11.シグルズ
シグルズが見るに、エトヴァスは納得したようだった。彼は利害に聡い。シグルズを助けるのに利があると判断すれば、行動は早かった。
「場所だけは教えておいてやる」
エトヴァスは近くにあった紙をとり、自分の懐から取り出したペンで、そこに地図のようなもの書いていく。そして最後に、×を8つつけた。
今この町にいる魔族だ。
「八人もいんの?!」
「あぁ、ひとりをのぞいて雑魚だ」
エトヴァスはこのひとつの×にまるをつける。
だが彼にとって雑魚かも知れないが、これだけの人数なら動く奴もいるだろうし、今の場所を把握したとしても、そこに移動するのに時間がかかる。
エトヴァスに何度も聞かねばならなくなるだろう。これは無理ではないだろうか、シグルズがどうやって倒すかぼんやり紙切れを見ながら考え、途方に暮れていると、その×が動いた。
「え?」
シグルズは目の前に座っている魔族を見た。
「はっきり言って、おまえの実力には期待していない。だから機会があったら俺が始末してもいい」
エトヴァスははっきりと言う。それにシグルズはもはやぐうの音も出なかった。
「俺がこうやって魔術で追え、遠隔で殺せる程度の魔族だ。殺す必要がないから放っているだけ」
「マジか、・・・あんた、絶対ヴァラいても、俺の話、興味なかったろ」
シグルズは仮に騎士団や魔族がエトヴァスやアリスを襲ってきて、状況が混乱すればエトヴァスと戦いたいヴァラは、一番弱いアリスに手を出すだろうと思った。エトヴァスがアリスの血肉を欲している限り、アリスの確保が一番だから、エトヴァスはシグルズに協力してくれるかも知れないと考えた。
だから、魔族をシグルズが、騎士団をエトヴァスが相手にすれば、都合が良いだろうと交渉をかけたのだ。
だが、シグルズは読み違えていた。恐らくエトヴァスは騎士団も魔族も、眼中にない。仮に騎士団も魔族も全員襲ってきたとしても、全員を始末し、アリスを抱えてヴァラから逃げるくらい容易だろう。ヴァラと戦う必要はない。逃げるだけなのだから。
「これ、交渉にすらならねぇだろ。なんで俺の話、最後まで聞いてたんだよおお!」
シグルズは頭を抱えて叫んでしまった。
長く話したが、話をするだけ無駄だっただろう。それを長々と話したこちらの方が恥ずかしい。正直止めてくれよとすら思う。だが、彼は介さない。
「別に話しているのを黙れという必要もない。時間はいくらでもある。」
だから興味がなくても無駄だと思っても、一応耳を傾けるのだとエトヴァスは言う。
感情の起伏に乏しい魔族の性なのか、この男の習性なのか、彼は本当に無駄なことをしていると理解していても苛立ちも、焦りも覚えないらしい。確かに彼らには豊かな時間がある。何かを焦る必要がないのはわかるが、それにしても役に立たない話など時間の無駄で、本来聞きたくないものだろう。
ヴァラなど少し興味がないと一蹴され、気に食わないと殴りかかってくる。このぐらいの気長さが欲しいものだ。
「それに、アリスの話を聞いていてわかったことは、人間の場合、無駄話に別の本質があるときがある。だからおまえの素性がおまえの言うとおりなら、聞いた甲斐があったんじゃないか?」
シグルズは自分の「素性」を切り札だと思っていた。だが結果的には、それしか利用価値がないと判断されたのだろう。
彼が魔族で、魔族は要塞都市の結界のなかに入れない。なかの情報は、魔族にとって大いに貴重なのだ。
「それに俺も、ひとつ、気になることがある」
エトヴァスは腕を組み、シグルズに目を向ける。
「フェーローニアの、騎士団の奴らだ」
「あぁ、いけすかねぇやつらだよな」
「そんなことはどうでもいい。問題はあいつらの服や武具に魔族の魔術がかかっていることだ」
シグルズの言葉を一蹴し、エトヴァスは僅かに眉を寄せる。
『彼らの服や武具から、魔族の魔術の気配がある』
フェーローニアの騎士団が来たとき、彼はそう言っていた。
