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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
三章 少女、魔族の将軍会議に出る
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01.アリス


 アリスは眼下に広がる魔族の支配地域を飛ぶ竜の上から眺める。


「アリス、落ちるなよ」


 竜の手綱を片手で握るエトヴァスはアリスを前に乗せて、腹あたりを片手で押さえて支えているが、その程度だ。下ちる可能性は十分にあるし、ここは雲と同じくらい高い場所だ。落ちれば死んでしまうだろう。


「うん、」


 ただアリスは返事こそしたが、あまりにその光景が興味深くてまた首を伸ばし、眼下を見下ろす。

 アリスの長い亜麻色の髪が風になびく。それを軽くおさえて緋色の鱗でいっぱいの羽の隙間から見える山の緑をのぞき込んだ。先ほどまでは黄みがかった茶色の絨毯が広がっていたが、アリスはそれを小麦と言うのは知らない。ただすぐに変わる風景が面白くて、アリスは危ないと注意されてものぞきこむのをやめられなかった。

 魔王の住まう居城ヴァルハラに行くとエトヴァスが言い出したのは、本当に昨晩のことだった。


『明日から、年に一度の将軍会議がある。不在期間は一週間』


 エトヴァスは夜、アリスの血肉を奪った後、突然そう言った。

 魔族には12人の将軍と魔王がおり、魔族の支配領域を13に分割して統治している。エトヴァスがその将軍のひとりであるということは、魔族の一般常識として教えられた。その将軍たちが集まる会議に出席すると言うのだ。


『おまえも来るか?』


 エトヴァスはおいていっても良いし、連れて行っても良いとあらかじめ選択肢をくれた。

 アリスは基本的にエトヴァスがいないと不安で、さみしい。いつも一緒にいたいというのが基本だ。しかしアリスが幼い頃から幽閉されていて知らない人と会うのに慣れていないと言うことは、先日ヴァラのところに行き、彼もわかっていたのだろう。

 アリスは、真剣に悩んだ。

 城の部屋は安全だ。とはいえエトヴァスと一週間も離れるのは不安だし、さみしい。だから絶対に一緒に行きたい。だがそうすれば恐らく他の魔族と会うことになるだろう。そもそもアリスは人間なので、喰われる可能性もある。彼が守ってくれるだろうが、襲われるのは怖い。

 ぐるぐる悩むアリスに、もう一度エトヴァスが口を開いた。


『ただ、ついてこない場合は、一週間後、覚悟しておけ』


 覚悟、と言われ思い当たる節があった。

 前に彼がアリスを置いて五日間ほど城をあけた時、アリスは彼に自分の血肉を提供しなかった。多分、エトヴァスは飢えていたのだろう。久々に会った時にはものすごい囓り方をされ、アリスは貧血で翌朝倒れることになった。

 傷は魔術で治せるが、それはあくまで表面を修復したに過ぎず、持って行かれた血液や肉の分は、補充されない。


『行きたい』


 怖いし、懸念事項はたくさんある。だが、いろいろ考えて不安になるより、エトヴァスにひっついていた方が安心できる。

 その結果、アリスは朝から竜に乗り、まさに捕食者の本拠地に行くこととなった。


「竜って、魔族の言うことを聞くんだね」


 竜はすでに地面に到着し、エトヴァスが先におり、アリスを地面へと抱え下ろしてくれる。アリスははじめて竜を見たし、乗った。その興奮が冷めず、何やら嬉しくて笑みがこぼれる。

 人間の街に行くときは途中まで魔術で転移後徒歩だったが、魔族の領地では交通手段として竜が使用されているらしく。空に上がった時には時々誰かの乗っている竜の姿があったし、野生なのか竜の群れのようなものも垣間見えた。

 たまにエトヴァスが読み聞かせてくれる人間の歴史書には人間が竜を倒す話も含まれていたので人を襲うのかと思っていたが、今も竜がアリスに食いついてくるそぶりはない。乗ってきた赤い竜を見上げると、その大きな翡翠の瞳で不思議そうにアリスを見ていた。

 アリスの身の丈の十倍は優に超していて、その瞳だけでアリスの身長くらいありそうだ。翡翠の瞳がエトヴァスにどこか似ていて、可愛い気がする。

 人間の歴史書に出てくるほど、怖い生きものではないのかもしれない。そう思ったが、エトヴァスがいつも通りの無表情のまま口を開いた。


「竜は力関係に敏感な生き物だからな」


 とっさに「力関係」の意味が思い当たらず、アリスは小首を傾げる。

 力の、関係。

 竜に乗っていたのは、エトヴァスとアリスだけだ。ということは当然竜はエトヴァスを強いと思っていたから、彼の言うことを聞いたということだろう。もちろん竜とアリスなら、アリスの方が弱い。そうすると、アリスがひとりになれば喰われてしまうということになるのだろうか。

