*ある忘れっぽい女の話
たしかフィクションだったと思います。
たぶんホラーだと思います。
旦那にまた怒られるかもしれない。
私は二人分の食事を並べたテーブルに頬杖をついて、はあとため息をついた。
時刻は十八時半。
いつもだったら旦那はもうとっくに帰ってくる時間だ。
しかしこの薄暗い団地のリビングには私一人。
スマホを確認しても、旦那から「遅れる」とか「夕飯はいらない」とかそういう連絡はない。
今日の朝、会議があるって言っていたっけ?
夕飯は食べてくるって言ってたっけ?
十七時の仕事終わりにスーパーに寄って帰ってきた。昨日も買ったのにまた納豆を買ってしまっていた。
テレビをつけていたら予告コマーシャルで十九時からの音楽番組に私の好きなアイドルグループが出るとやっていた。
これは見たいと思って一生懸命時間に間に合わせるために夕食を作ったのに。
旦那が帰ってきたら、「朝、夕飯はいらないと言ったのに、こんなにも作って食材もお金ももったいないだろう」と怒鳴られるだろう。
ああ、考えるだけで気が滅入る。
季節外れの蠅が食卓の上を飛んでいる。
とりあえず、私だけで食べてしまおう。
チンジャオロースを作ったけれど、味があまりない。オイスターソースを入れ忘れてしまったのだろう。
味の濃い味噌汁で流し込んでも、さすがに二人分は食べきれない。
たぶん旦那がこの味噌汁を飲んだらぐちぐち文句を言ってきただろう。帰ってくる前に処分しておこう。
流しにチンジャオロースと味噌汁を運び、残飯に捨てる。
お皿を洗っているとテレビで、音楽番組がもうすぐ始まるとお知らせを流していた。
いけない、いけない。忘れていた。見逃すところだった。
好きなアイドルグループの出演を見たらすぐにお風呂に入れるように、お湯を張っておこう。
それに旦那が帰ってきてお風呂が沸いていれば機嫌を崩すことはないだろう。
気が利いていると、久しぶりに褒めてくれるかもしれない。
結婚してから旦那はいつも怒鳴っている。付き合っているときは優しかったのに。
時間を確認したら、あと数分で番組が始まってしまう。急がなくては。
食器を水切りかごに並べるとお風呂場に向かった。
お風呂場のドアを開けて広がる景色に私は驚いた。
スーツを着た旦那が水の張っていない湯船にいたのだ。
目は大きく見開いて、口からだらしなく舌を出している。
首には大きな傷がありそこからあふれた血で服が汚れていた。
しかし時間が経っているようで、スーツにこびりついた血は赤黒く変色しかぴかぴに乾いていた。
いけない、いけない。忘れていた。今朝、殺したんだった。
ああ、今思い出した。そうそう。今日の朝も旦那はイライラしていたみたいで、私に当たり散らしていたから、こっちもいい加減我慢の限界がきちゃって料理中だったから手に持っていた包丁で殺しちゃったんだった。
はあ、そうだった。私も仕事があったし帰ってきてからどうにかしようと思ってとりあえずお風呂場に置いておいたんだった。
たしかトランクケースがあったはず。それに入れておこう。
明日は仕事が休みだし、どこかに捨てに行こう。
どこに仕舞ったっけな? たしか押し入れだったと思う。
私にしては珍しく記憶があっていたようで、すんなり見つけられた。
せっせとトランクケースに旦那を詰めて、とりあえずベランダに置いておいた。忘れないようにしなくちゃ。
その後血だらけだったのでお風呂場を洗ってお湯張りを始めた。
一仕事終えてリビングに戻ったら二十時になっていた。
すっかり忘れていた。
私の見たいと思っていた音楽番組はもう終わっていた。
録画しておけばよかったと思った。