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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
二章 少女、食糧になる
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06.アリス

 アリスはゆっくりと目の前にいる自分の身長よりもはるかに大きな鳥を眺める。

 頭が小さい。そのくせ首は長く、黒い羽に覆われた体と羽は細い足にこんもりと乗る。まるで木に首が生えたような体型だ。声もなく自分をつついてこようとする鳥に、アリスは近づくことができなかった。


「これがダチョウ、鳥類最大の鳥だ。暑い場所に住んでいて、軽ければ人間も乗れる。」


 エトヴァスが生物の生態を説明してくれる。アリスは小さい頭とくりくりの目を眺めながら、首を傾げた。

 

「なんか、・・・無口だね」

「それはあまり動物には使わないが、確かにダチョウはあまり鳴かないな」

「だからといって、鳴いてもばかっぽいよ」


 アリスは後ろにいるガチョウの囲いを振り返る。アヒルなどより野太い声で鳴いているが、単に「鳴いている」だけだ。


「なんか動物って、みんな頭悪そう・・・」


 アリスがはじめて認識した「動物」は狼の姿をした魔族のフェンリルだ。人と同じように会話する彼を最初に「動物」と認識したアリスにとって、ただ「鳴く」動物はものすごく頭が悪そうに見えた。


「その解釈、どうかと思うぞ」


 エトヴァスは腑に落ちないという表情だ。

 アリスの発言は動物に対してあまり正しい捉え方ではないのかも知れない。それは魔族にとってなのか、人間にとってなのかはわからない。ただエトヴァスにとってそうなら、アリスは素直に気をつけておこうと思う。

 エトヴァスは感情の起伏が乏しいが、意見ははっきりしている。

 魔族というのは概ね感情の起伏に乏しいものらしい。だから彼も声を上げて笑うことはない。せいぜい唇の端をあげる程度だ。ただアリスがぐずぐず泣いても、縋りついても、べたべたしても、何を言っても怒りもしない。イライラもしない。魔族というのはそういうものだという。

 理解できないことは理解できないとはっきり言うが、逆にいらだったりもしないので、どうでも良いことをわざわざはねのけることをしない。なすがままだ。

 ただしその分、食欲や性欲といった本能的な欲望に大半が振られているらしい。確かにエトヴァスもアリスの血肉を喰らっている時は痛みに叫んでも、返事をしない時もある。抵抗も無視されるし、聞こえていないのかも知れない。だから、それについてはアリスが諦めている。


「あの・・・ダチョウ。乗れますよ」


 突然、若い男性が後ろから声をかけてくる。どうやら飼育員のようで、綺麗な青いつなぎの服を着ていた。シグルズの着ていた服とも似ているが、皺や汚れもなくて、色も違う。

 そう言えば先ほどもダチョウに乗っていた小柄な女性がいたかも知れない。男性は乗っていなかった気がする。


「お嬢さん、まだ40キロなってないでしょ?」


 体重の話だろう。道理で男性で乗っている人がほとんどいないわけである。あれに乗るのかとアリスが答えあぐねていると、一歩前に出て先にエトヴァスが答えた。


「結構だ」


 相手は少し眉を寄せた。エトヴァスの言い方がぶっきらぼうだったので、イラッとしたのかも知れない。ただエトヴァスとしては「答えた」ことが重要なのだろう。気にした様子もないし、アリスもあまり乗りたくなかったので、それで良かった。


「行くぞ」


 エトヴァスがダチョウの柵に背を向ける。それを見て、アリスも続いた。

 この動物園は人里離れた場所にある。敷地は広く、危険な動物を入れる「檻」は少なく、草食動物を入れる「柵」が沢山ある。そしてその動物たちに餌をやることもできるため、アリスが動物を十分に観察することが出来た。

 アリスはウサギの餌を選び、お金を箱に入れ、柵の中へと入る。


「ウサギは噛むぞ」


 アリスが人参をやっていると、エトヴァスがうしろから注意してきた。じっと人参を囓るウサギの口元に目を向けると、二本の歯が見える。確かに大けがにはならないだろうが、アリスの指ぐらいは余裕で突き破れそうだ。


