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銀色の北十字 参  作者: たき
3/7

(3)

 ――我が妃よ。

 また、あの低く枯れた声が呼びかけてくる。

 ――我がもとへ参れ。

 何度請われても応じることはできない。なのに、それは退いてくれない。

 ――そなただけが、我と添い遂げることができる。

 いいかげんにしてくれと、怒りをぶつけた。自分には想う相手がいるのだと。

 とたん、左足に激痛が走った。痣のあたりを中心に、にぎりつぶされるような痛みが。

 ――ならぬ。

 下半身に何か重いものがずんと乗る。かたい鱗のような、ざらついた感触が肌を滑っていく。

 ――ならぬ。そなたは、我がもの。

 息が苦しい。苦しすぎて目が覚めた。

 部屋の入口にある灯火だけがほのかに揺れる室内で、しばらくぼんやり天井を見上げていた天鵝は、夢だと知って安堵した。

 しかしまだ足元に生々しい重さが残っている。その重みがかすかに動いた気がして、天鵝は視線をやり、悲鳴を吸い込んだ。

 薄闇の中、大きな黒いものが天鵝の足を押さえつけ、じっと天鵝を見つめていた。



「体調がすぐれないと聞いた」

 豪華な花束を持って天鵝の寝所に姿を見せた東雲から、天鵝は黙って目をそらした。寝台脇の小椅子に座っていた摩羯が、代わりに東雲に警戒のまなざしを向ける。

「……すみません。明日には合議を再開させます」

 抑揚のない声でわびる天鵝に、東雲は苦笑した。

「気にしなくていい。こちらもゆっくりさせてもらう」

「お話はそれだけですか? 申し訳ありませんが、姫様はお休みになられますので」

 冷ややかな口調で早々に追い出そうとする摩羯が、天鵝と手を重ねているのを見て、東雲は瞳をすがめた。そのとき、「ちょっと天狼、待ちなさいっ」という叫び声と駆けてくる足音が廊下から届いた。

「姉上!」

 飛び込んできた天狼が、東雲にぶつかりながら天鵝のもとへ走り寄る。東雲が一瞬顔をしかめる中、摩羯がさっと天鵝の手を離した。

「姉上、大丈夫?」

「心配ない。わざわざ来てくれたのか」

 寝台に這い上がってきた天狼の金の髪をすくようにしてなで、天鵝は微笑んだ。

「もう、あんたってば本当に――」

 必死に追いかけてきたのか、息を切らして天琴も部屋に入ってくる。白い長衣に緑色の袖なし衣を重ね着した天琴は、凝然と立っている東雲と目をあわせた。

 驚いた顔で食い入るように見つめてくる東雲に会釈をして素通りし、天琴も天鵝の寝台に近づいた。今度は摩羯も腰を上げ、天琴に席を譲る。

「具合が悪いんですって? 様子はどうなの?」

 あいた小椅子に座りながら、天琴が摩羯をふり返る。摩羯が言いにくそうに東雲を見たので、天琴はあらためて東雲に赤紫色の双眸を向けた。

「陽界からの客人というのはあなたね。お見舞いにいらしてくださったことには感謝するけど、女性の寝所に気軽に足を運ぶのはどうかと思うわ」

「そこにいる地使団長はかまわないのか」

「摩羯は……いいのよ」

 よくないけど、とほんの少し憎らしさの混ざったつぶやきを吐く天琴に、東雲は笑った。

「衛士統帥殿の姉君か。なるほど、噂にたがわぬ美しさだ。あなたほどの女人には、陽界でもお目にかかったことがない」

 そして自分は薄明帝の第二皇子の東雲だと自己紹介した。

「お名前は兄上から聞いているわ。摩羯、お花を受け取って女官に預けてちょうだい」

 容姿をほめられてもすげない対応のままの天琴に、東雲の笑みが濃くなった。

 天琴に命じられ、渋々といったさまで摩羯が天鵝のそばを離れる。つい目で追ってしまった天鵝に気づいた摩羯が、「すぐに戻ります」と優しく言って、東雲から花をもらって出ていった。

