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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
三章 少女、魔族の将軍会議に出る
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03.アリス

 アリスはエトヴァスに、魔王とは魔族で一番強い人だと教えられた。

 アリスのような人間を食べる、魔族の一番偉くて強い人。たまにエトヴァスが読んでくれる歴史書くらいしか知識のない人間のアリスが想像していた魔王というのは、とても大きくてとても強面の、とても怖い人だった。

 だが実際に目の前にいるのは、アリスと同じ年頃で少し身長が高いくらいの少年だ。

 十四,五歳くらいだろうか。短い白銀の髪に切れ長の緋色の瞳。少しつり目気味ではあるが、顔立ちは整っている。ラフにボタンの開けられたシャツとシンプルな黒のズボンだけで、一見するとどこにでもいそうな少年だ。ただ彼は少年の見た目にそぐわない、大きく立派な椅子に足を組んでふんぞりかえって座っている。

 手には青銅色をした太く立派な槍が握られており、それが小さな体には酷く不釣り合いだった。


「オーディン、久しぶりだな」


 少年は階段で上がったところに座っているので、エトヴァスは彼を見上げて言う。

 それを玉座ということすらアリスは知らない。そしてアリスは魔王として玉座に座るにはあまりに想像とは異なる人物に、固まるしかなかった。


「百年ぶりか。魔王になって以来じゃねぇか」


 少年の声はエトヴァスのように低くない。アリスとさほど変わらない高い少年のものだ。見た目にはあっているが、想像が強面で膨らみすぎていたせいか、彼が魔王だと言われてもアリスにはピンとこない。

 だがここはエトヴァスいわく魔王の居城ヴァルハラで、間違いなく彼は魔王なのだろう。


「フレイヤは一年ぶりだな。元気だったか」

「はぁい」


 少年に声をかけられたフレイヤが、その美しい顔でにっこりと笑って手を振る。

 アリスはというと少年でも魔王はやはり怖いので、エトヴァスの羽織る黒いマントの裾に隠れるようにしがみついている。だが容赦がなく、エトヴァスの腕に背中を押された。踏ん張ったつもりだったがエトヴァスの力は強く、問答無用で彼の隣に立たされることになる。

 今日のアリスはいつもの城のシュミーズドレスの上に、黒いフード付きのマントを羽織っている。マントの裾を握りしめて勇気を出して顔を上げると、少年が笑った。

 

「おまえが要塞都市クイクルムの対魔族結界の動力源な。名前は?」


 少年の緋色の瞳がアリスを値踏みするように眺める。


「・・・あ、アリス」


 さすがに見た目が少年なので蛇に睨まれた鼠のようにすくむことはなかったが、こわごわと答える。


「そうか。アリスか。ひとまず外に出ようじゃねぇか」


 魔王だという少年はくるりと巨大な槍を軽々まわし、椅子から立ち上がっておりてきた。そのままするりとアリスたちの横をすり抜けていく。

 エトヴァスとフレイヤはその小さな背中について行こうと足を踏み出した。だがアリスはこみ上げてくる恐怖に足が進まない。アリスはエトヴァスの服を握りしめていたため、先にエトヴァスの歩が止まる。それに続いてフレイヤが振り返った。長い彼女の金色の髪が揺れる。

 

「アリス?」


 エトヴァスに名前を呼ばれる。

 ここは捕食者の巣窟だ。エトヴァスから離れてはならない。だが得体の知れない恐怖がアリスの歩を止める。

 槍だ。あの青銅色の槍。アリスはあの槍が怖い。なぜだかわからない。突然、魔王が槍を投げてくるわけでもないだろう。なのに、槍が怖くて足をすすめられなかった。槍に近づくのが怖くてたまらないのだ。

 少年はうしろがついてきていないのを感じ、ふっと振り返る。そしてその緋色の瞳がアリスを映した。


「あぁ、賢い奴だな。ついでに確認するか」


 言葉とともに一瞬で、少年が目の前にいた。

 拒む暇もなく、そう変わらない大きさの手がアリスの頬にそっと触れてくる。冷たい、ひんやりとしている。何をするのかとアリスは一歩後ろに下がったが、少年はアリスの表情でも顔立ちでもなく、紫色の瞳を見ていた。アリスも少年の緋色の瞳から目を離すことができない。

 しばらく見つめ合っていると、彼がふと笑った。


「本当に紫色の瞳だ。人間でこれを持ってくる奴がいるんだな」


 紫色の瞳が珍しいというのは、三千年以上を生きたエルフのヴァラも言っていた。


「おまえがシリウスの言っていた子か」


 誰のことだろうか。問う前に彼はアリスが恐怖する槍を消し、槍を持っていた手でアリスの手を引く。力が抜けていたせいか、するりとエトヴァスの服から手が離れ、体が前のめりに進んだ。

 少年はアリスの手を取ったまま、歩き出す。アリスの足も自然と進む。

 エトヴァスを振り返るが、彼は顎をしゃくって少年について行くようにアリスを促した。魔王は少し楽しそうに笑い声を漏らし、歩きながら緋色の瞳を今度はエトヴァスの方へと向ける。


