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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
一章 少女、食糧にされる
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10.アリス

 久々に朝起きたら、エトヴァスがいた。


「起きろ」


 いつもどおり揺さぶられ、容赦なく起こされ、アリスは目元をこする。


「え、いま、何時・・・?」


 体が自分のものでないように重たくて、おかしい。酷く眠たい、だるい。眠ったはずなのにどうしてだろう。


「七時だ。」


 エトヴァスの低い声は、いつもどおりの時間だと告げてくる。なのに、動くのが酷くおっくうだ。

 それでもエトヴァスに促されて体を起こし、ベッドの端に座って絨毯の敷かれた床に足を置く。そしてそこにあったスリッパをはく。エトヴァスはいつも通りアリスが起きたのを確認すると椅子に座り、メノウの出したコーヒーを飲む。メノウは朝の準備のためにアリスの服などを用意している。

 いつもどおりの光景に、どこかほっとする。


「・・・今日のご飯はなんだろう」


 そう言いながら眠たくて、また目をこする。そして足に力を入れて、立ち上がった。立ち上がったつもりだった。

 

「っ!!」


 膝が崩れ落ちた。


「アリスさま!」


 甲高い、悲鳴のようなメノウの声が響くがどこか遠い。絨毯に頭から突っ込んで額を打った。ただ絨毯が柔らかいため、たいしたダメージにはならない。腕を支えになんとか身を起こす。だがその途端、ずきんと頭と首元が痛んだ。

 

「・・・あれ・・・?」


 打った額を抑えれば、ぐわんと頭が揺れた気がした。ぐらぐらして、どこがまっすぐなのか自分がどんな体勢をしているのかわからない。

 ひとまず、立ち上がらなくちゃ。そう思ったが足に力が入らない。手で支えていないとまた絨毯に突っ伏してしまいそうだ。

 

「アリス、」


 落ち着いた低い声に名前を呼ばれ、そのまま体が宙に浮く。驚いていると、ベッドにそっと下ろされた。頭はまだ揺れていて、一度ベッドに戻されてしまえばしばらく身を起こせそうにない。


「落ち着いて寝ておけ」


 エトヴァスが頭の後ろに枕をしいてくれる。先ほど起こしたのは彼のはずなのに、なんでだろうと頭の片隅で思う。ただまだ頭のなかが揺れているようで、うまく考えがまとまらない。

 

「でも、」


 せっかく彼が帰ってきたのだから、一緒にご飯を食べたい。そう思ったが、もう体がいうことをきかなかった。

 なんでなんだろう。泥のなかに沈んでいくように、酷く疲れている。体がだるくてちっともうまく動かせない。気持ちが焦っても、体は動かない。あんなに退屈な時間があったのに、どうして大事な時間にねむっていなければならなくなるのだろう。

 そう思うと、何やら悲しい。悲しくてたまらない。


「おまえ、なんで泣いてるんだ」


 エトヴァスが気づいたのか、その翡翠の瞳がこちらに向く。

 

「怖い夢でもご覧になったんですか?」


 メノウが慌てた様子で水を持ってきてくれていた。

 朝起きたばかりのせいか喉は渇いている。だが自力で体が起こせそうではなかった。どうしようかと思っていると、背中に大きな手が差し入れられる。

 ベッドにエトヴァスが座って、背中を支えてくれていた。大きな彼の体にもたれるようにして、体を支える。手も震えていてコップを持つ握力はなさそうだったが、それもエトヴァスが持ってくれて、なんとか口を潤すことができた。

 少しずつだが揺れる頭が落ち着いてくる。


「大丈夫か?」

「・・・うん」


 涙が目尻にたまっている気がするが、拭うために手を上げることすら億劫だ。そう思って目だけ瞬くと、エトヴァスの手が涙のたまった目尻を撫でた。


「貧血性の立ちくらみでしょう」


 メノウがその三つある金色の瞳で、エトヴァスを睨んでいる。彼は相変わらず無表情だったが、自覚もあるようだった。

 

