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魔族の将軍に捧げられた人間の少女のお話  作者: るいす
一章 少女、食糧にされる
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08.フェンリル


 フェンリルは父親に命じられ、少女を偵察に来ただけだった。


「ふぅん、わんちゃんはお父さんのために遠くまで来たんだね」


 アリスはバルコニーのそばに枕を引っ張り出してきて、絨毯に転がり足をぱたぱたしている。

 長くまっすぐながら柔らかそうな亜麻色の髪に、大きな紫色の瞳。年の頃は十歳くらいと見える。紫色の瞳こそ珍しいが、適当に顔立ちの整ったその辺で拾って来られそうな少女だ。柔らかそうな白いシュミーズドレスが足を動かすたびに同じようにパタパタしている。

 絨毯の上とはいえ地べたに転がるのはどうかと思うが、あまりそういう常識は持ち合わせていないようだ。


「いや、家族をどうにかするぞって脅されてきたんだって」

「どうにかってなに?でもわんちゃんは、お父さんに言われてきたんだよね?」


 脅されてきたと言っているのだが、目の前の少女はことの深刻さがわかっていないのか、にこにこと笑いながら頷く。もう説明するのも面倒くさくて、フェンリルはため息交じりで少女を眺めた。

 恐らく彼女がわかったのはフェンリルが父親に言われて遠くはるばるここまでやってきたことだけなのだろう。

 フェンリルとて子供がいるが、子供の相手は妻任せで、ほとんどまともに相手をしたことがない。そんなフェンリルからしてみれば、アリスは正直話していて恐ろしく疲れる子供だった。

 アリスの言葉はつたないし、わからない単語も多い。わからない言葉を聞くタイミングを逸するのか、面倒になるとわからないことをわからないまま放置する。だからといって全部聞かれてもフェンリルがひとつひとつそれに答えている間に、あっという間に時間は過ぎていく。

 情報を聞き出そうとか、自分の状況を説明しようとか、すべての気力がなくなるレベルだ。

 この少女は、絶対まともな教育を受けて育っていない。人間は魔力がそこそこある場合は六歳頃から魔術教育を受けるので、10歳前後という少女の年齢で莫大な魔力を持ちながら魔術教育がされていないことを鑑みても、間違いない。

 そしてきっとこの少女が食糧である限り、無知なほうが扱いよい。知識は少女の逃げる手段になる。あの男はある程度少女の教育レベルをこのまま据え置くだろう。だが、フェンリルは自分と家族の身の安全のために、アリスに自分の状況を理解してもらわねばならない。

 いざあの男にばれたときのために、この少女に事情を説明しておきたいのだ。だが、それは望み薄だ。

 

「わんちゃんのお父さんは優しい?」


 先ほどから自分が父親に脅されているという話をしているのだが、まったく話が通じていない。アリスはどれほどフェンリルが言葉を尽くしても、緊迫感がいまいちわかっていないようだった。

 

「優しくねぇんだよ。俺はその父親に脅されて、おまえの様子を見に来たんだって」

「そっか。遠いところから大変だね」


 何を言われても、アリスはよくわかってくれない。おっとりと穏やかに返してくるので、フェンリルは頭を抱えたくなる。

 だが、ひとつだけわかることがあった。


「わんちゃんはお父さんと仲良しで、一緒にいられて良いね」


 アリスは紫色の瞳を細め、柔らかに笑う。

 アリスは、人が良い。フェンリルの殺伐とした事情など想像もできないほど、素直で、穏やかに育っていた、そしているのだろう。

 人間のなかで対魔族結界の動力源がどんなふうに育つのか、フェンリルは知らない。魔族に食糧として差し出されたアリスが何を思っていたのかも、わからない。だがアリスはきっと、幸せに、穏やかに育ってきた。そして人間に捨てられ、魔族に捧げられたのだ。

 こんなに穏やかに、そして無邪気に笑える素養があるのに、どうしてアリスはこんなにかわいそうな子になったのだろう。


「そういえばおまえ、父親はいなくなったって言ってたな」

「うん。抱っこしてくれたりしたのを覚えてるんだよ」


 アリスは嬉しそうに笑う。


「背中をぽんぽんしてくれて、とても温かかったの」


 多分父親は、彼女が幼い頃にいなくなったのだろう。だからアリスは父親の容姿のことを話さない。話せない。もう覚えているのはその温もりだけだ。それでもアリスは嬉しそうに話す。それが父親との唯一のつながりだからだ。

 

「エトヴァスにそのお話をしたら、よくそうしてくれるんだよ」


 そして、自分の血肉を食う男がしてくれることを、嬉しそうに話す。

 あの男は恐らくアリスから父親の記憶を聞き、アリスがそれを望んでいるからまねをしているだけだ。そこには父親がこの少女にむけたであろう愛情や慕わしさはまったくない。淡々と食糧に望まれたから、彼女が望む行動をなぞっているだけなのだ。


「温かくって、とっても嬉しいの」


 それでもアリスはそれがまるでかけがえのないものかのように笑う。あの男にとってはなんの感情もないであろうその行為を、無邪気に喜ぶ。

 だから、フェンリルは胸が痛んで、たまらない。

 わかっていないんだろうと思う。あの男はアリスに何の情もない。その血肉が美味しいから、少しでも長い間美味しい血肉を食らっていたいから、この少女に何でもするだけだ。それなのに温もりを求める少女は、それをまるで宝物のように無邪気に喜ぶ。

