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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
二章 少女、食糧になる
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プロローグ エトヴァス

 夏とはいえ、城のある場所は山の上で、それほど暑くはない。ましてや塔にある部屋は風もよく通り、窓を閉め切っていてもそれほど暑くはない。ただ部屋には燦々と日の光が降り注ぐ。

 明るい塔の一室でエトヴァスがアリスに最初に教えたのは、魔術のまえに、魔力の制御だった。


「魔力は見せる部分の大小を変えられるものだ」


 エトヴァスが言うと、アリスはその珍しい紫色の瞳を瞬き、首をかしげる。亜麻色の長い髪がさらりとまだ小さな肩から滑り落ちた。

 エトヴァスは千年の長いときを生きてきた魔族で人間社会で暮らしたこともあるが、人間にものを教えるのははじめてだ。ましてや子供で、子供というのは集中力のないものだと聞いている。

 ただアリスは一応ちゃんと聞いているように見えた。


「おまえの魔力は異常なほど大きい。俺たち魔族は魔力が大きければ大きいほどその血肉を美味しいと感じる」

「だからわたし、おいしいの?」

「そうだ」


 アリスは自分のことのせいか紫色の瞳をくるくるさせる。


「そとに出るためにはまず、普通の人間程度の魔力に魔力を制御、おさえてみせねばならない」

「魔族に美味しそうだって気づかれないように?」

「そうだ。少なくとも、好んで魔族に襲われることはなくなる」


 人間というのはそもそもある程度の魔力を有しているかなり弱い生きものだ。だからこそ、魔力を有する生きものを食糧にする魔族にとって好ましい獲物となる。

 アリスはまず自分の魔力を制御し、少なくとも普通の人間程度に魔力をしぼらねばならない。


「今回、俺が魔力隠しの魔術をかけるつもりだし、田舎町だから良いが、お前の魔力は大きすぎる。そうした魔術はある程度の魔術師には、見抜かれる可能性がある」


 上位の魔族や人間のなかでもかなりの手練れの魔術師になると、そうした眼を持つものもいる。エトヴァスもそのひとりだ。そうなれば見抜かれることもあるので、気を付ける必要があった。


「魔力制御は魔術を使うための基本でもある。もちろんお前の魔力は大きすぎるから、難しいのはわかる。だが努力しろ」


 魔力は大きければ大きいほど制御が難しい。さらにアリスはそうした訓練をうけたこともないので、なおさらだろう。だができればアリスの行動範囲はエトヴァスが許す限り、格段に広がることになる。


「ある程度魔力制御ができ、魔術が使えるようになれば、俺はおまえを魔族のいる場所にもともなえる」

 

 魔力制御のできていない今の状態では不確定要素が多過ぎて、エトヴァスがかける防御魔術をアリス自身が自分の魔力で吹っ飛ばす可能性があるため、城の結界内にいてもらうしかない。

 だが少なくとも魔力制御ができ、ある程度魔術のいろはがわかればエトヴァスの防御魔術を自分で破壊する危険性はなくなるし、それがなくなればエトヴァスもアリスをそばに置ける。ある意味で城に置いていくより安心だ。


「ほんとう?おいていかない?」


 アリスはエトヴァスにおいていかれるのを寂しいからいやだと言う。

 エトヴァスはアリスの血肉を毎日奪う魔族だ。アリスはその食糧だが、アリスはエトヴァスに懐いている。幼い頃から窓ひとつない部屋に幽閉されて育ったことから、どうしてもひとりは好きではないらしい。

 千年もの長い人生のなかで妃も子供もおらず、誰とも共に生きたことのないエトヴァスにはわからない感性だが、わからないからといって無視する気はない。

 アリスの血肉は美味しい。それを少しでも長く味わうため、エトヴァスはアリスの健康で文化的な生活を守るつもりだった。

 そしてそのためには本人の努力も必要だ。


「がんばる!」


 アリスは小さな手を握りしめ、意気込みを見せる。だがそんなに簡単にできないことは、エトヴァスもよくわかっていた。

 正直、安定した魔力の制御など、数年もの、才能のある人間でも数ヶ月かかる。魔力量は大きければ大きいほど魔術師や棋士として大成できる可能性は高まるが、制御は難しくなる。アリスなど今まで何の教育も受けず、魔力をそのままにしてきたのだ。魔力が莫大であることも加味すれば、もっと時間がかかっても不思議ではない。


