05.エトヴァス
アリスは客間に戻ってくると、大きなため息をついた。エトヴァスが抱いていたので絨毯の上に下ろして立たせると、板張りの床をぺたぺたと間抜けな足音を立てて、ベッドの方へ歩み寄る。
その後ろ姿に、エトヴァスは迷いなく声をかけた。
「眠るのか?」
「・・・え?」
「別に眠たくはないんだろう?」
アリスが息をのむのがわかった。
エトヴァスは逆にそんなに驚くことだろうかと思う。アリスはどうやらエトヴァスが気づかないと思っていたらしい。
確かにエトヴァスは魔族で、感情の起伏に乏しい。アリスの感情に共感できるはずもないし、以前なら気づかなかっただろう。
だが、エトヴァスは最近、アリスを見ている。よく見るようにしている。
ついこの間、アリスを一週間ほど城において情報収集に出たとき、アリスは不満ひとつ言わなかった。エトヴァスが不在の間、いつものようにちゃんとベッドで眠らず窓辺で眠ったり、いつも与えている課題をやっていないのは知っていた。ただアリスは何も言ってこないし、単にエトヴァスが監視していないのでやる気が出ないのだと思っていた。
だがアリスは実際には泣き出すほどさみしかったらしい。食事量も減っていたし、今までエトヴァスのもとに来てからずっと一緒に眠っていたので、エトヴァスがいないと落ち着かず、よく眠れなかったとも言っていた。
エトヴァスがいなくても、生活のすべてはそろっていた。なのに、アリスは精神的に普通の生活をうまくおくれなくなっていたのだ。
人間は感情豊かな生きものだ。逆に感情を慰撫しなければ絶望のあまり死んでしまうこともある。これが魔族で感情の起伏に乏しいエトヴァスが最も共感できない点であり、同時に気をつけなければならない性質だとエトヴァスは思わされた。
アリスはエトヴァスの食糧だ。精神的に傷ついて勝手に死なれても困る。
だからエトヴァスは自分の行動を見直すことにした。なにがあってもアリスとの時間をとるし、よく見ることにした。そうすればアリスが自ずから自分の感情を話す機会も増えるし、アリスは子供なので何を考えているかはすぐに顔に出る。
「別に責めているわけじゃない。おまえが他者、とくに人間を好まないことはよくわかった」
あまりにうろたえた表情をするので、エトヴァスはアリスをなだめる。
エトヴァスはアリスに共感できない。だがその気持ちを無視する気はない。最近彼女をよく見ているので、彼女が先ほどどうして眠たいと言ったのかは理解している。ひとまずエトヴァス以外の誰かといるのが負担だったから、部屋に引き上げたかったのだろう。
アリスを城から出してわかったのは、アリスが思っていたよりずっと閉鎖的に育ってきたことだった。半年も城の一室に閉じ込めていて、文句のひとつもないわけである。要塞都市の一室で幽閉されて育ったアリスにとって、逆に人間や他者はいるだけで相当なストレスなのだ。
「・・・」
アリスは俯いて、じっとベッドのシーツ眺めている。
「・・・ごめん・・・なさい、」
結局、言葉が見つからなかったのか、桃色の唇からもれたのは謝罪だった。
「なにを謝ってる」
「・・・エトヴァスが大丈夫なようにしてくれてるって知ってる、わかってるの、わかってる」
アリスは自分の寝間着の裾を握りしめ、まるで自分に言い聞かせるように、きつく目をつむって「わかってる」と繰り返す。
合理性や論理性からは逸脱しているとわかっていても、感情が追いつかないのだ。
「俺も迂闊だったな。もう少し慣らしておくべきだった」
エトヴァスはアリスの恐怖に共感できないし、自分のものとして理解できない。だが、それがあらかじめわかっていたなら、そういうものとして対策を取ってやるべきだったと思う。
アリスはいつもエトヴァスにも楽しそうに話しかけてきていたし、メノウとも仲が良い。だから大丈夫なのだとエトヴァスはどこかで安易に考えていた。安易すぎたのだ