 純血の魔族で、食欲と性欲以外にたいした情を持たないあの男は、きっとなにも考えていない。それを思えば、魔族と巨人の混血で、情緒のあるフェンリルは歯がゆくてたまらない。少女が哀れで、どうしようもなくなる。

 少女に悲壮感がないからこそ、無邪気に笑うからこそ、胸が張り裂けそうだ。たまらない。


「あの男は、帰ってこないのか?」


 フェンリルは、思わず聞いてしまった。途端にアリスの表情が曇る。

 あの男はどうやら今、不在が多いらしい。不在でなければフェンリルがこんなふうに彼女と過ごすことはできないだろう。アリスがフェンリルが来るのを喜ぶのは、あの男がいないからだ。


「きっと忙しいんだよ」

「でもさみしいんだろう?さみしいって言ったら、良いんじゃないか?」


 尋ねると、アリスは首を横に振った。


「さみしいって泣いたら、きっとエトヴァスが困るよ。だから、良いの」


 両親がいなくなってから、長い間アリスがひとりで過ごしていたとも聞いている。この部屋でひとり待つのは昔を思い出して狂い出したいほどさみしいだろう。それでもアリスは眉をハの字にして笑う。

 アリスは言葉のわからない面倒くさい子供だ。

 フェンリルからしてみれば適当にあしらって帰りたいし、父の思惑に乗るのもしゃくに障る。父の思惑を鑑みれば、こうしてともに過ごすことはアリスのためにならない。それでもフェンリルがここを毎日訪れているのは、さみしそうに弱々しく笑う少女が、あまりにかわいそうだからだ。

 あの男はどうしてこの少女から目を離しているのだろう。理不尽な怒りを抱く。


「ねえ、わんちゃん。わんちゃんの家族のお話をしてよ」


 アリスが無邪気にそう訪ねてくる。だからフェンリルは彼女の求めに応じ、つまらない話をする。

 夕飯を誰かが運んできていたが、運んでくるだけだ。その間だけフェンリルは隠れ、また話しをする。くだらない話だ。食事が美味しかったとか、その程度のこと。

 そして夜になれば、少女はバルコニーのそばで寝入ってしまった。ここ数日、毎日こんな感じだ。夜になり、眠たくなれば絨毯の上で丸くなって、少女は寝てしまう。

 夏とはいえ、このあたりは山の上で冷える。薄着なので大丈夫かと心配に思うが、窓には強力の結界があり、フェンリルが触れることはできない。またこちらに興味はあるだろうに、彼女が窓を開けることもなかった。


「・・・わんちゃんと呼ばれたのははじめてだったな」


 フェンリルは灰色の上、でかい図体と大きな牙を持つ「狼」である。化けものと罵られたことはあるが「わんちゃん」と呼ばれたことははじめてだった。

 恐らく「わんちゃん」のような生きものを「わんちゃん」と呼ぶ以外の名前を知らないのだろう。幼い頃から幽閉されていたようだから、教育を受けていないのだ。それが「わんちゃん」という名前からあふれ出している。

 へたをすればフェンリルが魔族だと言うことにすら気づいていないだろう。無知にもほどがあるし、だからこそまだまだ都合良く扱える、か弱い存在だ。それでも、意外に思う。


「・・・わたしの大事な人ねぇ」


 捕食者をそんな風に表現する獲物はなかなかいないだろう。

 少女がここにきて恐らく半年。あの男との間にそれなりの信頼と依存関係が築かれているとみてまちがいなさそうだ。些末な言葉や疑念で引っかき回すことはできなさそうな程度には。

 意外なのは、人間らしい感情などほぼ介しなさそうなあの男は、随分とこの感情豊かな少女をうまく扱っているらしい。

 あの男は魔族の中でも中道派で、戦いも好きではないが、戦いに怯むこともない。人間のなか暮らしていたこともあるので、人間をよく知っていると言うことなのだろう。人間の感情の起伏が理解できず読み違えることはあっても、逆に大きな問題になるほどの何かをすることがそもそもないのかも知れない。

 ただ、フェンリルはこの少女を哀れに思う。


「どっちにしても、ろくなことにはなんねぇよ。」


 人間によって魔族に差し出された、人間。

 今は楽しそうに笑っているが、それは隔離され、世界を知らないからだ。世界を知れば、まともではいられない。彼女の人生はすでに積んでいる。

 結界で正確にはわからないが、彼女の魔力は魔族の将軍たち以上だ。そうでなければあの男がこれほどこだわり、この少女を囲ったりしない。そして食糧として飼う限り、彼女は永久に防衛手段である魔術を教えられることはないだろう。

 莫大な魔力を持つ人間で防衛手段を持たないなど、逃げ出した途端に近くにいる魔族の餌だ。魔力制御ができなければ、すぐに上位の魔族に探知されて終わりだ。運良く対魔族結界のある要塞都市に逃げ込んだとしても、魔術で眠らされ次の対魔族結界の動力にされるか、魔族との交渉の材料にされるか。

 どこにいても、少女は力ある者の玩具になるしかない。

 自分の状況が理解できるようになれば、自分の居場所など世界のどこにもないと思い知ることになるだろう。生き続けることがひたすら苦痛になる人生もある。

 魔族でも、人間でも、自ら命を絶った奴など、山のようにいるのだ。

 

「かわいそうに」


 哀れみを覚えるのは、この感情を知るのは、フェンリルが巨人と魔族の混血だからだ。


「せめて今だけでも良い夢を」


 まだ少女は夢の中にいる。すべてから隔離された夢のなかに。夢から目覚めたとき、少女が何を見つけるのか、希望か、絶望か。

 少しでも明るい展望があることを、フェンリルはただ祈った。


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