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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
一章 少女、食糧にされる
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12.フェンリル

「ひっどい格好だな。おい。」


 フェンリルは森の影に横たわる男に声をかける。

 思わず目をそむけるほどの惨状だ。予想はしていたが、予想以上だ。変わり果てた父親の姿に、フェンリルは思わず嘆息した。

 体の右側はなくなり、全体的にも焼け焦げ、ほぼ崩壊状態。足も火傷と傷でズタズタであるため歩けないだろう。魔族とはいえ、まさに満身創痍。逃げられたのが奇蹟と言うべきだろう。隠れていられただけで褒めるべきかも知れない。


「あははは、やられちゃった。そっちは?」


 顔も焼け焦げでいるため、もはや髪や肌の色すら認識できない。ただぽっかり開いた口というべき穴から軽やかな言葉が出てくる。だが懲りていないのだろう。

 

「あいつが戻ってきて、俺に気づいたらしい。」


 フェンリルは遠くにある、アリスがいる塔を見上げる。

 あの少女は恐らく自分が魔族であることにすら気づいていなかった。狼どころか犬だと思っていた節がある。幼い頃から要塞都市の結界の動力として幽閉されていたようだから、犬や狼を実際にはほとんど見たことがなかったのだろう。彼女はまったくフェンリルを警戒していなかった。

 しかし塔の結界の形質は変わった。

 強化されたと言うよりは、触れたらこちらの素性を取り込む系統の結界だ。あの男は彼女を守るだけでなく、彼女に手を出す相手の情報収集にも動き出したらしい。もしかすると不在だったのもその関連だろう。

 あの男が気づいたのは少女が話したからなのか、それとも別の理由なのか。

 最近留守が多かったあの男が城に戻ってきている。あの少女と意思疎通も密接なようだから、どちらの可能性もあるが、どのみち潮時だ。


「今回はもう無理そうだな。殺されるかと思ったよ」


 最初からそんなことはわかっていただろう。

 そもそも相手は慎重で、警戒心も強く、魔族としては驚くほど緻密なタイプだ。たいした用意もなく手を出してどうにかなる相手ではない。

 ただそれをフェンリルが口にする必要はない。そんなあの男の性質は承知でやっているだろう。


「・・・それでも手を出しに行くんだから、気が知れんな」


 この男はあの男の弟で、生まれたときから一緒にいる。

 あの男がどういう性質の魔族かなど、フェンリルより重々承知だ。それでもあの男のものに手を出しに行くのだから、こちらもこちらであり得ない奴だとフェンリルは自分の父親を眺める。

 

「絶対、敵認定されたぞ」


 あの男は自分の敵だと理解したものに、容赦などしない。

 もともと感情の起伏が平坦なのだから肉親の情など魔族にしてみれば紙切れより希薄で、親族だから敵であっても容赦するなどと言う神経は存在しない。魔族など敵は敵、味方は利害の一致。それが原則だ。現実、この惨状を見れば弟であっても一ミリも生かす気がなかったのだとわかる。

 これからフェンリルも敵として攻撃を受けるかもしれない。

 あの男は魔族の中では中道派とされているが、敵と解釈された生きもので生きていた奴はひとりだけだ。中道派というのはあくまで自分に関係がない第三者をどうするかという話であって、他の種族の感覚では敵に対する態度は完全に過激派だとフェンリルも思う。

 今までフェンリルも黒焦げになったこの男も、第三者の立場だった。それが変わった時どうなるのか、生きている奴がひとりしかおらず、そいつは行方不明であるため聞きようもない。領地さえ出れば積極的に殺しには来ないが、機会があれば仕留める側の生きものにノミネートすることになっただろう。

 厄介ごとに巻き込まれたと思うが、こちらも下手をすれば家族を殺されかねない。フェンリルは厳しい立場にいる。

 ちらりと自分の父親を見れば、焼け焦げた顔で笑っていた。


「どうだった?ビューレイストの玩具は」

「・・・十歳くらいの、女の子だよ」


 フェンリルが言うと、彼からは驚いたような気配があった。顔が焼け焦げているので、空気でしかわからない。


「意外だ。男かと思っていたよ」

 

 要塞都市クイクルムの結界の動力源は、莫大な魔力を有していることが条件だ。魔族にとって魔力が多い人間というのは男のイメージだった。もしかすると男の方が多いのではないのかも知れないが、戦いの表舞台に出てくるのは圧倒的に男ばかりだった。

 だがよく考えてみれば、多くの種属で腕力には男女差があるが、魔力に男女差はない。人間には文化的な背景があり、女が表舞台に出てこないだけなのかも知れない。

 

「しかもまだ小さいんだね」

「あぁ、それには驚いた。動力源になった時はもっとちっさかったみたいだな。まぁ交代がいつ行われていたのかなんて、こっちにゃわかんねぇけどさ」


 動力源の性別と年齢には、フェンリルも驚いた。

 要塞都市クイクルムの結界はここ千年、とどまることなく維持され続けていた。ただし動力源となる人間は、寿命が来れば交代する。この結界は魔族の侵入を阻んでいるため、魔族に情報は入ってこないが、なんとなく勝手に若くないと想像していた。

