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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
二章 少女、食糧になる
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02.エトヴァス

 もうそろそろ朝だ。夜明けに伴い明かりが消され、道に活気が戻ってくる。牛乳売りの女の声が外でしているのを聞いて、エトヴァスは読んでいた本から顔を上げそれをテーブルに置いた。

 人間の町は基本的にうるさい。

 昼は当然人が行き交うが、夜には売春婦やそれを買う男達が闊歩する。夜明けには市場の用意をする行商人たちが道路を行き交う音がして、朝の牛乳売りの女達がやってくる。百年前より馬車が増えたせいか、馬の嘶きがうるさい。

 それでもここは地方の田舎町なので、人は少ない方だ。

 もともと魔族は決まった時間に眠って起きるという習慣がない。睡眠をそれほど必要としないのだ。だからエトヴァスは百年ほど前に人間と暮らした時期の習慣をまねているだけだったから、別に騒音で多少眠れなくても困らない。

 だが、エトヴァスの膝の上にいる人間のアリスは目の下に隈を作ってうとうとしていた。


「おはよう、アリス」


 ヴァラが笑いながら起きてきて、挨拶をする。

 アリスは聞こえているのか聞こえていないのか、エトヴァスにもたれたままもそりと動くだけで、答える気力もないようだった。

 

「なんだ、アリスはまったく眠れなかったのか」


 ヴァラはアリスをのぞきこんで苦笑したが、予想もしていたようだ。

 エトヴァスも予想はしていた。だがここまで酷いとは思わなかった。ヴァラのすすめどおりここに宿泊したが、人間の宿泊施設に泊まっていればどうなっていただろうとぞっとする。

 昨晩のアリスは酷かった。

 客間に案内され、寝間着に着替えてエトヴァスとともにベッドに横たわったまでは良かった。まず通りの音が気になるのか数時間通りをのぞき続け、エトヴァスに言われてベッドに入ったが、次は落ち着かずころころと何度も寝返りを繰り返した。

 挙げ句、何回もトイレに行きたいと言いだし、落ち着かせようとリビングまでやってきて温かいお茶を飲ませたりもしたがまったくだめで、結局エトヴァスがソファーに座って膝の上にのせ、本を読み聞かせて今になってうとうとしてきたが、もう朝だ。


「人間がいると落ち着かない人間というのは、生物として末期だな」


 エトヴァスは嘆息する。

 魔族は群れて動かない生き物だ。そのため個体ごとに非常に高い身体能力と戦闘能力を持つ。それに対して人間というのは群れを形成して社会活動をし、それによって身体的な弱さを克服してきた動物だ。それにもかかわらず、アリスは人間が怖い。もう人間としての生物的な資格を失していた。

 ただしアリスはどこまでも人間だ。原因は感情的な人間らしく、どこまでも感情的な理由だ。

 エトヴァスもいる。アリスには防御魔術もかけてある。自分自身の魔力もある。人間がアリスを襲ったり、意に沿わないことをすることはできない。それにもかかわらず、アリスは人間が怖い。

 いかなる対処策も、植え付けられた恐怖を抜本的に彼女から拭い去ることはできないのだ。


「可哀想にな」


 ヴァラは魔族に縋り付いて寝息を立てだしたアリスに、毛布を持ってくる。エトヴァスはそれを受け取り、アリスを近くのソファーに横たえた。この感じでは客間のベッドに寝かせても、すぐに物音で起きてきてしまうだろう。

 ヴァラは屋敷の窓から牛乳売りの女から牛乳を買い、戻ってきた。椅子に座ってそれをマグカップで飲みながら、ふふっと笑う。


「それにしても、おまえがそんなに殊勝だとは思わなかったよ」

「何がだ?」

「餌に魔術を教えるとはな。哀れみでも覚えたか」


 エトヴァスはヴァラに言われ、首を傾げる。


「食糧の安全と喪失を天秤にかけた結果だ」


 アリスはエトヴァスにとって血肉を喰らうための食糧だ。しかも良質な食糧で、なくなってもらっては困る。

 魔術を覚えればアリスはある程度自分の身を自分で守れるようになる。そうすれば他の魔族に殺される可能性が減る。エトヴァスが魔族たちのいる場にアリスを伴うこともできるようになり、そばで守ってやれる。

 特に一週間ほどアリスを城に置いていったとき、あとからよく聞いてみるとアリスは酷くさみしかったようだ。幽閉されていたこともあり、誰かいないとそのことを思い出すらしい。アリスの精神衛生上も城の結界のなかにひとり置いていくより伴う方がましなはずだ。


