14.エトヴァス
合流場所は田舎町の峠だったが、そこにあとからやってきたシグルズはボロボロだった。そして最初に何故かエトヴァスに詰め寄ってきた。
「何で俺だけ置いてくのぉおおお!」
「おまえが八人の魔族を相手にするのは難しそうだったから、頭数は増やしてやろうかと」
エトヴァスは自分にしては珍しく、親切をしてやったと思っている。
どうせシグルズひとりで八人の魔族をしとめるのは、エトヴァスが場所を教えてやっていても苦慮しただろう。だから騎士団と共闘すれば良いと思ったし、一カ所に魔族を八人とも集めてやった。どちらが何人生き残ったのかは興味がない。どちらもエトヴァスにはどうでも良かった。
シグルズはいちおうヴァラの管轄権にあるし、面倒を避けるためにヴァラの許可を取った。もともと魔族を自分で倒すなどと大見得を切ったのはシグルズだ。責められるいわれはない。
「そうだけどさぁ・・・・あんたアリスに甘いじゃん」
シグルズはまだ恨みがましく言う。だがアリスと比較されても困るというものだ。アリスはというと道ばたでヴァラと一緒に虫取りをしている。ヴァラは存外物知りで、虫の名前を知っているらしい。夕方の風に揺れる亜麻色の髪を見ながら、「そりゃそうだろう」と答えた。
「一生面倒見るつもりがあるからな」
「それかっけぇようで、重いわ。おっさん」
シグルズはうんざりした様子で、肩をすくめる。ただエトヴァスにはその意味がわからなかった。
「それはそうだろう。俺はここにいる誰よりも体重が重い」
エトヴァスは192センチ身長がある。シグルズより遙かに高いし、ヴァラやアリスなど比べようもない。当然、体重も重たくて当然だ。何を言っているのかまったくわからず、思わず首を傾げる。
「そういう意味じゃねぇよ。精神的に重いって言ってんだ」
「そうか?アリスの一生なんて、たった百年足らずだ」
精神的に重いと言うが、エトヴァスにとってみれば百年など、たいした時間ではない。エトヴァスは千年以上生きてきた。そしてこれからもエトヴァスは殺されない限り恐ろしいほど長く生きるのだ。アリスの一生など、短くて軽い。
「なげえし、重てぇよ。アリスには一生まるごと全部じゃん」
「ああ、アリスにとってという意味か」
「あんたにとってもだよ。年齢は千年超してるって言ってたけど、十分の一じゃん」
シグルズはその藍色の瞳でまっすぐエトヴァスを見据える。
「俺、エピダムノスの騎士団学校に帰るわ。ちょっと早いけど、気になることもできたしさ」
シグルズはヴァラの方へと軽い調子で歩み寄っていく。それと入れ替わるように、アリスがエトヴァスの方へと杖を持って戻ってきた。
「この杖、この魔術でブローチみたいになるね」
「じゃなきゃ嵩張るからな」
杖は魔術で小型にできるようになっている。
基本的に魔力の保有者が使用する武器は大方そういう小型化可能なことが多い。エトヴァスの武器もそうなのでまったく驚かない話だ。だがアリスはキラキラ光る緑色の宝石のついたブローチを不思議そうに見ていた。物珍しいのだろう。
「私はルカニアでも探すか」
ヴァラは嫌がらせなのか本気なのか、薄ら笑いを浮かべてエトヴァスに言ってきた。
「目算でもあるのか?」
「ない。だが気長に探すさ」
ルカニアはエトヴァスの敵だ。相性の悪い相手でもある。だが腕の中にいるアリスがともにいれば、存外どうなのだろうかとも思う。もちろんアリスの力量にもよるが、結界を破ったあれは、城に戻れば確認しておかなければならない。
場合によって、あの突破力は歴史を変える可能性がある。
確かにルカニアは、領地の外に出ればエトヴァスを殺しにやってくるだろう。ただあの力が使い物になるなら、アリスは間違いなくルカニアにとって一番まずい相手になる。
「ただ、あいつは絶対にアリスとは戦わんぞ」
魔族のエトヴァスを殺せると言えば、ルカニアは喜んで出てくるだろう。ましてや今まで腰が重かったヴァラが協力してくれるというのだ。多少危険でも戦いを挑んでくる。だが、ルカニアはアリスと戦わない。アリスを殺せない。
「・・・大層よく理解してるじゃないか」
ヴァラが薄笑いのまま、じっと新緑の瞳でエトヴァスを見据える。意味深な視線だった。
「あいつは誇り高いエルフだろう」