 そしてあの少女はかなり幼い頃に動力源になったようだった。


「まぁ、あれだけの魔力がありゃ、へたすりゃ厄介なことになっただろうから、小さい頃から閉じ込めてたのかもな」


 幼い頃に動力源になったため、彼女は自分がどうして閉じ込められていたのか、あまり詳しいことを知らないようだった。どちらにしても年端に行かない子供を動力源として閉じ込めたのなら、なかなか酷い話である。


「どんな子だったの?見た目は?」

「亜麻色の髪に、紫色の瞳だった」

「紫・・・また珍しい」


 紫色の瞳というのは、非常に珍しい色の瞳だ。

 世界には多くの種属があるが、フェンリルも数百年生きてきて、アリスをのぞいてひとりしか見たことがない。


「僕も今まで生きてきて、ひとりしかみたことない。ビューレイストのやつ、案外ショックだったのかなぁ。ルカニアがいなくなったの」


 フェンリルが見たことのあるひとりが、今まさに父親が口にした千年以上生きるエルフのルカニアという女だった。

 魔族狩りで有名なエルフで、ちょうど百年ほど前から見なくなった。

 フェンリルも知っている。澄ました顔の典型的な武闘派の女だった。無感情、無表情のくせに魔族に対する憎悪だけは立派で、殺されかけたことは一度や二度ではない。しかも恐ろしく強い。まともに戦おうなどと考えたこともない。

 確かにあの男が負けたことのある数少ない生きもののひとりだ。

 

「似てた?」

「まったく。どちらかというと正反対のタイプだ。瞳の色と性別以外何も似てなかったな」


 それに比べてあの少女は同じ色の瞳だが、弱そうで、感情、表情ともに豊かだった。そういう点では感情の起伏が激しい至極人間らしい少女だ。魔術も教えられてはいないので、強さなどあるはずもない。あるのはあの莫大な魔力だけだ。


「言うなればまだ、シリウスの方が似ていたよ」


 フェンリルが人間でよく知っているのは、百年前に魔王を倒した、魔術師だった男だけだ。そしてあの男も莫大な魔力を持っていた。


「あれはあれで、人間らしすぎる感情豊かな男だったけど、それを言い出したら、人間らしいってだけじゃん。・・・なんだ、面白くない」


 人間らしいよりは、エルフのルカニアに似ている方がおもしろいと思っていたのだろうが、さすがに自分を殺しに来る女に惚れる男もなかなかいないだろう。それに惚れた好いたなど、純血の魔族には関係ない話だ。そんなことで人間を飼うはずもない。


「ただ、結界ではっきりはわからんが、魔力はシリウスに近しいものがある。あれは逸材だな」


 フェンリルは魔族との混血だが、魔族の父より、巨人の母親の血の方が強いのか、魔力量で食事の価値を量らない。だが魔族と同様に魔力値を計る「眼」は有している。あの少女の魔力は、結界越しで曖昧だったとしてもフェンリルには恐怖すら覚えるほどの量だった。

 フェンリルはあれほどの魔力を持つ人間を、生まれてから過去ひとりしか見たことがない。

 ただあれほどの魔力値を持つ人間がなかなかいないのなら、あの男がちまちま喰いつつ手元に置く理由もわかる。魔族なら一度は味わってみたいと思うのかも知れない。


「良いなぁ。僕も欲しいんだよ」


 したり顔で人の物が欲しいと平気で言うから、殺されかけるのだ。


「ずるいよね。シリウスも喰ったのに」


 頬を膨らませてぼやく。それにフェンリルは奥歯を噛みしめた。

 そう、百年前にシリウスを喰ったのも、あの男だった。どうしてそうなったのか、フェンリルは知らない。人間とはいえシリウスはむやみやたらに魔族を殺すタイプではなかった。そのため魔族の将軍なかでも中道派のあの男とは、利害が一致していたはずだ。

 なのに、どうしてそうなったのか。今もフェンリルにはわからない。だが間違いないのは、あの男がシリウスを喰ったことだけだ。

 

「まぁでも、時間はある。ビューレイストの玩具である限り、あの子は玩具のままだろうしね」


 あの少女はまだ、莫大な魔力を有するだけの、ただの人間だ。そしてあの男が魔族で、彼女を喰らい続ける限り、彼女に抵抗の手段となる魔術は教えないだろう。そう、彼女はあの男のもとにいる限り、魔族の玩具、食糧であることに変わりはない。

 あの男は魔族の中でも有数の力を持つ。あの男の庇護下にある限り、そうそうあの少女を襲うことはできない。だから逆に、ちょっかいを出す時間はいくらでもある。

 

「人間ってマジ鬼畜だよね。自分たちを守ってた結界が壊れたら、その自分を守ってくれてた動力源を喰われるってわかってて魔族に差し出せちゃうんだからさ」

 

