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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
二章 少女、食糧になる
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エピローグ アリス


 夢を見る。夢を、見るようになったと言うべきだろう。

 長い廊下をとおったような気がする。アリスは母と手をつなぎ、ゆっくりと歩いていた。目の前にある母の手は汗ばんでいたような、ぼんやりとした記憶がある。

 

『・・・おとうさんは、どこにいったの?』


 道すがらアリスは高い声で尋ねた。

 母がどう答えたのか、覚えていない。だが死んだというようなことを言ったと思う。死ぬというのは、父のように温もりもなくなり、いなくなることなのかと納得したのをとてもよく覚えているからだ。


 父は優しかった。

 

 自分を抱き上げる力強い腕や、抱き上げられた時の体温、ぽんぽんと背中を叩く速度を、とてもよく覚えている。父が木を切ったりするのを、ぼんやりと見ていたり、どこかにいるとき探しに来たりしてもらった記憶もある。

 だが、母についてはあまり覚えていない。いつもともに「いた」のは覚えている。でも母はいつもアリスに戸惑っていた。扱い方に困っていたように思う。

 だから父親がいなくなって、アリスはとても困った。

 母はアリスを見るたびに悲しそうで、苦しそうで、同時にアリスも母をどうしたら良いかわからなかった。母には抱きつきたいと思ったこともなかった。ただ、躊躇いがちに触れてくるその手を疎ましいと思ったこともなかった。


 そこについたとき、母は何か言ったかも知れない。緑色の、沢山の図形の書かれた狭い部屋。ベッドだけしかなかった。

 どういうやりとりがあったのか、いつ母が出て行ったのかアリスは覚えていない。

 気づけばアリスは起きるたびにその部屋にひとりで、ぼんやりと緑で図形がいっぱい描かれた部屋を見続けることしかできなかった。置いていかないでとか、捨てないでとか、何かを言う暇すら与えられなかった。

 ただ置いて行かれた。


 そして次、アリスが覚えているのは、自分を引きずり出す男たちだ。

 唐突に、目を覚ました。何かが壊れる感覚。きっとそれが、結界の壊れた合図だったのだろう。緑色の天井をぼんやりと見ていると、ずかずかと男たちが入ってきた。鎧や剣で武装した、今考えれば騎士団に相当するような組織の、男たちだっただろう。

 そのうちのひとりを、アリスは一生忘れないだろう。

 茶色の髪で、中年の男だった。がっしりした体つきで、身長はきっとエトヴァスより低かったが、肩幅が広くて、エトヴァスよりも大きく見えた。


『化けもの、おまえを喰わせればきっと、魔族も黙るだろう!』


 魔族は、人食いの化けものだと、母は言っていた。でも彼は自分のことも化けものだと言った。

 今考えてみると、アリスはエトヴァスが驚くほどの莫大な魔力を保有している。それが魔族のエトヴァスを満足させる要因だが、人間には化けもののように見えていたのだろう。

 でも、その時は怖かった。魔族は人喰いの化けもので、自分はきっと食べられて父のようにこの世界から消えてしまうのだ。頭がいっぱいになって、言葉が出てこなかった。仮に言葉が出てきたとしても、アリスの声帯は劣化していて、ろくな声はでなかっただろうが。


『来い!!』


 無理矢理、腕を掴まれ、引きずられる。腕が変な方向に引っ張られ、痛い。アリスが歩けないとわかると、彼はアリスを担ぎ上げた。冷たい鎧の金属の感触と、恐怖、悲しみ、もう俯いて震えている以外のことが、アリスには出来なかった。


 悲しみで、胸がいっぱいになる。


 アリスは要塞都市クイクルムの動力源で、アリスが閉じ込められることによって、本当は沢山の人が魔族の襲撃から救われていたはずだ。でも、アリスはそのすべてから捨てられた。

 母から捨てられたから、あの部屋に閉じ込められた。そして、アリスの苦しみや悲しみはきっと、要塞都市のクイクルムとその住民を守るためだった。守っていた。なのに、あっさり捨てられてしまった。


『おまえを置いていった、捨てたものは、これから生きていくのに、必要ないだろう』


 多分、エトヴァスの言うことは正しい。

 でも、要塞都市クイクルムの話を聞けば、悲しみで胸がいっぱいになる。滅んでしまえとは思わない、でも悲しい。悲しくてたまらない。自分はどうして閉じ込められ、捨てられなくてはならなかったんだろう。でもその答えをアリスは知っている。あの町があるから、残っているから、自分は捨てられなければならなかった。

