表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀色の北十字 参  作者: たき
6/7

(6)

 翌日も朝から黒点竜を抑えるために、天鵝は摩羯を連れて出ていった。毎日襲撃してくる黒点竜に覆われ、星座ケフェウスの上空は真っ黒に染まっている。星帝がしっかり守っていることに安心したのか、家に籠っていた星たちは少しずつ表に出てくるようにはなったが、やはり気味が悪いのか、誰も宙を見上げようとはしない。

 一方、東雲は夜の訪れを阻止されるならせめて昼間でもと、天琴との面会を求めたが、東雲付きとなった女官長はにべもなくはねのけた。東雲もさすがに女官長を篭絡することはできず、やつあたり気味にあれこれと用事を言いつけるが、女官長は手際よく仕事を片付けてしまう。

 長椅子に寝転がってふてくされてしまった東雲を、霧雨は放置した。星帝の星宮で皇女の寝所に忍び込もうとしたことにすっかりあきれたのだ。今回ばかりは東雲の肩を持つ気にはなれないと。 

「この私を拒む女など、もう二度と現れることはないというのに、なぜ皆そろいもそろって邪魔をするんだ」

「本気でお望みなら、きちんとしかるべき手順を踏んで誠意ある態度をお見せにならないと。仮にもお相手は皇女なんですから」

 今のあなたは思いあがったただの駄々っ子ですよ、と遠慮なく言う霧雨に、女官長が意外そうな顔をした。

「陽界にもまともな方がいらっしゃるんですね」

「皇子が特別常軌を逸した行動をなさるだけです」

 一緒にしないでください、と霧雨が少しばかり不機嫌に答えると、ここに来てからずっとしかめっ面だった女官長が初めて笑った。

「お付きの方が今後しっかり監視されるのであれば、少し行動制限を緩めていただくよう陛下にお話しすることも可能かと思います」

 そのとき、一人の女官が入り口から顔をのぞかせた。気づいた女官長に頭を下げる。その表情がかたいのを見て、女官長がすばやく寄っていく。部屋の外で小声で話をした後、女官長は急用ができたと去っていった。すぐに代わりの女官を寄こすと言って。

「お前、年嵩の女の受けがいいな」

 その調子であの女官長を手なずけてくれないかと頼む東雲を、霧雨はじろりとにらんだ。

「今度はあなたが計画をぶち壊すおつもりですか」

 優先順位を間違えないでくださいと叱る霧雨に、「男の本能だ。仕方あるまい」と東雲が開き直る。

「まったく、あなたはどうしようもない方ですね。女性が皆、あなたに額づくわけではないとわかっただけでも、こちらに来たかいがあったというものです」

 大仰なほどのため息を吐き出す霧雨に、東雲は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。そこへ再び、戸口に人の気配がした。

 しずしずと入室してきた女官を見て、東雲は苦笑した。

「なるほど、女官長も考えたものだな。どれほど見目がよくても、男を抱く趣味は私にはない」

「皇子、違います」

 霧雨がけわしい容相で剣を抜き、相手の顔に突きつけた。

「何者だ」

「まさか一瞬で見破られるとはね。けっこううまく化けたと思うんだけど」

 中性的な声でふふっと笑い、化粧で美しく整った()()は緑色の双眸を東雲に向けた。

「あなたが天鵝皇女を陽界に連れていくお手伝いをしたいんです。僕はあの女が死ぬほど嫌いなので」

 東雲は片方の眉をはねあげた。目の前の人物の真意をはかろうとじっと見据える。そのうち、何となく覚えのある顔であることに気づいた。誰だったか――先に思い出したのは霧雨だった。

