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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
二章 少女、食糧になる
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09.アリス

 アリスはころんとベッドに転がり、今日騎士団の面々にシグルズが大見得を切ったときのことを思い出す。


『だったら俺が自分で魔族を倒す。一応、俺も騎士団学校にいるしさ』


 その言葉を証明してヴァラに魔族を倒すように言われたシグルズは、しばらく日頃隠している魔力をそのままにし、町外れにある動物園を闊歩することになった。


「全体的に慎重そうなやり口だったから、警戒されて引っかからんと思うがな」

「でも囮にするなんて・・・ヴァラ、怖いね」


 シグルズのようにわざと食料になりに行くのを「囮」というらしい。いつ襲われるかわからないのにヴァラに言われて自分を「囮」にしなければならなくなったシグルズは気の毒だと思う。


「いや、怖いのは現状を理解せず、魔族を自分で倒すとかいったあの少年だ。人間は肉体的にも弱い。それを自覚しない言動の責任は自分で取るべきだ」


 だが、エトヴァスは自業自得だと言い捨てた。

 アリスは少しくらい手伝ってあげれば良いのにと思うが、ヴァラもエトヴァスも自分で言った限りはその言葉の責任は自分で取れといった雰囲気だ。

 アリスはベッドに転がったまま隣に座るエトヴァスを見上げる。彼は新聞を読んでいて、アリスが見ているのがわかると、その翡翠色の瞳をアリスに向けてくれた。それが嬉しくて、這いずるように近づいて彼の膝に頭をのっける。


「・・・わたしなら、手伝ってくれる?」

「おまえは別だ、俺の食糧だからな。囮なんて危ないことはささん」


 エトヴァスが背中をぽんぽんしてくれる。

 例えそれが食糧としてだとしても、特別だと言われれば嬉しい。おかしいのはなんとなくわかっている。でも必要とされるのは涙が出るほど嬉しい。

 父はいなくなった。母は自分をおいていった。自分と同族のはずの人間は、対魔族の結界の動力源として利用しながら、自分を喰われるとわかっていて魔族に差し出した。捨てたのだ。それを認識すればするほど、おいていかれ、捨てられるのが怖くなる。

 だから魔族でも、食糧としてでも、自分を本当に必要としてくれるのだから嬉しいのだ。

 不安定で曖昧な感情より、魔族の本能に根付いた食欲の方が裏切らないと思うのは、歪だとわかっている。だがそれでも安堵するのをやめられない。そして同時に、捨てられるのではないかと不安に思うのがとまらない。

 アリスは捨てられた。母親から、人間から。それをこの間認識し、認めてから、アリスは過去が追ってくるようで、いつから過去に捕まえられて、エトヴァスからも捨てられてしまうのではないかと、怖くてたまらなくなった。

 だからどうして、エトヴァスから離れるのが不安で、言葉でも安心させてほしいと思う。

 きっとエトヴァスはそれを知っても、「そうか」と言うだけで、打算的だとか、薄汚いとは言わないだろう。そしてだからアリスは、エトヴァスを慕わしいと思う。


「だが、ヴァラはそれなりにあの少年がかわいいんだろうな」


 エトヴァスが唐突に言うので、アリスは首を傾げる。ヴァラが戦闘狂で、才能のある人物を探しているという話はすでに彼から聞いている。それならば、シグルズはヴァラのお眼鏡にかなったのだろう。


「強くなりそうなの?」

「だろうな」


 エトヴァスはまったく興味がなさそうだ。


「じゃあシグルズは魔術師なの?」

「騎士らしいな」

「そういえば最近騎士団どうこうってよく聞くね。騎士ってなに?」


 そう言えば時々出てくるが、アリスにはよくわからない。説明を求めると、エトヴァスは少し考えるそぶりを見せた。


「武器に魔力を込めて、特定の攻撃をするやつだな」

「・・・魔術師とは違うの?」

「魔術は構造式を理解し、複雑な効果を付与できる。騎士は特定の攻撃しかできない。」


 エトヴァスの説明は難しかったが、騎士に関してはわかった。要するに魔力を道具に通して、攻撃をするのに特化してあるということなのだろう。魔術師は構造式というのをもとに多くのことができるが、多分騎士は攻撃だけ。