 アリスは慌ててささっと竜から離れた。さすがにエトヴァス以外に囓られるのはごめんだ。


「ここは、」


 竜が降り立ったのは大きな屋敷の前だ。あたりを見渡せば、天気は悪いが南には山が見え、反対側の高台に大きな城が見える。


「あそこの高台の城、あれが魔王の住んでる城ヴァルハラだ」

「・・・なんか灰色だね」


 灰色で薄暗いが、四角くて固そうな城という印象だ。

 上空は晴れていたがそれは雲の上だからであって、いまや空は重苦しい雲に覆われている。曇天という背景と魔族で一番強い魔王が住む城という前提をふまえてみれば、その城はよりおどろおどろしい怖い城に見えた。

 多分それを言えば、エトヴァスには人間らしい感情的な意見だと言われるだろうが。


「まぁどうせあそこには明日行く。早く屋敷に入るぞ。砂埃もすごいしな」


 エトヴァスに促され、アリスは屋敷の方へと歩を進める。

 人間の街に行ったときはエトヴァスもコートを着ていたが、今は黒いマントを羽織っている。アリスもだ。これには黒いフードもついていて、砂埃からある程度守ってくれるが、それでも長い間飛行していたし、竜の飛行速度が速く、上空ではフードなど抑えてもかぶっていられない。そのため小さなほこりや砂が髪にも絡まっている気がした。

 重たそうな屋敷の扉を、エトヴァスは片手で軽く開く。少し不思議になりアリスも入るついでに触れてみたが、鉄なのかびくともしなかった。

 魔族の身体能力は、人間のそれとは違う。だからエトヴァスはアリスをよく「脆弱」と評価するが、こんなものを片手で動かせるなど、腕の力はいったいどうなっているのだろう。自分の手ぐらい握りつぶされそうだなと考えていると、中から人が出てきた。


「お帰りなさいませ。百年ぶりですな」


 初老と思しき男性が声をかけてきた。白髪交じりの黒髪の、縹色の瞳の男だ。ただアリスは彼の姿にぽかんと口を半開きにしてしまった。彼はアリスと変わらない体格ながら、身の丈の三倍はある大きな大きな斧を持っていた。


「部屋は?」


 エトヴァスは気にした様子もなく彼の隣を素通りして、目の前にあった二階への階段を上っていく。


「いつもどおりで」


 男も淡々と答える。アリスは斧のインパクトに体が動かなかったが、先に行ってしまい、アリスがついてこないことに気づいて振り返ったエトヴァスが訝しげに首を傾けた。


「行くぞ」

「う、うん」


 アリスは慌てて頷いたが、男から目が離せない。彼もその縹色の瞳でアリスを見たままだった。

 

「なにをしている。疲れたのか?」


 エトヴァスが戻ってきて、アリスに手を伸ばしてきた。抱っこしてくれるらしい。


「わしは、さすがにお嬢さんの身の回りの世話はできませんぞ」


 嗄れた声が響く。先ほどの初老の彼だ。エトヴァスはアリスを抱き上げてから不思議そうに彼の方を振り返り、「それは聞いた」と答えた。


「アリスを得たとき、最初はおまえに聞いただろ」

「わかっておられるならよろしゅうございます」


 小さな彼はそう言って、斧を持ったまま、一階の廊下を歩いて行く。アリスはその小さな背中を見送りながら、あれは一体誰だったのだろうかと目をぱちくりさせた。大人のようだが、アリスと背丈は変わらなかった。ただ、怪力なのか、軽々身の丈の三倍はあるような斧を持ち上げていた。

 エトヴァスはというと、今度こそ二階への階段をアリスを抱えたまま上がる。


「彼はドヴェルグ呼ばれる種族で、テッグという名前だ」

「ドヴェルグ?」

「人間世界ではドワーフとも呼ばれる。人間は食べないしモノ作りがうまい。ここを訪れるのは100年ぶりだが、屋敷も綺麗だろう」


 言う割にエトヴァスの視線はアリスにしか向けられておらず、屋敷の綺麗さなど見ていなさそうだったが、確かに隅々まで埃もなく整えられており、古いながらも手入れは行き届いているようだった。

 エトヴァスが入った二階の部屋は城の一室ほど広くはなかったが、それでも大きなベッドの他にソファーとローテーブル、簡易の書き物机などが置かれている。どれも埃ひとつなく、ふたりで一週間過ごすのであれば、十分すぎる用意だった。