「お前……まさか、地使団長の血縁者か?」

 ()()が薄く笑う。

「あの女をこの世界から確実に消してくれるなら、協力は惜しみません。お互い得になる話だと思いますが」

 意図が読めない。ただ、その瞳に狂気があるのを東雲は見た。

「……まずは話を聞こう。手を組むかどうかはそれからだ」

 東雲は、女官長に遣わされるはずの女官が部屋に入ってこないよう、霧雨に見張りをさせることにした。そして()()を正面に座らせ、相手の語る内容に耳を傾けた。



 密かに、しかし急げという猟戸からの伝言に、仙女を連れた天琴は小走りで『月光の間』を目指した。仙女は部屋の前で立ちどまり、天琴だけが中に入る。

 月の石の置かれた台に寄りかかるようにして、仙王帝が座り込んでいた。猟戸が仙王帝の額に手を当てて、星魂の状態を確認している。

「兄上っ」

 駆け寄った天琴に、仙王帝はめまいを起こしただけだと軽く手を挙げて制した。

 月の石はまだ輝いていない。どうやら輝力を注ぎ込む前に倒れたらしい。

「すまない……やはり今回だけは私一人では無理なようだ」

「そんなの当たり前でしょ。結界を支えている叔父上だって疲れた顔をしているのに、この時期に兄上が元気ならかえっておかしいわ」

 だから早く助けを求めてって言ったのに、と天琴が渋面する。

「兄上は一人で抱え込みすぎよ。私がいることを忘れないでほしいわ」

「……そうだな」

 仙王帝は弱々しく笑ってから、猟戸の手を借りてゆっくりと立ち上がった。

「今日を入れてあと六日間、力を貸してくれ、天琴」

「もちろんよ」

 天琴は微笑すると、仙王帝の脇に立った。月の石に手をかざす仙王帝の腕にそっと自分の手を添わせる。

 まだ少し乱れていた呼吸を一度整えてから、仙王帝は紫紺色の瞳を月の石へ向けた。唇を引き結び、己の輝力を高める。しかしいつもならすぐにあふれる輝力は、かぎりなく微弱な状態で明滅している。無理に体内から押し出そうとしている仙王帝に天琴は意識を傾けた。仙王帝の輝力を探り、触れ、自分の輝力を慎重に重ねていく。まもなく仙王帝の輝力が膨らみはじめた。天琴の『強化』を受けてあふれんばかりに大きくなった輝力を、仙王帝は月の石へと一気に送った。

 風圧がかかり、天琴の金の髪を巻き上げる。不安定な仙王帝の輝力を常に一定の強さに保ちながら、天琴は初めて輝力を放出した日を思い出した。

 それは八年前のことだ。天狼を産んだ母妃の容体が急激に悪化し、父帝は修復の性質を持つ自身の輝力を母に向けたが、死にゆく母を引きとめることはやはり難しかった。しだいに呼吸が弱くなっていく母にすがりついた自分は、悲しみのあまり輝力を爆発させた。 

 自分の輝力は父の輝力と混ざり合い、一時的に母を回復へと(いざな)った。それでも天鵝が到着するまで母をこの世にとどめておくことはできなかった。

 臨終に間に合わず、呆然と立ちつくす天鵝を抱きしめ、自分はそのまま気を失った。目覚めたとき、隣で同じように眠っていた天鵝のぬくもりに泣き、母の代わりに天鵝を慈しみ守ると心に決めたのだ。

 その天鵝は今、恋をして、巣立とうとしている。八年前に知り合った男と再会し、想いを寄せ合っている。

 母ならきっと喜ぶに違いない。でも自分は素直に歓迎できないでいた。母も、そして彼もいなくなったとき、天鵝が心の支えだった。生きる希望だったのだ。それなのに、天鵝は新しい道へ進もうとしている。

 天鵝は決して自分を見捨てたりはしないとわかっているけれど。八年前から動けずにいる自分がふがいなくて、情けなくて嫌になる。

 目頭が熱くなり、天琴は歯を食いしばった。こんなところで涙を流せば、兄がよけいな気をつかう。昔からのんびりおっとりしているくせに変に責任感が強い兄は、星帝としての重圧を背負いながらも、長子として自分たち妹弟の面倒を見てくれている。

 まだ過去に縛られてはいても、兄を助けられるくらいには成長している。今こそ、それを証明すべきだ。

 世界を十分に満たすほどの輝力を吸収した月の石が光り輝く。石を通して、生命を育む仙王帝の輝力が月界に降り注いだ。

 これで今日のところは大丈夫だ。天琴が安堵の息をついたとき、仙王帝の体がぐらりと傾いた。

「兄上!」

 仙王帝を抱きとめたものの体格差があるので支えきれず、一緒に床にへたり込む。すぐさま猟戸が寄ってきた。

「心配……ない。ちょっとほっとしただけ、だ」

 ありがとう、と天琴に笑って、仙王帝は意識を失くした。

「こんなときくらい手を抜けばいいのに。まじめにもほどがあるわ」

 自分に甘えすぎないよう、兄が今出せる最大限の輝力を振り絞ったことに、天琴はあきれた。

 いいものも悪いものも強化してしまう自分の輝力を、父帝は公にしないことに決めた。万が一にも悪用目的でさらわれて、無理やり輝力を放出させられると大変なことになるからだ。

