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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
一章 少女、食糧にされる
3/437

01.アリス

 一日は起きることからはじまる。

 

「起きろ」


 落ち着いた低い声が朝を告げる。

 決まって朝七時に起こされる。眠たい。身を起こし、広いベッドの上に座り込み、目をこする。もう一度ベッドにダイブしたいが、それは許されない。


「朝だ」


 のろのろと顔を上げ、男を見上げる。

 大きな窓から入ってくる朝の光に、中途半端な長さの波打つ明るい金色の髪がきらきらと光っている。眩しすぎて彼の独特の光彩を放つ翡翠の瞳も、日の光でよく見えない。

 アリスはかすむ目をごしごしとこする。

 まだ眠たい。そう思って体をもう一度横たえようとしたが、大きな手に阻まれた。そのまま抱えられ、半ば無理矢理座らされる。その手から逃れようとするが、彼は恰幅がいいと言うほどではないが、上背がある。力の強い腕と大きな体に、ベッドに倒れ込むのを邪魔された。

 

「起きろ、」


 落ち着いた声はアリスが再び眠るのを許さない。

 彼は早起きだ。アリスより早く起きて、遅く寝る。いつ眠っているのかは知らない。アリスは彼が眠るところを見たことがなかった。もしかすると眠らなくてもいいのかも知れない。

 だから彼はアリスと眠っていたはずなのにもう身支度を終えていて、質の良さそうなシャツと黒のズボン、ベージュ色のベストを着ている。一見するとただの人間の、多分二十代後半くらいの男の人に見えるが、彼は人間ではない。

 魔族だ。人間のアリスとは見た目こそ似ているが、まったく違う。人を喰べる、化けもの。


「おはよう。エトヴァス」


 朝の挨拶をする。だが、彼からはたまに「あぁ、」という返事なのかよくわからない相槌が返ってくるくらいだ。

 それでもおはようという相手がいるだけで、アリスは嬉しい。


「アリスさま、おはようございます。」

 

 かわりとでもいうように、部屋に入ってきた白と黒の服を着たアリスよりもずっと年かさの少女が、挨拶を返してくれた。

 黒髪おかっぱで、くりくりした大きな金色の瞳がみっつ。額には二本の角もある。見た目は目が三つに角と人間とはかけ離れた容姿だが、東方にいる鬼という特別な種族なのだそうだ。鬼は人間との通婚も多いらしく人間の習性もよく知っているのだという。

 挨拶の習慣を教えてくれたのもこの少女だ。


「おはよう。メノウ」

 

 アリスは笑ってゆっくりとベッドから降り、スリッパを履いた。

 アリスが完全に起きたのを見届けて、エトヴァスは部屋にある立派な机の前にある椅子に腰掛ける。すでにそこにはコーヒーカップが置かれていた。彼は席に着くとこちらに視線を向けることもなく、カップに口をつける。

 アリスの朝の身支度は、いつも鬼のメノウが手伝ってくれる。

 足下まである白い寝間着を脱ぐ。白い寝間着は少し浅黒くなった血で汚れている事も多い。だいたい夜にエトヴァスに囓られたり、血肉をとられたりするからだ。ただ痛みはエトヴァスが魔術で緩和してくれるし、傷も治してくれるので朝には痕も残らない。

 寝間着は洗うためにメノウが回収していく。アリスはその間に白いシュミーズドレスに着替えた。シュミーズドレスは薄い白の綿のモスリンを何枚も重ねたワンピースで、丈が足首まである。その上から落ち着いた茶色のカーディガンを羽織った。

 いずれもメノウが持ってきてくれたもので、夏だがこの部屋が朝方で涼しいことを気にしてくれたのだろう。

 このシュミーズドレスを手配したのもメノウだ。服がなかったアリスは彼女が来るまでエトヴァスのシャツの袖をめくってそのまま着ていた。エトヴァスは男の人で女の人の着る服は知らない。ましてや子供のアリスに見合った服がよくわからなかったのだ。

