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花を摘むひと  作者: 樹歩
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第5章・追憶その5

「あの、ここです。」 

 おでんを食べる為に行った小さなお店は本当に小さなお店で、ご主人を亡くした奥さんが一人でぽつんとやっている。実は私が“ちゃんと知っている”唯一のお店だ。何年か前に、今は辞めていなくなってしまった同僚が連れて来てくれた店で、「女の子が一人で行っても大丈夫な店なのよ」と彼女が言ってた通り、一人で行っても居心地の悪くないこじんまりとしたお店だった。あるのはおでんとか煮物とか、あたかも田舎のお母さんの手作り料理。そしてご飯とお茶漬け。もちろんアルコールもあるが、種類は多くない。私は本当にほんの時々この店を訪れたが、いつ来ても奥さんは優しく私を迎えてくれた。こんな人が母ならよかったのに、と何度思っただろうか。


 那智は待ち合わせの場所に待ち合わせた時間にほぼぴったりにきた。まじめな人柄なのだな、と思った。実は私もついたばかりで、もし彼が先に来ていたらどうしようかと(一応誘った手前先に着いてないといけないと思った)内心ひやひやしていたのだ。

「あの、電車に乗って次の駅なんです。」

「あ、そうですか。」

今思うと笑ってしまうのだけど、私たちは挨拶らしいこともなくそれだけ言って歩きだしたと思う。そしてそのあと一言も交わすことなく電車で並んで立ち、次の駅で降り、階段を昇って下って外に出て、店まで歩いてきた。彼は黙って私の少し(半歩くらい)後ろをついてきた。おそらく彼も私と同様にこのシチュエーションをどうしようかと思っていたに違いない。

 私自身、他人と、しかも男性と食事するなんて何年振りかと思うくらい久しぶりのことだった。思わず勢いに任せて誘ってしまったが、それさえ初めてに近い行為で、今日はずっとどうしようどうしようと焦っていた。何を話したらいいのか。何を着て行こうか。変な女だと思われないだろうか。欲求不満な女とか思っただろうか。そういう不安がぐるぐると回っていた。それでも不思議だったのは、彼が私のすぐ後ろにいることがなんだか心地よい感じがしたことだ。安心感というのだろうか。何か、あたたかいオーラみたいなものがあって、それに包まれているような感じがした。見守られている感覚があった。


 店はまだ開けたばかりのようで客は誰もいなかった。奥さんは私の顔を見ると「おや?」という眼をしたが何も訊かずにいつものように「いらっしゃい。」とだけ声をかけてくれた。

「お、お久しぶりです。」

私がそう言って座ると彼も自然に隣に座った。今私は「自然に」と書いたが、それは本来当り前だとは思う。一緒にいるのだから。でもそれは本当の深い意味では「当り前」ではないと思っている。自然な行動とか言葉というのは、ある一定の関係を築けた上に成り立つものであって、そこまでたどり着いていない相手とではなにかしら摩擦というか、無理のある仕草や言い方になるのは避けられないというのが私の持論だ。それを一般的には“気遣い”という言い方をする。でも彼の動き方、たとえば椅子の引き方とか、腰の下ろし方とかにそれがなかった。少なくとも私にはそう映った。それは実は私をかなり感動させた。思わず彼を見つめてしまうくらいだった。こういうことにこだわるのは女性だけかもしれないし、あるいは私だけかもしれない。とにかくその時の那智の椅子の座り方はとても自然だった。そして私は一気に自分の中の緊張感や不安が薄らいでいくのを感じた。

「この前は本当にスミマセンでした。あの、美味しかったです。」

「スゴイ食べたそうにしてたもんね。」

「ここのもとても美味しいので・・・」

そこへ奥さんが「とりあえず何か飲みますか?」と声をかけてきた。私たちは生ビールを頼んだ。すぐにビールが運ばれて、それを見た途端、なんだかすごくわくわくしてきた。

「じゃあ、乾杯。」

「乾杯。」

小さくビアジョッキを当ててそのまま喉に流す。美味しい。そしてジョッキを置いた時、彼は言った。

「ところで君の名前はなんていうの?」

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