「これって、お金入れない人、いないのかな」


 餌をやり終わり、柵を出るときに、アリスはエトヴァスに尋ねる。

 餌の管理は適当で、まばらに監視の人間はいるが、餌は箱の中から自分でとり、お金を別の箱に入れる方式だった。誰も金額を確認する人間はいない。


「誤魔化す人間を監視する人間のほうが、お金がかかる」


 無人であることは不正の温床のような気もしたが、誤魔化された金額と、ここに監視する人間をたてるお金、両者を天秤にかければ、非効率的であるとエトヴァスは説明する。

 アリスが人間の町にやってきてエトヴァスに教えられたのは、貨幣経済という概念だった。

 四歳頃から幽閉され、魔族のエトヴァスに差し出されてからもただ与えられるものを甘受することしか知らなかったアリスは、このお金というものをはじめて使い、とても興味深いと思った。

 お金がつくのは物品だけではない。時間、労力、人間、すべてがお金になる。


「なんか、うまくできてるんだね」


 アリスはこの動物園という組織から、エトヴァスによってお金の仕組みを学ばされている気がした。

 アリスたちが払った入場料は、組織の運営、餌代、檻の代金など様々なものに還元される。ただこの還元には限界がある。例えば動物の餌代などは生存に関わることで優先順位が高い。それに対して見た目を豪華にしたりするのは、優先順位が低い。

 こうした優先順位には一定の合理性があり、優先順位の低いものは捨てられていく。この優先順位は合理性に基づいているので、何も知らないエトヴァスでもある程度システムを想定することが出来ると教えられた。

 そして仮にこの合理性からあまりに離れていて、例えば見た目を豪華にするのを優先したりといった、どちらでもいいことにお金をかけるようになると、管理は破綻してしまう。

 アリスが隣を歩くエトヴァスを見ていると、彼は歩きながら猛獣の檻を見ているようだった。

 そこにいるのは、灰色の犬、ではなく狼だ。その狼はアリスが会った犬のようにしゃべることはなく、エトヴァスを見た途端にうなり声を上げた。

 

「ここはパトロンがいるのかかなり豊かな動物園らしいな。ただ今は例外的に人が少ないようだが」

「どうしてそう思うの?」

「檻の展示室だ。広々として動植物も配置されている。鉄も上質だ。またこういう動物園の割に多くの人間を収容できる設備があるし、その管理もされている。なのに、来ている人間は少ない」


 何故なんだろうなと、エトヴァスは疑問を口にする。そういうことをひとりで考える彼を見ながら、エトヴァスはきっと賢い人なのだと思った。

 彼は感情の起伏に乏しいが、だからこそ様々な物事を見て、自分の知っている情報と照らし合わせ、状況を冷静に分析する。きっとアリスがある物事を一つ見てそれしかわからないことを、彼なら一つ見ただけで百の情報が引き出せるだろう。

 千年生きたら賢くなれるのだろうか。アリスが考えていると、唐突に隣から声をかけられた。


「最近、このあたりを根城にしている魔族がいて、行方不明者が出ているから今は人が少ないんですよ」


 狼を見ていた男性は、そう答えた。先ほどのエトヴァスの疑問に対する答えだ。

 アリスは声の方に視線をむける。年の頃はエトヴァスとあまり変わらないだろう。アリスがはじめて見るような服を着た、男性だった。

 男の人にしては長い肩まである薄茶の髪をしていて、夏なのに分厚いコートのような布地ながら真っ白い、ぶかぶかのワンピースのような服を着ていて、それに足下まですっぽりと覆われている。胸元には十字架のネックレスがぶら下がっていた。

 体格はエトヴァスより少し小柄な男性に見えたが、服装は女の人のようだ。聖職者を知らないアリスは、純粋にそう思った。

 だが、他人は他人、そして人間は人間だ。


「・・・」

 

 アリスはすぐにエトヴァスを盾にして隠れる。それを見て、声をかけてきた男は苦笑した。


「嫌われてしまいましたかね。子供には好かれる方なんですが」


 苦笑しながらも笑みは優しい。だが、アリスにはそんなことは関係がなかった。人間だ。だから、怖い。

 アリスがエトヴァスの後ろに隠れていると、彼のの腕が伸びてきて抱き上げられる。あまり対面したくなかったが、エトヴァスに抱き上げられるなら仕方がない。エトヴァスの首に手を回して、後ろの男を振り返る。


