稲作は伝来ではなく日本が起源地だったかもしれない件
ごきげんよう~ひだまりのねこです〜。
先日活動報告で稲作のことを書いたら、エッセイにして投稿した方がいいんじゃないの? という有難いお声が!!
せっかくなので、内容を整理したものを投稿させていただきますね〜!!
先に言っておきますけど、私は専門家でも研究者でもない、ただの古代史好きなのです。
あくまで妄想系エッセイということで、好き勝手持論を展開させていただきますので、話半分でお読みくださると嬉しいのです。
今日は、稲作の起源と伝来についてお話しするといたしましょうか。
さて、おそらくほとんどの日本国民に刷り込まれているであろう稲作の伝来について確認しておく。
皆さまはどんな風に習っただろうか?
教科書の記述が出版社や発行年代によって変わっているので、多少内容に幅があるとは思うが、
一昔前は大体以下のような記述がされていたようだ。
『紀元前4世紀ごろ、大陸(おもに朝鮮半島)から渡来した人々によって、稲作が九州北部に伝えられ、やがて東日本にまで広まりました』
ざっと調べたところ、最近は注釈や新しい説も併記されるようにはなってはいるが、概ね変わっていない……。
そして、稲作の伝来をもって弥生時代の始まりとされていたわけだが……
ちょっと待ってほしい。その認識は時代遅れだ!!
まず朝鮮半島ルート、これは考古学上の遺跡の年代とDNAの調査によって現在はほぼ完全に否定されている。一部の学者は可能性はゼロじゃないとしがみ付いているけれど、諦めろ。
そして、紀元前4世紀ごろという年代に関しても、3000年前の水田遺跡である北部九州の石木中高遺跡や菜畑遺跡が発見されたため、現在は弥生時代の始まりは紀元前4世紀ごろから紀元前9世紀ごろに変更されている。
紀元前9世紀ごろというのは、おそらく学会の妥協の産物だろう。現在進行形で新しい発見や知見が蓄積していて、近い将来さらに遡る可能性は高い。
たとえば、花粉学の最新の知見では、3700年前頃に水稲種の稲の花粉が爆発的に増えていることがわかっている。となれば、その頃に水田による稲作が始まったと考えても不自然ではない。
ちなみに、ここでいう稲作とは、我々がイメージする水田を利用した水稲種の稲作のことである。
それ以前の主流だった陸稲種の稲作を無視していることを付け加えておきたい。
つまり、たった一、二行の文章ではあるが、完全に時代遅れな内容となっている。どうかアップデートしてほしい。
とりあえず先程の文章を若干手直しするならば、
『少なくとも紀元前10世紀ごろまでは陸稲種による稲作が主流だったが、大陸から渡来した人々によって、水田を利用した水稲種による稲作が九州北部に伝えられると、やがて東日本にまで広まった』
うーん、まあ少しはましになっただろうか?
ここで補足させてもらうが、古代におけるイネとは陸稲だ。元になった野生種のイネももちろん陸稲。
水田を用いない縄文時代の稲作は、基本的には陸稲種である熱帯ジャポニカ種によるもの。
ちなみに私たちがイメージする水稲種である温暖ジャポニカ種が生まれたのは、おそらく今から6000年前ごろ。
長江下流域の草鞋山遺跡、紀元前4000年の水田遺構で発見されたのが最古級であり、それ以前の時代の稲は、すべて陸稲である熱帯ジャポニカ種であることが、調査で判明しているからほぼ間違いないだろう。
ここで一度、稲について簡単に。
イネ科イネ属の植物は現在22種が確認されている。
このうちアジアイネとアフリカイネが栽培種で残りは野生種。
世界で栽培されているイネのほぼ全てがアジアイネなので、栽培種=アジアイネと考えて良いだろう。
そして、このアジアイネには、比較的耐冷性の高いジャポニカ種と低いインディカ種の2系統の種があって、その中間の品種も存在する。
ジャポニカ種には前述した温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカがある。
野生イネからジャポニカが生まれ、そのジャポニカとアジアの野生イネが交配してインディカ種が生まれたことが遺伝調査の結果わかっている。
さて、稲についてはこれぐらいにして、それでは、稲作はいつごろから、どこで始まったのか?
