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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
五章 少女、寒桜を見る
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21.アリス

 アリスはびくりと肩をふるわせる。


「くれぐれもこれ以上、アリスさまに負担をかけないでください」


 黒髪のおかっぱに二つの角、金色の眼は三つ持つ鬼の少女メノウはアリスの世話係だが、彼女は最近エトヴァスに常に怒っていった。

 エトヴァスがアリスにした、たった一週間の所業は、かなり尾を引く結果となった。


「あの、今回はわたしが悪・・・」

「仮にそうだったとしても、大人には大人の対応があります!」


 アリスが庇っても、怒っているメノウはあまり聞いていない。

メノウが言うところによれば、子供の間違いは多少大目に見るのが大人として当然なのだという。子供の些細な失敗を本気にして子供を精神的、肉体的に追い詰めようなど言語道断なのだそうだ。

 

「ましてやストレス性の胃腸炎や蕁麻疹など大人でもあり得ないものです」

「それは悪かったと言っている」

「アリスさまにおっしゃってください!」


 ぴしゃりと言って、メノウは行ってしまった。

 

「わたしが悪いのに、ごめんなさい・・・」

「いや、」


 アリスが謝れば、エトヴァスは首を横に振る。

 先日久方ぶりにアリスを風呂に入れたエトヴァスは、アリスの髪を洗おうとして背中いっぱいに広がった痣のような蕁麻疹に驚き、メノウを呼んでしまったのだ。

久しぶりに会ったメノウはアリスの全身を確認し、残った左腕の傷の痕や蕁麻疹、ここのところのアリスの食事の量や吐き気の話を聞き、烈火のごとくエトヴァスに怒りをぶつけた。

 アリスは懸命に自分がエトヴァスの忠告を聞かず、勝手に危ないことをしたからだと説明したが、子供相手に見ていなかった大人が悪いとものすごい剣幕だった。

 今もエトヴァスを見るたび、文句を言っている。

 

「蕁麻疹は大丈夫なのか?」

「いや、わたしも気づかなかったくらいだから」


 隣に座っていたエトヴァスがアリスの背中に労るように触れる。だがむしろ謝られるのが申し訳ない。

 アリスは蕁麻疹という言葉すら知らないレベルだったが、ストレスなどで子供なら時々でるらしい。そもそも背中なので見えてすらいなかったし痛みもない。

だから鏡の前に立って見たときは、自分でも驚いたほどだ。見た目は痛々しかったが、薬をつけずとも自然に引いた。

 アリスはベッドに座って、ぼんやりとエトヴァスが明かりを消すのを眺める。

 もう夜で十二時過ぎだ。今日も一応九時に寝たが、結局魘されて一時間で起きてしまい、しかも夜に食べた食事を全部吐いてしまった。

だから薬などを持ってきてもらうためにメノウを呼んだのだが、始終彼女はエトヴァスに文句を言っていた。

 エトヴァスが態度を戻してもう一週間たつ。

 腕の傷も痕はあるがなおったし、彼がアリスを喰らうときは痛みを緩和する魔術を使ってくれるようになった。アリスが安心できるようにか、エトヴァスはできる限り毎日、いつも一緒にいてくれる。食事も、なにもかも、本当にトイレの時以外はほとんど一緒だ。

 それでもアリスの食事量は戻らないし、すぐに吐くからあまり好きなお肉は食べられない。夜どころか昼ですらも1時間も眠れない。

自分でもわかる。なんとなく不安なのだ。眠ってしまえばまたエトヴァスがどこかに行くのではないかと思う。


「来い」


 ぎゅっと寝間着の裾を握っていると、低い声がかかった。

 アリスが躊躇っているとエトヴァスが背中を撫で、促す。それにしたがってアリスは座っている彼の膝にのり、コアラのように向かい合って抱きついた。エトヴァスは近くにあった毛布でアリスを包み、背中をとんとんと叩いてくれる。

 目をつぶってもエトヴァスの温もりがわかる。だからこの体勢が一番安心する。


「おまえ、自分から甘えてこなくなったな」

「・・・」


 そうなのかもしれない。だからこそ許されたこの温もりから離れがたくて、アリスはエトヴァスの服を握る。

 エトヴァスが態度を前のように戻してもう一週間がたっている。それでも、アリスの態度は元には戻らない。確かにアリス自身も思い返してみれば、だっこと言わなくなった。自分から抱きつくこともなくなったのかもしれない。

