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明神男坂のぼりたい  作者: 大橋むつお01
33/109

33〔啓蟄(けいちつ)奇譚〕

明神男坂のぼりたい


33〔啓蟄けいちつ奇譚〕 




 関根先輩の話によると、こうらしい。


 先輩が昼前に二度寝から目覚め、リビングに降りると、リビングに続いた和室の襖が密やかに開いた。何事かと覗くと、和室の奥に十二単のお雛さまのような女の子がいて、目が合うとニッコリ笑って、こう言った。


「おはようさんどす……言うても昼前どすけど、お手水ちょうず行かはって、朝餉あさげがお済みやしたら、角の公園まで来とくれやす……なにかて? そら、行かはったら分かります。ほなよろしゅうに……」


 そう言うと、女の子は扇を広げて、顔の下半分を隠し「オホホホ……」と笑い、笑っているうちに襖が閉まったそうな。


「……なんだ、今の?」


 そう呟いて襖に耳を当てると、三人分くらいの女の子のヒソヒソ声が聞こえる。そろりと二センチほど襖を開けてみると、声はピタリと止み、人の姿が見えない。


 そこで、ガラリと襖を全開にすると、暖かな空気と共に、いい香りがした。


 訳が分からず、ボンヤリしていると、ダイニングからトーストと、ハムエッグの匂いがした。


「じれったい人なんだから。ほら、朝ご飯。飲み物は何にする。コーヒー? コーンポタージュ? オレンジジュース?」


「あ、あの……」


「その顔はポタージュスープね。いま用意するから、そこに掛けて。それから、あたしは誰なのかって顔してるけど、名前はアンネ・フランク。時間がないの、さっさとして。着替えは、そこに置いといたから、きちんと着替えて、公園に行ってね」


 先輩がソファーに目を向けると、着替えの服がキチンとたたんで置いてあった。


「あの……」


 アンネの姿は無かった。


 のっそり朝食を済ませ、トイレに行って顔を洗うと、なぜか、もう着替え終わっていた。


 なにかにせかされるようにして外に出ると、桜の花びらが舞って四月の上旬のような暖かさ。桜の花びらは公園の方からフワフワと飛んでくる。


 桜に誘われるようにして、公園に行くと、満開の桜を背にし、ベンチにあたしが座っていた。


「なんだ、明日香じゃないか。公園まで来たら何か有るって……いや、説明しても分からないだろうな……」

「分かるわよ。あたしのことなんやさかい」


「え……」


「今日は、啓蟄の日。土に潜ってた虫かて顔を出そうかって日なんよ。心の虫かて出してあげんと」


「明日香、難しいこと知ってんだな」


「先輩、朝寝坊やさかい時間がおへんのどす。先輩が好きなんは一見美保先輩に見えるけど、ほんまは、うちのことが好きなんとちゃいます?」


「え……?」


「ちなみに、うちは保育所のころから先輩が……マナブクンが好きなんどす。どないどっしゃろ、答を聞かせておくれやす!」

「そ、それは……てか、なんで京都弁?」

「どうでもよろしおす。それよりも時間がおません、ハッキリ言うておくれやす!」


「え……どうしても、今か?」


「もう……時間切れ。明日返事を聞かせとくれやす!」


 で、桜の花びらが散ってきたかと思うと、あたしの姿はかき消えて、いつもの公園に戻ってしまっていた。桜はまだ固い蕾で、梅がわずかにほころんでいる春の兆しのころだった。



「なんかバカみたいな話だけど、夢なんかじゃないんだぜ」


 そうだろ、そうでなかったら、わざわざあたしを御茶ノ水の喫茶店に呼び出したりしなだろう……お雛さまと馬場先輩の明日香と、アンネの仕業だと思った。でも、それは言えない。


「それは、やっぱり夢ですよ。卒業して気楽になって、三度寝して見た夢です。だいいち、うちが京都弁喋るわけないし」


「そうか……でも、明日香、演劇部だから、京都弁なんか朝飯前だろ」

「そんなことないですよ、だいいち演劇部は辞めてしまったし」


「そうか……オレ、一応考えてきたんだけど」


 先輩が真顔で、あたしの顔を見つめた。


 心臓が破裂しそうになった。


「そ、そんなの、無理に言わなくてもいいです!」


「……そうか、じゃあ、やめとくわ」

「ア、アハハハ……」


 赤い顔して笑うしかなかった。


 家に帰ると、敷居にけつまづいてしまった。その拍子に本棚に手が当たって『アンネの日記』が落ちてきて頭に当たった。


「あいたあ……」


『アンネ』を本棚に仕舞て、ふと視線。お雛さんと明日香の絵が怖い顔してるような気がした。


「睨むことないでしょ。花見の約束だけはしてきたんだから」


 それでも、三人の女の子はブスっとしている。


 あたしと違って、ブスっとしてもかわいらしい……。


 そこで思い出した。


 めったにないことなんだけど、今日は、明神さまに挨拶するのを忘れていたことを。




※ 主な登場人物


 鈴木 明日香       明神男坂下に住む高校一年生

 東風 爽子        明日香の学校の先生 国語 演劇部顧問

 香里奈          部活の仲間

 お父さん

 お母さん         今日子

 関根先輩         中学の先輩

 美保先輩         田辺美保

 馬場先輩         イケメンの美術部

 佐渡くん         不登校ぎみの同級生

 巫女さん

 だんご屋のおばちゃん

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