 そのため輝力の性質がわかってから今まで、天琴が輝力を使ったのはたった二回だ。一度目は最初の爆発、二度目は仙王帝が即位して迎えた最初の『休息の七日間』。

 加減がわからず、毎日必死に月の石に大量の輝力を流し込んでいた仙王帝は、新月が近づく頃に息切れしてしまい、今日のように倒れた。そのとき、叔父に頼まれて手助けしたのだ。

 仙王帝と天鵝は、髪の色だけでなく性格も似ているから、好きにさせておくと頑張りすぎるので目が離せない。では同じ金髪の天狼は自分と似ているかというと、全然違うはずだ――と思うのだが。

 仙王宮の柱を破壊するほどの天狼の輝力を、黒点竜の撃退に使えないだろうかと、天琴はふと考えた。普段周りに迷惑をかけているのだから、それくらいの役には立ってほしいものだ。

「今朝、薄明帝に使いを送った。近いうちに交渉に入る予定だ」

 どれだけ脅されても引くつもりがないことを知ってもらうと猟戸は言った。

「ここが踏ん張りどころだ。総力をあげて挑むぞ」

「絶対に負けないわ」

 今まではどちらかといえば冷静なほうだった叔父の強気な発言に、天琴も同調する。天琴の意気込みに猟戸は口角を上げ、仙王帝を運ぶべく部屋の外に控える護衛に声をかけた。



「姫様、薬湯です」

 就寝前、天鵝の部屋に入ってきた摩羯に手渡された薬湯を、天鵝は渋い顔で口にした。

「もう少し飲みやすいものにならないだろうか」

 この薬湯はよく効くのだが、非常に苦いのだ。摩羯なら改善できるのではないかと期待の目を向けると、摩羯は苦笑した。

「過去に他の薬草で試してみましたが、効果が薄くなってしまったので、現時点ではこれが最良です」

 今日、仙王帝が倒れた。眠っていても疲労の色が濃いのがはっきりわかるほどで、しばらくは天琴が補佐するという。性質が判明していないと言われ続けていた天琴の輝力が実はとても有用だということを初めて知らされた天鵝は驚いたが、同時に安心もした。これなら新月を挟んだ七日間をきっと乗り切ることができる。

 そして天鵝の顔を見た天琴は、摩羯を叱った。天鵝の代わりはいないのだから、無理やり寝台に押し込んででもちゃんと休ませろと。何なら昼間限定で短時間の添い寝なら許すとまで言った。

 兄のはった結界のおかげか、ケフェウスに入ってから灼熱竜の夢は見なくなった。しかし襲い来る黒点竜の群れや、皆に負担をかけていることを思うと、ぐっすり眠れているとは言いがたい。それを姉は見破ったのだ。

 気にかけてくれるのが嬉しい反面、添い寝に関してはあせった。数日前に摩羯が寝ぼけたせいで一緒に眠ったことが天琴の耳に入ったのかと、一瞬疑ってしまった。顔に出さないよう必死に取り繕ったが、勘のいい天琴は何か察したのか半目になり、いぶかしげに摩羯を見ていた。

 ようやく飲み終えて息をついた天鵝が寝台に上がる。受け取った茶器を卓に置いてから摩羯が近づいてきた。

「口直しをなさいますか? それとも、金の姫様の許可がおりましたので添い寝をいたしましょうか」

 腰をかがめて天鵝の顔を覗き込む摩羯に、天鵝は「口直しを」と答えた。今は姉が許した昼間ではないし、舌に残る苦みが消えるならありがたい――というつもりだったのに、いきなり摩羯に口づけられた。

