01.アリス
アリスは、ぐっと奥歯をかみしめる。
白銀の杖に魔力を通して魔術の構造式を展開させ、魔術を発動する。そして攻撃を防御する。その合間に攻撃用の魔術の構造式を展開させ、相手を攻撃する。
それを一分間に百近く繰り返す。
考える時間などない。だが考えなければ勝てない。いや、勝てはしないのだが、持ちこたえねばならない。
アリスはぎゅっと細い杖を握りしめ、目の間の男を見据える。
「一辺倒だな」
涼しい顔で自分の体の二倍はありそうな金色の剣を構えているのは、エトヴァスだ。
構造式が見えないので彼の防御魔術の硬度はまったくわからない。ただアリスがどれほど攻撃しても涼しい顔で、攻撃がとおる気配がない。その中途半端な長さの鮮やかな金髪すら、揺れていない。アリスに対する攻撃の手も緩めない。
そして、エトヴァスが地を蹴った。
「っ、」
金色の剣が肉薄してくる。真横の一閃。アリスは本来彼の刃が届く前に何かして、距離をとって逃げなければならなかった。だがそんな余裕もない。とっさにしゃがみ、刃を回避する。そして左手で剣の腹に攻撃魔術を放った。
本来なら彼の防御魔術に防がれる攻撃だが、防御魔術に開いていた穴からほころび、攻撃はまともにエトヴァスの剣の腹に攻撃魔術があたった。エトヴァスの手から剣がこぼれ落ちる。エトヴァスがその翡翠の瞳を丸くした。
だがそれも一瞬だ。しゃがみ込んでいたアリスの首を、大きな手がつかむ。
「終わりだ」
本当の戦闘なら、ここで死亡だ。ただ当然、首にあった手はすぐに離された。
「狙いは悪くなかった」
エトヴァスは褒めてくれているようで、いつもは無表情なのに口角が上がっている。
アリスの実力ではエトヴァスの防御など、まったく破ることはできない。だが、アリスは魔力制御が得意だ。特に構造式を展開し、魔術になるその一瞬に構造式を小さくし、威力を圧縮して放つという普通ならできないような高度な方法で、攻撃魔術の威力を上げる。
ただもともとの攻撃魔術を圧縮するため、威力は上がっているが、範囲は小さくなる。
針の先ほどの穴にしかならず、魔術を即座に壊すほどではない。ただもろくなっているのは事実だ。二度目にその穴の部分に攻撃を受ければ、崩れる。アリスはそうした穴をエトヴァスの防御魔術にいくつか作って、決定的な機会を待ったのだ。
狙いは悪くなかった。アリスもそう思う。問題は防御魔術を粉砕できる二度目の攻撃を放つほどの余裕がエトヴァスに肉薄されるまでアリスにはまったくなかった。
「ただ魔族に肉薄されたら、基本的には距離をとれ。天地がひっくり返ってもおまえは近接戦闘で魔族に勝てん」
エトヴァスの言葉は、もっともだった。
そもそも魔族と人間には雲泥の腕力、筋力の差がある。
死にたくなければ人間は距離をとらねばならない。しかも人間は魔族と異なり腕がとれれば再生はしない。体内の臓器を移動させることもできない。距離をとれなかった時点でアリスの敗北は決していたのだ。
ただし、そんなことはわかっている。
「距離をとれるならとってるよ」
アリスは脱力感に肩を落とし、ため息をつく。
「わかってるけど、あんなたくさんの攻撃受けてて、逃げる魔術まで手が回らなかったの」
言い訳だとはわかっている。
だが、今のアリスではあれだけ大量の攻撃を受ければ防御がやっとだ。相手が肉薄してきても、それをどうにかするほどの余裕がない。それほどエトヴァスとアリスの実力差は歴然なのだ。
「上位の魔族なら体ごと吹っ飛ばさないといけないからな。まぁ今のおまえなら距離をとって魔力砲で相手の防御魔術をぶち破って、攻撃魔術で波状攻撃を繰り返して時間を稼ぐしかないな」
エトヴァスが左手に持っていた剣を魔術で消して言った。それが現在のアリスの最善の策なのだろうが、一ヶ月前からまったく変わっていない。
アリスには他人にはできない裏技がある。
