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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
一章 少女、食糧にされる
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エピローグ アリス

 アリスが熱を出したのは、アリスとエトヴァスが動物園の約束をした翌日だった。


「あたま痛いし、なんかだるいし、熱いのに寒い・・・なにこれ・・・」


 ベッドの上で寝返りを打ち呻くと、エトヴァスが心底不思議そうにアリスを見下ろしていた。


「おまえ、人間なのに風邪もひいたことがないのか」

「覚えてない・・・」


 閉じ込められていた時代に風邪を引いたことがあったのかも知れないが、覚えていない。だが少なくともこんなに辛くはなかったと思う。


「魔族は風邪引かないの?」

「体調を崩せば、だいたい魔力のある動物を喰えば治る」

「魔族になりたい・・・」


 頭がガンガンするので枕を抱きしめて言うと、エトヴァスがずれた布団をかけ直してくれた。


「無理だな。人間の転生は存在が確認されているが、他種族への転生は聞いたことがない」

「・・・なにそれ・・・・」


 人間で人間に転生して何の意味があるのだろうか。そんな短い人生一回で十分だ。


「貴方のせいですよ」


 ベッドの傍で体温計や氷枕を用意していたメノウが、エトヴァスを睨み付ける。アリスもなんとなくメノウはエトヴァスが好きではないだろうと感じていたが、それはより顕著になった。

 エトヴァスはアリスが体調を崩すと、その原因をメノウに話したらしい。

 エトヴァスが五日間何も食べていなかったから、アリスの血肉を多めに奪ったこと、そして記憶を無理矢理見るための魔術をかけ、アリスを過呼吸にしたこと。どちらもエトヴァスのせいで、だから体調を崩したと、素直に言ってしまったようだ。

 メノウは当然激怒した。

 アリスからしてみれば黙っていれば良いのにと思うが、エトヴァスは別に気にしていないようで、メノウの冷たい態度にも表情ひとつ変えない。逆にアリスの方がなんだかメノウに申し訳なくて、気を遣ってしまう。

メノウはせっせと体調不良のアリスのためにかいがいしく用意をしてくれる。


「ご、ごめん」

「アリスさまが謝る事じゃありません」


 氷枕の上に寝かされながら、アリスは謝ってしまったが、間髪入れずに言われてしまった。


「ひとまず、熱が下がるまでやめてくださいね」


 メノウはエトヴァスを睨み付けて、部屋を退出していく。


「なんか、メノウ怖い」

「無理矢理契約で縛り付けているからな。いつか俺の方が殺されそうだ」


 エトヴァスが主従契約をメノウと結んでいることは知っている。だが、彼女が怒っているのは絶対にそこではない。

 ただアリスも聞いたが、彼女にかけられている主従契約はエトヴァスが結んだのに、不思議なものだった。この契約は「アリスが命じる限りアリスの傍にいて、エトヴァス以外がアリスを傷つける場合、アリスを守るのに全力を尽くすこと」であり、エトヴァスを攻撃してはいけないなどの条項はそもそも存在しない。


「どうして、エトヴァスは、メノウが自分に従うようにしなかったの?」


 アリスはエトヴァスに尋ねる。ベッドの傍の椅子に座っていた彼は、不思議そうに首を傾げた。


「俺は誰が襲ってきたとしても困らない。むしろ条件が増えれば主従契約の効果は薄れる」

「・・・エトヴァスって、強いんだね」


 エトヴァスの弟が来襲した時もそうだったが、彼はちっとも動じないし、焦らない。なんとなくわかっていたことだが、多分魔族のなかでもそれなりに強いのだろう。


「だからおまえは俺以外に喰われない」


 端的な言葉だったが、それが事実なのだろう。

 ただどうしてエトヴァスがアリスにこだわるのか、アリスはわからない。よく考えれば、人間はたくさんいる。こうやって手間をかけて飼わなくても取ってきたら良いのにと思うし、自分を誰かにあげてしまって別のを取ってきても良い。