 魔力があればみな魔術師かと思っていたが、そうではないらしい。


「おまえも、もちろん、そういう可能性もある」

「え?そうなの?・・・そうかも、あんまり魔術うまくできないし」


 最近アリスはエトヴァスに魔力制御と、基礎的な魔術を教えてもらった。だからアリスは魔術の構造式自体は展開できる。だが、あまりに魔力が莫大すぎて、まだうまく大きさを調整できない。

 

「まだ魔術を学びはじめて一ヶ月もたっていない今でそれなら、おまえは魔術師としてかなり才能のある方だ」

「本当?だってエトヴァスなんでもできるでしょ?」

「千年やっているからな。おまえはできなくて当然」


 慰めるようにまたぽんぽんとまた背中を叩かれるが、アリスは複雑な気分になった。


「エトヴァスは、わたしが魔術が使えないと悲しい?」

「は?」


 エトヴァスは翡翠の瞳を丸くした。変な質問をしたのだろうかとアリスは不安になる。だがアリスの不安に気づいたのだろう。エトヴァスは早々に口を開いた。


「どうでもいい。仮に魔術が使えなかったとして、もともと期待していない。強くなれば便利くらいだ」

「強い方が嬉しい?」

「人間はすぐに悲しいとか嬉しいとかそういう感情に還元したがるな。便利になるだけだ。強くならなければならないでそれでいい」


 エトヴァスはいつもの調子で淡々と言う。


「でも、わたしはエトヴァスの役に立ちたいんだよ」


 アリスはエトヴァスに捨てられたくない。だからどんな形でも、役に立つ存在になりたい。それがアリスの望むことだ。だがエトヴァスは不思議そうにアリスを見下ろす。


「その血肉だけで、十分役に立ってる」

「でもわたしは、もっと役に立ちたい」

「なら自分の身は自分で守れるようになって、その身を傷つけるな」


 さらりと大きな手が亜麻色の長い髪をかきあげる。あぁ、食事の時間なのか。アリスはゆっくり身を起こし、エトヴァスの首に手を回す。


「わかっているか?魔術を教えているのも、身を守るためだ。俺は、食事を誰かと共有するのはごめんだ」


 エトヴァスの牙が首筋を撫でる。


「・・・うん」


 アリスだって他の魔族に食べられたいわけではない。

 頭を片側に傾け、エトヴァスが食べやすいように身を委ねる。ただ少し怖くて、エトヴァスの体にすがりつく。これは毎日の日課のようなものなので慣れてきたが、それでも緊張する。


「っ」


 ほどなく牙が皮膚を破る感触がする。痛い。ぎゅっとエトヴァスの背中の服を握りしめ、魔術で散らされた淡い痛みに耐えた。肉を抉る感覚、魔術で痛みを緩和されていなければ、はじめての時のように悲鳴を上げていただろう。

 しばらくすると彼は顔を上げ、アリスの傷を魔術で治した。


「・・・もしシグルズみたいに、おまえの友達を俺が殺すとするなら、止めるか?」


 唐突に、エトヴァスが尋ねてきた。まだエトヴァスの顔は、アリスの首筋にある。吐息が当たる感触がくすぐったくて、最初質問の意味がわからなかったが、意味がわかればすぐに体を離し、彼の顔を見上げてしまった。


「え?・・・ころすの?」

「仮定の話だ」


 慌てて尋ね返すと、日頃と同じ無表情でエトヴァスは言った。


「・・・珍しいね」


 エトヴァスが仮定の話をするなど珍しい。むしろはじめてかもしれない。


「うーん」


 アリスは少し疲れている気がして、エトヴァスの肩に頬を押しつけた。そもそも「友だち」の仮定が曖昧だ。言葉は知っていても、アリスには実感も友だちをまともに作った経験もない。大切にしている人、とかその程度と仮定すべきだろうか。


「騎士は魔族殺しや魔物からの護衛を任務にしているからな」


 シグルズは騎士だと言う。確かに今回も魔族を探して倒そうとしている。魔族は人間を喰うので、それを退治するのは人間の間では普通なのかもしれない。ただアリスにはそれすらわからない。だがエトヴァスも魔族だ。シグルズに攻撃されれば、どうするのか。

