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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
五章 少女、寒桜を見る
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19.アリス

 アリスはぼんやりと昼食が置かれるのを眺める。

 エトヴァスは無言だ。アリスも言葉を持たない。そして彼はそのまま部屋を去って行く。城に戻ってきて一週間、アリスの生活は変わった。

 まず世話係の鬼であるメノウの入室が許されなくなった。

 食事はメノウが作ったものだから、エトヴァスに止められているのだろう。三食の食事はエトヴァスが運んでくる。だがエトヴァスがアリスに関わるのはそれと、夜の自分の食事だけだ。

 そしてそれは激痛を伴うようになった。

エトヴァスが魔術で痛みを緩和しなくなったのだ。だからアリスは夜に毎日苦痛に耐えることになった。傷は治してもらえるが、それだけで、前のように一緒に眠ることもない。

 アリスは部屋にひとりだ。

 アリスは食事に手をつけず、バルコニーの近くに座り込み、ころんと地べたに寝転がった。

 青い空に、白い雲。そろそろ春なのか雪が降るような曇天は少なくなり、徐々に天気の良い日が増えてきた。


「・・・」


 アリスが寝返りをすれば、左腕が痛む。

 左の二の腕には、エトヴァスに血肉を持っていかれた傷が、いまだに生々しく残っていて、治っていない。これは罰なのか治してもらえないし、定期的に傷を抉られすらする。

 エトヴァスは、怒っているのだと思う。

 彼は感情の起伏が乏しく、基本的に感情を自分自身のものとしては理解しないが、その感情によって他者がどのように動くのかはある程度理解している。だから、エトヴァスはアリスが傷つく方法を選んでいるのだ。

 それでも最後の一線は越えない。放逐されることも殺されることもないところをみると自省を促されているのだろう。

 アリスはバルコニーから入る温かい日差しにうとうとする。

 それでも眠りたくはない。アリスの悪夢は縋り付く相手だったエトヴァスがいなくなると、悪化した。要塞都市に幽閉されていた頃を、思い出すからだ。眠ればすぐに魘される。だから眠らない。眠りたくない。さらに決まった時間に睡眠を促してきていたエトヴァスもいないので、窓辺でずっとうとうとぼんやりしている。

 入るのは風呂くらいで、最近それもふらつくようになってきた。

 いつ許されるのか、はたして許されることがあるのか、死ぬまでこのままなのか、アリスにはわからない。

 あのとき、エトヴァスの意に逆らってヘルブリンディの息子のケルンを助けるべきではなかった。アリスはエトヴァスが大事なのだから、彼の言葉を何よりも優先すべきだった。痛みに震えるたびにそう思う。これもアリスの本当の気持ちだ。

 だがきっとアリスはエトヴァスが普通に戻ればまた、自分と同じ人間の妃が命を賭けて守ったケルンを救えなかったことを、彼を殺す原因となってしまったことを一生悔やみ続けただろう。


『愛しているわ。大丈夫よ』


ヘルブリンディの人間の妃。

 彼女は決して強い人ではなかったと思う。ヘルブリンディに行かないでと言うことも出来ず、寒桜を見ながら待ち続けた弱い人。魔力もたいしたものではなかった。それでも、自分の子供を命賭けで守った。

 ヘルブリンディだってそうだ。あんなにぼろぼろになり飢えながら、それでも自分の子供を襲わず、三百年もの間守り続けた。でも、もう限界だったに違いない。

 そして子供のケルンも飢えた父を助けようと、エトヴァスの食糧であるアリスが手を出すにはあまりに危険な存在だと知りつつ、父親の食糧にしようとした。

 

「いいなぁ」


 親は必死で子供を、子供は親を守ろうとする。家族とはそんなものかもしれないと家族をほとんど知らないアリスは思う。

 アリスの母親は、アリスを結界の動力源としておいていった。父はいなくなった。死んだという。何故かはよくわからない。でもアリスは間違いなく、母親に捨てられた。父はよくわからないが、何を考えていたのだろう。

 そんなアリスからしてみれば、彼らの姿はなんと羨ましいものか。そしてどれほど美しく、綺麗で、尊いものなのか。

 だから、ケルンが自分を殺そうとしているのがわかっても、アリスはどうにかして彼を逃がしてあげたいと思った。エトヴァスはアリスを殺そうとした魔族を許さない。皆殺しにするとあらかじめ宣言されているので、殺されてしまうだろう。

 だから、ケルンを逃がした。

 最後に見たケルンは、酷く戸惑っていた。もっと言葉を尽くして、説明してあげられれば良かったと思う。そうすればきっとケルンは納得できる形で父親との別れが出来たに違いない。