「気長にな」


 エトヴァスは近くにあったソファーに腰を下ろし、本を読みながらアリスの練習を見守ることにした。そもそも間違いなく今日できるようにはならない。ただどちらにしてもアリスを外に出す場合、遅かれ早かれ魔力制御も魔術も必要だ。

 目標をもち、やる気をもって頑張ってもらうしかない。


「問題は山積みだな」


 莫大な魔力という素質はあれど、それゆえに問題は山積みだ。魔力制御も魔術も一朝一夕でできることではない。とはいえ、使い物になるにも十年程度の問題で、長命の魔族のエトヴァスにとってはそれほど長い時間には思えない。

 最終的には他の魔族に襲われるリスクを避けるため、彼女自身が少なくともエトヴァスが来るまで位は上位の魔族の攻撃に耐える程度には魔術に熟達するのが望ましい。 

 何年もかかるのは間違いないが、才能はある。

 

「コーヒーです」


 エトヴァスが本を読んでいると、テーブルにコーヒーが運ばれてくる。そちらに視線だけ向ければ、メイド服姿の少女がいた。鬼のメノウだ。いつもその三つある金色の瞳で、エトヴァスを睨み付けてくる。メノウは、年端もいかない少女であるアリスの血肉を喰らっているエトヴァスを快く思っていない。

 だが今日は珍しく、なんとも言えない表情をしていた。


「なんの心境の変化ですか」


 ぽつっと呟くように言われ、一瞬何のことかわからなかったが、彼女の視線はアリスの方に向いていた。アリスは手を振り回しているが、多分そんなことをしても意味がないだろう。魔力制御は感覚の問題で、手を振れば動くわけではない。

 何故、アリスに魔力制御を教えだしたのか。それが魔術に続く道だと知っているからこそメノウはエトヴァスの真意を問いたいようだった。


「アリスは逃げ出さなそうだから、リスク管理だ」


 アリスはエトヴァスの食糧だ。それを否定する気はない。だから当初、エトヴァスはアリスに魔力制御も魔術も教える気はなかった。

 魔術はアリスがエトヴァスに対して抵抗する手段になりえる。ましてやアリスの魔力は莫大で、使いこなせれば一世一代の魔術師か騎士になる。逆に言えばだからこそ、手放したくないほど美味なわけだが、それほどの魔力がアリスにはあるのだ。

 アリスとエトヴァスは、奇妙な依存関係にある。

 少なくともエトヴァスはアリスの血肉はもらうが、殺しはしない。アリスもどこまで理解しているかはわからないが、ほかの魔族に殺されるのが嫌なら、エトヴァスに縋っているしかないし、彼女の望みはだいたいは与えてやることができる。

 当初はある程度外が危険であることを知り、納得した上でこの部屋で心地よく寿命を迎えてくれれば良いと思っていた。

 しかしこの城にいても、彼女を殺して喰おうとする魔族はいくらでもいる。

 エトヴァスは自分が上位の魔族相手でもそう簡単に負けるとは思っていないし、アリスを取られるとも思っていない。だが、ロキのようにアリスを唆し、喰おうとする魔族はいくらでも出てくる。エトヴァスが城に不在の間に襲ってくる魔族もいるだろう。

 確かにアリスに魔術を教えれば、彼女にエトヴァスが攻撃される可能性も出てくる。だがアリスが他の魔族の攻撃から身を守るすべはできるだろう。もちろん魔術を教えなければ、エトヴァスはアリスを御しやすい。だが、他の魔族から攻撃され、不測の事態に陥ったとき、アリスはもはや死ぬ以外に方法がなくなる。


『だからわたしはずっとエトヴァスといたい』


 エトヴァスはアリスに魔術を教えるリスクよりも、教えないリスクが大きいと判断した。


「人間は変わりやすい生き物だ。だから信用しているわけじゃない」


 人間の寿命は短い。だからこそ急速に成長し、かわってゆく。

 エトヴァスはアリスの言葉を信用しているわけではない。彼女が変わらないとは思わない。それほどアリスはまだ幼く、ものを知らない。アリスはこれから姿も、考え方も変わっていくだろう。