 アリスはエトヴァスの容赦のなさもよく知っている。先日も一都市を滅ぼしてやろうかと口にしたくらいだ。なんとなくだが、アリスが望めば本気でやりそうだ。

 だからエトヴァスがシグルズを殺す可能性は十分にあった。


「・・・あっちが殺す気で攻撃してきたら、仕方ないんじゃないかな。こっちも死んじゃうし」


 殺すというのは、死ぬと言うことで、いなくなるということだ。どちらかしか生き残れないなら、アリスは迷いなくエトヴァスを選ぶ。仕方がない。

 服ごしに、エトヴァスの低い体温を感じる。肩に頬を預けているので、そこからも温かさを感じる。これがなくなれば自分はどうなるのだろう。想像できない。もちろん上位の魔族に狙われることになるから実際に困るだろうが、ぽっかりと心に穴が空いてしまう気がして、アリスは目を閉じて答える。


「わたしは、エトヴァスがいなくなるのは絶対いやだよ」


 シグルズが殺す気でエトヴァスに攻撃してくるなら、エトヴァスが死んでしまうかも知れない。知っている人間が死ぬのは心が締め付けられるようだが、彼には変えられない。アリスにとってエトヴァスは一番大事な存在だ。

 真剣に答えたが、アリスがエトヴァスをうかがうと彼は腑に落ちないと言った表情をしていた。

 

「前提が違うな。こっちは攻撃されても死なない」

「?」

「あの少年の実力じゃ、俺との力の差がありすぎる。不意打ちすら入らないレベルだろうな」

「なにそれ」


 不意討ちですら入らないなら、最早敵にならないのではないだろうか。

 ぼんやりと動物園で見たうさぎを思いだした。エトヴァスはうさぎも噛むと言っていた。ただ噛まれたとしても、命に関わるほどではない。

 アリスが顔を上げると、エトヴァスはじっと真剣な表情でアリスの反応をうかがっていた。独特の金色の光彩を持つ、翡翠の瞳。アリスの紫色の瞳もたいそう珍しいらしいが、エトヴァスのような瞳をもつ生きものも、アリスは見たことがない。


「でも、力の差があるなら殺す必要がないんじゃないかな」


 ウサギのようなものだ。シグルズは身長もアリスより高いのでウサギと比べるのはおかしいが、エトヴァスと比べたらそんなものなのかもしれない。


「必要な。・・・敵は敵じゃないか?」

「んー、でもほら、動物園で見た、ほら、ウサギみたいなものだよね。噛むって言ってたじゃない」

「その例え、どうかと思うぞ」

「避けて会わないようにしたら良いんじゃないかな。もしかしたら味方になるかも知れないし?」

「なってもたいして役に立たないだろうし、俺は他人はあてにしない」


 エトヴァスが一蹴する。彼のことだから他意はないのだろうが、酷い言い草だ。


「えっと、ご飯くらいになるかな?」


 アリスは笑って、エトヴァスの腰に手を回し、胸に頬を押しつける。

 確かに噛みついてくるウサギが役に立つことはないかも知れない。でもウサギの肉は城ででたことがある。アリスのご飯くらいにはなるかも知れないし、別の敵を囓ってくれるかも知れない。


「どちらにしても、おまえのお友達の処遇は、おまえが決めるべきなのかもしれんな」

「そう・・・」


 そうだね、と安易に返事をしようと思った。だが、アリスはふと気づく。


「・・・わたし、殺せれるのかな」


 アリスはエトヴァスから体を離し、自分の小さな手を見る。はたして自分はこの手で、誰かを殺せるのだろうか。

 エトヴァスを傷つける人は、大嫌いだ。

 仮にそれが誰だったとしても、彼を傷つけたなら死んでも仕方がないと思う。だが、自分は本当に人間を手にかけられるだろうか。その確信が持てなかった。


「きっと、とっさにエトヴァスかシグルズかって言われたら、できると思うけど、」


 天秤にかけられれば、アリスはエトヴァスが大事だ。迷いなく、シグルズの方を手にかけるだろう。しかしシグルズを差し出されて殺せと言われたら殺せるんだろうかとも思う。エトヴァスの安全が確保されている状態で、殺せる自信がない。