「だが、おまえが攻撃される可能性もある」

「たかだかこんな小娘に攻撃されて、負けると思うか?」

「逃げられる可能性はあるだろう」

「仮にそうだったとしても、捕まえるのはそれほど難しくはない」


 エトヴァスはこれを合理的な判断だと考えている。だがヴァラはそうではなかったようで、ぼんやりとその新緑の瞳で眠るアリスを見ていた。


「・・・おまえは、生き物に情がわいたことがあるか?」

「あると思うか?」


 誰に聞いているのだろうと思う。

 そもそも魔族は一個体で生きるもので、群れる生きものではない。だから誰かとともに常にいるというのは利害の一致以外何もない。それもあっさりと裏切ることが多いので、魔族との同盟は基本信用していない。魔族は愛情をかけることもないし、かいがいしく子育てをする習慣もない。

 そんなことは三千年生きたエルフであるヴァラが一番よく知っているだろう。


「長く生きるとな、情が緩慢になる」


 ヴァラは飲み終わった牛乳のグラスを、とんっとテーブルに置いた。

 魔族やエルフは、殺されない限り恐ろしく長く生きる。寿命がどこにあるのか、自然にそれを迎えるのか、もはやわからないレベルだ。そうするとすべての物事に飽きが来て、緩慢に動いているように見える。

 その感性はエトヴァスにも覚えがある。

 世界が、他人が動いているのに、自分だけが止まっている。そういう錯覚を覚えるときがある。だから達観し、情が抱けなくなる。向けられなくなる。情がないような気がしてくる。


「だからこそ思い入れ出すと、一人目の喪失がやばい」


 のめり込み出すと、慣れていないから一気に情を傾ける。そして絶望する。


「なんの話だ」


 エトヴァスは話が見えず、尋ねる。ヴァラは新緑の瞳をエトヴァスに向けた。


「わたしたちの、・・・そう、ルカニアの話」


 紫色の瞳のエルフ、ルカニアの話だ。

 エトヴァスがその千年以上の人生の中で、敗北を喫した相手は何人かいる。なかには人間もいるが、人間は全員死に絶えた。魔族も殺した。

 唯一今生きているのが、エルフのルカニアだ。彼女はエトヴァスにとって非常に相性が悪い相手だった。

 百年前、彼女には伴侶がいた。

 この屋敷の壁には、細く長く白銀色の杖が飾ってある。それは、その伴侶が使用していた杖だ。男には不釣り合いな、繊細な杖だった。そして、その男はとても優れた、アリスにも匹敵する莫大な魔力をもつ魔術師だった。


『十年後、僕は死ぬ。その時僕の血肉は君にやろう。だから十年、人間のなかで住んでほしい』


 いまでも彼がなぜそんなことを言ったのか知らないし興味もない。エトヴァスは人間の生活を覚えるために、彼と二年ほど一緒に住んだこともあるが、その真意を彼が語ったことはなかった。彼はたった三十年ほどの人生のなかで、先代の魔王を倒すほどの魔術師になった。

 そして彼を喰ったのは自分だった。莫大な魔力は、エトヴァスの百年の血肉になった。アリスまでのつなぎに。

 

「情がわいたことのない奴の方が、情がわいたときが一番まずいのさ。立ち直れなくなる」

 

 ヴァラはルカニアのことを言っているのだろう。

 彼女はルカニアと同じエルフだ。エルフは種族として人数こそ少ないが長命で、同族を大事にする生きものだ。エトヴァスはあの男を喰ったあとは領地に戻ったし、ルカニアに興味もないので彼女がどうしているのかを考えたことすらなかった。だがヴァラはルカニアがどうしていたのか、知っているのかも知れない。

 ただ、ヴァラの言いたいことがわからない。


「話が見えない。ルカニアが俺を殺しに来るという話か?」


 確かに、約束だったとはいえルカニアの伴侶を喰ったのは事実だ。

 百年ぶりにエトヴァスが要塞都市クイクルムの結界を破壊し、動力源だった人間を喰らったことは、動力源の生死はともかくとして人間にも魔族にも知れ渡っている。エトヴァスが表舞台に戻ってきたことは、誰もがわかっている。

