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明神男坂のぼりたい  作者: 大橋むつお01
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36〔離婚旅行随伴記・1〕

明神男坂のぼりたい


36〔離婚旅行随伴記・1〕   





「ちょっと冷えそうだな」


 明菜のお父さんは、開けたドアを締め直し、ジャケットを掴んで助手席から車を降りた。



 仲居さんや番頭さんたちが、案内や荷物運びのために車の周りに寄って来る。


 予約はしてあったんだろうけど、かなりの常連さんのよう。


「あ、タバコ切らしたから買ってくる」


「タバコでしたら、フロントにございますが……」


「ありがとう。でも、先月から銘柄変えてね。なあに、店はとっくに調べてあるから。じゃ、ちょっと」


「すみませんね、お寒い中、お待たせしちゃって」



 お母さんが恐縮する。



「ちょっと庭とか見てっていいかな?」


「ええ、いいわよ。玉美屋さんの庭はちょっと見ものよ。そうだ、あたしもいっしょに行こう」


「では、お荷物はロビーに運ばせていただきます」



 仲居さん達は甲斐甲斐しく荷物を運ぶだけではなく、何人かは、お父さんとあたしたちを玄関前で待ってくれて、ひとりは案内に付いてきてくれる。客商売とは言え、なかなかの気配り。



「ほんとに、きれいなお庭」


「回遊式庭園では箱根で一番よ」


「温泉旅館て、傾斜の多いところに立ってるから、これだけの庭を作るのは大変みたいよ」


 なるほど、振り返ると、建物は傾斜の上に段々になっていて、この庭を見下ろす形になっている。


 梅が満開。寒椿なんかも咲いていて、ほんとにきれい。まだ春浅いのに庭の苔は青々としている。


 カコーーン


 え?


 小さく驚くと「鹿威しが、あちらに」と仲居さんが説明してくれる。神田の街中で暮らしているので、こういう雅なものには縁が遠い……っていうか、こんなに高級な旅館は初めて。


 奥へ進むと、ほんのりと温泉の匂い。


「そこの芝垣の向こうが露天風呂になっています」


「じゃ、そこの岩の上に上ったら覗けるかもね」


「ホホ、身長三メートルぐらいでないと、岩に上っても見えないでしょうね」


 と、お付きの仲居さん。


「見えそうで見えないところが、情緒あっていいのよね」


 明菜のお母さんは面白がる。



 パン パン パン


 え!?



 鹿威しの一種?


 いや、仲居さんの顔も訝しんでる。


「パンクかしら?」


 立て続けに三回もパンクが起こる訳がない。



『大変だ! 人が撃たれた!』



 どこかのオッサンの声がして、あたしたちも、声のする旅館前の道路に行ってみた。


「キャー! お、お父さん!」



 明菜が悲鳴をあげた。明菜のお父さんが胸を朱に染めて倒れていた。


「さ、殺人事件!? け、警察! 救急車!」


 旅館の人たちも出てきて大騒ぎになった。



「みなさん、落ち着いてください!」



 お母さんは、つかつかとお父さんに近寄ると、お父さんの横腹を蹴り上げた。


「ゲフ……痛いなあ、怪我するだろ」


 ぶつぶつ言いながら、血染めのお父さんが立ち上がった。


 え…………?


 みんな、あっけにとられた。


「こんな弾着の仕掛けで、あたしがおたつくとでも思ったの。しかし、あなたもマメね。いまどき潤滑剤の付いてないコンドームなんて、なかなか手に入らないわよ」


 お母さんがめくると、お父さんの上着の裏には、破裂したコンドームがジャケットを真っ赤にしてぶら下がっていた。


「おーい、失敗。カミサンに見抜かれてた」


 向こうの自販機の横から、いかにも業界人らしいオッサンがカメラを抱えて現れた。


「これ、年末のドッキリ失敗ビデオに使わせてもらえるかなあ」


「やっぱ、杉下さん。あなたの弾着って、クセがあるのよね」


「アキちゃんにかかっちゃ、かなわないなあ」


 そのときの、お母さんの横顔で思い出した。梅竹映画によう出てる稲垣明子だ!


 当惑を通り越して、憮然としてる明菜には悪いけど、あたしはワクワクしてきた。





※ 主な登場人物


 鈴木 明日香       明神男坂下に住む高校一年生

 東風 爽子        明日香の学校の先生 国語 演劇部顧問

 香里奈          部活の仲間

 お父さん

 お母さん         今日子

 関根先輩         中学の先輩

 美保先輩         田辺美保

 馬場先輩         イケメンの美術部

 佐渡くん         不登校ぎみの同級生

 巫女さん

 だんご屋のおばちゃん

 明菜           中学時代の友だち 千代田高校

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