「貧血・・・?」


 そう言われて思い当たらず、最初は首を傾げた。だが、昨晩のことを思いだし、体が強ばる。自分を支えてくれている隣の大きな体が、途端に恐ろしいもののように思える。

 エトヴァスに気づかれないように小さく震える自分の体をおさえ、背中にゆっくりと力を入れて自分で座ろうとする。すると、エトヴァスがアリスの背中とベッドの間に背もたれがわりにクッションを挟んでくれた。

 エトヴァスは五日ほどいなかったから、かなり多く血肉を持っていかれたのだろう。毎日食事をするのと、食いだめをするのとでは持っていかれる量が違う。最近体調があまり良くないのはそういうことだとはじめて気づいた。


「じゃあ、いっぱいご飯食べないと」

 

 ただそうだったとして、食糧であるアリスが不満を漏らすことは許されない。だからできるのはその程度だ。そう笑えば、メノウはますます鋭い目でエトヴァスを睨んだ。ただ何も言う気はないらしく、「ご飯を取ってきます」と部屋を出て行った。

 

「なぜ泣いていたんだ?」


 エトヴァスが聞いてくる。

 彼はわからないことはすぐに聞く。聞くことに躊躇わない。それは良いことで、アリスもそれに助けられて言いがたいことを話すこともある。でも、今はあまり聞かないで欲しいと思った。

 彼は忙しいんだろう。

 でもさみしい。一緒にご飯を食べて欲しい。傍にいて欲しい。一緒に眠って欲しい。そう言ったら、彼はきっとアリスの気持ちを理解しないまでも無視しない。でも、忙しい彼を邪魔したくないという気持ちも本当だ。

 大事だから、困らせたくない。


「エトヴァスは最近、どうしていないの?」


 質問に答えず、関係ない質問を返す。ただしアリスはエトヴァスがあまりその行為を好きではないことは承知していた。

 

「それはさっきの質問に関係あるのか?」

「・・・」


 ぴくりと形の良い細い眉が動いて、案の定、問われた。

 アリスとしては、彼が出かけている理由が致し方ないものなら、泣いてしまうほど寂しくても我慢しようと思う。邪魔はしたくない。寂しいなど、たいした問題ではないからだ。だから、彼が出かける理由が知りたいと思うが、彼にとってそれは確かに関係のない質問に思えるだろう。

 なんと説明すれば良いのか。アリスが考えているとメノウが戻ってきた。


「スープにしましたが、あとでもう少し食べれそうなら言ってください」

 

 メノウは比較的消化に良さそうなものを用意してくれていたようだ。お盆の上にぐずぐずに具の煮崩れたスープがのっている。


「シチューの下ごしらえのものだったのですが。自分で食べられそうですか?」

 

 先ほど手に力が入らず、コップが持てなかったから心配してくれているのだろう。自分の手を動かしてみるが、まだ違和感がある。ただ先ほどよりはましだ。起きたときよりはずっと今の方がましだから、もう少したてばスプーンくらいは持てるようになるだろう。


「俺が食べさせる」


 そう思ったが答えるよりも先に、エトヴァスがメノウからお盆を受け取る。メノウは一瞬眉を寄せ、確認するようにアリスを見た。


「大丈夫だよ」


 メノウはアリスを心配してくれているのだろう。それには本当に感謝している。メノウは「あとで呼んでください」と部屋を出て行った。


「食えそうか?」

「・・・うん」


 それは自分の手で食べられるかという意味だったのか、それとも単純に食事ができるかという意味だったのか。手の感覚が戻りつつあるのでアリスは前者のつもりで答えたが、エトヴァスは後者で取ったようで、ベッドの端に座ってスプーンを手に取った。

 丁寧にスプーンで掬われたスープが口に運ばれる。それを口に含むとそれは塩味すらついていなかったが、自然なうまみと肉の脂がとても美味しい。


「おいしい、」


 なにやら身に染みるようだ。メノウの作るご飯はいつでも本当に美味しい。少し張り詰めていた気持ちが、融解していく。食べすすめれば体も温かくなるし、少しずつ手の感覚も戻ってきたような気がした。


「ありがとう。自分で食べれるよ」


 アリスは食べさせてくれているエトヴァスに言い、スプーンに手を伸ばす。だが何故か、エトヴァスの方がスプーンを離さず、なんとも言えない表情でアリスを見下ろしていた。


「どうしたの?」

 