それが魔力砲だ。単純に魔力を圧縮し、針の穴のように細い杖のなかにある道に通すことで速度を利用してあらゆるものを切断するというだけの攻撃だが、あらゆる防御、結界に穴を開ける力がある。
アリスからすると魔力を勢いよく通すだけというあまりに単純な方法で、魔力制御を教わったすぐ後からできるのだが、この「勢いよく通す」の勢いが他人とはまったく異なるらしい。
この魔力砲は本当にあらゆるものを貫き通すようで、エトヴァスはそれがあればエトヴァスが十年もかけて分析して破った対魔族結界ですらも一瞬で破壊できると言っていた。
これは魔王も同じことを言っていたので、とてもすごいことなのだろう。
ただエトヴァスからもいざとなったとき以外は基本的に使ってはならないと言われている。
だからあれからエトヴァスに言われるとおり基礎的な魔術を一生懸命勉強をし、毎日しごかれている。なのに、アリスの頼みの綱は未だに魔力砲のみで、エトヴァスになんてまったくおよばない。
「こんなに頑張ってるのに・・・全然進歩してない・・・」
アリスも白銀の杖をブローチにして、もう座っているのも疲れて地べたにへたりこんだ。
「芝生の上とはいえ、こんなところでへたり込むな」
「疲れてないけど、毎日2回こんな感じだから落ち込むんだもの・・・」
まだ日は暮れていないが、ここ一ヶ月ほど一回1時間、毎日朝晩と2回エトヴァスとの模擬戦をやらされているのだ。2回目の夕方となれば疲れも出てくる。そしてどちらかというと手加減されているのだろうが、負けてばかりで精神的にも来るのだ。
こんなところでへたり込んではいけないとはわかっているが、あまりの自分のできなさに落ち込む。
「・・・さすがに酷すぎるんじゃないのぉ?褒めてあげるべきよ」
女性のように頬に手をあててそう言ったのは、家令のヴィントだ。
さらさらの黒髪に金色の瞳を持つ彼はれっきとした男性なのだが、まるで女性のような口調でエトヴァスを諫める。
「ほら、みんなそう思うわよねぇ」
ヴィントが話を振ると、周囲で見ていた人が全員同じように頷く。
アリスが少し顔を上げてみればいつの間にかギャラリーが増えていて、藍色の分厚い布地の服を着た魔族の男性たちがなんともいえない表情で演習場の縁からアリスとエトヴァスを見ていた。
藍色の服の人々がエトヴァスの領地を守る「軍隊」という組織の人だと言うことは、数ヶ月前にこの演習場を使うようになってエトヴァスに教えてもらった。
エトヴァスの城のそばにあるここは「駐屯地」というらしい。
駐屯地には軍隊の人のための訓練場所が確保されており、ここで魔術や武器の訓練をするのが普通で、エトヴァスとアリスが模擬戦をするにも安全なのだそうだ。
駐屯地には軍隊の兵士たちが宿泊するための兵舎があったり、武器も置いてあったりする。竜の離発着場もあって、常に物々しい雰囲気だ。もうすぐ要塞都市クイクルムの攻略もあるので、軍隊は今、訓練や整備に大忙しらしい。
ただなぜかこの軍隊の人たちはよくエトヴァスとアリスの模擬戦を見に来ていた。
「ついでに誰か相手になりたい者は?」
エトヴァスが居並ぶ魔族たちに尋ねる。だが全員が一斉に首を横に振った。
この演習場で模擬戦をするようになってから随分たつ。エトヴァスが時々見物人に尋ねるが、相手になると言い出した者はひとりもいない。
「・・・なんか、ずるい」
アリスは少し不満を感じ、頬を膨らませる。
「ヴィントもエトヴァスの相手をしたらいいと思うよ」
「ちょっ、無理無理!化けものは化けもの同士やってちょうだい」
ヴィントはぶんぶんと首を振って、苦笑した。
「そりゃそうだけど」
アリスも魔力探知ができるようになってわかったことだが、将軍のエトヴァスたちとほかの魔族にはそもそも魔力の量に雲泥の差がある。普通の魔族が一点から百点の間で争っているなら、魔族の将軍職は千点台から開始という雰囲気だ。
多分、生まれ持った魔力の量が全然違うのだろう。違う生物と言ってもいいかもしれない。