 二人の間に流れる空気が変わったことを天琴は敏感に感じ取ったらしい。もの問いたげなまなざしを向けられ、天鵝は反応に困ってうつむいた。

「これで用件は済んだわね。悪いけど帰ってくださる? 天鵝と話がしたいの」

 否とは言わせぬ口ぶりに、東雲は素直に承知した。

「そうだな、これ以上姫君を疲れさせるわけにはいかない。ところであなたの星座はどこかな? 後でうかがいたいんだが」

 とたん、天琴が眉間にしわを寄せた。

「お会いするとしたら、まず兄上の許可を得てから兄上の星宮でお話しするわ。その機会すらないでしょうけど」

 容赦なく断る天琴に、東雲はにやりとした。

「つれないな。ますます好みだ」

 ではまず星帝にあなたとの仲を取りもってもらうようお願いしようと言って、東雲は去っていった。

「あんなのが衛士統帥だなんて、陽界はよっぽど人手が足りてないのね」

 天琴が毒を吐きながら嘆息する。天狼は今回はおとなしかった。東雲が天鵝ではなく天琴に興味をいだいていたせいかもしれない。

「それで、いったいどうしたの?」

 天琴に尋ねられ、天鵝は言いよどんだ。

「……摩羯には、兄上や叔父上にも相談したほうがいいと勧められたんですが」

 兄や叔父には語りにくい夢の話を、天鵝はぼつぼつと天琴に聞かせた。

「気持ち悪い夢ね。しかもその夢に出てきた黒いものが現実に現れたなんて」

 天琴が腕をさすりながら、おぞましいとばかりに身震いする。

「それだけじゃないんです」

 天鵝は自分の寝衣のすそをめくった。ふくらはぎのあたりに広がる手形のような黒い染みに、天琴と天狼が目をみはる。

「何なの、これ……」

「姉上、痛い?」

 天狼が涙目で問いかける。「今は痛くない」と天鵝はかぶりを振って答えた。

「最初はホクロか痣くらいの小さな点だったんです。でも夢を見るようになってから少しずつ大きくなってきて」

 今朝あの不気味な影を見たときにはこうなっていたと、天鵝は説明した。

「昨日、皇子に聞かれたんです。体に黒い痣のようなものはないかと……だから、陽界の何かと関係があるのかもしれなくて」

「……あの男、まさかこれを探しに来たんじゃないでしょうね」

 武器の流出の捜査は表向きの理由で、本当はこの痣のほうが目的なのではないかと怪しむ天琴に、天鵝もうなずいた。

「ただ、これがいったい何を意味しているのかがわからないんです。皇子に直接尋ねていいものかどうか迷っていて」

 そこへ、芳香がふわりと漂ってきた。戸口をかえりみると摩羯が立っている。その手には三人分の茶が用意されていた。

「遅かったわね」

 軽い嫌味を飛ばす天琴に、摩羯は苦笑した。

「金の姫様がすぐに皇子を追い返されるだろうと思いまして、その間にご準備いたしました」

 天鵝宮にある茶葉から勝手に選ばせてもらったと言って、摩羯が三人に順に茶器を配る。天狼にはやけどしないようぬるめのものを、天琴と天鵝には熱い茶を手渡す。

「うわ、うまい」

 ぐびっと一気に飲んだ天狼が笑顔になる。天琴も少しだけ匂いをかいでから口に運んだ。

「あら嫌だ、本当においしいわ。天鵝、あんたいつもこんなおいしいものを飲んでいるの?」

 どこの星宮にも置いてあるような茶葉なのに、と天琴が感心したさまで残りを飲み干す。天鵝も心を落ち着かせる香りと味をゆっくり堪能した。

 体が温まる。それだけで、不安にこりかたまっていた気持ちがほどけていく。ほっと息をついた天鵝は、自分の様子をうかがっていた摩羯のいたわるような視線に顔がほてった。

 天琴が片方の眉をひくつかせて二人を交互に見やる。それから天琴は立ち上がった。

「兄上と叔父上には私から話しておくわ。今日はこのまま楽に過ごしておきなさい。天狼、帰るわよ」

「えー、もう一杯飲みたい」

「だめよ。そもそもあんたは星司になるための手続きがあるでしょ」

 それで二人一緒に来たのかと天鵝は納得した。宰相府官吏の服装をしている天琴は仕事中だったはずなのに、なぜ天狼もいるのかと不思議だったのだ。

「天狼もついに星宮を与えられるんですか」

「そうよ、星座カニス・マーイヨル。もっとも、あと何年かは叔父上が面倒を見るけど」

 星座も近いしね、と天琴が言う。

 自分が衛士統帥として職務に励んでいる間、天狼はずっと星司に必要な勉強をしていた。そろそろ不満がたまって爆発しそうだと周りが判断したときだけ天鵝は呼ばれて相手をするようにし、少しずつ自立に向けて慣らしていたのだ。