 別の人が食糧になれば、アリスは捨てられてしまうのかも知れない。ふと、心に不安がよぎる。


「ねぇ、エトヴァスは他の人間を食べないの?」

「必要ないな。おまえはこの上なく美味い」


 即答だった。

 確かに前も美味しいとは言っていた。だがその「美味しい」のをまた見つけてくることはできないのだろうか。


「それって、どのくらい美味しいの?」

「・・・そうだな。忌憚なく俺の人生で一番美味しいかもしれん。少なくともおまえに匹敵するのはひとりだけだ」


 アリスがいなくなれば、「美味しい」相手をもう一度見つけることは難しいのかもしれないと納得してしまった。エトヴァスは長く生きているらしい。それなのに人生に二度しかない味だとしたら、それは確かに手放しがたくないし、長く味わいたいと飼いたくなるのかもしれない。

 でもひとりいるのが、なんとなく不安だ。


「その人は、どんな人?」

「人間の魔術師だったな」

「襲ってきたの?」


 アリスが問いかけると、エトヴァスが珍しく、翡翠の瞳を伏せた。


「いや?死んだら喰っても良いと、死ぬ10年前から約束していた。だから平和的に喰ったな」

「人間って、いつ死ぬかってわかるの?」


 アリスは人間だが、死ぬ時期になったら10年くらい前にはわかるのだろうか。


「普通はわからんが、そういう未来を視る眼を持つやつは魔族でも人間でも一定数いる」


 特別な力らしい。人間のなかでアリスが特別美味しいように、特別な力を持っている人間も生まれてくる。そういうことなのだろうが、関係ない話だ。


「話を戻すと、それくらい、おまえほど美味しい食糧は見つからないという話だ」


 結局、話の本筋から外れたが問題はそこだ。


「それに見つかったとしても俺は争いごとは嫌いだからな。手間を考えるとおまえが死ぬまではおまえひとりで良い」

「ならわたしは一生大丈夫だね」


 少しほっとする。胸を撫で下ろしふと顔を上げると、ベッド脇の椅子に座っている彼が、まじまじとこちらを見ていた。

 ここのところエトヴァスはアリスをじっと見ていることがある。アリスの記憶を無理矢理魔術でこじ開け、アリスを過呼吸にしてからだ。普通に見ているとか、たまたまとかではなく、「観察」に近い雰囲気があり、アリスとしてはなんとなく居心地が悪い。


「人間はまわりくどいな。」

「え??」

「おまえの言いたいことは最初から、自分だけを守って欲しい、他の誰かを食べて欲しくない、だろう?」


 ひぅっとアリスは喉が鳴ったのを感じた。それはアリスの気持ちの核心だった。

 他の人間を食べるか食べないのかとか、どのくらい美味しいのかとか、そんなことはどうでも良い。それらを尋ねるのは安心を得るための手段に過ぎない。

 自覚はあった。だがそれを的確に言い当てられると、指先が冷えていくような感覚がある。


「・・・、」


 自分が一番でいたい。自分を捨てないで欲しい。自分を安心させて欲しい。

 幽閉されていた頃はただ生きていた。だから何も考えなかった。でもエトヴァスと話すようになって、最初は話せるだけでも楽しかったのに、話せないことが寂しくなった。彼と時間を過ごせないことが悲しくなった。

 そして、怖くなった。楽しい、嬉しいが積み重なるにつれて、自分は捨てられてしまうのではないか、この優しい現実がなくなってしまうのではないか。他者がそれを脅かすのではないかと、怖くなった。彼をひとりじめしたくなったのだ。


「おまえらの“言葉”は飾りすぎて、注意しないと本質が見えない」


 エトヴァスは椅子の背もたれに背を預け、責めるでもなく相変わらず平坦な声音でそう言った。

 回りくどく、本当のことは言わない。それなのに勝手に安心したり、落胆して黙り込む。落ち込む。今回はたまたまアリスが望む答えが得られたから良かった。だが得られないこともあるだろう。そうすれば勝手に落ち込み傷ついて、黙り込み、遠ざかる。