 だからメノウがアリスの身辺のものをすべて整えてくれた。そして彼女は服だけでなく、日々の生活に関することも手伝ってくれる。

 まだ子供のアリスはひとりでできないことも多い。

 彼女に手伝ってもらいながら洗面所で顔を洗い、髪の毛を梳いてもらうために鏡の前に座る。部屋にある鏡は驚くほど立派な金の彫刻の縁取りがなされており、身長の高いエトヴァスと同じくらいある。当然130センチ程度の身長しかないアリスより大きく、手を広げても端から端まで届かないだろう。

 鏡には小柄な少女の全身が映る。年齢は自分でもよくわからない。ただエトヴァスに聞いたら十歳と答えておけと言われた。

 アリスの亜麻色の髪は長く、腰まである。ここに来た頃はぼさぼさだったが、半年の間に艶が出て綺麗になり、今ではさらりと肩を滑るほどなめらかになった。顔もそうだ。当初は頬もこけ、肌も青白くて、紫色の瞳ばかりが大きく目立ちぎょろぎょろした印象だったが、今は顔の輪郭が全体的に丸くなったと思う。

 きっといっぱい食べているからだろう。


「アリスさまがよく食べるようになってふっくらなさり、ようございました」

 

 メノウの声音は少女のようだが、言動は老婆のようだ。三つ目のある鬼とはいえ見た目がアリスより少し大きいくらいの小柄な少女なので違和感があるが、人間ではないため少なくともアリスよりはるかに長く生きているのだという。


「うん。メノウのご飯がとってもおいしいからだよ」

「それは嬉しいことです」


 メノウは料理上手だ。

 エトヴァス曰く魔族は魔力のある動物の肉ばかり食べ、穀物や野菜は一部しか食べないらしいが、アリスに提供される料理は野菜も含む。人間というのは、肉と野菜もどちらも必要らしい。アリスがあまりにガリガリに痩せていたため肉もたっぷりあるが、栄養も考えられており、半年でガリガリだったアリスは自身でもわかるほど血色がよくなり、頬に肉がついた。

 これは間違いなく美味しいご飯を作ってくれるメノウのおかげだ。


「今日のご飯はなにかな」


 身支度が終わってから、アリスはコーヒーを飲んでいるエトヴァスの向かい側の席に腰を下ろす。

 食事は作るのも持ってくるのもメノウだ。

 アリスはここにきてから、エトヴァスとメノウ以外と会ったことがない。外に出たこともない。他者の気配は、たまにバルコニーから庭や塀に出ている人を見るくらいだ。

 ここはエトヴァスの「城」だと彼に教えてもらった。外から見たことはないが、アリスのいる場所はお城のなかの比較的高い場所のようで景色がいい。

 大きなバルコニーに続く窓からは青い空、城を囲む壁、森が見える。森は夏のせいか青々としていて、鳥が飛んでいるのが見える。窓は開けてはいけないと言われているが、大きな窓とそこから続くバルコニーがあり、外を見るのは自由だ。ただバルコニーに続くガラス扉は開けてはいけないとエトヴァスに言われている。

 ここに来てから半年、アリスはこの一室から出たことがない。アリスはこの塔の部屋から出てはならないと言われている。だからこの一室で寝起きをし、食事をし、生活をしている。

 不満はまったくない。

 もともとアリスは魔族であるエトヴァスにさしだされるまで、幼い頃から窓すらない部屋で閉じ込められてきた。緑色の文字と図形が壁いっぱいに描かれた、この部屋のベッドより狭い部屋だ。

 人と話す機会はおろか人と会うことすらほとんどなかった。だからアリスはここでの生活は不満がない。

 ここは開けてはならないとはいえ、大きな窓があり、青空をのぞめ、広い部屋なので必要なものはすべてそろっている。食事がふんだんに与えられている。なにより会話をする相手がいて、一緒にご飯を食べて、生活ができる。