「やはり、改良を急ぐ必要がありますね」

 最後に天鵝の唇をなめた摩羯が眉間にしわを寄せる。目を丸くして摩羯を凝視していた天鵝は、ようやく状況を理解して赤面した。

 口直しとはそういうことか。てっきり甘い飲み物を用意してくれるものとばかり思っていた。

 うつむきかけたところで摩羯の手に頬を挟まれる。間近で見つめられ、息がとまりそうになった。絶対に動揺が伝わっているはずなのに、摩羯は解放してくれない。

 前に進む努力をするのではなかったのかと訴えかけられているようで、天鵝は視線をそらした。額への接吻と違い、唇だと求められているような気がして落ち着かない。決して唇は嫌だというわけではなく、むしろその逆だから、なおのこと困る。

「……あー、その……」

 口を開けては閉じる天鵝に、摩羯が小さく吹き出した。

「からかったのか」

 天鵝はむうっと口を尖らせた。

「誤解です。半分は、早く慣れてくださるようお手伝いをさせていただいたまでで、もう半分は――」

 私が姫様に触れたいだけですとささやかれ、鼓動が速まる。

「……慣れたい、とは思っているんだが」

「一番手っ取り早いのは日課にすることですね」 

「接吻をか?」 

「無理にとは言いませんが」

「……押し切る気満々に聞こえるんだが」

「申し訳ありません。日ごとに堪え性がなくなってきておりまして」

 色違いの瞳が笑っている。その奥に見え隠れしている熱につられ、天鵝は「わかった」と承知した。

「本当によろしいのですか?」

「二言はない」

「時間帯と場所は自由ということでかまいませんか? 一日一回しかできないという制限もありませんね?」

 摩羯が細かく確認してくる。覚悟はしたものの、どんどん逃げ場を失っているような気がして沈黙する天鵝に、「二言はないのですよね?」と摩羯がずいと顔を寄せてくる。

「……ああ、ない」

 他に答えようがないほどに追い詰められ、やむなく天鵝がうなずくと、「では、決まりです」と摩羯が満面に笑みを広げ、寝台の端に座った。

 頬を優しくなでられる。じっと見つめてくる色違いの双眸は本当に嬉しそうで、これほど愛情たっぷりのまなざしがあるのかということを、天鵝は初めて知った。兄や姉から向けられるものとは違う、心を奪われるような輝き。

 ゆっくりと降りてきた摩羯の唇が、天鵝の唇に触れる。軽く、深く、繰り返される接吻に、いつしか口の中の苦みも忘れ、目の前の摩羯だけに意識が向いた。

 それはまた摩羯も同様で、扉の隙間から見ていた存在があったことに二人は気づかなかった。



 病人の治療に呼ばれたと偽って仙王宮に入り込んでいた烏鴉は、隠れ潜んでいた部屋に戻ってきた()()をかえりみて、目をみはった。

「昴祝、どうかしたの?」

 すっかり表情というものをなくしてしまった相手の顔をのぞき込む。心ここにあらずといったさまだった昴祝は烏鴉と視線があった瞬間、ぼろぼろと涙をこぼした。

「あの人はもう僕を見てくれない。あの人は……おかしくなってしまったんだ」

 あんなの、あの人じゃない、と叫んで、昴祝は大泣きした。男としては小柄なほうとはいえ、自分よりは背が高くなった昴祝を、烏鴉は抱きしめた。

 自分が懇意にしている賊に引き入れたのは、昴祝が十六歳のときだった。衛府の内情を探るため、地使副団長の息子だった昴祝に目をつけた。彼の兄には隙がなかったが、昴祝は不安定で欲深くて、精神がとても幼かったから。

 その、兄だけを求める純粋な狂気が烏鴉には愛しかった。自分にはないと思っていた母性をくすぐられたのだ。

 あれから八年経ったが、昴祝は変わっていない。兄に近づく者を許そうとしない。

「僕は決めた。壊れたあの人を元に戻すんだ。今度はあの女とは出会わせない」

 誰にも渡さない。これ以上、他の奴には触れさせない。だから、殺すよ――兄から()()()()左目に手を当て、昴祝はそう宣言した。

 見開かれた緑色の双眸はもはや、何もとらえていない。烏鴉をすら映さず、裏切られた悲しさと憎しみにぎらついていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