04.シグルズ
「あの子は?」
シグルズは珍しい紫色の少女が男と客間に引っ込んでから、ヴァラに尋ねる。
幼い人間の来客は珍しい。だいたい三千歳のヴァラの来客というのは、人間以外の種族が多いし年齢も千歳を越していることが多い。なのに、少女はどう見ても人間で、しかも杖をもらいに来たと言っていた。
いったいいつ知り合ったのだろう。
「知り合いの子だ。・・・クイクルムにいたんだ。だから、あまりそれを口にするな」
「そうなんだ。そりゃ、悪いことしたな。あとで謝んねぇと・・・」
椅子に座り、シグルズは俯く。
半年以上前だが、要塞都市クイクルムは魔族の将軍に襲われ、その結界を破壊された。大魔術師ルシウスの結界は千年間、六ある要塞都市を守り続けていた。クイクルムは魔族の支配領域との接点にあり、今まで攻撃を受けたことがあったが破られたことはなかったため、大ニュースになった。
焦ったクイクルムの支配者は民を守るため、結界の動力源だった人間を魔族に差し出して、一年の休戦を願い出たという。魔族は魔力の高い人間を食べることを好む。動力源になれるほど莫大な魔力を持つ人間は魔族にとっては喜ばれる「食糧」だ。それを魔族の将軍も受け入れたとされる。
一年の間に要塞都市の民は、他の要塞都市に移動したり、周辺の町や村に避難することになるだろう。
しかし、要塞都市は数十万人の住民を抱えている。一年は十分な時間とは言えないし、千年もの地所を奪われるというのは複雑な気持ちだろう。アリスがそうした避難民のひとりなら、自分たちが犠牲にした動力源の話は、あまり心地の良いものではなかったはずだ。
ましてや十歳のアリスが好んで動力源の犠牲を容認したわけでもない。
誰かの犠牲のもとに生き延びるというのは、決して心地よい話ではない。それは痛いほどよくわかる。シグルズとて色々な人の犠牲に、今を生きているのだから。
「でも、なんであのおっさんといんの?あのおっさん、エルフじゃねぇだろ」
アリスを連れていた男は二十代後半くらいに見えた。一見すると普通の人間に見える。ただ人間ではなさそうだった。恐らくエルフでもない。耳もとがっていなかった。
魔力を制御して来ているのか、たいした魔力もなかったが、魔力で強化しなければエルフの筋力は人間のものとさして変わらない。だが彼はアリスを抱き上げる時に片手で抱き上げた。しかも予備動作がなく、重さを感じていない様子だった。
アリスの年齢は十歳。小柄だが最低でも二十キロから三十キロはあるだろう。それを軽々片手で持ち上げるのだから、少なくとも肉体的には相当強靱な種族のはずだ。
「いろいろあるのさ。」
ヴァラはシグルズを宥めるように、頭を撫でてくる。あからさまな子供扱いにむっとしたが、ヴァラは笑うだけだ。
少女の姿をしていても三千歳を超すエルフだ。シグルズは赤子に等しいだろう。
「でもあのおっさん、強そう」
エトヴァスと名乗ったあの生物を見たシグルズの最初の感想は「勝てない」だった。
絶対に勝てない。太刀打ちとか言うレベルではない。そういう差が自分と彼の間にはあると思った。それはヴァラと会った時も同じだった。
「そうだな。おまえは勝てん。・・・私がやり合っても分が悪いな」
ヴァラは穏やかに笑って、シグルズの前にホットミルクを置く。シグルズは熱いミルクは嫌いだと言っているのに、このエルフはいつもまったく人の話を聞いていない。
だが今はそんなこと、どうでも良かった。
「・・・ヴァラでも勝てねぇの?」
「勝算は3割だ」
「少ねぇな」
「それでもあいつは戦ってはくれないさ。絶対に逃げられる。逃がさないというのは、戦うより遙かに難しい」
ヴァラは不満そうに、子供のように口を尖らせた。
シグルズも確かに、戦うよりは逃げる方が簡単だとは思う。だがヴァラは勝算が3割だと言った。相手のエトヴァスは7割勝てる。なら戦っても良いのではないかと思う。
「なんであっちは勝算が高いのに、戦わねぇの?」
「昔からあいつは無駄なことはしたくないのさ。暇なのにな」
どうせ長い人生の暇つぶしくらいには良いだろうに、とヴァラは自分の色の薄い金色の髪をくるくると指に絡めながら、困ったように笑う。
ただしこういう長く生きる故の精神性が、シグルズにはわからない。暇つぶしに命のやりとりのある可能性を許容するヴァラもよくわからないし、勝てそうなのに避けるエトヴァスもわからない。どちらにしても長い寿命をもつ種族の考え方はわからないとシグルズは片付けることにしている。
「まぁ、私もあいつ相手はどうやっても面白みがないから、何もしたくないのさ」
「強いのにおもんないの?あいつ」
「そりゃぁもう嫌な奴だからな。緻密でみみっちい奴さ」
「えー、そんなにヴァラが褒めるなら、俺、やりあってみてぇな」
「はっ、おまえなんて相手にもならんよ」
シグルズは熱いホットミルクのマグカップを手にしてみる。だが、やはり熱すぎて飲み気にもなれない。シグルズは小さなため息をつく。するとヴァラがテーブルに頬杖をついて口を開いた。
「エピダムノスはどうだった?」
「うーん、ご丁寧だよ」
シグルズは答えながら、うんざりしていた。