「どういう意味だ?俺、騎士だから、魔術に関して詳しいことがわかんねぇんだけど」
シグルズは目の前の男の翡翠の瞳を真剣に見据える。彼はすっと左手の人差し指を上に宙に向ける。
「魔術というのは構造式がある」
人差し指に三角形のなかに多くの図形が描かれた構造式が浮かび上がる。
「おまえらの武器にも刻まれているだろう?」
「でも、俺らの武器に刻まれんのは丸だぜ?」
「そうだ」
彼の中指がでてきて、その周囲に今度は丸い構造式が浮かび上がる。
「詳しいことは省くが、魔族は外縁が三角、人間は丸。これが魔術の構造式の基本だ」
「・・・たしかに」
シグルズも魔族が三角の構造式で魔術を使うのを見たことがあった。そして今、エトヴァスの中指には淡く緑色に光る丸い構造式がある。
シグルズが首を傾げると、エトヴァスは自分の指に視線を向ける。見ておくように促されているらしい。シグルズがその構造式を眺めていると、同時に三角と丸の構造式が互いに別々に拡大をはじめる。地面と平行に、段違いに広がっていく。
順調に構造式は広がっていたが、途中で丸い構造式が端から崩壊した。
「・・・!?」
「魔族と人間は精神構造が違う。理解できるので多少は使えるが、高度な魔術を使う場合、人間と同じ丸形では魔族は構造式を維持できん。俺は魔族のなかで魔術が相当できる方だが、その俺でもこの程度だ」
エトヴァスは恐らく魔族のなかでも相当魔術が得意な方のはずだ。その実力はヴァラも認めるところだった。だがそれにもかかわらず、丸形の構造式では魔術を維持できない。
エトヴァスはもう一度中指で、今度は三角形の構造式を作り、残った人差し指の三角の構造式に、それを重ね合わせる。すると、両方の構造式が消えた。
「!」
「上位の魔術師になると、こうして構造式を隠す。構造式である程度魔術の効果がどういうものか、ばれるからな」
「・・・すげぇな」
「ここまでやる奴はかなり限られてくる。今のおまえの実力なら、逃げた方が良い。逆に言えば俺たちのレベルになると、全部消すのが当然だ」
「・・・やっぱそうだよな」
シグルズはため息をつく。だがこれで、一体彼は何を話そうというのだろう。
「ただ、こうして隠れた状態でも、魔力の片鱗は残る」
「・・・見えるってことか」
「まぁ、残滓のようなものだな。こういうのは生まれ持った「眼」か、繊細な魔力探知が必要になる。魔族のなかでも人間でもできる奴はあまり多くない」
そしてエトヴァスはそのひとりなのだろう。少なくとも以前の彼との会話のなかでは、ヴァラはその力を持っていないようだった。千年以上生きていても、誰しもが持っているものではないのだ。
「フェーローニアの騎士団の奴らの武具からは、魔族の使う魔術の残滓がある」
「三角形?」
「そうだ。外縁が三角だ。対魔族結界のなかだからな、魔族が入れるとは思わん。・・・だが、俺はこういうことを外したことがない」
勘なのかもしれない。だが、千年生きてきた彼の勘を無視することは、得策ではないだろう。
「どうして、それを知りたい」
エトヴァスは、非常に論理的だ。理由もなくフェーローニアの状況を知りたいとは思わないだろうし、フェーローニアの騎士団が魔力を持つ人間を狩っているという話に興味を持ったわけでもないはずだ。
「もし、フェーローニアに魔族がいるなら、相当な実力のある魔族だ。それも食欲旺盛な」
要塞都市フェーローニアは、対魔族結界の動力源となる莫大な魔力を持つ人間を必要としない。なのに、魔力を持つ人間をあちこちの町で狩っている。魔族なら納得できるが、事の真相は対魔族結界のなかだ。魔族のエトヴァスにはわからないし、探りようもない。
だが、どうして彼がそれを知りたいと思うのか、シグルズにはわからない。
「・・・でもあんた、強いだろ」
「俺は過信はしない」
エトヴァスはソファーの上で足を組み直す。
「上位の魔族はもうだいたい能力も、相性もわかりきっている。対策もある。だが、フェーローニアのそれがもし魔族であるなら、把握しておきたい」