 エトヴァスが良いよと言ってくれなければ、だめな気がしていた。


「・・・たまに、すごく怖くなるんだ」

 

 コアラのようにくっついて、アリスは温もりが感じられるように、エトヴァスの体に強く抱きつく。


「わたしの、体はエトヴァスのものだよ」

「そうだな」

「エトヴァスが好きだから、本当はこの気持ちも、エトヴァスの望むとおりにできればと思ってるよ」

「あぁ」

「だから、ヘルブリンディさんの息子のことも、エトヴァスが言うみたいに可哀想だって思わず、放っておければ良かった。でも胸が痛くなる。心が痛くて悲しくて、沈むのが、一生続くって思ったの」


 ヘルブリンディは、そして彼の人間の妃は、命をかけて息子を守ろうとした。

 確かにヘルブリンディは飢え故にアリスを狙ったし、息子も父親を救いたくて協力した。だからアリスを食糧として大事にするエトヴァスが彼らを殺そうとするのが当然だというのもわかる。わかっている。

 だが、彼らに同情するなと言われても、可哀想だと思う。エトヴァスが助けるなと言っても、彼の言葉を無視してでも助けたくなった。

 アリスはエトヴァスが好きだ。エトヴァスが望むようにしたい。でも、できない。きっとそうしてたくさんのものを見捨てればアリスの心は壊れてしまう。

そしてアリスが恐れ、願うのはひとつだ。

 

「わたしの気持ちはわたしの思い通りにならないの。でも、・・・エトヴァス、捨てないで、・・・わたしを、捨てないで」


 湧き上がるこの感情を理由に本当に嫌われてしまったら、捨てられてしまったら、アリスはどうすれば良いんだろう。

 途方に暮れる。怖くて、たまらない。彼の言うとおりにうまくできない自分が情けない。でも痛む心を抱えては生きていけない。

 アリスはどうしたら良いのだろう。

 エトヴァスはアリスの背中に手をおいたまま、少し考えていた。だがゆっくりといつもどおり平坦な声音で言葉を発する。


「おまえは俺の食糧で妃だ。なにがあっても捨てたりしない」

「・・・」

「ただ、これからも不愉快にはなるだろうし、それをおまえにぶつけることはあるかもしれない」

「え、」

「実際に、おまえが俺の忠告を無視してヘルブリンディのもとに行ったときは、本当に不愉快でぶち殺したいと思った」


 アリスは顔を上げ、エトヴァスを見上げる。彼の翡翠の眼差しはアリスに向けられていた。

 言っている台詞は過激なのに彼の表情にさしたる変化は見られない。いつもどおりの無表情だ。ただ彼の金色の混じった翡翠の瞳はどこか優しげで、言われている内容を忘れてしまいそうだった。


「俺はあの不愉快を二度と味わいたくないと思った。だから二度と俺以外に情をかけるなと言った」

「・・・うん」

「オレルスの時もそうだったが、俺はおまえが俺を他者より優先しないと不愉快に感じる。不快に思う。俺以外に情を傾けるのも、気分が悪い」


 だから、アリスのなかから他者を排除しようとした。そしてエトヴァスはそれをアリスに確約させようとして、精神的、肉体的にアリスを追い詰めた。

 だが、アリスにはどうしようもなかった。どんなに他者に情を傾けるなと言われても、アリスは誰かに情をかけることをやめられない。きっと同じような境遇の人がいればアリスはそれを哀れに思うし、エトヴァスがどうでも良いと思っていても、自分にできる範囲なら助けたいと思うだろう。

 だからどれほど酷いことをされようと、守れない約束はできなかった。

 エトヴァスのように感情の起伏が乏しければ、逆にアリスだけを見て、他は切り捨てられるのかも知れない。だがアリスには豊かな感情があり、哀れみや共感があり、それが人間であるということだ。