 尋ねると、エトヴァスはため息をついて口を開く。彼にしては珍しい態度だった。


「この間、襲ってきた奴がいただろう」

「・・・あぁ、うん」


 この間、来た男はアリスに会いたいと言っていた。色々言っていたが、相手は魔族だったようだし、なんとなく最終的には自分を食べたいのかなと思っていた。エトヴァスもはっきりと食事を共有するつもりはないと主張していた。

 だからきっと、怖い人なんだろう。アリスを食べる、怖い人。でも本当はエトヴァスも変わりない。


「あれは俺の弟だ」

「・・・おとうと?」

「同じ親から生まれた、俺より年下の子供」

「おとうと・・・それは、大事だね」


 アリスは少し不安になり、スカートの裾を握りしめる。するとまたスプーンを突き出された。どうやら最後まで食べさせてくれるらしい。

 両親との関係すら希薄なアリスには「弟」という言葉をなんとなくは知っていても、そこから想定される関係性がちっともわからない。ただアリスが自分を捨てた母を未だに思い出してなんとなく悲しくなるように、無条件で慕わしい関係なのだろう。

 エトヴァスの弟はアリスを襲いに来て、エトヴァスはアリスを共有しないとは言っていたが、大事な「弟」だ。アリスはどうなってしまうのだろう。不安が胸を塞いだが、エトヴァスの意見はまったく違った。


「大事?・・・人間ほど、魔族にとって家族という関係は重要ではない。むしろ重要なのは能力だ。俺が強いように、弟もそこそこ強いという点だけおさえて、話を進めても良いか」

「え、あ、うん」


 アリスは弟という点に反応したが、それはエトヴァスにとってはどうでもいい話だったようだ。

 両親との関係だけが家族であったアリスは、弟も無条件にそのくらい近しいものだと思った。だが魔族にとっては違うのだろう。


「おまえを狙いにきた限り対策は必要だ。ただここ百年、俺はあまり領地の外に出ていなかった。だから、あいつがどの程度の勢力があるのか、情報が必要だった。それを集めるために外出が多かった」

「そうなんだ・・・」

「ある程度、目算は立った」


 エトヴァスが出かけていたのは、その弟をどうにかするためらしい。どういう手段をとるのかは知らないが、それにある程度の答えが出たならそれはよいことなのだろう。アリスは無意識に自分の食いつかれた首元を撫でながら、納得する。

 アリスのさみしさはきっと、価値のあるものだったのだ。

 エトヴァスはアリスに最後の一口を食べさせ、食器をお盆ごと近くのテーブルに置く。そしてアリスの方へと戻ってきて、ベッドサイドの椅子に腰を下ろした。


「で、なんで泣いていたんだ」


 話が、戻ってきた。どうやらアリスが最近どこに行っていたかを気にしたから、先に答えてくれたらしい。

 だがエトヴァスの外出はもう仕方がないことだと納得してしまったアリスは、首を横に振った。


「うぅん。もう大丈夫になった」

「おまえの感想は聞いていない。俺はおまえの質問に答えた。今度はおまえの番だ」


 容赦なく言われる。


「ここ数週間の行動について、いろいろと聞きたいことはある」


 エトヴァスは振り返り、ローテーブルの方に視線を送る。

 そこにはアリスがやらなかった課題が山積みだ。体調が悪かったとは言えいい加減にやった部分もあるから、添削されていればおそらく真っ赤になっているだろう。最近は寂しさや嫌なことばかり考えていて、あまり勉強は進んでいなかった。

 だが、合理的な理由でここを離れていたエトヴァスに、寂しかったから泣いたとか、気分が乗らなかったとか幼稚な感情をぶつけるのはあまりに恥ずかしい。


「いや、その、ちゃんとするから」


 逃げたい。逃げてしまいたい。アリスはそう思って早口で適当な言い訳をしたが、エトヴァスがそんなもので退くわけもなかった。


「何度も言わせるな。理由を聞いてる」


 これからの行動など聞いていない。原因を聞いているのだといつも通り平坦な口調で詰められる。エトヴァスはこうなればてこでも動かないだろう。しかもごまかしすら通じない。