今、シグルズは要塞都市エピダムノスの騎士団の寄宿舎にいる。
人間世界に残された対魔族結界を持つ五つの要塞都市の一つで、大きな港があるシグルズの父親の故郷だった。だいたい魔力が急激に成長する十二歳前後になると要塞都市の騎士団学校にいくのが田舎の都市の子供の基本で、母親の死後ヴァラの元で育ったシグルズも例に漏れなかった。
時々母と個人的に訪れることはあったので町並みなどは知っていたが、正式に行くとなると面倒なことも多く、思っていた場所とは違うと思うこともあった。
「騎士団の体力作りとか、ヴァラのおかげでちょろいよ」
「勉強は?」
「それもそこそこ?」
「そりゃ結構なこった」
シグルズは別に騎士団学校に行くつもりはなかった。勉強はそこそこできるが別に好きではない。魔術や騎士としての稽古はヴァラにつけてもらった方が成長できる。だが、学校に行けと行ったのはヴァラだった。人間として生活していく限り、エルフのヴァラにずっと育てられる生活は、良くないというのだ。
しかも十八歳になれば面倒を見る気はないと、出て行け宣言までされた。
「うまくやれそうか?」
「どうだかな。でも動力源に会った・・・・見たっていうのかな」
シグルズは苦々しい思いでマグカップの表面を見る。ミルクには白い幕ができている。そう白い幕の向こうで、すべてが行われている。
父に連れて行かれた部屋で眠っていたのは、もはや幼い頃の面影もないほど痩せ細った五,六歳の少年だった。魔術の構造式がびっしり描かれた部屋にいたその少年はエピダムノスの動力源だった。
少年はここに連れてこられ、ただ穏やかに魔力だけを吸い取られ、ずっと眠っていると言っていた。
要塞都市はいつも、動力源となる人間の犠牲で成り立っている。
小さい子供が選ばれ、そのまま人生を終える。五歳を超える子供が選ばれないのは、眠らせるときに言うことを聞かず、魔力を暴発させたりしないためだ。
エピダムノスの場合は、決まってひとつの家系で一番魔力の強い子供が動力源に選ばれることになっている。他の都市がどうなっているかは知らない。だがまだフェーローニアのように、外から人を攫ってくる方が都市内の住民の犠牲はないのかも知れない。
「千年前、大魔術師ルシウス・・・あいつは弱い人も死なずにすむ世界を与えたいと、結界を張ったのにな」
ヴァラはため息交じりにミルクを口に含む。
「・・・でも、当時から動力源がいたんだろ?」
「当時は一年交替の任期制だったよ。まさかあんなことになるなんて、あいつも思ってなかっただろうな」
シグルズは思わず笑った。
まるで聞いたような言い方だが、ヴァラは三千歳だ。彼女にとってみれば、人間にとって千年前の伝説上の歴史にすぎない大魔術師ルシウスも同時代人だった時期があるのだ。ただ自分にとっては伝説のような話だから、話半分で冗談だと思って聞くことにしている。
「総じて創設者の意図など、歴史のなかではなんにもならん」
ヴァラの新緑の瞳が伏せられる。それが悲しげに見えて、シグルズは別の話をすることにした。
「話戻すけど、それにしてもあのアリス、かわいかったな。珍しい目の色だった。でも俺、嫌われたみたいだったな」
「クイクルムの話なんかするからだろう」
「そうだよな・・・でも、俺、めっちゃ怖がられてるっぽくなかったか?・・・どう考えてもあのおっさんの方が怖そうなのにべったりだしさぁ」
アリスは子供なのにシグルズがどんなに明るく笑いかけても眉間に皺をよせ、唇を引き結んでいた。それに対してあれほど身長も高く、無表情な大人なのにエトヴァスにはべったりだ。離れれば怖いことが起こるとでも言うように傍にいて、シグルズはおろかヴァラでさえも信用していないように見えた。
アリスは人間で、あの男はどう見ても人間ではない。要するにもともと知り合いだったかもしれないが、他人だ。
一体どんなことをすれば他人の、しかも種族まで違う子供にあんなに慕われるようになるのだろう。
「残念なことにあの子には、すがれるものがあの男しかないのさ」
ヴァラはミルクの入ったマグカップを揺らし、くるくると中身を回す。白いミルクの中には渦ができる。そうして手を止め、渦がなくなるのを待つ。
「・・・たしかにあの男はアリスを裏切らない。なにがあっても」
「なんでだよ」
「利害関係があるからさ。そういう点では人間より信用があるかもな」
シグルズには意味がわからなかったが、ヴァラは確信しているようだ。ただ悲しそうでもあった。
「・・・人間よりも?・・・・・・ん?」
ヴァラはあのエトヴァスという男を知り合いだと言っていた。
ヴァラは「神威」のヴァラと呼ばれ、界隈では有名だ。エルフで三千年も生きており、その強さも尊敬されている。そのヴァラよりも強いと言うことは、少なくとも千歳は越えているだろう。
そしてヴァラもその界隈で有名だと言うことは、彼もそれなりに有名の可能性が高い。
「うーん、」
該当者は限られはするが、そこそこいる。シグルズは真剣に考える。
「まあ、なにごともほどほどにな」
ヴァラはシグルズの考えていることに興味などないのか、笑っている。そんな彼女を見ながら、シグルズも笑った。
一日はまだまだ始まったばっかりだった。