「もっと姉上に近い星座がよかったな」

 むくれる天狼に、「贅沢言ってるんじゃないわよ」と天琴が叱る。それでも確かに天狼は成長していた。気のせいか、顔つきも以前よりしっかりしてきているように思う。

「お前がちゃんと一人で統治できるようになったら、遊びに行かせてもらう」

 天鵝の言葉に天狼が薄紫色の双眸を輝かせた。

「本当? 泊まっていくよね、姉上?」

「その頃には寝所は別よ」

 天琴の制止に天狼がかみついた。

「何で!?」

「当たり前でしょ。星司になるということは、もう一人前の男と認められたってことなんだから」

「……俺、やっぱりこのままでいい」

「あんたねえっ」

 ここまでくるのに私や叔父上がどれだけ手をかけたと思ってるの、と天琴が天狼の胸倉をつかむ。

「だいたい、いつまで天鵝の寝台に乗ってるの。さっさと下りなさいっ」

 今度はドンッと突き飛ばされて、天狼は寝台から転がり落ちた。

「大姉上の意地悪っ」

「うるさいわね。ほら、さっさと行くわよ。天鵝、ちゃんと休むのよ」

 天狼の襟をつかんで引きずりながら、天琴がにこりと微笑む。最後にちらりと摩羯を見てから、天琴は天狼を連れて出ていった。

「そうか、天狼が星司になるのか」

 何だかとても感慨深いなと、摩羯に茶器を返しながら天鵝はつぶやいた。

「お年のわりに剣の腕前がかなりのものだと聞いています」

 将来がとても楽しみなお方ですと言って、摩羯がそばの円卓に茶器を置く。

「そうだな、御前試合で優勝するほどの実力者(おまえ)を降参させたくらいだからな」

「あれには本当に参りました」

 顔を見合わせて笑ってから、摩羯が少し表情を引き締めた。

「姫様、手形のことですが、姫様の輝力で消すことはできないでしょうか」

 茶を準備しているときにふと思いついたという摩羯に、天鵝もなるほどとうなずく。陽界の炎を鎮めることができるなら、この手形にも効果があるかもしれない。

 さっそくとすそをつまんだところで、天鵝は摩羯を見た。

「……すまないが、向こうを向いていてくれるか」

「先ほどは見せてくださったのにですか」

「あれは、その……やむを得ずというか」

 実物を見ないことにはわかりにくいだろうから、とぼそぼそ言い訳をする。早い話、膝まですそをめくり上げるので恥ずかしいのだ。姉弟ならともかく、摩羯の前では特に。

「私は背中にも目がありますので、無意味かと思いますが」

 えっ、とうろたえる天鵝に、「冗談です」と摩羯がからかいの笑みを口の端に乗せる。

「では、終わりましたら教えてください」

 摩羯が小椅子に座って背を向ける。それを確認してから、天鵝はそろそろとすそを持ち上げた。

 何度見ても気味が悪い。夢の中でつかまれた感触までよみがえってしまい、天鵝は一度身震いした。

 てのひらに意識を集中する。そして十分に力が満ちたところで、手形にそっと触れた。

 キラキラと光る輝力が部屋いっぱいに広がる。やがてふくらはぎにべったりと貼りついていた手形がだんだん薄まりはじめた。

「摩羯……!」

 嬉しさのあまり思わず名を呼ぶ。ふり返った摩羯はやわらかく光り輝く天鵝に目をみはった。呼吸すら忘れたかのように天鵝に見入る摩羯にも気づかず、天鵝は自分のふくらはぎから消えていく黒い染みに喜んだ。