 アリスはそれが単純に嬉しくてたまらなかった。


「なぁにこれ、おいしいね」


 付け合わせの丸い緑色の食べものもほどよい苦みがとてもおいしい。

 今日は朝から豪勢で、真ん中が生のままのなにかのお肉のステーキだった。アリスは緑色の野菜が苦手だが、この丸い緑色の食べものは美味しいかもしれない。


「ローゼンコール(芽キャベツ)」

 

 エトヴァスは必要がなければ自分から話しかけてこないが、話しかければきちんと答えてくれる。それがとても嬉しい。

 食事の時、彼はアリスと同じものを食べる。ただし別段美味しそうでもなにでもない。表情も変わらず、淡々と平らげていく。でもアリスは美味しいので、エトヴァスに食材の名前などを聞きながら食事をする。

 ここに来た頃、アリスはエトヴァスが怖かった。なんといっても自分を喰べる化けものだ。

 ただ、生活とはすごいもので、そんなことを言っていられなかった。アリスは長い間狭い部屋に閉じ込められて育っていたため筋力が弱く、支えられなければ座っていられず、ひとりで食事もできないような状態だった。

 当然すぐに普通の生活などできるはずもなく、すべて誰かに手伝ってもらわねばならない。だから自然とエトヴァスと寝食をともにするようになり、いろいろなことを手伝ってもらっているうちに意味もなくエトヴァスを怖がることもなくなった。

 メノウもいるが、彼女はアリスの食事を作ったり洗濯などをせねばならず、アリスとずっといるわけにはいかない。だから日常生活のことはエトヴァスとするのが普通だ。


 朝食が終われば食器もってメノウは部屋から退出していく。そこから、アリスは基本的に夜まで勉強の時間だ。

 アリスはここに来るまで、勉強をしたことがなかった。

 十歳前後にもかかわらず、その学力はせいぜい文字と数字がかろうじて読める程度で、筆記は壊滅。算術もまったくできないレベルだった。そのため毎日エトヴァスに読み書き、算術の大量の課題を出される。

 アリスが課題をやっている間、エトヴァスはというと同じ部屋のソファーで本を読んでいる。だいたい分厚い本を読んでいて、たまに紙切れが大量に置かれ書き物をしていることもある。それを彼は書類と呼んでいた。

彼は昼食も夕食も、朝食と同じようにアリスとともに食べる。一週間に数日でかけることもあるが、出かけている日の方が少ないし、毎日夜には戻ってくる。

 仮にエトヴァスが不在の間でも食事や困ったことはメノウがいるので呼べばいい。


 夜はだいたい六時半に夕食をはじめ、メノウに手伝ってもらいながら部屋とつながっているお風呂に入る。髪を拭いてもらったり、寝る準備をすれば、メノウは部屋から出て行く。

 アリスはというとローテーブルに今日やった大量の勉強の成果を置き、ソファーでエトヴァスに確認してもらう。大きな緑色の布張りのソファーなので、アリスも隣に座ってそれをぼんやり見つめるのが日課だった。


「ここ、間違ってる」

 

 答案を眺め、エトヴァスに指摘される。アリスは指で示された場所を眺めるが、数式は五行もあるためどれが間違っているのかぱっと見よくわからない。


「二行目、かけ算が違う」

「・・・ほんとだ」


 計算は慣れていないせいか、間違いが多い。ひどい時にはやり方自体が異なり、半分以上間違っていることもある。それでもエトヴァスは呆れることもなく淡々と指摘し、やり方を教える。アリスもそれを言われたとおりになおす。

 ひとつ訂正し終われば、隣から組んだ彼の足の上に頭を預けてぼんやりと確認作業を眺める。アリスは途中で退屈になって、飽きてくる。なのに、彼はこの作業に退屈しないらしい。これを長い時は九時頃に眠るまで数時間、終わるまで続けるのだ。

 今終わらなくてもアリスが眠ってから確認するのか、朝に赤で訂正されて渡されることもある。

 バルコニーから見える空はすでに真っ暗で、星が綺麗に見える。きらきらするあれを星と言うのも、エトヴァスに教えてもらった。

 