エトヴァスにとって人間など、弱く寿命も短い、些末な存在に過ぎない。だが幼く無力なアリスにとって、人間は要塞都市の一室から自分を引きずり出し、魔族に差し出した生きもので、怖くてたまらないのだ。人間に対する捉え方がまるで違うのだろう。
「来い、」
エトヴァスは立ち尽くしているアリスに手を伸ばす。たった二文字告げるだけで、アリスが遠慮なく抱きついてきた。エトヴァスはアリスの体を抱き上げ、適当にベッドとの間に背もたれとしてクッションを挟みながら態勢を整えて腰を下ろした。
人間の生態はよく知らないが、アリスは不安になるとエトヴァスに身を寄せてくる。くっつくというのは、安心する手段のひとつなのだろう。
アリスに両親の話を聞いた時、一番に話したのは、父親に抱かれ、背中をポンポンされたというどうでも良い記憶だった。たしかに百年前にエトヴァスが人間のなかで生活したときも、子供たちは不安になると戦闘力が高くなくても自分の親に駆け寄っていた。
魔族であるエトヴァスにはまったくわからない感性だが、逆に煩わしい、疎ましいとも思わないので、落ち着くならそれでいいと思っている。
アリスはエトヴァスの胸に頬を押しつけているので、背の高いエトヴァスからは亜麻色の旋毛しかみえない。この光景も最近見慣れていたのでぼんやりと綺麗な円形のつむじを眺めていると、ふとアリスが顔を上げた。
「わたし、なんでエトヴァスに差し出されたの?」
どこか空虚な紫色の瞳が、ぼんやりとした光を宿したままエトヴァスに尋ねる。
先ほどのシグルズの話だろう。
あの話が出たとき、アリスが魔族に差し出された自分の状況にどの程度の認識を持っていたのか、エトヴァスもアリスにはまだ言葉で確認したことがないなと考えていた。
「わたし、クイクルムにいたの?」
「そうだ」
アリスは要塞都市クイクルムにいた。それは事実だ。
答えると、小さな笑いが色をなくした唇から吐息のように漏れる。それは笑いと言っても子供らしくない、自嘲するような乾いたものだった。
「そのかわり、・・・一年間休戦したって、きゅうせんってなに?」
「戦いをやめることだ。動力源、つまり魔力で結界を動かしていたおまえを俺に渡すかわりに、魔族側は一年、クイクルムを攻撃しないことになった。人間側がそれを求めてきた」
エトヴァスは淡々と答える。じっと見ているとアリスの唇は柔らかく弧を描いていた。
だが、いつもは感情豊かな紫色の瞳はゆらゆら揺れていて、縋るようにエトヴァスを映しているのにどこか空虚だった。
「わたし、対魔族結界の動力源だったの?」
「そうだ」
エトヴァスには否定するという選択肢はなかった。
人間なら言いにくいことだと言いよどんだのかも知れないが、事実は事実だ。感情の起伏の乏しいエトヴァスは事実をそのまま肯定した。
要塞都市クイクルムの結界の動力源で、魔族に差し出された。それはアリスのことだった。
『ましてやクイクルムなんて動力源だった、今まで助けてもらってた人間を魔族の将軍に差し出して喰わせてさ。一年の休戦なんて、頭おかしい』
恐らくアリスは、自分が要塞都市の一室に閉じ込められていたことも魔族に差し出されたことも、理由を深く考えたことがなかったのだろう。
しかし、それぞれの見方というものがある。
魔族の側から見れば魔族の将軍だったエトヴァスが要塞都市クイクルムの対魔族結界を破り、結界の動力源だったアリスを食糧として手にいれた。エトヴァスはそろそろ食糧を欲する時期だったから、食糧がほしかった。アリスでなくても良かったが、要塞都市のなかにそこそこ魔力のある人間がいるのは知っていた。
