜がはり、ゆらゆら揺れ、こぼれ落ちた。目の前にある瞳はちっとも平坦などではなかった。心が揺れると言うほどではなかったが、エトヴァスは紫色の瞳をうかがうようにじっと見返した。

 だが、その瞳はすぐに閉ざされた。

 エトヴァスが遠慮なく齧り付いたため、出血が酷く、限界だったのだろう。気を失ってしまったのだ。

 そのまま少女を食べつくしてしまっても良かった。だが、ある程度満足したことでエトヴァスはふと冷静に考えた。そう、自分は満足していた。

 少女はまだ死んでいない。牙を立てた首元からは止めどなく血が溢れていてそれに口をつける。なんて美味なのだろうと、あらためて思った。先ほど口にした血肉もそうだが、あまりに美味しい。

 見たところ、この少女はまだ十歳前後だ。

 今でも十分に莫大な魔力を持っており、目眩がするほど美味しい血肉を持っているが、魔力というのは思春期に一気に成長する。


『飼ってみたら?鼠でも情が移るもんだよ』


 紫色の瞳の女を思い出したせいだろう。ついでにあの女の伴侶だった男が言っていたことを思い出し、ふと、この少女を飼ってみてもいいんじゃないかと思った。

 少なくとも飼えば、この美味な血肉を長く味わっていられる。

 少女を飼って、彼女の血肉を命に関わらない程度で喰らっていれば、彼女が生きている間ずっと血肉をむさぼれるし、この少女が老人となって死ねば、そのまま喰ってしまえばいいのだ。

 今までは喰らってしまってから最高でも百年ほどで新しい魔力を持つ血肉を探さねばならなかったが、彼女を飼えば彼女の寿命の百年弱と彼女を喰ってからのニ百年、エトヴァスは餌を探さずにすむ。単純に餌を探さずすむ期間も長くなる。

 魔族と人間はまったく生態が異なるが、エトヴァスは百年前に十年ほど人間の間で暮らしてきた経験もあるので、存外長期飼育が可能かも知れない。だめでも死んでしまったら、さっさと喰ってしまえばいいのだ。

 そんな安易な考えで弱り切ったこの少女を食糧として飼いはじめて半年がたった。


「シュパーゲルの、おかわりがほしい」


 アリスは白いアスパラガスを食べ、紫色の瞳をきらきらさせてメノウに尋ねる。アリスの紫色の瞳はまるで傾け方で色が変わる紫水晶のようだ。感情という光で、濃淡が変わる。

 人生の大半を幽閉されて育ったアリスは人間のなかで生きた経験がないため、魔族にも鬼にもさしたる負の感情がない。そして同じ紫色の瞳を持っているが、好敵手だったあの女とは性別が女ということ以外、種族も、性格も何もかも違う。アリスは感情豊かで、平坦とはほど遠い子供だった。

 そして少女は食糧としても優秀だが、エトヴァスにとって実に良い暇つぶしだ。


「肉は切れるのか?」

「うーん、あんまり」


 まだアリスは子供で、手がかかる。

 今日の肉は少し筋があって切れなかったらしい。小さなテーブルなので、エトヴァスが手を伸ばせばアリスの皿まで届く。エトヴァスはフォークでおさえ、ナイフで肉を切ってやった。

 アリスは肉を嬉しそうに口に運ぶ。


「おまえ、シュパーゲルはいいが、ほうれん草を残すな」

「・・・?」

「それだ。ほうれん草だと言っただろう」

「これ緑だよ、あんまり良い色じゃないよ」

「・・・どういう言い訳だ。出されたものは食べろ」


 アリスは少し眉を寄せ、フォークでほうれん草をつつく。


「行儀が悪い」


 魔族は食べ方や礼儀などはほとんど気にしない。それにもかかわらず魔族のエトヴァスが「行儀」の概念を知るのは、人間と暮らしたことがあるからだ。そして人間でありながら幽閉され、まともな教育を受けていないアリスより人間と暮らしたことがあるエトヴァスの方が、あらゆる事柄に精通している。

 それを教え込むのもまた、エトヴァスにとっては暇つぶしだ。

 どうせアリスを死ぬまで飼ったとしても百年くらいのものだ。年をとれば肉は不味くなるが、魔力は思春期頃に急速に増えるし、思春期を超えてからも少しずつ増加する。いまでも美味しいのに、どんな味になるのだろう。

 

『人間となんて、生きるべきじゃない』

 

 エトヴァスは他人に興味がない。だから他人の言葉を覚えてはいても、理解しようとは思っていなかった。そしていつか理解するとも、思わなかった。

 ただこのときは、良い暇つぶしができたと、それだけを考えていた。


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