「アリス、これはスペルが違う」

「・・・?」

「ここだ」


 呼ばれれば、また彼が示す場所に目を向ける。

 文字はなんとなく知っていたが、書いたことはほとんどなかった。そのため半年たった現在でも単語のスペルは間違いだらけだ。数行の日記程度の文章でも間違いが散見される。それを飽きもせず毎日訂正してくれるのだから、エトヴァスは不思議な人だとアリスはいつも思っている。

 そう、本当に不思議な人だ。人ではないけれど。


「この間も間違えた気がする」

「三回目だ」

「うーん、難しいよ」

「そうだな」


 淡々としたやりとりをしてから彼の膝にのっかり、腰にぎゅっと手を回して抱きつく。エトヴァスは別に気にした様子もなく、また確認作業に戻っていった。

 エトヴァスは無表情で、喜怒哀楽が抜け落ちたようにまったく見えないが、かわりにアリスがこうしてまとわりついたり抱きついたりしても怒らない。気にしてもいないようだ。だからアリスは人恋しくなると、こうして抱きつく。

 そしてほっとする。

 都市の一室に閉じ込められていた頃は、誰かに甘えるのはおろか話すことすらなかった。四歳の誕生日を両親と祝ったことは覚えている。いまは見た目から十歳くらいだと言うから、五年くらい閉じ込められていたのだろう。

 どうしていたのか、ほとんど眠っていたため、よく覚えていない。ただひとりでずっと閉じ込められていた。

 だから業務のような宿題の確認でも、相手が魔族でも、誰かと話せるのはとてもとても楽しいし嬉しい。多くの時間をともに過ごしてくれる誰かがいる。それだけで世界はきらきらと光って、とても楽しく思える。

 たとえその相手が自分を捕食する化けものだとしても。


「今日はこのくらいだな」


 エトヴァスが宿題を確認し終え、また新しい課題をアリスに説明する。

 それから区切りだというように冷えたコーヒーカップを持ち上げた。

もうメノウはいないので、コーヒーを入れ直す人はいない。アリスは冷たい飲みものがあまり好きではないが、エトヴァスは気にしないようだ。そもそも彼はアリスと同じものを食べるが、あまり食べ物や飲み物に興味がないような気がする。

 バルコニーからは月の光が入ってきているが、もう外は真っ暗でなにも見えない。先ほどまでは星が見えていたのに、月の光に負けてしまったようだ。

 アリスはエトヴァスの腰にじゃれつくように抱きついたまま、口を開く。


「魔族も勉強するの?」

「読み書きはしない。算術はする。数字以外の文字は基本的に人間の文化だ。それが魔族に流入して読めるものも増えたが、いまでも読めない魔族も多い」

「なら、どうしてエトヴァスはそんなにいっぱい知ってるの?」

「長く生きているし、読書は暇潰しとして悪くない。それに人間の知識に関しては、百年ほど前に十年ほど人間と暮らしたことがある」


 長く生きたり人間と暮らせば、算術や文字の筆記が覚えられるのだろうか。間違いだらけの答案しかないアリスには途方もないことのように思える。それにアリスには十年は自分の年齢くらいだとわかるが、百年の価値がよくわからない。


「ねえ百年前って、・・・百年ってどのくらい?」

「おまえがよく生きて、百年だな」

「エトヴァスはどのくらい生きるの?」

「魔族の最高齢は八千歳だったか。だいたい殺されなければいつまででもだ」

「長すぎて、よくわからないね」


 アリスが十歳で、アリスが生きても百年しか生きられない。そう考えると百年でも途方もない時間だ。千年、八千年など、想像もできない。


「理解できないというのは幸せかもしれん。長く生きるというのは、退屈だからな」

 

 エトヴァスの視線が、こちらへと向けられる。


「おまえは俺の暇潰しだ」


 彼の瞳は、とても不思議な色合いをしている。金のまざった翡翠の瞳。独特の光彩を放つ瞳は大きくないのに存在感があって、アリスは近くにあると思わず彼の目にみとれてしまう。