 エトヴァスがアリスを絨毯の上に下ろす。靴の裏に感じる絨毯の感触はふっくらしていた。

 アリスはひとまずクローゼットを開けて汚れたマントをしまおうとしたが、高い位置にあるハンガーにそもそも手が届かない。


「・・・」

「かせ」


 どうやって、あのドワーフはアリスと同じ背丈で棒にハンガーを掛けたのだろうか。アリスはぼんやりとエトヴァスがマントをハンガーに掛けるのを眺めて考える。

 そうしていると、ノックが聞こえた。


「荷物か?」


 エトヴァスが尋ねると、答えはなかったがドワーフのデックが部屋に入ってくる。

 彼は大量の荷物を持ってきていた。竜に積んでいた物だろう。とはいえそれは持っているとは言いがたく、すべてが浮いていた。浮遊の魔術だ。そのなかにはお茶のセットや軽食などもあって、すべて一緒に持ってきたようだった。

 きっとこうして浮かせて、ハンガーをクローゼットに掛けたのだろう。


「すごい」

 

 アリスは思わず口にする。

 複数の魔術を使うというのは、存外難しい。最近魔術を学び始めたアリスは、それを痛いほど実感しているので、素直にそう思った。デックはその皺の入り始めた目元を細め、几帳面に部屋の端やクローゼットに、綺麗に荷物を並べて下ろしていく。

 最後に机の上にお茶のセットと軽食が置かれた。


「お嬢さん。食べ物はなにが好きだ?」

「え?・・・」


 テッグの視線が突然アリスに向けられた。アリスは少し戸惑いながら、自分の頬をかく。


「・・・お肉?」

「このあたりだとウサギとシカしか手にはいらんが」

「お肉は何でも好きだよ。・・・竜は固かったけど」


 アリスがおっとり答えると、テッグが信じられないという表情でエトヴァスを見る。彼はというとテッグの非難の眼差し伝わらなかったらしい。「まぁ、固かったが、美味しかったな」とだけ答えた。

 エトヴァスたち魔族は魔力の多寡で味を図る。それが彼らの生きる糧であり、逆にそれ以外は何を口にしても腹が膨れればどうでも良いようだ。だから彼はいつもアリスと同じ食事をとる。ただ美味しそうでもなんでもない。

 そして、夜に莫大な魔力を持つ、美味しいアリスの血肉を食らうのが常だった。


「ありがとう」


 テッグはおそらくアリスが人間だとわかっているから、食事にこだわるだろうと何が好きかを聞いてくれたのだ。アリスがお礼を言うと、テッグは「あぁ」とだけ返事をして、部屋を辞していった。


「優しい人なんだね」

「そうか?もともとはあいつをおまえにつけようと思ったんだが、女はちょっととか意味のわからないことを言われて拒否された」


 エトヴァスは軽く首を傾げ、荷物を適当に広げる。

 エトヴァスの城でアリスの世話をするのは、人間を餌にする魔族では困る。そのため鬼のメノウがしてくれていた。ただ彼女はもともと無理やりエトヴァスが捕らえ、主従契約を結んだと聞いている。彼女はアリスにはよくしてくれるが、それがテッグがアリスの世話を断ったからという背景があったとは知らなかった。


「先にシャワーを浴びるか?」


 エトヴァスが早々に荷物を広げたのは、服を探していたかららしい。

 彼は存外きれい好きだ。アリスは細かいことは気にしないが、彼は服や髪のほこりっぽさが気になるのだろう。ただほこりや砂を落とすには、食事の前にシャワーが必要だ。


「エトヴァスが先の方が良いかもしれないよ。わたし遅いし」

「そうだな」


 エトヴァスはベッドサイドに置かれていたバスタオルと自分の服を手に持って、ひとつの扉に向かう。どうやらこの部屋も、トイレと浴室がちゃんと着いているらしい。


「窓は開けるなよ」

「開けないよ。食べられたくないもん」

「良い心がけだ」


 口角が上がった気がした。だがすぐに彼はバスルームの扉に消えていったのでわからない。

 アリスは窓辺に向かう。カーテンをめくると、テラスの向こうはまだ秋のはじめだというのに雨こそ降っていないが曇天だった。魔王の居城は北にあり、北の大地は日照時間少ない短いとエトヴァスに社会勉強として教えられた。北は寒く、農作物も育ちにくく、不毛の地も多いのだという。

 魔王の居城はここの窓からは見えず、かわりに山が見える。高い山だ。

 

「天気が悪いと、気分が滅入るんだね」


 アリスは窓にそっと手を触れ、小さく息を吐く。

 屋敷にいるのがアリスを食べるタイプの種族でなかったことは、まだ幸いだ。エトヴァスに守ってもらっているとはいえ、戦いをみたことのないアリスからすれば、襲われると言うだけで不安だし、襲われたときに冷静でいられるのかわからない。

 それでもエトヴァスから離れるよりましだと心を奮い立たせた。


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