しかも魔族に十二人いる将軍のなかでも実力差は大きく、エトヴァスや魔王を含め、将軍のなかでも「強い」魔族たちは魔力値が五千からくらいの感覚だ。
当然そのエトヴァスはほかの魔族から見て「化けもの」で、模擬戦でも相手になりたいとは思えないらしい。
そして、エトヴァスが千年生きてきて数人しか見たことがないほど莫大な魔力を持つアリスも、普通の魔族である彼らからしてみれば将軍などと同じ「化けもの」なのだろう。
実際に魔族が魔力の多寡を美味と感じるとしても、ヴィントはアリスを見て「おいしそう」とは思えないと言っていた。あまりに魔力が莫大すぎて、恐ろしいらしい。血肉が美味しそうでも、恐怖の方が上回るのだろう。
『化けもの、おまえを喰わせればきっと、魔族も黙るだろう!』
幽閉されていたアリスを引きずり出し、喰われるとわかっていて魔族であるエトヴァスに差し出した男は、アリスにそう言った。魔族ですら、アリスを「化けもの」と思うのだ。
アリスもまた人間のなかでは「化けもの」だったのだろう。
「アリス?」
過去を思い出していると、エトヴァスがこちらに歩み寄ってきていた。
「そんなに疲れたのか?」
アリスの前に片膝をつき、いつまでも座り込んでいるアリスの様子を確認してくる。
「あ、いや、そんなじゃないよ」
アリスは慌てて首を横に振った。
疲れたのは本当だが、別に地面に突っ伏して動けないほど疲れているわけではない。
魔族と人間の身体能力や体力は全く異なるが、エトヴァスはアリスに身体的にも精神的にも負担がかからないように気をつけてくれている。
魔術の練習もかなりしごかれるが、もともと魔力制御や魔力探知は得意だ。それに近接戦闘はしないので、アリスは基本定位置からほとんど動かない。体力はそれほど消費していなかった。
落ち込んでいつまでも座り込んでいても仕方がない。アリスが足に力を入れて立とうとすると、エトヴァスがアリスの腕をとって立つのを手伝ってくれた。
アリスはエトヴァスを見上げる。
一緒に立ち上がった彼の精悍な顔はいつもどおり無表情で、何を考えているのかはわからない。ただ、心配はしてくれたのだろう。
彼の腕が伸びてきて、アリスを軽く抱き上げる。
「もう十七時だ。先に風呂に入るか?」
いつもなら夕飯のあとに風呂に入るが、疲れていると気を遣ってくれているのだろう。考え事をしていただけなので、アリスは首を横に振った。
「大丈夫。それよりも誰かが来ているよ」
アリスは演習場の外にエトヴァスに示す。そこにはふたりの男性が立っていた。
「知っている」
エトヴァスは気のない様子で焦ることもなくアリスを抱えて演習場を出る。
それを見て、ギャラリーになっていた兵士たちも心得たものでそれぞれの持ち場に散っていく。見学していた家令のヴィントも仕事に戻るのか遠ざかっていった。
アリスはあらためて待っていた二人の男性を見る。ふたりは、対照的だった。
一人は恰幅のいい、大柄の男性だ。身長は百九十センチを超えるエトヴァスとそれほど変わらないように見える。
白髪交じりの髪を短く刈り上げてあり、まん丸の青色の目は大きく生き生きとしていたが、彫りが深い顔立ちで眉がしっかりしているせいか、厳格そうだ。年齢は六十歳くらいだろうか。口元にはふさふさとした髭が生えていて、それがまた厳格さをより一層際立たせる。
立ち方も胸を張っており、領地を守る「軍隊」に所属していると言われれば何も知らないアリスでも納得できる風貌の男性だった。
それに対してもう一人は細身で、身長もそれほど高くない。年齢は人間でいうと40歳くらいだろう。柔らかそうな焦げ茶の髪に丸い鳶色の瞳の男性で、目元が柔和なせいかとても優しそうに見える。まさに「軍隊」に似合わない人だ。
二人はエトヴァスを見ると、軽く頭を下げた。それにもかかわらず、エトヴァスはなにも話し出さない。アリスは沈黙に耐えきれず、先に口を開くことにした。