 魔族にとって、人間は食糧に過ぎない。なのに、 彼は食糧、つまりアリスを大事にしてくれる。

 長生きさせて、少しでも長くアリスの血肉を味わいたいのだという。だから健康のためにと朝早く起こされ、夜も早く眠るように言われる。食事もたくさん食べるように言われるし、してほしいことはなんでも言えと言ってくれる。

 変な話だ。人喰いの化けものがこうしてアリスに勉強を教え、話をして大切にしてくれるのだから。

 ずっとなぜかもわからず狭い一室に閉じ込められて育った身からすると、食糧に対する魔族の扱いの方が人間の人間に対する扱いよりまともに思える。

 だから満足している。彼にとって自分がいかに些末な存在であろうと、自分が少しでも彼の暇をつぶしになってくれれば嬉しい。


「わたしはおもしろい?」

「どうだろうな」

 

 尋ねると、エトヴァスは表情すら変えず言う。そしてさらりと大きな手が亜麻色の髪で覆われた背中を撫でてきた。それに促されるようアリスは身を起こし、エトヴァスの首に手を伸ばす。彼は自分の膝の上へとアリスを抱き上げた。


 エトヴァスの、ご飯の時間だ。

 亜麻色の髪が背中側へとすべて流される。寝間着をずらされ首筋があらわにされれば、少し怖くなった。大きな手がアリスの肩や首筋をまさぐるのは食事がしたいときだ。

 それを拒むことは許されない。いや拒むことができても拒まない。それが、アリスがここにいることができる条件だとわかっている。

 どれほど似ていたとしても、この男は人間ではない。

 魔族が強く感じるのは食欲と性欲だけで、魔族はそもそも感情の起伏に乏しいとエトヴァスが言っていた。性欲は時々抜け落ちている魔族もいるが、食欲への固執はあらゆる魔族に共通しており、アリスのような生きものを見ていると食べたくなるらしい。

 アリスには食欲は数時間でおなかがすくというだけの感覚で、性欲はよくわからない。別にエトヴァスやメノウを食べたいと思うことはない。ただ彼が食糧にこだわり、アリスが美味しいから、アリスはここにいることが許される。

 だから、彼が感情の起伏に乏しくても、アリスの情がわからなくとも、それで良い。

 魔術で感覚を麻痺させられるので、囓られ、多少は喰われたり、血を啜られたりしたとしても、僅かな痛みを感じるだけだ。その傷も治してもらえる。恐怖は感じるけれど、終わる頃に傷自体は疼く程度になっている。

 だから、今までのように窓もないような部屋の一室に閉じ込められるよりも、痛みと引き換えに彼と生活している方がずっと楽しい。

 ただ、もちろん血肉を食われる恐怖も感じる。戯れるように首元に牙を立てられ、まだ痛くもないのにびくりと体を震わせた。すると笑う気配がする。

 本当にごくごくたまに、彼は笑う。


「そんなことしても、なにも変わらない」


 無骨な指が、アリスのへの字になった唇なぞっていく。

 確かに唇を引き結んでも、痛みもなにも変わらない。言われなくてもわかっている。でもうまく受けいれられないこともあるのだ。


「その方が、怖くない気がするの」


 アリスの答えがおかしかったのか、またエトヴァスが笑った気がした。吐息が首に掛かって、くすぐったい。


「気分だけだな。人間は、恐怖や痛みも感情で越えてくるということか」

「そんなことない。怖いよ」


 エトヴァスに与えられるものは優しい。そして怖い。安穏としたこの捕食者の食糧としての生活に順応してしまっている自分が、なにやら怖い。

 戯れるように髪を撫でる手に緊張して体を硬くすれば、今度こそ牙を立てられた。

 痛い。それを魔術が緩和していく。怖い。

 それでも、エトヴァスの大きな手を受けいれる。この男は自分を食糧として扱う。それにもかかわらず、彼は自分の声を聞いてくれる唯一の存在だ。だからうまくできはしないが、目を閉じて彼に身を委ねる。

 それに慣れてしまう自分に怯えながら、ただひたすらに夜を想った。


エトヴァスさんは面白いはよくわからないが、アリスを興味深い動きをするなとは思ってる

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