「ビューレイストが連れてくるのか。絶対バルドルあたりだと思っていたんだけどな」


 ビューレイストというのはエトヴァスのことだ。

 天空(エーテル)のビューレイストが魔族としてのエトヴァスの名だと、アリスも聞いたことがあった。だがバルドルは誰だろうか。知らない人だ。

 エトヴァスとフレイヤは黙っている。疑問を口にしても良いのか、だめなのか。それすらわからないまま、手を引かれて暗い廊下を歩いた。

 しばらくすると暗かった周囲がぱっと明るくなる。

 外だ。曇天の空があり、誰もいないがそこは砂地で開けていた。エトヴァスとフレイヤは砂地の手前で止まる。だが少年は止まらなかった。


「ここは竜などで離発着するための場所だぜ」


 魔王だという少年はアリスに説明し、砂地の広場のど真ん中でアリスの手を離した。


「見せてみろ」


 彼はアリスのシュミーズドレスについていた緑色の宝石のついたブローチに触れる。するとそれはあっという間に緑色の宝石のついた白銀の杖になった。それをアリスに突きつけて、少年が促す。アリスは躊躇いながらも杖を受け取った。

 少年はエトヴァスとフレイヤがいるところまで下がる。

 空が見える。曇天の空だ。ひとり砂地の開けた場所に放っていかれ、恐らく少年が見せて欲しいものは、頭上の結界の破壊だろうと察しがついた。だが大丈夫なのだろうかとアリスは首を傾げる。先日、他人の家で結界を破壊したばかりだ。

 アリスがエトヴァスの方を振り返ると、大きく頷かれた。アリスは頭上を見上げる。


『威力を保持できるのは、重力のある真上で800m、真下で1000m、真横で900mだな。それ以上離れると威力を保持できない』


 エトヴァスはアリスの能力をそう計算していた。

 上を見上げれば、恐らく頭上の結界は800m以下どころか、300m程度先にある。本当に良いんだろうかとエトヴァスをもう一度見る。


「エトヴァス・・・」


 エトヴァスは小さく頷いた。

 アリスがあらためて空にある結界を見上げると、一番に目に入ったのは曇天だ。竜と飛行していたとき、空気は薄かったが雲の上は晴れていた。曇天のすべてを突き破れたら、晴れ間が見えるのだろうか。

 エトヴァスは魔術ではイメージが大事だと言っていた。アリスは構造式をイメージするのは苦手だが、どうしたいかはイメージできる。アリスのこの力は単純に魔力を通すだけで、魔術ではない。でも同じように魔力を源にする限り、きっとイメージは大切だろう。

 白銀の細い杖を持つ。それを曇天に向けて、思い切り魔力を通した。


「っ」


 ものすごい音がした。轟音といっても差し支えない音だ。前にヴァラの家で結界を壊したときとは比にならないほど、大きな音だった。

 アリスはあまりの音にびくりと肩をすくませる。

 同時に、ばらばらと前と同じように頭上から、結界の破片が落ちてきた。魔力の余韻が、僅かに曇天を退け、青空をのぞかせる。ただ、それは一瞬で曇天に覆われた。

 アリスはそれをぼんやり眺めていたが、結界の破片の一つが地面に落ちた途端にどすんっとあまりに重たい音がして土煙が舞った。

 それを見て、背筋を冷たいなにかが這い上がってくる。無意識に足がすくむ。


「・・・え」


 アリスは次々落ちてくる破片をぼんやりと見あげる。

 ヴァラの家にあった結界の破片は手で触れると霧散した。だが、この結界は違うらしい。アリスが下敷きになれば、即死だろう。そのぐらいの重さのある音だった。身の危険を感じ、自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。

 どうしようと一瞬考えたが、腕を引っ張られた。


「わっ」


 エトヴァスだった。

 そのまま抱き上げられ、エトヴァスとフレイヤが先ほどまでいた場所に連れて行かれる。それまでにも破片は容赦なく落ちてきていたが、それはエトヴァスの張った結界に触れただけで霧散した。

 

「び、びっくりした・・・」


 杖を持つ手とともに勝手に声が震える。崩れ落ちた結界の破片のひとつにでも当たれば、アリスは間違いなく死んでいた。


「落ち着け、たいしたことじゃない」

「だ、だって・・・」

「俺がいる。それにどうせ、あたりはしない」


 エトヴァスはアリスに防御魔術をかけていると言っていた。だから大丈夫なのだろうが、どこまで大丈夫なのかなどわからないし、自分の体のそばに重たいものが落ちてくる振動を感じるだけでも十分恐怖だ。そう思ってエトヴァスに何かを言おうとしたが、アリスは口を噤む。

 エトヴァスはいつもどおりの平坦な表情で、珍しく隣に立つフレイヤを見ていた。隣に立っていたフレイヤは口をわなわなさせ、手を震わせている。これほど驚くことだと理解できていないアリスは、その向こうにいる魔王の方に視線を向ける。