 フェンリルはけらけらと笑う男をぼんやりと見る。

 魔族は人間を喰うし、人間を殺したところで何ら罪悪感を抱かない。だが、それでも人間の矛盾した行為の異常さは理解できるらしい。


「いつか僕たちを殺せるかもしれないくらいの逸材を、一過性の感情で捨てられるんだ。たった一年、要塞都市クイクルムを守るためにだよ?面白くて笑えるよね」


 仮に結界が破られたとしても、あの少女を守り魔術師に育てれば、百年前に魔王を倒したシリウスのように魔族の脅威になったはずだ。だが、人間たちは少女を魔族に売った。たった一年、要塞都市クイクルムを攻撃しないという一過性の願いのために。


「本人には・・・思っていたよりもそんな悲壮感はなかったがな」


 フェンリルは首を傾げる。

 人間は常に魔族を悪だと教える。魔族が存在するから、彼女は動力源として幼い頃から幽閉されることとなった。そして同時に彼女は同族たる人間にも裏切られ、魔族に引き渡された。世界を憎んでもおかしくないような背景を彼女は持っている。

 だが、彼女にそんな雰囲気はなかった。


『勉強も教えてくれるし、本も読んでくれるし、一緒に寝てもくれる』

 

 人間にも魔族にも、別段なんの負の感情もないように笑っていた。人間に捨てられたのに、魔族に血肉を食われているのに、仮に逃げたとしても、とどまったとしても苦痛しかないはずなのにあの子は無邪気に笑っていた。


『たぶん、わたしの大事なひと』


 真っ直ぐ育つような背景などないはずなのに、何故歪みも悲壮感も卑屈さもないのか。


「悲壮感ないの?」

「ないな。無邪気な、なんだろうな、あんま捻くれてなさそう。ありゃ過激なことはしなさそうだ」


 言葉もよく知らないし、警戒心も乏しい。ただかわりに捻くれたところもなく、素直そうだった。人間や魔族が怖いとは思っているかも知れないが、恐らく捻くれるほど、人と関わってこなかったのだろう。根本的にあまりにものを知らなくて、過激なことを思いつきそうではない。

 だからこそ逆に、父親に脅されているというフェンリルの話も、まったく理解していないようだった。そういう逼迫した状況が、そもそも想像できないのだ。


「えー?・・・むしろその玩具を人間にけしかけたいんだけどね」

「・・・なんでそんなことを」

「だって面白いだろ。人間が人間に滅ぼされるなんて」


 なんてことを考えているんだと自分の父親ながら、げんなりする。

 

「どちらにしても、結界を破ったのがあの男なら、戦利品は当然あの男のものだろ」


 あの少女はおそらく、フェンリルが何を言ったとしても、窓を開けなかった。

 結界というのは外からの強固な壁になるが、中からは脆いのが普通だ。あんな魔力の塊のような少女が内から結界を揺らせば、強固なあの男の結界でも簡単に吹き飛ぶ。だから彼女はそれなりに納得してあの結界のなかにいるはずだ。

 彼女がそれを認識しているふうはない。あの男が捕食者であるのも間違いない。だが、あの少女は恐らくあの男をそれなりに頼っているし、自分の立場にも納得していた。


「面白くないなぁ。人間だから、不信を植え付けたらいけると思ったのに」

「・・・どちらにしても、俺たちはもう入れない。あの男は用心深い」

 

 そんな簡単にどうにかなるくらいなら、丸焦げになどなっていないだろう。下手すれば死ねる。しかも仕掛けるのがこちらだとわかれば、対策は取ってくる。準備なしに相手ができるほど、簡単ではない。なんと言っても相手は魔族有数の将軍のひとり、天空(エーテル)のビューレイストだ。


「誰かなんかしてくれないかな」


 まったくこりていない。

 この男もこの男で、魔族有数の将軍のひとりだ。だからフェンリルは従うしかない。

 ただ今回の一件はあの男に見逃してもらえないだろう。ここで逃げ切れたとしても、許したように見えても、あの男は必ず虎視眈々と機会を狙っている。だからフェンリルも警戒しなければならない。

 巻き込まれないようにどう逃げるか。今回は巻き込まれたが、なんとか考えねばならない。


「殺されない程度にほどほどにな」

「心配してくれるんだ。良い息子だね」

「これからフルスペックのあの男と、数十年はやり合うんだぞ」


 あの少女の血肉がある限り、あの男は間違いなく最高のコンディションで戦いに臨んでくるだろう。彼女が死ぬまで百年近く、死にたくなければそれをさばき続けねばならない。


「あははは、怖いよねぇ」


 黒焦げで言うこの男は、また何かするに違いない。だがそれは、フェンリルにとっては関係のないことだ。準備をしつつ今度こそ逃げようと心に決める。


 ただまずそのためには、難関が待ち構えている。


「覚悟は、できたか?」


 低い声があたりに響く。そこにいるのは、鮮やかな金色の髪の男だ。

 フェンリルは細く長いため息をつく。知っていた。こういう抜け目のない男なのだ。脅されたとはいえとんでもない事態に巻き込まれたと、今更ながらフェンリルは深く後悔せずにはいられなかった。


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