人間の側は魔族に攻められ、要塞都市の結界を破られた。千年破られたことのない結界だったため、逃げる用意は何もなかった。住民を避難させる時間を稼ぐために、動力源として幽閉していた少女を一年の休戦と引き換えに、喰われるとわかっていて魔族の将軍に差し出した。
魔族も人間も、ひと、ひとり、捨てるだけで当座、丸く収まった。それがたまたまアリスだった。それだけだ。
「そっか・・・」
アリスが深く俯く。表情は見えない。その拍子にさらりと長い亜麻色の髪が小さな肩を滑り落ちた。
「知らなかったのか」
エトヴァスも、アリスが詳しい事情を知らなかった気はしていた。だが、わざわざ口にして言うことでもない。確認はしなかった。
「・・・うーん、わたしを閉じ込められていた部屋においていったのはおかあさんなの」
アリスは俯いたまま、いつもどおりのおっとりとした口調でぽつぽつと言葉をこぼす。ただその声は酷く震えていた。
「・・・なんとなく、捨てられたんだろうなってわかってた。おとうさんがいなくなってから、おかあさん、わたしをみたくなかったみたいだったから・・・」
エトヴァスも、アリスの口からいくつか父親の思い出を聞いたことがある。
背中をぽんぽんしてもらった。抱っこしてもらった。そうした思い出は、いずれも母親のものではなかった。人間も魔族も母親は比較的子供の世話をするものだが、少なくともアリスの場合は違う。恐らく、父親がいなくなったことが、アリスと母親の関係の破局につながっていたのだろう。
そして母親は結界の動力源になるとわかっていて、娘を置いていった。
そのことがどういった利益を母親である女性にもたらしたのだろうか。それはエトヴァスにはわからない。ただ少なくともアリスを想ってそうしたわけではなかっただろう。
「・・・部屋から出されるときも、おまえを喰わせればきっと、魔族も黙るだろうって言っていたし、おかあさんが昔、魔族は人を食べるお化けだって言ってたから、食べられちゃうんだってわかってた」
アリスは幼い。だからアリスが理解できたのは、断片だけだった。
エトヴァスは覚えている。アリスが人間からエトヴァスに引き渡された時、要塞都市の騎士団の男たちは、アリスを本当にゴミのようによこした。薄汚れた服を着た彼女は立ち上がる力もなく、声も出さず、ずっと俯いて震えていた。
結界の動力源が男なのか、女なのか、年がどのくらいなのか、別に興味はなかった。だが小さなぼろぼろの子供を差し出してきたのを見たとき、想像より小さいとは思ったし、要塞都市のクイクルムはかなり腐敗していると思った。
まともな神経や経験のある魔術師や騎士がいたなら、魔族の将軍であるエトヴァスに喰われるということは、直接会えると言うことだ。成功するかはともかくとして、腕の良い魔術師に奇襲をかけさせるくらいはしただろう。アリスの魔力を暴発させてもいい。
それすらせずそのまま小さなアリスを差し出してきたのだから、ろくに考えられる人間がいなかったに違いない。
「・・・捨てられたって・・・知ってた」
言葉にしなくても、アリスは自分が捨てられたことをわかっていた。知っていたという。ならば少なくともやっぱりそうだったと思える程度のことのはずだ。今知ったことは、再確認に過ぎない。
「じゃあ、なんで泣くんだ」
エトヴァスにはわからない。
ぽたぽたとアリスの服の上に、涙がこぼれ落ちている。俯いているから表情は見えない。嗚咽もなかったが、握りしめた小さな手は震えていた。
知っていた、予想していたことなら、何故泣くのか。悲しむのか。
「・・・おいて行かれたって、捨てられたって、わかりたくなかった」
ぽつん。涙がおちるように、落ちた言葉は小さく、余韻もなかった。
彼女ははじめて、母に置いていかれたことを、そして人間に捨てられたことを理解したのだろう。