 やがて手形はきれいになくなった。ただし、もともとあった小さな黒ずみだけは残して。

「ここまでか……」

 しかし大きな収穫だ。意識して輝力をそそぐだけで抑えられるなら、放っておいても体内を巡る輝力がいずれ消していたかもしれないが、早く癒えるに越したことはない。

 ひとまず安堵の息を吐き出した天鵝は顔を上げた。そこで、摩羯が自分をぼうっと見つめていることをようやく知る。

「摩羯……?」

 声をかけると、摩羯がはっとしたさまで肩を揺らした。

「申し訳ありません。姫様の輝力の放出を初めて見たものですから」

 珍しく動揺をにじませ、摩羯は視線をそらした。頬が上気している。

「皆が言っていたのはこれか……これは確かに……」

 まぶしすぎる、とうめき声に似たため息を漏らし、摩羯は片手で顔を覆った。

「ああ、すまない。私が輝力を放出するとなぜか全身が光ってしまうんだ。天狼はこんなふうではなかったんだが……もしかして目を傷めたか?」

 月界の者は強い光に慣れていない。心配になった天鵝が摩羯に向かって手をのばすと、その手を取られた。

「あなたは本当に……私の予想の上を行かれる」

 手の甲に口づけられる。

「こんなお姿のあなたを何度も人目にさらしたかと思うと、私は……」

 気が狂いそうだ、とつぶやいて、天鵝の手に自分の頬を押し当てる。そこに独占欲を感じて、天鵝の鼓動が速くなった。

「少しお休みになられますか? 夢見が悪くてあまり眠っておられないでしょう」

 摩羯が片手で背中を支えながら天鵝をゆっくりと寝かせる。まなざしには欲情のかけらが瞬いているのに、自分を気遣ってくれる摩羯の気持ちが嬉しくて、少し甘えたくなった。

「……お前は?」

「衛府には欠勤の連絡をすでにしております」

「ならば、このまま手をにぎっていてくれるか?」

「姫様がお目覚めになるまで、しっかりにぎっておきますので、安心してお休みください」 

「……ありがとう。お前がそばにいてくれると心強い」

 天鵝がにぎる手にほんの少しだけ力を込めると、摩羯は色違いの瞳をやわらげた。

「お休みなさいませ」

 額に優しい接吻を贈られ、天鵝は微笑して目を閉じた。



「噂の姉君に会ったぞ。稀に見る美貌だった」

 天鵝宮の石畳で待っていた霧雨に、東雲は上機嫌で伝えた。

「こちらに馬車でお着きになったときに私も拝見しました。弟君でしょうか、小さなお子を叱りながら追いかけていかれましたが」

 失礼ながら、陽界一の美女と呼ばれているお方など、あの金の髪の皇女には遠く足元にも及ばないと、霧雨が賛同する。

「この私を追い出したんだ。気の強そうなところが非常に好みだ」

 今まで、媚びおもねる女ばかりだった。たまにそっけなくする女もいたがすぐに飽きてしまったのは、わざと気をひくためにしているだけだと最初から見え見えだったからだ。天琴に出会ってわかった。天琴は本物だ。

「楽しみが一つ増えた。姫君は二人とも連れて帰るぞ」

「どちらもなかなか攻略が難しそうですが」 

 それで、姫君の体調不良は何が原因でしょうかと霧雨が尋ねる。

「私がいる前では話しにくいようだったからな。だが、姫君とあの地使団長はやはり恋仲のようだ」

「では、すでにもう……」

「いや、それは大丈夫だろう」

 天鵝の顔つきにはまだ、男を迎えた女に見られる艶やかさがない。

「相手が皇女だから、地使団長も強引に進めることはしていないようだ。こちらにとっては幸いだったが、それも時間の問題だ。確認を急いだほうがいいな」

「では、明日にでも」

 霧雨の提案に東雲はうなずいた。手を重ねていた二人を引き離すのは少しばかり気の毒にも思うが、こちらも世界の存続と妹の命がかかっている。

 仲のよさそうな姉妹だったから、天鵝が陽界に行くとなれば天琴もついてくるかもしれない。そのとき、腰のあたりにかすかな痛みを覚えて東雲は眉をひそめた。

 あの小さな子供がぶつかったところだ。

(……まさか、な)

 けっこうな勢いで体当たりしてきたせいだろう。ただそれだけのことだ。浮かんだ可能性を切り捨て、東雲は自分の茶馬にまたがると、天鵝宮を発った。


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