ルカニアはエトヴァスと同じく表情の変わらない女だが、良くも悪くも情の深い女だ。だからこそ、両親を殺した魔族を許せない。人間のアリスを殺そうとはしないだろう。その状態でエトヴァスとともにいるアリスと戦えば、ルカニアの方に必ず絶対的な隙ができる。関係ないアリスを遠ざけようとするはずだ。
そして、魔族以外の生きものを殺さないことも、彼女のプライドのひとつだった。
「おまえとは違う」
同じエルフでも戦いを追い求め、ただ強者だけを求めるヴァラとは違う。長く殺し合った相手だ。どちらもエトヴァスの価値観は異なるし共感はできないが、理解はしているつもりだ。
ただそれを聞くと、ヴァラはその長い金色の睫毛を伏せ、小さなため息をついた。
「私もそう思ってたけどな・・・おまえは、あいつを買いかぶりすぎだよ」
どこか、悲しそうな声音だった。夏の夕方の涼しい風が、彼女の薄い金色の長い髪をさぁっと攫っていく。
何を思っているのだろう。ルカニアが変わったとでも言いたいのか。だが、仮に変わっていれば、エトヴァスはそれはそれでいいと思う。
「そうか。じゃあ、次会った時は薄汚いことをすると思っておく」
「・・・あははははは、そうだな!そう思っておけ!」
面白かったのだろう。笑い転げて腹を抱え、目元にたまった涙をヴァラが拭っていると、アリスがおずおずと歩みでる。
「あ、杖、ありがとう。大事に使うね」
「あはははは、ルシウスが生きていたら言ってやりたい。おまえの結界は、破壊されたってな」
せっかく収まったのに、ヴァラがまた笑い出した。
エトヴァスは大魔術師といわれたルシウスをまだ幼い頃に噂程度でしか知らない。でも数千年を生きる彼女は知っているのだろう。ルシウス本人は百年足らずでいなくなったが、千年たった今も要塞都市の結界は残り続けている。
それを、たった十数年しか生きていない、アリスが破壊した。
「知ってる人なの?」
アリスはピンとこないのだろう。千年前の偉人をまるで知り合いの逸話を聞くかのように軽く尋ねてくる。
同じ年代のシグルズはぎょっとしていたが、人間の間で育っていないアリスは、当然大魔術師ルシウスの逸話もエトヴァスが読み聞かせた歴史書程度しか知らない。それもどこまで理解できているのか怪しい。
「あぁ、良い奴だったよ。ルシウスは、」
ヴァラは懐かしそうにアリスを見て、目を細める。
「おまえも良い奴だな」
泣きそうな顔だった。長い間、ヴァラを知っているのに、エトヴァスが見たこともない表情だった。
三千年も生きてきて、こんな幼い少女にかける情があるんだなとエトヴァスは素直に感心する。自分は何も感じないのに、彼女はいまだに人間の弟子をとり、人に興味がないと言いながら、人と関わって生きている。
千年生きても、妃も恋人も愛人もいない、どんな生きものともよりそわないエトヴァスとは、根本的に何かが違うのだ。
彼女の弟子であるシグルズはそんなヴァラを見ていたが、一歩アリスの前に進み出る。
「・・・あのさ、」
シグルズはわざわざアリスに声をかけた。だがアリスはすぐエトヴァスの足下に駆け込み、ぎゅっと腰に手を回してくる。
やはり人間は怖いらしい。
「動力源のこと、クイクルムのこと、言って悪かった。おまえ、動力源だったのに、気分悪くさせたと思う」
シグルズは困ったような顔をしながら、自分の浅慮を素直に謝った。
それはアリスが要塞都市クイクルムの動力源として閉じ込められていたことを知ったと告げていた。アリスはその特徴的な紫色の瞳を丸くしたが、やはり信用できないのか、エトヴァスにしがみついたままだ。
ただ視線は、シグルズに向く。
「俺はさ、要塞都市のエピダムノスに住んでるけど、動力源の話は、間違ってると思ってる」
シグルズは相変わらず警戒心丸出しのアリスの反応に苦笑したが、それについては何も言わず、自分の意見をぽつぽつと話す。そして少し意を決したように、息を吐いた。
「・・・だから、どうにかしたいって思う」
彼の言葉には、どこか決心のようなものが含まれていた。だが、アリスはなんとも言えない表情で小首を傾げる。
「どうでもいいよ。それは、わたしじゃない」
口調こそおっとりしていたが、冷たい言い方だった。ただエトヴァスにはその通りだと思う。エピダムノスの動力源が救われても、過去のアリスが救われるわけではない。
「それに、わたしはいいの。エトヴァスがいるから」