アリスは幼い。だからなんとなくわかっていても、深く考えず、見ないふりをしていたのだ。身近な親という存在に、同族である人間に捨てられ、その現実を目の当たりにすれば、人間は感情的な種族だ。幼い彼女は絶望のあまり狂ってしまったかもしれない。
だから今、薄々わかっていたとしても現実をはじめて前にして、うろたえ、傷ついている。
「悲しい・・・」
エトヴァスにはわからない感情だ。それを十歳のアリスは、知っている。
「・・・わたしは、どうしたらおいていかれなかったの?どうしたら捨てられなかった?」
アリスのか細い声には、悲しみがにじむ。
なにかやり方があったのか、何を間違ったのか、きっとアリスは捨てられたという事実を前に、自分ができる事がなかったのかと振り返り、後悔しているのだろう。
だが、その感性は魔族にはないものだ。当然共感など微塵もできない。
「それは、考える必要があるのか?」
エトヴァスは彼女の言う意味がわからず、首を傾げる。
アリスが驚いたように「え?」と顔を上げた。目尻にはいっぱい涙がたまっている。それを見ながら、こんなどうでもいいことでよく泣けるなとエトヴァスは口を開く。
「同族にも他者にも期待する気持ちがわからん」
魔族はそもそも利害以外で徒党を組む生き物ではない上、強さがすべてであるため、弱ければ結界の動力源になってもおかしくないし、別の魔族に差し出されるというのもあり得る話だ。当然、強さも、利害の一致で仲間というべき相手も、自分で作っていく。それが普通なのだ。
だからアリスの言う、自分を捨てた者に対する悲しみや未練が、わからない。
「どのみち、おまえを置いていった、捨てたものは、これから生きていくのに必要ないだろう」
エトヴァスは捨てたものについて思い悩むことが、心底無駄だと思う。
アリスが他人に捨てられたという事実を、どうしてそれほど嘆くのかはわからない。他人など、そんなものだ。それに間違いないのは、いまとなってはどうすれば彼らに捨てられなかったかなど、考えても仕方がないということだ。
そもそも母親に置いて行かれたとき、アリスは四歳。何か出来たとも思いがたい。幽閉先から引きずり出されるときも、同じだ。すべてがわかっていてその莫大な魔力を暴走させて要塞都市クイクルムを更地にしたとしても、エトヴァスは最終的にアリスを手に入れていた。
普通の人間ならまだしも、エトヴァスは莫大な魔力程度でどうにかなる魔族ではない。
そう考えれば何を仮定しても無駄だ。どうせアリスが捨てられた理由や回避方法をいくら拾い集めても過去をもう一度繰り返すことはできない。どう転んでも価値のあるものではないのだから、泣いて考えるようなことでもないだろう。
アリスは紫色の瞳を丸くして驚いた顔をしていたが、ぱちぱちとその希少な色合いの眼を瞬く。
「どうせおまえは一生俺の食糧だ。過去なんてどうでもいい」
アリスはエトヴァスと生きていくしかない。
エトヴァスは身の危険があったり、アリスが身体的、精神的に健やかに生きていけないのであれば、アリスの過去に興味を持つ。だが、本来過去は現在にさして必要ではない。過去がどうであれ、結論は変わらない。それならば、過去など些末な問題だと、エトヴァスは思う。
「・・・そ、それは、そうかもだけど、」
「ならそれでいいだろう」
エトヴァスはアリスの目尻にたまった涙を自分の指で拭ってやる。アリスはまだ何やら咀嚼し切れないと言った雰囲気だったが、涙は止まったのか、これ以上溢れてくることはなかった。
「俺が皆殺しにしてやろうか?」
「・・・え?!」
アリスが酷く驚いた声を上げる。
「そんなに気に食わないなら、おまえを俺に突き出した奴も殺せばいい。クイクルムも滅ぼせば終わりだ」
エトヴァスは、争いごとがそれほど好きではない。