 ベッドに座っているし、逃げ場もないアリスは観念するしかないのだ。


「・・・それは、その、せっかく帰ってきたのに、寝なくちゃいけないのは、一緒になにもできないから悲しいなって」

「は?」


 エトヴァスはいつも無表情なのに、本当に意味がわからないという顔をした。

 自分も旨く説明できた自信がなかったし、こんな幼稚な自分の気持ちを吐露するのは恥ずかしすぎて俯く。自分の指先を眺めて、思い浮かぶままに言葉を口にする。


「だっていないのは寂しかったし、寂しくて嫌なこと考えるし、もう帰ってこないかなぁって」

「・・・あぁ」


 相槌はきちんと打ってくれるらしい。でももう恥ずかしくて、アリスはまともに彼の顔を見ることができなかった。


「わんちゃんは話してくれるけど、エトヴァスが話してくれなかったから、メノウも・・・」

「・・・わんちゃん?」


 低い声がアリスの言葉を聞き落とさず、彼にはそぐわないそれを反芻する。


「・・・え?」


 アリスは言葉を止める。今、自分は何を言ったのだろうか。エトヴァスはいつもどおり平坦な色しか持たない翡翠の瞳でこちらを見ている。だが僅かにそれがいつもより鋭い色を宿しているようにも見えて、何を問われているのか、アリスにはわからなかった。


「犬が話すって、なんの話だ。」

「・・・え?犬は、わんちゃんだよね。なんかバルコニーに来てて、近寄ってきて話すよ」

「いつ頃からだ?」

「・・・うーん・・・」


 アリスは犬について改めて考えてみる。

 よく考えてみれば、エトヴァスの弟だという人が襲ってきてからかも知れない。アリスはあの犬を、バルコニーに止まる小鳥と同じようにとらえていたから、深く考えていなかった。


「何色の犬だった?」

「灰色だった」

「どのくらいのサイズだ」

「・・・わたしが座ったよりずっと大きかったかな」

「どうして言わなかった?」


 アリスは普通に答えていたが、そこではじめてエトヴァスの声がいつもより低くなっていることに気づいた。平坦な声音に険が混じっている。はっきりといつもと違うとわかって、アリスは胸の鼓動が波打つのを感じた。


「どうしてって・・・・どうして?」


 とても重要なことを聞かれているのかもしれないと思ったが、質問の意味がわからず、言葉をそのまま反芻する。


「・・・え・・・・・・窓開けてないし」


 アリスは何を聞かれているのか意図がわからず、焦りも相まって思いつくままに言葉を紡いだ。

 動物は時々バルコニーにやってくる。近づいてきたのは今回の犬が初めてだが、鳥などはよくエトヴァスがいるときにもやってきているし、知らせるほどのことでもないと思っていた。ただエトヴァスはそれを聞くと黙り込んでしまった。


「・・・ご、ごめん、わんちゃんと話したらだめなの?」


 あからさまに彼が何か懸念を持っているのがわかり、アリスは慌てる。慌てるけれど、彼が何に懸念を持っているのかがわからない。そして、アリスの答えは不正解だったのだろう。


「・・・」


 エトヴァスはゆっくりと、深いため息をついた。

 たっぷりと沈黙の時間が流れる。ため息の余韻も消え、あまりの重苦しい空気につばを飲み込んだとき、彼は椅子から腰を上げ、アリスの肩に手をかけた。そしてそのままベッドに引きずり倒される。


「ぁ・・・」

 

 擦れた声しかでなかった。だが次の瞬間、ふわりと淡く光る三角形の魔術の構造式がアリスの周囲を取り囲む。嫌な感じがして、目の前のエトヴァスを見あげる。

 自分の上にまたがる男はアリスの小さな手を、自分の大きな手で押さえた。


「記憶を、見せてもらうぞ」

 

 口調は厳しいものではなかった。

 だが、次の瞬間、感じたこともない不快感に悲鳴を上げた。それがなんなのか、アリスは知らなかった。

 



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