 彼女の発言を、手放しで信用しているわけではない。


「だが、あいつに魔術を教えたところで、俺に勝てるわけじゃないからな」


 アリスがどれほど魔術を習得しても、エトヴァスほど熟達するわけではない。莫大な魔力を持っていても、その熟達度は千年以上を生きた魔族であるエトヴァスに遠く及ばないし、追いつくこともない。その前に寿命を迎えるだろう。

 だから仮にアリスが逃げ出したとしてもまた捕えれば良い。攻撃されれば押さえ込めば良い。その程度のリスクだと判断した。


「自分である程度できるようにさせておいた方が、不慮の事態も防げるし、本人の意思を尊重できる」


 アリスには莫大な魔力がある。

 教えればかなり良いところまでは行くはずだ。最終的に上位の魔族に対して自分である程度身を守ったり、不慮の事態に対処したりすることができるのならば、エトヴァスも外にアリスをともなうことができる。

 今のように出かける時に、城に置いていく必要はなくなる。寂しい思いをさせることも、泣かせることもない。アリスは精神的に安定するし、こちらもいつでもアリスの血肉を食らえるわけで、万々歳だ。リスクも高いがメリットも高い。ハイリスクハイリターンとはまさにこのことだとエトヴァスは思う。


「わたしがアリスさまをつれだしたら、どうするんですか」


 メノウは静かにその金色の瞳でエトヴァスを映す。

 鬼は情に厚い、獰猛で誇り高い動物だ。エトヴァスに無理矢理主従関係を結ばされたことを彼女は大いに恨んでいるだろう。同時に餌にされ続けるアリスに、哀れみを覚えている。アリスがある程度自分で生きていくことができるようになれば、連れ出すと言うことはあるだろう。


「それならおまえを殺すだけだ」


 アリスがそれに従うかは知らないが、メノウに対する答えなど決まっている。だから、エトヴァスは首を傾げた。

 何故そんなつまらないことを聞くのだろう。

 魔族は感情の起伏は乏しいが、食欲や性欲などには非常に忠実な生きもので、とくに上位の魔族は食糧に酷く固執することが多い。その上位の魔族の代表とも言うべきエトヴァスから餌を奪って、殺されないと思うのはおかしい。メノウとてそれは数百年生きているのだから、わかっているだろう。ましてや半年近くもエトヴァスを見ているのだ。

 エトヴァスが即答すると、彼女は口元に手を当て、少し考えるそぶりを見せた。


「・・・そういう考え、良くないと思います」

「は?」


 子供にものを教えるような、言い含めるようななんとも言えない口調だった。エトヴァスは椅子の肘掛けに自分の肘を置き、頬杖をついてメノウを見据える。だが、彼女はエトヴァスから視線を外し、アリスを振り返った。

 アリスは変わらず一生懸命手を振っている。そんなことでは魔力はどうにもならない。


「アリスさまは、私になついてくれていると思います」

「だろうな」


 メノウはアリスにかいがいしい。見た目はメノウがアリスより少し年上に見える程度だが、メノウは鬼だ。数百年は優に生きている。アリスなどお子様に見えるだろうし、アリスも優しくしてくれるメノウを慕っている。

 そんなことは感情の起伏に乏しいエトヴァスが見てもわかることだ。しかし、だからなんだというのか。


「アリスさまを連れ出しただけで私を殺したら、アリスさまは納得しないでしょう」


 エトヴァスはつまらない話だと聞いていたが、少し意識を傾ける。

 エトヴァスにとっては、アリスを連れ出すというのは餌を奪う行為だ。魔族の常識では相手は万死に値する。だがアリスにとって、ただ外に連れ出しただけだ。連れ出しただけのメノウを殺せば、アリスはエトヴァスをどう思うだろうか。

 酷いとでも罵るかも知れない。

それはエトヴァスとアリスの間の大きな溝になる。


「そうなったら、そうすべき理由を言葉を尽くし、アリスさまに納得してもらわねばなりません」


 自分から餌を奪ったのだから殺されて当然だというのは簡単だろう。だが納得してもらうのは難しい。ましてやアリスはなんの不利益を被っていない。魔族の習慣や感覚を言葉にすることはできるが、アリスの価値観ではそれを理解してもらうことは難しいとエトヴァスでも想定できる。