 でもまたエトヴァスを殺しに来るかもしれない。

 アリスはぼんやりと自分の手のひらを眺める。この手で、ナイフを持って誰かを殺す自分を想像できない。そう思っていたが、大きな手が自分の手を下げさせた。


「別におまえに殺せとは言っていない。殺す俺を許容できるかという話だ」


 エトヴァスが殺したらどうするのかという話だった。だが、それはずるいのではないだろうかとも思う。

 自分のことは自分で、自分で言ったことの責任は自分で。魔族を探すと言い出したシグルズにヴァラとエトヴァスが当たり前に求めたのはそれだった。


「それなら、エトヴァスを殺しに来た人をどうするかは、エトヴァスが決めるべきだよね」

「だがおまえの友達なら、という仮定だ。そうすべきとか、そういう道理や合理性を説いているわけじゃない。おまえの納得を問うてる」

「でも、」


 エトヴァスが殺されかけたのに、アリスが友人だから殺したくないというのは、あまりに理不尽だ。ましてアリスは自分で殺す能力もない。覚悟もない。


「それに、その理論は困る」

「え?」

「俺を狙った奴すべての処遇を俺が決めるなら、おまえの狙った奴の処遇もおまえが決めることになる」

「・・・?」

「おまえを狙った奴は皆殺しにする。おまえが自分の身の安全を確保できない限り、おまえを狙う奴の処遇をおまえが決めるのは俺が困る」

「・・・そっか」


 すべてエトヴァスがどうするかという話で、アリスは意見を聞いてもらっている立場と言うことだ。


「なんかシグルズのことは、自分のことは自分でって言ってたから。」

「自分の言動の責任は自分で取るべきだろう」

「でも、わたしなら手伝ってくれるんでしょう?」

「おまえ、ヴァラとシグルズの関係を俺とおまえに投影していないか?」


 エトヴァスは少し不思議そうにアリスを見下ろした。アリスは少し考えて、そうかも知れないと思った。

 シグルズはヴァラの弟子だ。ただ弟子と言っても人間で、エルフで三千年も生きている彼女からしてみれば子供みたいなものだろう。アリスは人間で、エトヴァスは魔族で、アリスよりずっと長く生きる。どういう気分かはわからないが、同じようなものだと思っていた。


「ヴァラはシグルズを死ぬまで面倒見る気はない。あいつはヴァラの弟子だ」

「そうなの?」

「おまえ、弟子の意味わかってるか?」

「・・・わかってない」

「戦い方を、教わっているだけだ。一定のレベルになれば、ひとりでやっていくことになる。おまえは俺の食糧で、ひとりでやっていくことなんて一生ない」


 アリスは死ぬまでエトヴァスと一緒だ。ひとりだちなど永遠にする日はこない。エトヴァスと共に生き、死ぬ。そして死ねばその血肉もエトヴァスのものになる。だがシグルズはヴァラの傍で彼女の技術を学んでいるだけで、一定レベルになれば独り立ちする。


「だから、ひとりでがんばらせるんだね」


 アリスは納得する。

 例え種属や寿命といった条件が同じだったとしても、その扱いはなにを目標とするかで変わってくるのだ。


「ねえ、さっきの話だけど」


 アリスは話を戻す。


「やっぱり、わたしのおともだちは、エトヴァスを襲うなら殺されても仕方ないけど、実力差があるときは避けて欲しいな」

「わかった」

「でも、シグルズはわたしのおともだちじゃないよ」


 はっきりと間違いを主張する。そもそも例がおかしいのだ。彼はアリスのお友だちではない。知人だ。

 そう主張すると、彼は何かがおかしかったのだろう。子供のように首を傾げ、僅かに口角を上げた。彼はたまに笑う。アリスには何がおかしいのかよくわからないけれど、彼のこういう表情を見るのは好きだ。

 

「もうすぐ、夜だね」


 アリスは窓の外を見る。通りの人はまばらだが、綺麗に着飾った女性が歩いている。何をする人なのか、何故、夜に立っているのか、アリスは知らない。


「そうだな」


 振り返るとエトヴァスが珍しく窓の外に視線を向けていたので、アリスもその視線を追う。そこにいたのは今日ここにやってきた、黒いマントの男だった。


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