 感情の起伏が乏しく、同時に本能が大勢を占める魔族には、理解しがたいのだろう。

 

「最初から、守って欲しい、ほかの人間を食べないでと言えば良いんじゃないのか」

「え・・・だって、無理って言われたら・・・」

「無理なら無理で仕方がないだろう。それが現実だ」


 エトヴァスはさっくりと言うが、アリスはそんな素直に聞ける自信がない。ましてや拒否されたとき、どうすれば良いのか、気持ちを立て直せる気がしない。だからいろいろ他のことを聞きつつ、答えを推し量るのだ。

 頭がぐるぐるする。熱があるからだろうか。言葉を失うアリスに、エトヴァスは嘆息する。


「どうせおまえが生きても百年ないくらいだ。それは俺にとってたいした時間じゃない。食糧は大事だからな。おまえを守るし、他を求めない」


 それで良いだろう、と彼ははっきりと口にする。

 それはアリスの望んだ言葉で、胸にあった緊張がほぐれていく気がする。彼は誤魔化したり嘘を言ったりはしない。それを知っているから、安堵する。


「うん」

「むしろこれからよい条件を提示する魔族がきっとほかにも出て来るかもしれない」


 エトヴァスがその独特の金の光彩を持つ翡翠の瞳で、アリスを丸く映す。

 アリスが美味しいというのは他の魔族にとっても同じらしい。それはエトヴァスの弟がやってきた時点で、なんとなくわかっていた。だが、エトヴァス以外の他の魔族が自分を丸呑みにしないという保証があるだろうか。


「他の魔族は嘘をついてわたしを食べちゃうかもしれないよ」


 彼らは嘘をついてアリスをエトヴァスのもとから離し、アリスを食べてしまうかも知れない。


「そうだな。でも食べないかもしれない。」

「それにこんなにわたしの話を聞いてくれるのはエトヴァスだけだよ。わんちゃんとの会話は、わかんないことばっかりで話にならなかったんだもの」


 アリスは思わず笑ってしまった。

 わかっている。フェンリルが何かを聞き出そうとしていたとしても、アリスにはわからないことが多すぎて、わからないことの説明に終始していたせいで、たいしたことは聞き出せなかったはずだ。それくらい、アリスはあまりに常識が欠落しており、他人からすれば恐らく話にならない。


「今日もそうだが、おまえの話は最後まで付き合わないとわからない事が多いからな」


 エトヴァスは呆れたように息を吐いた。それは面倒くさそうで、それでいてどこか仕方ないなぁとでも言うような、どちらにしても付き合ってくれる大らかさがある。


「うん。だからわたしはずっとエトヴァスといたい」


 アリスは他の選択肢を知らない。だがエトヴァスと話して、ここにいたいと思う。


「まぁ、人間は変わりやすいが、おまえの話を一応信用して動くことにする」


 エトヴァスは相変わらず平坦な表情で、笑っているようには見えなかった。だが、少し雰囲気が柔らかくなった気がして、驚きのあまりアリスは言葉の意味が頭に入ってこなかった。もちろん頭に入っていたとしてもその言葉の意図するところをくみとることはできなかっただろう。

 エトヴァスの大きな手がぽんっと頭に置かれる。


「いずれにしても風邪が治ってからだ。しばらくは安静だな」

「あんせい?」

「静かにしていろということだ。そうして熱が引くまで数日はじっとしているしかない」

「どうして?」

「人間の風邪というのは、そういうものだ」


 その返しが面白くて、アリスは笑ってしまった。

 恐らく、人間のアリスより、風邪を引いたことがない魔族のエトヴァスの方が、人間の風邪とその対処方法をよく知っているだろう。いつもそうだ。アリスよりエトヴァスの方が人間がどんなものかをよく知っている。

 だから、彼はアリスに、人間が何かを教えてくれるだろう。それでいい。

 アリスはこの魔族の男と、生きていくことにした。それがどれほど長い道のりになるのか、全く想像もつかなかった。


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