だがどうせ要塞都市クイクルムの休戦期間もあと半年ほどで終わる。結界のなくなったクイクルムは、放っておいてもゆるやかに魔族の支配領域になるだろう。魔族の将軍であるエトヴァスがクイクルムを攻略し、人間を皆殺しにしたとしても魔族らしい行動と言われるだけだ。
死体は魔族の誰かにやれば喜んでくれるだろう。むしろアリスが気持ちよく自分に血肉を提供してくれるなら、それでいい。
「・・・えっと」
アリスはうろたえ、言葉が出てこない。そんなに驚くことだろうかとエトヴァスの方が疑問に思う。
「別に構わん。俺は食糧のおまえが第一だからな」
要塞都市クイクルムは住民とアリスの命を天秤にかけ、住民を取った。だがエトヴァスは、自分の食糧であるアリスの平穏のために、住民を犠牲にしてもなんら問題はない。
そもそもエトヴァスにとって、クイクルムを滅ぼすことはもはやたいした労力のかかる行動ではない。
「おまえの人間に対する恐怖も、こっちが虐げることが簡単だとわかれば、消えるかもしれんしな」
アリスは人間を怖がっているが、人間なんて簡単に殺せるものだと思えば、恐怖もなくなるかもしれない。安易な発想だが、どうせ暇なので試してみるのも悪くなかった。ただアリスはぶんぶんと首を横に振る。
「や、やめておこうと思う」
アリスは涙を拭うエトヴァスの手に自分の小さな手を重ね、真剣な顔で言った。
はっきり言って、エトヴァスは本気だった。だが、同時に些末なことだとも考えていた。だからそんな些末なことに真剣に首を横に振るアリスが何やらおかしくて、追撃をかけてみる。
「いつでも言ってくれて良い。おまえのおかげでコンディションは最高に良いからな。今ならヴァラにも高確率で勝てる」
「ヴァラ、強いの?」
「強いな。相性もルカニアほど悪くない。まぁ、勝算は6,7割といったところか」
戦闘には相性がある。相性の悪い相手と出会うと、やはり厳しいときもある。
ただし年齢を重ねれば、もうだいたい誰が戦うに相性が悪いタイプなのかはわかるし、そういう相手を見たときはすぐに逃げる。引き際も長生きの秘訣だ。逆に殺せるときに容赦なく殺すのも長生きの秘訣とも言える。
そういう点でヴァラとエトヴァスの力の差はわずかで、コンディションの良い今殺しておいても損はない相手だった。ただ面倒だし今はアリスを喰うことに夢中なので、ヴァラを倒しても何の意味もなのでしない。
「・・・エトヴァスって、強いんだね。城からあんまり出ないのに」
「あぁ、こういうのを宝の持ち腐れと言うな」
魔族でも有数に腕が立つ。それはエトヴァスも自分でわかっている。
だが戦いは心底面倒くさいと思っているので、アリスの血肉のおかげで調子が良いのも、あまり意味がない。ただし機会があれば、今殺してもいい相手はそこそこいるので、少し好戦的になっておこうと思っている。
だからアリスを狙ってきた場合は、皆殺しにすると決めている。それぐらいの平穏がちょうど良い。
「明日は動物園にでも行くか」
「・・・人、多くないかな」
「平日の昼間だからな。まぁ、人が多ければ釣りでもして、のんびりしていれば良い」
そもそも田舎町の動物園など、ふれあいを優先しており、たいした動物はいないし、たいした監視員もいないのが常だ。人里離れた場所にあるので、最悪、山でぼんやりして帰れば良いのだ。
「・・・つり?」
アリスは不思議そうに首を傾げる。そう言えば一度も話したことがなかったかも知れない。
「魚は少し食べたことがあるだろう?」
説明を始めると、アリスは興味深そうに首を少し伸ばした。
アリスは知らないことが多い。それを説明し、共有しながら、そうやって歩幅をあわせて生きていく。いやになったとしても、たった百年そうするだけだ。エトヴァスはそれでいいと納得していた。
引きずる悲しみは、なかなか癒えないものだとエトヴァスはちっともわかっていなかった。