 だが、アリスはその点に関しては失敗した。


「・・・」


 すぐにばれるだろうとは、予想していた。でもエトヴァスの動きはアリスが思っていたよりもずっとはやかった。

 エトヴァスがアリスにかけた防御魔術には、恐らくアリスの居場所の探知も含まれている。彼はもともとアリスの動向を怪しんでいたし、アリスを狙う存在も間違いなく把握していた。その彼が、アリスの行動を、相手を、見逃すはずもない。

 エトヴァスに逆らいケルンを逃がしたあのとき、アリスはエトヴァスの魔術の一切をケルンから遮断した。そのつもりだ。ただ、本当にそうなのかなどわかりはしない。エトヴァスのことだ。アリスのわからない手などいくらでもあるだろう。

 エトヴァスの怒りを考えれば、下手をすれば今週あたりケルンの首がアリスに持ってこられてもおかしくない。エトヴァスから逃げるのは至難の業だと思う。

 ヘルブリンディはケルンをトールの元に転送したと信じたい。ケルンは幸い、父親似だ。見ればすぐにヘルブリンディの息子だとわかるだろうし、トールの領地ならトールとシヴがうまくどうにかしてくれるだろう。ただしこれもアリスの希望的観測だ。用意の時間があまりにも少なすぎて、どうにも出来なかった。

 そういえば、バルドルに魔術を教えてくれたり、泊めてくれたことのお礼もなにもしていない。突然帰ったので心配もしているだろう。会える日が、来るだろうか。


「・・・」


 色々とりとめもなく考えていると、夕方になる。最近では六時前になると暗くなる。それでも以前は五時過ぎだったので、日が延びている。それは春が近いということだったが、アリスは春を知らない。


「・・・寒桜、やっぱり綺麗だったな」


 雪のなかの、濃い桃色の花は色彩も鮮やかで、本当に綺麗だった。冬は色が茶色や黒、そしてすべてを覆う白ばかり目につくので、あまりに鮮やかだった。

 ヘルブリンディは寒桜を山から取ってきたと言うが、案外、バルコニーから見える山々にないだろうか。アリスは寝ころがったまま目をこらす。だが夕焼け色に染まった雪の上は、何であっても緋色に染まっていてよくわからなかった。

 もうすぐ夜が来る。

アリスにとって長く、苦痛に満ちた時間だ。それでも今となってはこれが唯一誰かと関わる時間で、アリスは明かりもつけずに彼を待つ。

 暗いなか、音がした。扉が開く音だ。

 いつも同じ速度の足音。淡々としていて、テーブルに食事のお盆が置かれる音がした。ふたつ分のお盆がテーブルに並ぶ。彼が食べるためではない。単に昼の盆が残っているだけだ。


「・・・おまえ、食べないのか」


 一週間ぶりの会話だった。


「あてつけか?」


 エトヴァスに言われ、アリスは首をかしげる。あてつけとはなんだろう。ただアリスが言葉の意味を理解できていないのは伝わったらしく、ため息が返ってきた。


「なんで食べない。もう4日だ」


 エトヴァスはどうやらアリスの食事の摂取量は確認しているらしい。怒っていても食糧であるアリスへの関心はまだ健在だと、アリスは少し安心する。


「・・・吐くから」


 体が食べ物を受け付けないのだ。

 エトヴァスに無視されるようになって数日で、アリスは食事を吐くようになった。

お腹は空く。だからたまに口をつけてみるのだが、お腹が痛くなりすぐに吐くのだ。理由は自分でもよくわからない。ただ吐く。

 だからここのところは食事に手すらもつけていなかった。


「水もほとんど飲んでいない」

「立つとふらつくから、トイレいくの大変だし」


 エトヴァスに囓られた左腕も痛むし、トイレに立つのも億劫だ。転がっていられる時間を増やすには、水をあまり飲まないほうがいい。トイレの回数が減る。ついでに吐く回数も減った。

 

「来い」


 エトヴァスがベッドに座って、アリスを呼ぶ。前のようにアリスを抱き上げてくれることはない。

 アリスは痛む左腕に気をつけながらゆっくりと立ち上がる。そして転ばないように気をつけながら歩く。ベッドにたどり着く頃には腕をひかれ、ベッドに引きずり倒された。

 またはじまる。痛みを思えば憂鬱だ。それでも今日は少し会話が出来た。声が聞けた。それは一週間のなかで進歩なのかも知れない。

 それでいい。寿命長い彼を考えれば、さしたる急激な変化は望めないだろう。

 アリスはぼんやりとエトヴァスを見上げる。闇にも負けない金色の髪、彫りの深い顔を眺めながら、体の力を抜く。どうせなにをしたって、勝てやしない。それに勝てたとしても、アリスはここに残るだろう。