 魔王と呼ばれる少年はまだ、崩壊していく結界をその緋色の瞳で眺めている。ただ魔王にはさしたる表情の変化は見られなかった。

 ただ少年の緋色の瞳がまず、フレイヤへと向けられる。


「フレイヤ、これは絶対に誰にもだまっていろ」


 彼女が何かを言う前に、魔王の方がフレイヤに言った。少年の容姿にはそぐわない、先ほどとは異なった底冷えするような怖い声に、アリスの方がびくりとする。


「・・・で、ですがっ、これは」

「黙っていれば、みんな俺とビューレイストの小競り合いだと解釈する」


 誰もアリスがここに来ていることなど知らないし、同時にこの結界が壊れた理由もわからない。

 この場にいる魔族のなかで、結界を破壊できる実力があると公で認められているのはエトヴァスと魔王だけだ。これは周知の事実で、実際にエトヴァスは千年間、魔族が誰ひとり破れなかった要塞都市クイクルムの対魔族結界を破壊している。

 何も言わなければ、誰もエトヴァスが破ったと疑いはしない。

 

「わかったな。これは口外するな」

「わ、わかりました」


 魔王がもう一度念押しすると、フレイヤは大きく何度も頷く。だがアリスにはどこか彼女が納得したようには見えなかった。魔王も一瞬眉を寄せたが、追撃をかけない。今度は緋色の瞳をアリスに向け、アリスの方へと歩み寄ってきた。


「おまえはどう思う?」


 エトヴァスに抱き上げられたままのアリスだったが、魔王にそう問われで彼を見下ろした。引き寄せられるような緋色の瞳だ。自分より少し大きな手が差し伸べられる。アリスはそれにつられるように体を傾け、その手を取ってエトヴァスからおりた。

 そして促されるままに魔王の隣に並ぶ。


「・・・うーん、なんだろう」


 アリスは崩れ落ちる結界を眺める。


「よくわからない」


 それがアリスの感想だ。

 ヴァラの家で結界を破った時もそうだった。アリスにとって結界を破るのは本当に簡単なことだ。しかし、周りの反応はそうではない。エトヴァスも魔王もさほど驚いて見せないが、フレイヤの様子がきっと世界での模範解答なのだろう。なんとなく、それはわかる。でも実感がない。

 ただ、決めたことがある。

 

「でも、魔術の練習、あんまり好きじゃないけど、エトヴァスに言われるとおりちゃんとしようって思った」


 アリスは自分の感じたことを、ゆっくりと言葉にする。


「なんでそう思うんだよ」

「結界破れるのに、結界のかけらで死ぬのは、やだなって」


 アリスはこの結界を簡単に破れる。だが恐らくエトヴァスの防御魔術がなければ、結界の破片で潰されて死んでいる。自分で破って自分で潰されて死ぬなど、あまりに酷い死に方だろう。

 そう返すと少年は声を上げて笑った。


「あははははは」


 お腹を抱えて、酷くおかしそうに笑う。それをフレイヤはおろか、エトヴァスまでが酷く驚いた表情で見ていた。


「若いな!!目の前の事しか見えていない!でもおまえ、ガキだもんな!」


 少年は笑いながら、アリスの頭をくしゃくしゃと撫でる。

 

「まぁ、だから思いつくんだろうけどな。こんな単純な魔力砲なんて、五千年考えもしなかったぜ」


 しみじみと魔王が漏らすそれは、エトヴァスも言っていたことだった。

 アリスの攻撃は、自分の莫大な魔力を圧縮し、その圧力の赴くままに杖の細い一つの経路に通すというそれだけだ。ただアリスの魔力は莫大で、一つ道を与えるだけで強烈な圧力と速度で杖を通り抜けていく。

 そのため原理自体は誰でも理解でき、非常に単純らしい。ただ本来それが出来る生きものはいない。

 ざわざわと騒ぐ声がする。魔王の居城の結界が突然破壊されれば、驚くのだろう。アリスは魔力を絞っているし、隠しの魔術が入っているため、上位の魔族でない限りは、人間と見破れないとエトヴァスはここに来る前に言っていた。しかしばれるかも知れない、襲われるかもしれないと言った懸念はアリスをいつも不安にする。

 

「アリス、おまえは少しフレイヤといろ」


 アリスはとっさにエトヴァスを見上げたが、うまく言葉が出なかった。だが嫌だという気持ちは伝わったらしい。エトヴァスは続ける。


「俺はオーディンと話がある」


 アリスは口をへの字にして、ぎゅっと自分の杖を握りしめる。

 魔族たちがざわついているのがわかる。結界が破られたことを、重く受け止めているのだろう。そしてそれをやったのはアリスだ。魔王もエトヴァスもふたりが喧嘩をしてやったと思うだろうと言っていたが、ひとりにされるのは怖い。

 俯くと、エトヴァスに慰めるように頭を撫でられたが、怖くてたまらなかった。


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