 仮にエトヴァスがメノウはもう死んだ。だから殺したという過去が正しいとか正しくないとかは、どうでも良い、こだわってなんの役に立つのかと問えば、泣くだろう。エトヴァスが心底そう思っていたとしても、口にすれば信頼関係を損なうことになる。


「感情での納得が現実を上回る。それが人間です」

「・・・示唆に富むな」


 この会話の価値を、エトヴァスは端的に認める。

 メノウの言うとおり、アリスが外に出て自立して動き出せばそうした価値観の相違が、不信を生むかも知れない。その不信は、アリスが逃げ出したり、エトヴァスを攻撃することにつながる。相違の種は予め納得、理解し、問題や不信を抱かぬよう、ある程度知っておかねばならない。

 

「それが違う種族とともに歩むと言うことです」


 価値観や様々な感覚のずれ、それを埋めていかねばならない。きれい事だけではできない。そしてこうしてアリスを閉じ込め、エトヴァスがすべてを握っている状況では、生まれ得ない問題だ。


「だからこそ、アリスさまが日頃何を考えているか、どの程度のことなら納得してもらえるのか、こちらもはからねばなりません」

「そして同時に俺も、様々な想定をアリスに話し、俺がどの程度の行動を取るか、理解してもらっておかねばならないと」

「その通りです」

「危なそうなものは、極力避けるべきだな」


 価値観の相違を取り去ることはできない。しかしそれを埋めたり、避けることはできる。そしてそれができた分だけ、問題や不信は減るのだ。答えがないときは、逃げた方が良い。


「素晴らしい考察だ」


 エトヴァスはメノウの見解を素直に賞賛する。

 彼女はアリスより年上で鬼としても長く生きている方だが、エトヴァスの半分も生きてはいるまい。それにもかかわらず、人間に対する理解は正しい。彼女がいなければエトヴァスはそれに気づかなかっただろうし、アリスとの不和に発展していたかも知れない。


「人間との通婚は、鬼の方が実績があります」


 メノウは淑やかに微笑み、答える。そしてだからこそ、彼女を人間であるアリスの傍につけた価値がある。


「ねぇ、できた!できたよ!!」


 部屋にアリスの甲高い声が響いた。エトヴァスは足を組み直し、アリスに視線を向ける。飛び上がって喜ぶのと同時に、長い亜麻色の髪がひらひらと揺れている。メノウは眉を寄せ、複雑そうな顔だ。

 できるわけがない。

 それが簡単な技術ではないと知っているので、エトヴァスもメノウも彼女の言葉をまったく信用していなかった。


「ほんとうだよ!」


 アリスは何も言っていないのにふたりの表情から読み取ったのだろう。勢いをつけて言い、慎重に息を吐いた。途端に彼女の莫大な魔力の片鱗が、消える。それに、エトヴァスは少し驚いた。メノウもだったのだろう。三つある金色の瞳をまん丸にしている。


「ね?」


 できたでしょ、とアリスはおっとりと言葉が出ない二人に無邪気に、得意げに笑う。


「違う」

「え?」

「魔力が完全に消えれば良いわけじゃない。魔力のない人間なんぞ、おかしいに決まってる」


 人の血肉が朽ち果てるまで、人間の魔力はその体に宿る。そのため遺体にまで魔力はやどっており、墓あらしを専門にする魔族もいるくらいだ。

まったく魔力を持たない人間なんておかしい。それぞいぶかしまれ、襲われかねない。


「うー、全部じゃなくて、ちょっと魔力を出しておくってこと?」

「一時的にはできるかもしれんが、問題は自然に見えるほどに一定に維持できるかだぞ」


エトヴァスは言うが、アリスは眉間に皺を寄せている。ただ魔力を制御して消せたと言うことは、アリスが自分の魔力の大きさを完全に認識したということだ。そもそもこれに何年もかかる魔族もいるわけで、アリスは才能があると言えるかもしれない。


「ご無事のお戻りを」


 メノウが静かに笑う。

 どちらにしても、存外早く出かけられることになるかもしれないとの予感はあった。


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