「驚かせてしまいましたか。すいません。私は、フロールフと申します。フェーローニアの騎士団の聖職者です」


 丁寧で穏やかな口調だったが、アリスは目を丸くしてしまった。

 昨日、シグルズが言っていた、動力源にするために都市外で魔力の強い人間を狩るというフェーローニアの騎士団だ。ただ、よく考えてみれば、騎士団とは、聖職者とはなんだろう。アリスはどちらも知らない。

 抱かれているので近くにあるエトヴァスの顔を見あげると、彼はその翡翠の瞳でじっと聖職者を名のった男を見ているだけだった。


「魔族を探していまして」


 そう言われても、眺めているエトヴァスの表情はまったく変わらなかった。だが、自分の顔色はそのままだっただろうか。アリスは自信がなくて、相手の顔を見ることができない。

 エトヴァスは魔族だ。魔術で何重にもそうわからないようにされているが、わかる人間にはわかるものだと彼自身も認めていた。魔族にとって人間は食糧で、人間にとって魔族は天敵で、魔族と人間は支配地域をめぐって争い合っているとも教えてもらった。

 ここで魔族だとばれれば、まずいのではないだろうか。

 だがエトヴァスは相変わらずフロールフと名乗った男の方を見ているだけで、何か行動を起こすそぶりもなかった。

 

「もちろん人間のお嬢さんを連れていらっしゃるので、魔族ではないとわかっていますよ。ただ、どちらかで見かけたりといったことはなかったですか」


 彼はアリスが人間で、エトヴァスが違うと言うことまではわかっているらしい。

 魔族は多くの場合、人間を食糧にするとしてもそのまま食べてしまうもので、食糧である人間を連れて歩くことはほぼないとエトヴァスも言っていた。少なくとも目の前の男は人間を連れているエトヴァスを違う種族だと気づきながら、魔族だとは思っていないようだ。

 だからエトヴァスの素性を探らない。かわりに、魔族の居場所に感づかなかったかを尋ねてきたのだ。


「・・・怖いよ。はやく帰ろう」


 アリスは黙っていられず、エトヴァスに訴える。

 彼が魔族だとばれてしまったらどうしようとおびえる気持ちはある。だが何よりアリスは、目の前の人間が怖くてたまらなかった。

 アリスが訴えると、エトヴァスはその視線をアリスに向ける。


「安心しろ。そんなに怖がるな」

「・・・でも、」


 人間は怖い。怖くてたまらない。ぎゅうっとエトヴァスの首に回す腕に力を込めると、彼も答えるようにアリスを強く抱きしめてくれた。


「あははは、すいません。怖がらせるような話をしてしまって」


 フロールフはアリスの様子を魔族を怖がっていると都合良く解釈したのか、困惑した表情で謝る。

 

「なかなか尻尾を出さなくて、もう五人も喰われているんです。・・・だから騎士団も来ているんですが、困っていて」

「・・・ねえ、エトヴァス」


 事情など説明されても人間が怖いアリスは、再度エトヴァスに訴える。彼は仕方なく、アリスを抱いたまま、男に背を向けた。さすがに男も居心地が悪くなってきたのだろう。保護者であるエトヴァスに頭を下げる。


「す、すいません。怖がらせちゃいましたね。でも必ず捕まえるので安心してください」

「そうか」


 エトヴァスは平坦な声音で返す。それを不機嫌と受け取ったのか、男はますます焦ったようだった。


「楽しんでください。木陰とかは行かない方が良いですよ!」


 彼は忙しいのか、手を振りながら去って行く。

 その先には武器を持ち、銀色の鎧を着た男たちの姿が見えて、それを認識すると同時に勝手にアリスの体がびくりと反応した。あぁいう武器を持つ男性たちは苦手だ。魔族にアリスを差し出すために、アリスを閉じ込めていた部屋から引きずり出した男たちと似たような装備だ。

 震えがこみ上げてきて、足先から体温がなくなっていく心地がする。


「アリス、落ち着け」


 アリスが恐怖に震えていることに気づいたエトヴァスが、アリスの耳元に唇を寄せ、言う。もしかすると抱かれているため、アリスの鼓動が早いことがわかっているのかもしれない。