 突然エトヴァスがアリスの脇の下に手を入れた。左腕の傷にあたって表情を歪めると、そのままぐいっと上へと掲げられる。アリスは彼を見下ろす形になり、よくわからないまま彼を見下ろした。相変わらず無表情で何を考えているかよくわからない。


「軽い」

「え?」

「間違いなく5キロは減った。目の下の隈も酷い」

「だって、食べてないし、寝てないもの」


 吐くから食べられないし、悪夢で魘されるからまともに眠れない。だからそれくらい体重が減っていても、顔色が悪くても当然だろう。

 エトヴァスの手がアリスをベッドの上に座らせる。促されるままぺたんと座って、アリスは彼を見上げた。


「おまえはどうしてこんなことをされても、ここから出ようと思わない」


 問われて、アリスはむしろその質問がよくわからなかった。


「ここからでる?どうして?」


 出てどうするというのだ。


「どこでも、行くことは出来たはずだ。ヘルブリンディの息子をトールのもとに送り出したようにな」


 アリスはそれを聞き、少しほっとする。

 どうやらエトヴァスはケルンに手出しできなかったようだ。基本将軍同士の領地は不干渉が原則だ。ケルンがトールの領地内に入れたのなら、エトヴァスでも手出しは出来ない。あとはトールが、喪失の教訓を忘れないでくれればと思う。

 だが、アリスはケルンではない。


「そんなのエトヴァスが許すはずないし・・・わたし、ここからでても外で生きていけないから」


 生とは一過性のものではなく、長く続いていくしかないものだ。アリスひとりで出たところで、こんな脆弱な体と魔族の巣窟。どうやって生きていくというのか。

 しかもエトヴァスはアリスが逃げれば、絶対に追う。アリスはエトヴァスの食糧であり、妃だ。他の将軍の領地であっても、彼は間違いなくアリスを取り戻そうとするだろう。

 いや、その必要もないかも知れない。いったい自分にどんな魔術がエトヴァスによってかけられているのか、アリスは知らない。だがエトヴァスが願えばアリスを殺し、エトヴァスに転送をするくらいの魔術がかかっていてもおかしくない。

 アリスは、エトヴァスのそば以外でまともに生きることなどできない。いや、すでにまともなのだろうか。

 

「このまま死んだとしてもか」

「おおげさだよ」


 少し吐くようになり、眠れなくなっただけだ。まだしばらくは死にはしない。エトヴァスが本気なら、アリスなど今頃殺されて喰われている。死なない程度に、手加減されているのだ。もちろんこのままなら死ぬのかも知れないが、それも仕方がないだろう。

 

「わたしはエトヴァスのもとにいたいよ。だからこれはわたしがしたことの結果だし、死んだら仕方がないよね」

 

 アリスは笑うしかない。

 アリスはエトヴァスの傍を離れようと思わない。それにもかかわらずアリスはエトヴァスの怒りを買うことをわかっていて、彼の意に沿わない行動をした。酷く扱われても、やった側のアリスがそれに文句をつけたり、逃げ出したりするのは違うだろう。


「ごめんなさい」


 アリスは謝る。謝るしかできない。


「悪いなどと思っていないだろう。おまえは二度と他人に情をかけないとは約束しない」


 エトヴァスははじめて、酷く不快そうに表情を歪めてそう言った。それは悲しそうでもあって、でもアリスは頷くことしか出来ない。

 自分を殺しに来た相手の状況に同情し、庇う。二度とするなと言われても、多分アリスはまた情をかける。それが自然な情動だからだ。どれほど彼が苦痛を与えようとアリスは今もケルンの一件を間違っていると思っていない。

 だからそんなことを謝ってはいない。


「わたしは、エトヴァスのようには生きられない」


 アリスは人間だ。感情の起伏の乏しい魔族ではない。

 感情豊かな人間のアリスは情を捨てられない。同情するなと言われて、同情しないようにできる生きものではない。単純に割り切ってどちらかを選んだり、切り捨てたりはできないのだ。


「だから、ごめんなさい」


 アリスはアリスのままでしか生きられない。エトヴァスの望むようにエトヴァス以外のものを切り捨て、他者に対して沸き上がる同情や共感に蓋をして生きるのは、死ぬのと一緒だ。きっとそんなことはできない。できないけれど、彼を不快にさせることも、苦しめていることも知っている。

 それでもアリスはきっと、また同じことをしてしまうだろう。


「本当にごめんなさい」


 アリスは、謝ることしかできない。アリスがエトヴァスに差し出せるのはこの体と、魔族の食欲や性欲と同じで、本人の思い通りにならない不安定な感情だけだ。それを謝って、どれほど酷いことをされても、ここにとどまることで彼に対する情の深さをしめすことしかできない。

 いつか、前のような関係に戻れる日が来ることを信じて。


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