もちろん複数の地域で同時多発的に始まったとは思うが、あくまで年代的な意味で。
気になるだろう? え? 興味無い? だったら明日からパンだけ食べればいいじゃない。
かつて、稲作の起源はインドのアッサム地方、もしくは中国雲南地方の山間部が有力視されていた。
なぜか? 以前はインディカ種からジャポニカ種が進化したと考えられていて、そのインディカ種が多く自生していたのが、これらの地域だったから。
現在は、DNA解析で、ジャポニカ種からインディカ種が生まれたということがわかっているし、年代的にもまず無い。
そして、それを裏付けるように、中国長江下流域でインディカ種の年代を大幅に遡る約一万年前の最古の熱帯ジャポニカ米が発見されて、現在はここが有力な源流地の一つとされている。
普通に考えれば、じゃあ、稲作は中国大陸から始まったんだね、となる。
だが、待ってほしい。
実は、近年日本でも、11000年前の鹿児島の遺跡(火山層の下)から、島根県板屋Ⅲ遺跡において、13,000年前の層からイネのプラント・オパールが検出されている。
これは稲作起源地と想定されている1万年前の長江中下流域よりも古く、世界で最古の栽培イネのプラント・オパールとなる。
となると、稲作の起源地の一つが島根や九州南部だった可能性も十分あるわけで、今後の調査が楽しみで仕方がない。
ちなみに、プラント・オパールを簡単に説明すると、イネ科の植物は根から吸収した珪酸を一部の細胞に貯め込んで細胞をガラス化する性質があって、その細胞は枯れようが燃やそうが変質せずに残る。
イネ科の植物の葉をうっかり触ると手がすぱっと切れるが、あれだ。
炭化米や籾殻だけだと外から持ち込まれた可能性も残るが、プラント・オパールはそこに生えていた証になるのでより重要な指標になるわけだ。
そして、私が日本を起源地の一つだと考える根拠は他にもいくつかある。
一つ目は、稲作に関する言葉。
大陸からもたらされたのであれば、言葉や用語も大陸風になるはずだが、その痕跡がない。
もう一つは、品種の多様性。
日本の在来イネ73品種の内、8品種がインディカであり、残り65 品種がジャポニカ。そしてそのジャポニカの内訳がヤバい。
簡単に言えば、日本列島にはインディカもジャポニカもあって、また熱帯ジャポニカと温帯ジャポニカもあって、本来水稲であるはずの温帯ジャポニカにも陸稲があって、さらに水稲から転用された陸稲種もある。
稲作の伝来に関しては、昔から論争が続いていたわけだが、どれもこれも一長一短で矛盾が解消できていない。でもそれって、稲作は海外からもたらされたという固定概念に囚われているからじゃないかと思う。
現在、稲作渡来説の唯一の根拠は、日本にそれらしい稲の野生種が見つかっていないという一点のみ。たったそれだけだ。
ちなみに90年代までは、縄文時代の始まりは1万年前だったそうだ。
ところが1万6千年前の世界最古級の土器が次々と発見されて、慌てて縄文時代の始まりを1万6千年前に変更する羽目になった。
縄文時代の人々は、その土器で煮炊きをしていたらしい。
様々な作物を季節や土地に合わせて栽培していたこともわかってきているし、積極的に植林をして循環可能な、今でいう持続可能な生活様式を営んでいたのだ。
あるDNA調査によれば、現代日本の森林の9割は、古代の植林によるものの子孫だという。
多くの古代文明が、森の消失によって滅んだことを考えれば、我々の祖先がいかに賢明だったのかわかるだろう。
土器や貝塚は定住の証。
いかに人口密度が低くても、採集や狩猟だけでは定住は難しいのだ。
日本人による変態的な魔改造。間違いなく稲作にも発揮されている。
改良、改善が大好きな民族。もはやDNAに刻み込まれているレベル。
たかだか数千年~数万年前。本質は変わらない。
別に稲作の起源などどうでもいいのだが、日本民族の良い意味での変態性は古代でも変わらなかったのだと想像すると笑えるではないか。
日本全国には、約46万か所の遺跡があり、年間約8000件の調査が行われている。
技術の進歩によって、新たな発見がもたらされるのが楽しみでならない。