 ひとりの命より、きっと多くの命の方が価値が高い。尊い。

 わかっている、わかっているけれど理不尽すぎて、悲しい。自分は犠牲にされるひとりの命のほうで、どうして多くの命に入れなかったのだろう。

 だから、あの誘いが酷く甘美に聞こえる。


『なら、俺が皆殺しにしてやろうか?』


 エトヴァスは、アリスしか見ない。自分の食糧であるアリスしか見ていない。他の誰かを見ないから、多くの命は酷く軽いものになる。


『おまえを俺に突き出した奴も、クイクルムを滅ぼせば終わりだろう』


 ぐちゃぐちゃになった頭は、冷静にものごとの判断などしない。

 ひとりの命より、きっと多くの命の方が価値が高い。尊い。でもそれはそちらの方が力があるからだ。ひとりの命の方に力があれば、多くの命を踏みにじっても良いのではないだろうか。自分を犠牲にした彼らのように。

 その考えが、褒められたものではないことは、わかっている。そんな考え、いけないことだ。こんな考えをしていれば、また捨てられてしまうかもしれない。

 おいて、いかないでほしかった。捨てないでほしかった。

 だから、今も一生懸命考える。

 おいていかないで。捨てないで、なんでもするから。


「アリス」


 低い声が、アリスの名前を呼ぶ。それと同時に、強く肩を揺さぶられた。意識が現実に浮上する。いつの間にかベッドの上で座っていて、エトヴァスと向かい合っていた。

 

「おいて、いかないで、すてな、いで」


 自分はなにを口にしていたのだろうか。するりと唇に言葉がのった。ずっと繰り返していたのか、口が勝手に言葉を紡ぐ。

 涙が頬を伝う。熱い。自分は泣いているのだと、認識する。


「落ち着け」


 平坦なのにしっかりした声が、アリスの鼓膜を震わせる。肩を掴む大きな手が少し痛くて、感覚が戻ったような気がした。


「・・・すてな、」


 口を開けばまだ、やはり繰り返すのはその言葉だ。自分は何を繰り返しているのだろう。でもその譫言はまだ頭に残っていて、どうすることも出来ない。

 暗い。まだ夜中なのかもしれない。明るい金色のエトヴァスの髪が揺れる。大きな手が伸びてきて、涙を拭われる。


「俺はおまえを置いていかない。捨てるはずがない。」


 感情がない、それなのにまったく揺るがない、染み渡るような言葉だ。涙が、溢れる。それでも、不安で、悲しくて、たまらない。


「ほん、と?」


 アリスは震える声で尋ねた。

 自分がすがれるのは、目の前のこの男しかいない。魔族で、自分の血肉を奪う、人を食うばけものだ。本当ならすがってはいけない。エルフで、何千年も生きたヴァラが、アリスを哀れに思うような行為をアリスに強いるような相手だ。

 でも、アリスには彼しかいない。彼においていかれたら、捨てられたら、もう、なにもなくなってしまう。


「・・・えとう゛ぁ」


 これが恐ろしいことだと、わかっている。それでも人は孤独に、悲しみに弱い生きもので、誰かと寄り添っていないと死んでしまう。

 だから、アリスは手を伸ばす。いつものように抱きつくのではない。

 膝立ちになり、エトヴァスの頭をいつも彼がアリスを喰うときに口をつける自分の首元に、押しつけるように抱え込む。縋るように、さわっと彼の柔らかい後頭部の金色の髪を小さな手で撫でると、彼が笑った気配がした。


「・・・あぁ、そうだ、アリス」


 低い声が、牙が、首筋をかすめていく。まるで褒めるように、大きな手が項の髪をくしゃりと掴んだ。


「おまえは俺の食糧だ」


 だから、絶対に捨てないと満足げに、我が物顔にアリスの首筋や肩を薄い唇が撫でていく。

 アリスの心はそれを感じて、それを聞いて、これ以上ないほど満たされる。頭がおかしいとわかっている。多分人が聞けば狂っているとアリスを罵るだろう。

 それでもアリスは、安心して目を閉じた。涙はもう止まっていた。

 食糧でも何でもいい。悲しみでいっぱいの自分をおいていかないと、捨てないと確約してくれるならなんでもいい。同族はどうせ、アリスを満たしてはくれない。きたる痛みに目を閉じた。きっと痛みが、まさにアリスに生を実感させてくれる。

 こうして昔を思いだし、泣く夜はこれからもあるだろう。そのたびにこうしてエトヴァスに縋り付き、彼なしではいられなくなる。きっと、人間のなかの化けものであるアリスを大事にしてくれるのは、エトヴァスだけだ。

 そしてどこかで、何かに別れを告げた。それが人間としての生だとあとで気づいたけれど、気づいたときにはもう後悔も何も抱かなくなっていた。

 そう、これは完全な始まりであり、終わりだった。

 アリスは完全に人間であることを、放棄し、その体をエトヴァスに委ねた。


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