 それでも、アリスは自分が壊れそうになっても、エトヴァスに嫌われたくない。自分が自分でなくなってもいいから、彼の言うとおりにすべきだったのかと悩んだ。

そして、考えていて自分がわからなくなった。


「ごめんなさい。本当に、エトヴァスを不愉快にしたいわけじゃない」

「したくてやってるなら殺してる」


 エトヴァスのいうことはもっともだ。故意なら気分が悪いにもほどがある。アリスはどんな言葉を返せばいいかわからなくなったが、エトヴァスは続けて口を開いた。


「ただそれは俺にとってどれも一過性だ」

「・・・いっか?」

「すぐになくなるということだ。不愉快は不愉快だから抜本的に原因を取り去ろうと思っていた。だが、こうしておまえが傍にいて一緒に過ごせば、継続的に不愉快に思うわけではない」


 エトヴァスは、今は平坦にいつもどおりの口調で話している。アリスを責めたときのような冷たさはどこにもない。

 不愉快を与えたアリスと過ごして不愉快が解消されるというのが、アリスにはよくわからない。だがエトヴァスはアリスと種族も、年齢も何もかも違う。感じ方が違うのは、当然なのかも知れない。


「だから、おまえができもしないことを求めてあの態度を続けたことは俺が悪かった」


 はっきりとした、謝罪だった。

 一過性のことを取り去ろうと、アリスにできもしない約束をさせようとし、継続的な負担をかけた。それがこのような事態になっていると、エトヴァスは考えているのだ。

 

「さっき話したとおり俺の不愉快は一過性だ。きちんとおまえが考えていることを俺と共有するなら、おまえの感情のまま好きにしてもいい」


 エトヴァスがこちらを見ている。いつもどおり平坦な翡翠の瞳は、アリスが食い入るように見ても何を考えているかわからない。だが、言葉を言葉どおり受け取るしかないだろう。


「でも、今回はわたしが勝手に行ったから・・・だから」

「おまえは聞き分けが良すぎる。おまえは俺が殺すと決めているから、俺に逆らうしかないと思ったんだろうが、おまえが死ぬほど嫌がるなら、俺だって考えた。だから先に言え。何でも話せ」

 

 アリスはエトヴァスが殺すと言えば、それが当然だと思う。だからそれに逆らった自分が悪い。今回のこともそうだ。エトヴァスが不愉快に思うことをした。だから自分が悪い。何をされても黙っている。

 しかしながら、アリスはエトヴァスがヘルブリンディの息子を殺すというその判断自体に声高に異を唱えることができたはずだ。

エトヴァスに精神的、肉体的に追い詰められたときも、痛いと不満を言うことも、ご飯が食べられない、吐き気がするし眠れないからもうやめて欲しいと泣いて訴えることも出来たはずだ。

そうすればエトヴァスはもう少し早く、あの態度を改めた。

 なのに、アリスはエトヴァスのやることをすべて受けいれてしまう。


「でも話す時間のないときは?」

「一度ひく。今殺せるなら、俺には長い時間がある。気に入らなければおまえが死んでから殺せるチャンスもあるだろう。おまえも俺ともめたかぎりは、緊急性が高くてもそれが運命だと思って諦めろ」


 要するにアリスはいまのままで良いから、考えを共有して、話し合う。それが例え時間がなくても、言葉を尽くす。長く生きるエトヴァスらしい考え方だ。それでもアリスは少しずつ、エトヴァスがいつもの彼に戻っている気がして、ほっとする。


「うん、わかった。でも、本当に・・・わたしの意見がエトヴァスとは違っても、わたしを捨てない?」

「まったくわかっていないな。そもそも食糧を捨てるわけないと言っている」


 エトヴァスはそう言って、アリスの頬に口づける。


「なにをすれば、おまえはそれを信じる?」

「・・・わかんないよ。でもわたしを捨てないで」

「人の話を聞け」


 エトヴァスはあきれたように言って、アリスの小さな体を強く抱きしめてくれた。だからアリスはぎゅっとエトヴァスのシャツを握って、彼の胸に頬を擦り付ける。

 温かい彼の感触が、アリスの心に一番染み渡る。

 この腕のなかが、アリスにとっては世界で一番安心できる場所だ。だからどれほど傷ついてもここにいたいと思う。


「ひとまずもう寝ろ」


 エトヴァスの大きな手が、アリスの背中をトントンと叩く。

 もう少しこの温もりを堪能していたい。そう思ったが規則的な振動に導かれるように、アリスの意識は唐突にぷつりと途切れた。



少しずつ現状を理解し、捨てられたくないから、言葉が出なくなってくる時期

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