ぎゅうっとエトヴァスの腰にしがみつきながら、少しはにかむように笑う。
「だってわたしが望んだら、エトヴァス、要塞都市のクイクルム滅ぼしてくれるって」
「・・・マジ?」
シグルズが思いっきり引いた顔で、笑う。
エトヴァスにとってたいしたことではない。だがクイクルムは人間世界で有数の都市だ。確かに、こんな小さな子供ひとりのために滅ぼすと言えば、引くだろう。なのにアリスは酷く嬉しそうに笑う。
「すごいでしょう?」
「・・・そりゃ誰もできねぇな」
「だから、いいの」
アリスはそう言って、あっさりシグルズに背を向けた。
「ねえ、だっこ」
エトヴァスを見上げ、アリスは当たり前のようにエトヴァスに手を伸ばしてくる。最近、抱っこが多い。だが別に拒むようなことでもないので、エトヴァスはアリスを抱き上げる。
もともとアリスがエトヴァスのもとに来た頃はがりがりで、まともに歩けないほどだったし、日頃は城の一室で過ごしている。甘えが出てきたとか不安もあるだろう。だが存外純粋に歩くのが疲れるのかもしれない。
単純にそう思っていたが、エトヴァスはアリスを抱いたまま、シグルズたちの方を振り返る。シグルズはヴァラと抱擁を交わしていた。
「いってきます」
「あぁ、また居場所を連絡する」
エピダムノスの騎士団学校の宿舎に戻るにシグルズに、ヴァラがぽんぽんと背中を叩いて言う。
道ばたのすれ違う人間同士が、抱き合って挨拶することはない。抱擁というのは別れを惜しんだり、恐怖をとかしたり、感情的な意味のある行為だ。時には、抱擁を見せることで見ている相手に親しさを誇示することもある。ただどちらにしてもそれは親しい間柄でしかしない。
ましてや頬に口づけるなどもっとだ。
エトヴァスはそれを再認識しながら、アリスを見る。腕に大人しく抱かれているアリスはにこにこと笑っている。帰れるのが嬉しいのだろう。
アリスはよくエトヴァスに抱きついてくる。それは親しみを持つエトヴァスから、安心を得たいからだ。
エトヴァスがアリスに人間である両親について聞いたときも、アリスは父親に抱っこしてもらったり、背中を叩いてもらったことを話していた。エトヴァスは何も感じないが、単純にアリスが安心のためにそうしてもらいたいのだろうと、抱きついてくれば抱っこしたり抱きしめ返すし、背中を叩いてやることにしていた。
だが、アリスは今回はじめて騎士団の前でエトヴァスの頬に口づけてきた。その行為は人間のなかで抱擁よりは上位の慕わしさを示すはずだ。エトヴァスにそんなものを示しても仕方がないし、頬に口づけて安心できるわけでもないだろう。
アリスはエトヴァスの頬に口づけて、騎士団の前でなにかを「誇示」したかったのだ。
「おまえ、怖い奴だな」
「え?」
「仲が良いと、見せつけたかったのか?」
アリスがエトヴァスの頬に口づけてすぐ、騎士団の男はこう言っていた。
『っ、魔族に与するというのか!!』
エトヴァスは彼の言う意味がわからなかった。そもそも魔族に自ら手を伸ばして大人しく抱き上げられている少女など、敵と言わないまでも与しているのはまちがいなさそうなものだ。だが、相手は魔族といるのは幼いアリスの意志ではないと思いたかったのだろう。
だから、彼らはアリスがエトヴァスの頬に口づけて見せた途端に魔族に与するのかと怒鳴った。それが完全に魔族であるエトヴァスへの最大限の愛着や親しみを示す行動だったからだ。そしてアリスもそれがわかっていた。
「・・・だめ?」
アリスは怒られたかのように、眉をハの字にし、しょんぼりと肩を落とす。だが意味がわかってもエトヴァスはなんとも思わない。
「いや?俺には関係ない。してほしいのか?」
そう言うと、アリスは満面の笑みで抱きついてきた。だからエトヴァスはアリスの亜麻色の髪をかき上げ、その柔らかそうな白い頬に口づける。
その行為自体に何も思わないけれど、唇に触れる柔らかな頬の感触と美味しそうな匂いに、齧り付きたくなった。
「あぁ、俺、絶対あと数年で、こいつら見んの嫌になるわ」
シグルズはエトヴァスとアリスのやりとりを藍色の瞳を半分にして見守っていたが、ため息をついた。
「は?」
ヴァラが何言ってんだこいつとでも言うような冷たい視線をシグルズに向ける。エトヴァスもアリスも意味がわからず首を傾げる。
だがシグルズはひとり大きく頷いた。
「ぜってーヴァラも、そう思うようになる」