千年も生きていれば、力のあるものは戦場だけでなくさまざまな場で顔を合わせることになる。そのうち相性や戦い方もお互いに理解し、距離を取る。逃げ方もわかる。だが、フェーローニアのそれは不確定要素だとエトヴァスは判断しているのだ。
ましてや人狩りをしていることを加味すれば、よく人間を食べる魔族の可能性も高い。
どちらにしても、シグルズは協力する。シグルズの住む要塞都市エピダムノスは、要塞都市フェーローニアの隣にあり、支配地域の境界ではフェーローニアの人狩りが横行し、対処に追われている。どういう形であれ情報が得られることは大事だ。
「それはどうしたらわかる?」
「奴らの武具。できるだけ多く集めて欲しい。騎士団のできれば有力者が良いな」
多少目隠しがされていても、数があればわかることも多くなる。
また今回来ているような下っ端ではない。フェーローニアに近ければ近いほど、有力者が出てくることが多くなる。そして偶然彼らを排除することも、隣の都市で、競合関係にあるエピダムノスならあり得るだろうと推測してきているのだ。
「わかった。ちょっとやってみるわ」
シグルズはふーっと息を吐き、エトヴァスを見据える。
「だが、いいのか?」
「なにが?」
「おまえの目的は、人間の敵と見なされても仕方がない。おまえは人間だ。魔族と組んで、おまえはそれを果たしてそれでいいのか?」
静かに金色がかった翡翠の瞳が、シグルズに向けられる。それはシグルズの覚悟を、問うているようでもあった。
「・・・うん。だって、それをしてやれるのは俺だけなんだよ」
要塞都市クイクルムの対魔族結界を天空のビューレイストが破って動力源を手に入れたとき、シグルズは震えた。
そしてその男が動力源の少女を生かし、ともに生きているとわかったときの衝撃は、言葉で言い表すことができない。
要塞都市の対魔族結界は、千年ものあいだ破られなかった。
破ることなど不可能だと思っていた。破らなければ動力源の人間はずっとそのままだ。
だから、なにもできない。
そう思っていたのに、結界を破れる生きものは存在する。そして動力源であったにもかかわらず、普通に生きている人間がいる。
それはなにもかもにやる気を失っていたシグルズにとって、あまりに鮮烈な希望となった。
「だから、俺を使ってくれていいよ。そのかわり、俺に手段を教えてよ」
シグルズはすがすがしい気持ちで笑ってみせる。エトヴァスはさしたる表情はなかったが、ひとつ頷いた。そして彼は懐から紙きれを取り出し、シグルズに渡す。
「あと、これ」
「なんだよこれ、」
「連絡用。特別な魔術のかかった紙だ。それを切り分けて、一緒に普通の紙や物品を窓から放ればその瞬間、勝手に届く」
「・・・あんた、滅茶苦茶、魔術得意なのな」
シグルズはそれを受け取りながら、恐ろしい相手だと苦笑した。一見ただの紙切れだが、それには多数の魔術がかけられているとシグルズでもわかった。ヴァラが彼の魔術の能力を絶賛するわけである。
シグルズが目の前にしているのは、間違いなく、世界で有数の能力を持つ魔族だ。
「小細工は得意でな」
臆面もなくエトヴァスはそう言った。
だろうなとシグルズも思うし、同時にヴァラがエトヴァスを戦いたくても捕らえられない理由もわかる。
今とてアリスはヴァラといるが、きっとアリスには何重にも防御の魔術がかけられているだろう。そしてどう見てもヴァラはそういう緻密な魔術が得意ではなさそうだった。
ヴァラでは数千年やっても、捕まらなさそうな相手だ。
そんなことを考え、シグルズは彼からもらった紙を二枚とも懐にしまい、ふっと庭を見た。アリスとヴァラがいる庭。ぞっとする感覚が体を支配する。突然庭に莫大な力が出現し、自分を守っていた何かを壊した、壊れた。魔術には詳しくないシグルズでもわかった。
「な、」
なんなんだよ、と声を出そうとしてエトヴァスを見た。先ほどまでいたはずの男はもういなかった。