 人間たちが遠ざかり、見えなくなってはじめて、アリスは少しだけ安心することだできた。


「なんか・・・魔族の話してたね」


 少し落ち着きを取り戻した頭で、フロールフと名乗った人間の男が語ったことを思い出す。彼は動物園内に潜む魔族を探しているようだった。

 アリスが言うとエトヴァスの翡翠の瞳が、すいっとダチョウの柵のあった方に動いた。


「エトヴァス、もしかして・・・」


 魔族の居場所を知っているのかとアリスが問うと、彼は頷いた。


「知っている」

「魔族って魔族の居場所がわかるの?知らせてくれるとか?」

「おまえは他人がどこにいるのかわかるのか」

「わかんないよ」

「だろうな」


 同族とはいえ人間のアリスは、他の人間がどこにいるのかなどわからない。だが魔族なら種属が違うのでありえるのかと思ったが違うらしい。


「魔族はもともと個人主義だ。共食いもする。知らせて、格上が偶然お腹が空いていれば、それぞ餌だ。俺みたいな上位の魔族に、居場所なんて知らせてこない」


 魔族は魔力を持っている生物を食べる。

 弱くて襲いやすい魔力のある生きものが人間だと言うだけで、それ以上でもそれ以下でもない。下手をすれば同族でも、エルフでも何でも食べると前にエトヴァスが教えてくれた。共食いするから、完全に格上の同族に居場所など知らせてこないのだ。


「ただ上位の魔族は魔力を見る「眼」がある。魔術も使う。だから結果としてわかるが、今回はだからわかったんじゃない。むしろおまえはわからなかったのか」


 金色がかった翡翠の瞳に見下ろされても、アリスは首を傾げる。

 そもそも朝早くに出てきたので、今日はヴァラともシグルズとも話していない。アリスがまともに話したのは先ほどのフロールフと名乗った男だけだ。彼が魔族だったのだろうかと、彼が消えていった方に視線を向ける。

 だがエトヴァスが深いため息をついた。


「ダチョウ」

「・・・え?ダチョウが魔族だったの?」


 確かにあのダチョウは鳴かなかった。口を開けば前みた狼の形をした魔族フェンリルのように、普通に話したのだろうか。そう言えば、彼は閉口をした。まったく見当違いだったのだろう。


「・・・違う。ダチョウのところに男がいただろう」

「男・・・?」

「おまえにダチョウに乗らないかと問うた男だ」


 アリスは言われてはじめて思い出す。

 作業服を着た男性だ。アリスにダチョウに乗ってみないかと誘った、男。そんなに長い会話も交わした記憶がない。なのに、彼が魔族だとエトヴァスは言う。

 そう言えば確かにあの時、あの作業服の男性はアリスに「ダチョウ、乗れますよ」と誘った。エトヴァスはいつも何かあるとアリスの意志に任せるのに、あの時はアリスに聞くことなく、「結構だ」と断っていた。

 確かに違和感のある行動だとは思っていた。

 

「う、嘘・・・」


 気づかなかった。アリスも同じ男を見ていたのに、まったく気づかなかったのだ。


「どうして?」

「あのな、あの男は作業着を着た従業員だぞ。作業服が汚れていないなんておかしい」

「来たばっかりなのかも知れないよ?」

「・・・ダチョウの様子も確認せずに、ダチョウに乗る人物を探しに来たなら、なおさら乗らない方が良いな」


 エトヴァスの言うことはもっともだった。

 作業服に汚れ一つないと言うことは、仕事をしていないと言うことだ。仮に来たばかりだったとしても、ダチョウの様子を確認したり、餌をやるためには、それなりに汚れることになる。


「・・・え、じゃあ、あの女の人、死んでる?」


 ダチョウに乗っている女の人がいたはずだ。小柄な、アリスよりは年上だったようだったが、普通の女性だった。


「喰われてるだろうな」


 彼は当たり前のように言ったが、どきりとする。心臓が縮むような心地だ。エトヴァスは捕食者である魔族で、アリスは所詮食糧である人間だ。だからこういう時、エトヴァスとアリスの間には大きな隔たりがある様な気がする。


「行くぞ、」

「うん」


 それでも、アリスは彼に守られ、彼はアリスを少しでも長い間むさぼれるように大事にする。歪で、完成されたこの関係から抜け出すすべなど、どこにもなかった。


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