 それにともない、ルカニアも動くと言っているのだろうか。


「そんなこと別にいつものことだろう」


 エトヴァスは結局、ヴァラがなんの話をしたいのかがわからなかった。

 ルカニアは自分の両親を殺した魔族を憎んでいる。だから襲われたことは一度や二度ではないし、自分が魔族である限りそれは理不尽なことだとも思わない。実際に今もアリスを貪って生きている。魔族は生きている限り魔力のある生物の血肉を食う。そういう生き物だ。

 だから逆に、今更ヴァラは何を言っているのか、エトヴァスは理解できない。そんなことは千年ずっと繰り返してきたことだ。

 アリスに危険が及ぶのは避けたいが、どうせルカニアは人間のアリスは狙わないので、さほど問題ではない。彼女が憎むのはいつも魔族だけだ。ならば逃げてやり過ごせば良い。戦うより、逃げる方がずっと簡単だ。


「・・・そうだな」

 

 ヴァラは穏やかに笑って、話を打ち切った。そしてエトヴァスの膝の上ですやすやと寝息を立てているアリスへとその視線を向ける。


「この子の手を、はなすなよ」


 本当にこの女はたった百年の間に、ぼけたのではないだろうか。

 エトヴァスは魔族だ。食欲に何よりも固執する。当然、食糧でもあるアリスを手放すはずがない。アリスもアリスでまた魔族に狙われるほどの魔力を有している上に、これほど人間に恐怖を覚えているのだ。エトヴァスから離れないはずだ。


「手をはなすも何も、俺がいなければ生きようがないだろう」


 手を離した途端、そのへんで野垂れ死にだ。

 魔族に喰われるか、人間に利用されて殺されるか、エトヴァスの手逃れたところでアリスにはろくな終わりは残っていない。自分の血肉とひきかえに、有数の魔族であるエトヴァスの下にいるから、アリスは安穏を貪っていられる。

 時がたてばたつほど、外に出れば出るほど、それを理解するはずだ。

 エトヴァスにとってヴァラの話は脈絡もなく、何を言っているのかわからない。だが、ヴァラは楽しそうに、悲しそうに笑った。


「生きようができてもだ。この子は好きだって思ってもらえるように、頑張ると言っただろう。おまえも努力しろ」


 ヴァラは、エトヴァスとアリスが、魔族と人間が生きていくのは難しいと言ったときに、アリスはそう返してきた。


『でも、エトヴァスといるのが好きだし、好きだって思ってもらえるように、頑張る』


 面白い答えだった。アリスは感情と意気込みしか言及しなかった。

 絶対や永遠などという言葉は、寿命が長いエトヴァスやヴァラにとっては陳腐に聞こえる。アリスは所詮、百年足らずしか生きない、儚い存在だ。そんなものがする約束など、きっと酷く浅はかに聞こえただろう。

 どう考えていたかは知らないが、アリスの発言は正解だ。


「頑張るって、こいつは何を言ってるんだろうな」


 エトヴァスが視線をアリスに向ける。どうやらぐっすり眠っているのか、もう起きそうにない。

 血肉を食われている身でありながら、捕食者で魔族でもあるエトヴァスが好きだと言うだけでも普通に考えるなら、頭がおかしい。それにもかかわらず、自分も好きだと思ってもらえるように頑張るというのだから、とんだ笑いぐさだと思う。

 現実的なのは、肉質をよくするためによく食べるとかだろうか。


「たっだいまーーー!」


 甲高い声が屋敷の入り口から聞こえてくる。まだ声変わりが終わったぐらいの、少年の声だ。途端にヴァラが舌うちをした。

 アリスがびくっと肩を震わせ、ぱっとソファーから跳ね起きる。


「・・・エトヴァスっ!!」


 寝ぼけた眼差しながらもエトヴァスを探し、真っ先に手を伸ばしてきた。動揺が如実に表れた、酷くみっともない顔だ。エトヴァスはアリスをソファーから抱き上げた。


「おまえっ!朝っぱらからうるさい!!」

「いっつもなんも言わねぇだろ!」


 屋敷の扉のところから部屋の中まで、甲高い声が響き渡っている。アリスはというと寝ぼけたままエトヴァスの首に手を回し、しがみついて震えている。

 エトヴァスがアリスを抱えたまま声の方に視線を向けると、少年と目が合った。藍色の瞳がみひらかれる。


「あれ、来客?強い?なぁ、稽古つけてよ」

「殺されてしまえ」


 ヴァラの声が冷たい。それにアリスがびくりと肩をふるわせたのを見て、エトヴァスはぽんぽんと彼女の背中を叩いて宥めた。


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